2021年8月23日

真光寺遺跡 2021年度発掘調査情報(2)

 4月から現在までは遺跡の東側(第1調査区)を調査しており、現和田堰のもとと考えられる溝跡、8世紀初頭と考えられる古墳、土坑群、焼骨が含まれる集石などが発見されました。8月末からは、遺跡の中央付近(第3調査区)の調査に入ります。

 なかでも、古墳の発見は波田で初めてであるため、周辺住民の関心が高いことから、7月11日(日)に地元現地説明会および報道公開を開催しました。

 

【地元現地説明会】

 説明会は、コロナ渦のため、波田第1区住民を対象とし、事前申し込み制で行いました。 午前10時30分と午後1時30分の2回、全体説明を行いましたが、発見された古墳を見て驚き、感心する見学者が多かったです。

真光寺遺跡現地説明会資料(581KB)

 

 

 

【古墳の全景】

 古墳は、墳丘、石室、周溝が残っていました。墳丘径約12m、周溝幅約1.5m~2m、石室全長は約7.5m、幅は奥壁で1.1m、入口部で1.85m、となります。

 

 

 

 

 

【石室の調査】

 石室の側石を精査している風景です。石室は細長いかたちをしていて、比較的大きい河原石(長径50㎝程)を丁寧に積んでいることがわかりました。

 

 

 

 

 

【石室内部の様子】

 石室の内部は、羨道(せんどう:①)、前室(ぜんしつ:②)、玄室(げんしつ:③)の3つにわかれていました。羨道と前室の境に、袖石の痕跡と框(かまち・しきみ)がみつかりました(矢印)。

カテゴリ:真光寺遺跡

2021年5月20日

真光寺遺跡 2021年度発掘調査情報(1)

 真光寺遺跡は、昨年度の松本市教育委員会が行った試掘調査の成果をもとに発掘調査を行っています。試掘調査では、「和田堰跡」とみられる溝跡や、「弘治3(1557)年建立の真光寺跡」の遺構が検出され、中世を主体とした遺跡と考えられています。また縄文時代の黒曜石製石鏃が表面採集されており、近接地に縄文時代の遺跡(葦原遺跡ほか)があることから、試掘調査で確認できなかった縄文時代の遺構が見つかる可能性があります。



【遺跡遠景(松本電鉄側から臨む)】

 今回の調査面積は6,000㎡と広いです。表土はぎで掘削した土量はかなり多くなるため、調査区を4分割(第1~4調査区)して調査を進めています。ブルーシートがかかっている部分は第1調査区で、現在調査中です。写真の矢印は現在の真光寺です。



【発掘調査の開始】

 重機で表土をはいだ後、作業員が壁を精査している風景です。現在の耕作土の下層には、どのような土層が堆積しているか、また遺構や遺物が見つかるかなどを観察しながら作業を行っています。



【作業員により精査した状況】

 調査区は縄文時代以降、幾多の洪水等による氾濫により、大小多くの礫(れき)を含む砂礫層が堆積した土地となっていることがわかりました。写真は平安時代と推測される第1調査面を精査した状況です。砂礫層上面での検出作業は大変な作業です。古代あるいはそれ以前には水田として開発されたようですが、水田層にも大小多くの礫が含まれています。



【第1検出面で検出した石積遺構】

 この石積遺構は、長さ約9m、幅約2mで、南側(写真手前)がラッパ状に開いています。検出時には4段の石が積み上げられていました。今後、石積の周囲を掘り下げ、積み上げられた石の数や積み上げ方法を捉えていきます。



【灰釉陶器の出土状況】

 石積の近くから、灰釉陶器の壺が出土しました(写真の黄色い円の中)。石積の時期を検討する重要な遺物ですが、今後、石積の精査でどのような遺物が出土するか興味深いです。

カテゴリ:真光寺遺跡,調査情報

2020年7月28日

氏神遺跡 2020年度 調査情報(6)

【発掘作業は終盤ですが・・・】

 7月一杯で発掘作業を終了します。連日の雨で現場はご覧のとおり水没しています。今月は、丸一日作業ができたのは、たったの3日。今年の梅雨はもう少し続きそうです。


【洗浄作業】

 遺物についた泥をブラシで洗い落します。土器の破片は、ゴシゴシこすると傷めてしまうため、小刻みにトントントンとブラシの先を当てるように洗うのがコツです。

【注記作業】

 洗浄した遺物は、乾燥させて再びポリ袋等に収納し、台帳に登録します。そして、「注記マシン」という機械を使って、遺物一点一点に遺跡記号や出土遺構名等を、マーキングします。


【土器の接合作業】

 土器片を出土場所ごとに広げて、接合作業をおこないます。ジグソーパズルに似ていますが、すべてのパーツが必ずそろうわけではない点が、土器接合の難しいところです。

うじがみ遺跡ニュースvol.6 2020年7月発行(PDF1.45MB)



カテゴリ:氏神遺跡

2020年7月13日

氏神遺跡 2020年度 調査情報(5)

【 穴99個発見! 何に使った?】

 遺跡からは、たくさんの穴がみつかっています。これまでにみつかった穴は99個。場所や組合せ、形や大きさ、土の埋まり方、出土遺物など、さまざまな要素を手がかりにして、私たちは穴の用途を考えていきます。今回はそのなかのいくつかを紹介します。

【遺跡のはずれでみつかった深い穴(落とし穴)】

 遺跡の西側と南のはずれで、直径が約1mの円形で、深さが約1.2mの深い穴がみつかりました。(深い穴は、作業の安全に配慮して、半分に割って調査します。)

【逆茂木(さかもぎ)の跡】

 穴の下の方は長方形で、底には直径3㎝、深さ10~15㎝の小さな穴が4か所あります。この穴は、底に杭(逆茂木)を立てた縄文時代の動物をつかまえるための落とし穴と考えられます。



【埋土の中から】

 落とし穴の埋土からは、約5500年前の縄文土器の小さな破片が出土しました。

【貯蔵穴(ちょぞうけつ)】

 縄文時代の竪穴建物跡の近くからは、直径約1mの円形で、深さ約60㎝の、断面が袋状の穴がいくつかみつかっています。穴の大きさや形から、木の実などを保存した穴(貯蔵穴)と考えられます。

【黄色矢印の穴の断面】

 貯蔵穴と考えられる穴は、直径72㎝、深さ60㎝、容量が約245ℓとなります。

【穴を掘る道具】

 狭くて深い穴を掘るのは一苦労なので、移植ごてや両刃鎌は言うに及ばず、おたまやスプーンなど、さまざまな道具が使われます。



【打製石斧(だせいせきふ)】

 縄文人は、穴を掘る道具の打製石斧を棒の先にくくりつけ、硬い土を根気よく突いてほぐし、手のひらなどですくい上げ、穴を掘り進んでいたのでしょう。

 



うじがみ遺跡ニュースvol.5 2020年7月発行(PDF1.0MB)

カテゴリ:氏神遺跡

2020年6月9日

氏神遺跡 2020年度 調査情報(4)

【縄文時代の竪穴(たてあな)建物跡完掘!】

竪穴の中からみつかった柱穴や溝の跡の位置、大きさや深さ、埋まった土の特徴などから、この竪穴はからへ、からへというようにつくりかえられた竪穴が2軒重なっていることがわかりました。
【掘立柱建物跡と四角い竪穴建物跡】

長方形に並んだ黒土で埋まった円い穴がみつかりました。これらは掘立柱建物跡の柱穴です。柱穴の中から内面黒色の土器片が出土しました。 左隣には、一辺4mほどの四角い竪穴建物跡がみえます。

【四角い竪穴建物跡】

この四角い竪穴建物跡は、煙出しがついていることから、室内にカマドがある建物跡であることが確認できました。灰の釉薬(うわぐすり)をかけた陶器や、羽釜(はがま)などの遺物から、この竪穴建物は平安時代中期、およそ1,000年前のものであることがわかりました。



竪穴の奥に見える出っ張り部分を精査してみると、土器片や割れた川原石、崩れた粘土のかたまりが出てきました。

川原石を芯材にして粘土をアーチ状に被せたカマドがあったと考えられます。

【カマドのイメージ】

(『三角原遺跡』長野県埋文2005より)

うじがみ遺跡ニュースvol.4 2020年6月発行(PDF1.12MB)

 



 

カテゴリ:氏神遺跡

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