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2020年2月6日

南大原遺跡 2019年度調査情報(3)

 この度の台風19号の影響で被害に遭われた皆様方には心よりお見舞い申し上げます。

 

【今年度の発掘調査は終了しました】

 平成31年4月にスタートした発掘作業は令和2年1月末に終了しました。昨年10月の台風19号による千曲川の氾らんでは、調査現場がそっくり水没し、プレハブが流出してしまいましたが、多くの皆様のご支援とご協力によって復旧することができました。

  地元の皆様には、復旧作業中に温かいお言葉を掛けていただいたり、採れたてのブドウを差し入れていただいたりと、お心遣いいただきました。改めてお礼申し上げます。

【千曲川べりに営まれた2,000年前の集落】

 今回の調査では、弥生時代中期(約2,000年前)の集落跡を良好な状態で確認することができました。過去の調査成果を合わせると、集落の様子がよくわかります。 集落は大きく蛇行する千曲川沿いの自然堤防上に立地していました。同じころ、旧千曲川の対岸には栗林遺跡(県史跡)の集落がありました。

集落で一番高い場所に「環状土坑列(かんじょうどこうれつ)」があり、土坑列を取り囲むように竪穴建物跡(たてあなたてものあと)や墓域(ぼいき)、掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)が分布しています。集落の中心にある土坑列は共同の儀礼の場なのかもしれません。 

【「環状土坑列」とは?】

 調査区南東部から全国的に類例のない「環状土坑列」が2基みつかりました。直径が0.6~0.9mほどの大きな土坑(穴)が円弧状に並んでいて、配列は南北にずれて二つあります。土坑は長径18mもある、大きな環状に配列していたといえそうです。(人の立つ位置に土坑があります。) 

【柱を立てていた跡のある土坑(穴)】

 土坑の深さは0.1~0.6mと深浅あり、深いものには柱の痕跡がある例もあります。単なるトーテムポールのようなものなのか、建物なのか、その性格は今後の研究課題です。(赤い色の部分が柱を立てていたところです。)

【2,000年前の鉄器つくり】

 竪穴建物跡内から鉄製品・小鉄片や、砥石・台石といった加工具が出土しています。南大原遺跡の弥生集落では小規模な鉄器加工が行われていたと考えられます。2,000年前という、日本国内でも非常に早いころ、北信濃にはすでに鉄器加工技術が伝わっていたことを示す重要な発見です。

【竪穴建物跡から出土した1㎝ほどの小さな鉄片】

【一か所にまとまるお墓】

 お墓は集落の一か所にまとまっています。お墓の種類は二つあって、木製の板を組み合わせた木棺墓(もっかんぼ)が7基、木製板を組み合わせてから床一面に丸い石を敷き詰めた礫床木棺墓(れきしょうもっかんぼ)が5基みつかっています。

【並んで見つかった礫床木棺墓】

 右の墓から管玉(くだたま)20点がまとまって出土しました。

【墓などから出土した管玉】

 小さな礫床木棺墓からは石製首飾りの管玉が20点まとまって出土しました。

【次年度に向けて】

 今年度台風による千曲川の氾らんの影響等で調査を延期した部分で発掘作業を

 予定しています。引き続きご協力よろしくお願いします。

 

☆☆☆

展示会のご案内 
南大原遺跡の出土品や写真パネルを展示いたします。
多くの皆様のご来場をお待ちしております。

 

〇長野県立歴史館 春季展

「長野県の考古学2020ーいのちをつなぐ技と交流ー」

日時:令和2年3月25日(水)~6月14日(日)

  (開始日が再変更になりました。)

場所:長野県立歴史館企画展示室   千曲市大字屋代260-6 科野の里歴史公園内

内容:南大原遺跡の出土品をはじめ、テーマに合わせた企画展示や

   長野県宝「信州の特色ある縄文土器」も公開。

問合せ:長野県立歴史館 電話026-274-2000

    HP:https://www.npmh.net/index.php

カテゴリ:南大原遺跡

2020年1月14日

石川条里遺跡 2019年度発掘調査情報(2)

平成31年4月に開始した今年度の発掘作業は、冠着山が雪化粧した12月をもちまして終了しました。

【雪を被った冠着山】

平成25年度から開始した坂城更埴バイパス改築に伴う塩崎遺跡群、石川条里遺跡、長谷鶴前遺跡群の発掘作業は、市道の一部を残して終了することになります。 長野市篠ノ井塩崎地区の皆様には、大変お世話になり、ありがとうございました。

今年度は、おもに平安時代とこれまでの発掘では明確ではなかった古墳時代の遺構・遺物がみつかりました。

【古墳時代の杭列と遺物集中】

県道長野上田線に近い調査区で、4条の杭列と遺物集中がみつかりました。杭列は、ほかの調査区で確認した古墳時代の大畦とほぼ同じ方向に延びており、土地を区画するためにつくられたものと思われます。杭列の一角に遺物が集中していました。

【杭列と横木】

4条ある杭列のなかで、もっとも東側の杭列には、杭列に沿って自然木が埋設されていました。杭列を保護する目的で設置されたと思われます。

【遺物集中での作業風景】

長辺約5m、短辺約3m、深さ約30cmを測る不整形な落ち込みがみつかりました(検出面からの計測値)。底面にこまかな凹凸があります。この落ち込み(SX002)からは多量の木材と土器が廃棄された状態で出土しました。木材は自然木が大半を占めていましたが、農具や建築部材と思われるものもみられました。

【遺物集中】

SX002からは供献(きょうけん)用の小型丸底(こがたまるぞこ)土器や高坏(たかつき)が出土しましたが、特に小型丸底土器の出土割合が多いことが特徴的でした。SX002の周辺で行われた非日常的な行為で用いられた土器が廃棄されたものと思われます。

【小型丸底土器出土状況】

【ミニチュア土器】

小形丸底土器を模した非常に小さいミニチュア土器も1点出土しました。土器の口径は約3cmで、土器の縁から底までは約5cmを測るものです。

カテゴリ:石川条里遺跡

2020年1月8日

浅川扇状地遺跡群 2019年度発掘調査情報(4)

【発掘作業が終了しました。】

4月に開始した今年度の発掘作業も11月末で終了しました。今年度は桐原地区と吉田田町地区で調査を行い、弥生時代から平安時代の竪穴建物跡15軒や中世の居館(桐原要害)の堀跡、弥生時代から近世の土坑125基などがみつかりました。

【弥生時代(約1,800年前)】
【竪穴(たてあな)建物跡 写真撮影準備作業】

弥生時代の遺構は吉田田町・桐原の両地区から竪穴建物跡2軒や土坑などがみつかりました。

【土器出土状況】

そのうちのひとつの住居跡からは甕や壺・高坏などたくさんの土器が出土し、高さ4.3㎝の珍しいミニチュア土器もみつかりました。(点線内)

【ミニチュア土器】

【古墳時代(約1,700年前)】
【古墳時代の竪穴建物跡】

古墳時代の遺構は、桐原地区の竪穴建物跡が1軒ですが、埋土の中からは甕や壺・器台など様々な土器がみつかりました。

 

【平安時代(約1,100年前)】

平安時代の遺構としては、桐原地区で竪穴建物跡が12軒みつかりました。後世のかく乱を受けて壊されている部分が多く、出土した土器も少なめでしたが、墨書がある土器や土製の紡錘車など珍しい遺物もみつかっています。
【土製紡錘車】

(径7.5㎝、厚さ2.5㎝、重さ168.8g)

 

【中世(約600年前)】
【中世の堀跡】

  中世の居館(桐原要害)の堀跡は、西側の辺が南北約118mに達することが確認できました。

 

【近世(約150年前)】
【吉田田町地区 近世面の調査風景】

近世の遺構は、吉田田町地区で土坑27基がみつかりました。

【炭化物で埋まっていた近世の土坑】

多くの土坑には、炭や焼けた土の塊などが混入していて、1864(元治元)年の「田町の大火」との関連が想定されます。

【おわりに】
平成23年度から始まった発掘作業も今年度で終了となります。長い間多大なご協力をいただきありがとうございました。これからは、篠ノ井の県埋蔵文化財センターで今までの調査成果の整理作業を行っていきます。埋文センターの展示室には浅川扇状地遺跡群から出土した遺物も展示しておりますので、お近くにお出かけの際は是非お立ち寄りください。

カテゴリ:浅川扇状地遺跡群(桐原地区)

2019年12月4日

沢尻東原遺跡 2019年度発掘調査情報(4)

平成31年4月に開始した発掘作業は令和元年11月をもちまして終了しました。辰野町の皆様には、多大なるご協力をいただき、大変ありがとうございました。 沢尻東原遺跡では約1.8haという広大な範囲を調査し、縄文時代中期(約5000年前)の竪穴建物跡49軒を調査することができました。 今後は報告書作成に向けて本格的な整理作業が始まります。 今後とも地域の皆様のご理解、ご支援をよろしくお願いします。

【沢尻東原遺跡の全景】

小さな丸い影が竪穴建物跡です。 1時期のムラは5~10軒程と考えられます。縄文時代中期ごろ、数百年の間に何世代もの人々が住んでいたことがわかりました。 点線の範囲では埋甕群がみつかりました。

【土器片を敷いた埋甕炉】

竪穴建物跡の中央には囲炉裏(いろり)がつくられています。 この建物跡の炉は深鉢の底を抜いて炉にし、底には土器片が敷かれていました。

【土偶を発見】

沢尻東原遺跡では土偶が7点みつかりました。 完全な形ではなく、いずれも顔、胴、手などの 破片です。縄文時代の遺跡では土偶が割れた状態で 発見されることが多く、縄文人が何らかの意図をもち、 土偶を割り、捨てたと考えられます。

【埋甕群を発見】

竪穴建物跡が分布する範囲の内側で約15基みつかりました(写真1の点線範囲)。 深鉢の中から骨片が出土する例があり、墓の可能性が高いと考えられます。 深鉢の大きさからみて乳幼児の墓が特定の場所にまとめてつくられた可能性があります。

【埋甕の出土状況】

大きな深鉢を用い、地面にほぼ垂直か、やや斜めに 埋められています。

【埋甕の出土状況】

埋甕は接近して埋められたり、離れた場所に単独で埋められる例がありました。また埋甕の中からは拳大の石や凹石などが出土する例もありました。 今後、埋甕の分布状況や、出土資料を検討し、その性格を検討していく予定です。

カテゴリ:沢尻東原遺跡

2019年12月4日

一の釜遺跡 2019年度発掘調査情報(3)

11月末で一の釜遺跡の調査を終了しました。調査区は南向きの急傾斜地で、4段の平坦面に分かれていました。上段の平坦面では遺構がみつかりましたが、それより下方の中段、下段、最下段は後世の造成によって削平や撹拌を受けていたため、遺構はありませんでした。

【上段全景】

縄文時代前期末から中期初頭(約5,500年前)の竪穴建物跡2軒、土坑18基と平安時代の土坑1基が見つかりました。

【平安時代の土坑】

縦1.m、横0.5mほどの長方形の土坑です。 底面近くの隅から平安時代の土器(坏)が見つかりました。割れていますが、もとの形に復元することができそうです。

【縄文土器】

見つかった縄文土器の一部です。 土器の表面に粘土紐を貼り付けその上から竹を半分に割った道具などでつけた模様、円や弧を描いた模様、縄目模様が見られます。中央右寄りの破片は小さい穴があけられた浅鉢形の有孔鍔付土器です。

【石器】

写真は石鏃や石錐、石匙、石核です。国史跡星ヶ塔の黒曜石原産地遺跡に近いためか、黒曜石がたくさん出土しました。なかにはチャートや頁岩製の石器もわずかに見つかっています。

【石皿】

前回紹介した大きな礫がたくさん見つかった土坑の礫の中に石皿が含まれていました。縦40cmほどの楕円形をした円礫の中央部(灰色の部分)はすべすべしています。ドングリなどをすり潰したのでしょうか。

カテゴリ:一の釜遺跡

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