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鬼釜遺跡・鬼釜古墳

ふりがな
おにがまいせき・おにがまこふん 
住所
飯田市上久堅  マップ
立地
玉川左岸段丘上 
事業名
国道474号飯喬道路建設 
調査期間
平成21・23年 
時代
縄文・古墳・平安・中世 
遺跡の種類
集落跡・古墳 
備考
 

2011年9月6日

鬼釜遺跡 平成23年調査情報(4)

 4月からの発掘調査で、縄文時代の竪穴住居跡3軒、平安時代の竪穴住居跡9軒、中世と思われる竪穴建物跡2基などがみつかっています。また、鬼釜古墳の主体部と考えられるものも調査区内にあることが確認されました。古墳は調査中ですが、勾玉(まがたま)、管玉(くだたま)、鉄鏃(てつぞく)などが出土しています。
 8月28日(日)には現地説明会をおこない。116名の方が見学に訪れました。また、9月2日(金)には飯田市立上久堅小学校6年生(11名)が発掘体験を行いました。
 
約120年振りに発見された鬼釜古墳の墳丘に溝(トレンチ)を掘っている様子です。
掘った土は土のう袋に詰めて篩(ふるい)をかけます。玉などが発見される場合があります。

鬼釜古墳の調査風景です。土層観察のため帯状に土を残して墳丘部分を掘り下げている様子です。写真の下と右側に見える黒い場所が墳丘のまわりをめぐる周溝(しゅうこう)です。

トレンチを掘っている時にみつかった古墳時代の高坏(たかつき)です。鬼釜古墳に副葬されていたものと思われます。

トレンチを掘ったところ、地表下約60cmから石室(横穴式石室?)の石(写真中央)がみつかりました。この石が鬼釜古墳の築造時のものか、また築造後に本来の位置から動かしたものなのかを調べます。

縄文時代の竪穴住居跡の調査風景です。住居跡は現在の耕作で大半が削られていましたが、住居の中央に炉を設け、まわりには柱穴がめぐっていました。写真は柱穴を掘っている様子です。写真中央に炉跡があります。

縄文時代の竪穴住居跡の調査風景です。住居跡からは土器や石器などたくさんの遺物が出土しました。その遺物を丁寧(ていねい)に掘りだしている様子です。

竪穴住居跡がある自然堤防に接する南側の低地には縄文時代中期の遺物が集中して出土しました。そのなかから、土偶が出土しました。

縄文時代中期の遺物集中から出土した土偶(頭部)です。キレ長のかわいらしい目です。

8月28日に行った現地説明会の様子です。当日は116名の見学者がありました。
写真手前の黒色部分が鬼釜古墳の周溝です。
 
現地説明会の資料はこちら (PDF 2.60MB)

 
中世と思われる掘立柱建物跡の見学風景です。

鬼釜古墳は明治25年頃発掘され、その際の出土品が上久堅小学校に大切に保管されています。現地説明会では、同校より直刀(ちょくとう)、馬具(ばぐ)、堤瓶(ていへい)を借用して展示しました。

9月2日(金)飯田市立上久堅小学校6年生(11名)が鬼釜遺跡で発掘体験をしました。
最初に遺跡や発掘調査の話を聞いているところです。

約120年振りに発掘された鬼釜古墳の周溝を掘ってもらいました。周溝の埋土を移植ごてで掘り、掘った土は箕(み)に入れて一輪車まで運ぶことを教わっている様子です。担任の先生も一緒に掘りました。

発掘補助員の手ほどきを受けて周溝の埋土を掘ったところ、古墳時代の須恵器の甕の破片が出土しました。

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2011年7月11日

鬼釜遺跡 平成23年調査情報(3)

鬼釜遺跡では、平安時代の竪穴住居跡、中世と思われる竪穴建物跡と、建物の柱穴が見つかっています。
竪穴住居跡などがある自然堤防に接する南側の低地には、縄文時代の土器と石器が多数出土しています。
また、調査区の北側にある鬼釜古墳の周溝(しゅうこう)の調査で、古墳時代の須恵器(すえき)が出土しました。
 

【縄文時代の遺物が多数出土】
自然堤防に接する低地(自然流路跡)から縄文時代中期の土器と石器が出土しました。


【竪穴住居跡のカマド】
平安時代の竪穴住居跡の南東隅に設置されていたカマドです。左右の石はカマドの袖石(そでいし)で、写真中央の赤色部分は、カマドの底が火で焼けたことによって生じたものです。


【中世?の竪穴建物跡】
一辺2.5mの方形の竪穴建物跡(SB04)です。壁際に約20cm間隔で柱穴(はしらあな)がめぐり、中央西側には焼土(しょうど)があります。出土遺物がないため、現時点で時期は不明ですが、平安時代の竪穴住居跡と重複しており、それよりも新しいことが分かっています。規模や構造からすると中世の可能性があります。


【建物跡の板壁の痕跡?】
SB04の壁際の写真。壁と壁柱穴の間で厚さ約5mmの粘土質の土が発見されました。壁際に板材が設置されていたことを示すものと思われます


【掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)】
2間×2間の総柱のST02と名付けた掘立柱建物跡です。白い線で結んであるのが柱穴のです。写真中央の土が黒ずんでいる所は平安時代の竪穴住居跡で、ST02は平安時代の竪穴住居跡が廃絶した後につくられていました。


【古墳時代の須恵器出土】
鬼釜古墳の周溝を覆う表土から6世紀の須恵器(高坏の蓋か?)が出土しました。

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2011年6月22日

鬼釜遺跡 平成23年調査情報(2)

鬼釜遺跡では平安時代の竪穴住居跡が4軒と、竪穴住居跡より新しい時代の建物の柱穴(時代は不明)などがみつかっています。この他、自然流路跡から縄文時代中期の土器と石器が出土しています。
また、調査区の北側にある鬼釜古墳の周溝(しゅうこう:古墳の周りを廻る溝)が確認されました。鬼釜古墳は、明治24年頃に発掘調査がおこなわれており、調査区隣接地には古墳石室の石がまとまって置かれています。

【平安時代の竪穴住居跡】
炭化材・炭化物・焼土が多量出土した平安時代の竪穴住居跡です。
床面に炭化材が分布しており、竪穴住居は火災で焼失したものと推定されます。

【炭化材の調査】
上の写真の竪穴住居跡の炭化材の形を調査している様子です。
所々に赤く見えるのは、焼けて赤くなった焼土(しょうど)です。

【縄文時代の土器・石器が出土】
自然堤防上に平安時代の竪穴住居跡がありますが、その背後にある流路跡を発掘すると、縄文時代中期の土器や石器が出土します。緑色岩の磨製石斧(下写真)も出土しました。



【鬼釜古墳周溝発見】
明治24年頃に発掘された鬼釜古墳の周溝を発見しました。黒い部分が周溝です。古墳の墳丘は写真左側、オレンジネットに囲まれたなかにあります。

【鬼釜古墳全景】
鬼釜古墳の周溝を推定してみました。調査区外の周溝推定位置にも人が立っています。古墳の墳丘は、写真中央上方の林のなかに残っていると考えられます。

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2011年5月10日

鬼釜遺跡 平成23年調査情報(1)

鬼釜遺跡の発掘調査が始まりました。平成21年度の確認調査では玉川沿いに延びる自然堤防上で縄文時代、平安時代、中世(?)の遺構が確認されました。
本年度の調査では、現在のところ平安時代の竪穴住居跡が2軒検出されています。
【鬼釜遺跡調査区遠景】
風張遺跡から鬼釜遺跡を臨む。写真中央で重機が見える場所が調査区。
写真をクリックして拡大すると調査区がわかります。

【発掘作業開始】
重機で表土を除去した後、ジョレンと両刃で遺構の形を確認したり、遺物を探します。

【竪穴住居跡発見】
重機での表土剥ぎで、平安時代の竪穴住居跡が確認された様子。写真中央、正方形の色が黒いところが竪穴住居跡。その後の調査で平安時代の竪穴住居であることが明らかになりました。

【打製石斧発見】
縄文時代の打製石斧が出土し、石器を傷つけないよう竹べらで掘っています。

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2009年12月28日

鬼釜遺跡(4)~最新情報

発掘調査が終了しました。
 
トレンチという溝を何本も掘って、遺跡の時代や内容の確認調査を行いました。

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