社宮司遺跡(千曲市)
8世紀後半から9世紀後半頃の墨書土器(ぼくしょどき)234 点、刻書土器(こくしょどき)80 点が、発掘調査で見つかりました。墨書土器は墨で文字や記号を書いたもの、刻書土器は箆などで文字や記号を彫ったものです。「北」「八千」「守部」「坂主」などの文字があります。
資料掲載報告書:『社宮司遺跡ほか』 長野県埋蔵文化財センター発掘調査報告書78
長野県立歴史館所蔵
社宮司遺跡(千曲市)
8世紀後半から9世紀後半頃の墨書土器(ぼくしょどき)234 点、刻書土器(こくしょどき)80 点が、発掘調査で見つかりました。墨書土器は墨で文字や記号を書いたもの、刻書土器は箆などで文字や記号を彫ったものです。「北」「八千」「守部」「坂主」などの文字があります。
資料掲載報告書:『社宮司遺跡ほか』 長野県埋蔵文化財センター発掘調査報告書78
長野県立歴史館所蔵
竹佐中原遺跡(飯田市)
2001~2002年の発掘調査で56点の石器群が出土し、後期旧石器時代をさかのぼる石器の可能性があると報告されました。
2004~2005年にはA地点と類似するC地点の石器群が発掘され、これらの石器は3~5万年前のものと想定されています。報告書では後期旧石器時代の石器とは異なるものであるとする見解を示しましたが、後期旧石器時代の石器群であるとの見解もだされており、意見が分かれるところです。
C地点では769点の石器群が出土しました。A地点と同じホルンフェルスという石材を主に使っていますが、石英岩、珪質凝灰岩などが使われており、A地点の石器群との違いも見られます。
資料掲載報告書:『長野県竹佐中原遺跡における旧石器時代の石器文化』 長野県埋蔵文化財センター発掘調査報告書75
『長野県竹佐中原遺跡における旧石器時代の石器文化Ⅱ』長野県埋蔵文化財センター発掘調査報告書85
飯田市教育委員会所蔵
表町遺跡(飯綱町)
16世紀前半頃(戦国時代)の井戸跡より出土しました。頭部のみで、柄は見つかりませんでした。頭部本体は幅34.2cm で、歯の長さは14.6cm です。本体・歯ともにサクラでつくられています。
表町遺跡では、21基の井戸跡が見つかり、「馬鍬」のほかに「そり」、「臼」などの木製品が出土しました。
資料掲載報告書:『西四ツ屋遺跡・表町遺跡』長野県埋蔵文化財センター発掘調査報告書 90
飯綱町教育委員会所蔵
仲町遺跡(信濃町)
仲町遺跡は野尻湖畔にあります。JS地点・BP第3地点と名付けた調査区から出土した石器です。写真上半が斧形石器(おのがたせっき)、下半が台形石器です。斧形石器は刃を磨いた磨製石器です。旧石器時代に磨製石器が多数出土するのは、世界的に見て稀なことで、日本列島の旧石器文化の特徴といえます。
資料掲載報告書:『仲町遺跡』長野県埋蔵文化財センター発掘調査報告書63
長野県立歴史館所蔵
力石条里遺跡群(千曲市)
力石バイパス建設に伴う発掘調査で、墓と思われる土壙が56基確認された。写真の土器はそれぞれSK115、SK120とした土壙から出土しました。SK115では骨片、炭化米、オニグルミなどが出土しました。これらの年代測定をしたところ、紀元前405~350年頃のものであることがわかりました。
資料掲載報告書:『力石条里遺跡群』長野県埋蔵文化財センター発掘調査報告書96
長野県立歴史館所蔵