2018年6月20日

小島・柳原遺跡群 平成30年度調査情報(1)

平成30年度の長野東バイパス改築工事に伴う発掘調査を4月から開始しました。

今年度の調査地点は昨年度調査を行った地点の北側で6月19日(火)に、遺跡の状況を信州大学教育学部の教員・学生のみなさん9名が見学にみえました。

【昨年度までの調査地点】

塔鋺形合子(とうまりがたごうす)に関心がある方もあったので、一昨年度出土した地点を見ながら、遺跡の概要や出土した時の様子を説明しました。

【昨年度出土骨のクリーニング】

昨年度までに出土した人骨を丁寧にクリーニングしているようすも見学いただきました。こうした地道な作業の上に、歴史の研究が成り立っていることを、改めて認識された方もいたようです。

カテゴリ:小島・柳原遺跡群

2018年5月24日

長谷鶴前遺跡群 平成30年度調査情報(1)

平成30年度の坂城更埴バイパス改築工事に伴う発掘調査が4月より開始しました。今年度の調査地点は昨年度調査が行われた長谷鶴前遺跡群(はせつるさきいせきぐん)と石川条里遺跡(いしかわじょうりいせき)の続きとなり、長谷鶴前遺跡群の発掘調査は今年度で最後となります。

【発掘作業開始式】

4月に作業開始式を行い、今年度の発掘調査が始まりました。5月現在では長谷鶴前遺跡群は一部の調査を残しておおむね終了し、石川条里遺跡の発掘調査に着手しています。 

【砂に埋もれた水田跡(1区)】

昨年度の発掘調査で確認した平安時代の水田跡の続きを今年度も確認し、あぜは東西南北に沿ったもの(白線)と、軸方向が斜めにずれたもの(黄線)がみつかりました。軸方向が斜めにずれたほうの水田には泥炭(でいたん)(植物が十分に分解されていない土)が薄くたい積していたため、耕作されていなかった可能性があります。

【厚くたい積していた洪水砂(1区)】

平安時代の水田を覆う砂は、西暦888(仁和4)年に起きた大災害≪仁和(にんな)の洪水≫によって運ばれてきたものであるとみられ、最大で50㎝ほどたい積していました。当時の人々の生活に大きな被害を与えた災害でしたが、結果的に平安時代の水田がきれいに保存された形となりました。

【洪水砂の中から出土した土器(1区)】

水田は生産の場所であるため、通常遺跡の発掘調査でみられるような生活道具(土器など)はほとんど出土しません。今年度は小形の甕(かめ)とみられる土師器(はじき)が1点出土しましたが、洪水によって運ばれてきたものであると考えられます。

カテゴリ:長谷鶴前遺跡群

2018年4月25日

浅川扇状地遺跡群 平成30年度整理情報(1)

浅川扇状地遺跡群は、調査を開始して8年目となりました。今年度も引き続き本格整理作業を進めていきます。現在、古代・中近世の土器の実測や保存処理の済んだ金属製品の実測をおこなっています。また、未調査地区の発掘作業も再開する予定です。

【保存処理の済んだ銭】

中世の溝跡の埋土から見つかったものです。

「元豊通寶(げんぽうつうほう)」(初鋳1078年、北宋銭)と読めます。



【拓本作業】

銭の拓本をとっているところです。まず銭に和紙をかぶせ、水を含ませた筆で和紙をぴったり貼りつけます。ちょうどよい具合に乾いたところへ、タンポを使い墨を和紙の表面にのせていきます。

【完成(左が表面、右が裏面)】

和紙を銭からはがして皺を伸ばし、拓本ができあがりました。コピーをとり、用紙に貼って完成です。表面の文字が浮かびあがりました。



カテゴリ:浅川扇状地遺跡群(桐原地区)

2017年12月22日

小島・柳原遺跡群 平成29年度調査情報(5)

今年度の発掘調査が、11月30日で終了しました。竪穴(たてあな)建物跡15軒、土坑304基、溝跡15条、墓跡43基の調査を行いました。 地元をはじめ多くの皆様に、御理解、御協力をいただき本当にありがとうございました。

【平安時代の竪穴建物跡】

 この建物跡は一辺約6mと大型で、主柱穴以外に壁際に柱穴(図中)があります。遺跡内の他の建物跡とは大きさも構造も異なる建物であった可能性があります。昨年度、塔鋺形合子(とうまりがたごうす)が出土した竪穴建物跡も同じ特徴を持っています。

【古代瓦】

 奈良時代ころに製作された古代の平瓦(ひらがわら)の破片が出土しました。こちら側(製作時の外側)には、格子目叩きがわずかに残っています。

【古代瓦】

 同じ瓦の反対側(製作時の内側)です。全体に布の痕が残っているのがはっきりとわかります。

カテゴリ:小島・柳原遺跡群

2017年10月24日

柳沢遺跡 平成29年度調査情報(5)

4月10日に開始した本年度の発掘調査が終了しました。B・C・D区の3か所の調査を行い、縄文時代中期の炉跡(B区)、弥生時代中期の竪穴建物跡(D区)や水田用水路と思われる溝跡(C区)、弥生時代と平安時代の土器がまとまって出土した場所(C区)がみつかりました。

【H29年度調査区遠景】

柳沢遺跡は千曲川と夜間瀬川の東側に広がっています。今年度も築堤地点の隣接地を発掘調査しました。

 調査の詳細は

 現地公開資料PDF(231KB) をご覧ください。

【弥生時代の溝跡(南から撮影)】

平成18年の調査でみつかった弥生時代中期水田の用水路(次の写真参照)の続きと思われる溝跡です。水田の畔跡は確認できませんでしたが、溝を埋めていた土の中からは弥生時代後期の吉田式の土器の破片が数点出土しました。弥生時代中期に掘られた用水路は弥生時代後期には埋没してしまった可能性があります。

【弥生時代水田と用水路(北から撮影)】

平成18年に調査した弥生時代中期の水田跡です。人が立っているところが水田で、その左側に用水路が南北にのびています。長野県内では、柳沢遺跡のほかに、中野市川久保遺跡、長野市川田条里遺跡、千曲市更埴条里遺跡・屋代遺跡群などで弥生時代の水田や水路が確認されています。

カテゴリ:柳沢遺跡 

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