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2021年1月5日

掘るしんinながの2020ー塔鋺形合子は何を語るー」講演会を実施しました

12月12日(土) 「掘るしんinながの2020ー塔鋺形合子は何を語るー」講演会を実施しました。

たくさんお申込みをいただきましたがが、新型コロナ感染拡大予防対策のため、当日は、抽選で当選された方々のみのご参加となりました。



【講演会の様子1】

会場では、感染拡大予防対策として入場時の健康確認・検温、マスクの着用・手指の消毒・3密の回避、会場内での飲食禁止など、来場者の方々にご協力いただきました。



【講演会の様子2】

宮内庁正倉院事務所長の西川明彦先生には「正倉院宝物に見られる古代技術と塔鋺形合子」と題して、正倉院宝物の黄銅合子、赤銅合子の製作方法や施されている技法などを、わかりやすくご講演いただきました。



【講演会の様子3】

奈良国立博物館学芸部長の内藤栄先生のご講演「塔鋺形合子がたどった道」では、中国や朝鮮半島、日光男体山出土品の塔鋺形合子との関連や類似性についてお話いただきました。



【講演会の様子4】

会場では、小島・柳原遺跡群出土の塔鋺形合子と模造品を展示しました。想像していたより小さな塔鋺形合子に施された模様を見ようと、目を凝らす様子がみられました。



ほるしんinながの2020-塔鋺形合子は何を語る-当日資料(758KB)

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2020年12月21日

年末年始の展示室・図書室の休館(お知らせ)

12月24日(木曜日)~1月5日(火曜日)まで

展示室と図書室(閲覧室)が年末年始の休館となります。



1月6日(水)から開館いたしますが、

感染拡大防止のため、①マスクの着用、②手指の消毒、③ご連絡先等の記入を

引き続きお願いいたします。



お手数をおかけしますが、ご理解ご協力をお願いいたします。

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2020年12月15日

「掘るしんinながの2020ー塔鋺形合子は何を語るー」講演会の様子が放送されます

12月12日(土)に行われた 「掘るしんinながの2020ー塔鋺形合子は何を語るー」講演会の様子が、INC長野ケーブルテレビ 地上11chで放送されます。



【放送日時】

〇令和3年1月16日(土) 午前9時、午後4時、午後9時

〇令和3年1月17日(日) 午前9時、午後4時、午後9時

〇令和3年1月18日(月)~22日(金) 午後1時



チラシ講演会放映日時(PDF16KB)

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2020年12月9日

小島・柳原遺跡群から出土した塔鋺形合子を展示します

「掘るしんinながの2020ー塔鋺形合子は何を語るー」講演会にご参加できなかった方にご覧いただけるよう、小島・柳原遺跡群から出土した塔鋺形合子を、下記の期間特別に展示します。



期間:令和2年12月14日(月)~17日(木)

時間:9時~16時30分

場所:長野県埋蔵文化財センター 展示室



【出土品】



【模造品】

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2020年11月13日

中野市博のお散歩講座(出前講座)

出前講座「中野市博のお散歩講座」:自ら歩き考える、令和版「草鞋(わらじ)史学」

 

 

 11月8日(日)に中野市立博物館による野外イベント「学芸員お散歩講座弥生時代の歴史見て歩き~栗林遺跡と南大原遺跡~」に講師としてお招きいただきました。栗林遺跡から南大原遺跡までの約1キロをのんびり2時間かけて歩きました。参加した皆さんは18名。講師や市博学芸員の遺跡にまつわる話に耳を傾けつつ、暖かい陽光の下、2千年前の弥生時代に思いを馳せた秋の一日となりました。



【こんなところに県史跡標柱があった】

 千曲川沿いに入ると、果樹畑が広がります。その農道脇に「県史跡 栗林遺跡」の立派な標柱が立っています。「畑の下1mには北信濃を代表する弥生時代の集落遺跡「栗林遺跡」が大切に守られています。」という話しに、皆さんからは「へえー、知らなかった」という声も聞かれました。

 さあ、遺跡の中を歩いてみましょう。

 



【歩いてわかった地形の変化】

 用水を越え、農道を進みます。赤く色づいたリンゴを目で味わっていると、

「さあ、今来た道を振り返ってみましょう」「あれっ、用水より少し高くなっている」

「弥生集落は千曲川に運ばれた土砂がたまってできた、水はけのよい高台(自然堤防)にあります。」

 歩いてみないと分からない微地形を体感できました。

 



【千曲川堤防から南大原遺跡を遠望する】

 栗林遺跡を抜けて、千曲川の堤防上にやってきました。千曲川が今の場所を流れるようになったのはおよそ150年前のことです。洪水に悩まされた地域の人々が協力して、蛇行していた千曲川を真っすぐにする“瀬直し”が行われました。「今皆さんが立っている堤防の真下が弥生時代の千曲川なんです。」「えー。」驚きの連続です。



【弥生時代の中野市、ここがすごい!】

 「千曲川の両岸が広く開けているこの一帯は、北陸地方とシナノを結ぶ重要なルート上にあたり、山を越え川に沿って行き交う人たちが荷降ろしできる “川の港”だったと考えられます。」

 「弥生時代の中野市は、柳沢遺跡の青銅器埋納坑に象徴されるように広域流通の要(かなめ)でした。南大原遺跡でも、こうした地の利を活かし、いち早く最新の文化や技術を手に入れていたようで、当時の先端技術である、鉄器作りの証拠がみつかっています。」とまとめました。

 「当時の道はどんなつくりだったのか」「川を渡る方法は?舟はあったのか?」参加された皆さんからもたくさんの意見や疑問が飛び出しました。

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