―弥生時代のムラの調査終わる―
12月11日をもって本年度の南大原遺跡の調査が終了しました。本年度は、県道三水中野線脇に細長い調査区を設定して調査を行い、弥生時代中期後半(約2000年前)の遺構、遺物がみつかりました。昨年度の調査で大量の弥生土器が出土した大溝の続きを確認し、南西方向へと続くことが明らかになりました。来年度は、今年度の調査区から県道を挟んだ反対の東側を調査し、自然堤防上に広がる遺跡の続きを調査していく予定です。
【東西に細長い調査区】
11月30日にラジコンヘリコプターによる空中写真撮影を行いました。道路に沿って、細長い調査区となっています。
【赤い土器が重なり合って出土】
大溝の底からは、赤く塗られた壺と櫛描き文のある甕が出土しました。
【土坑の中からも土器が出土】
土坑の中からも1個体分の甕が出土しました。壊された後、土を詰めた穴に入れられたと考えられます。
【東西方向に並ぶ柵列跡】
大溝の東側に、5本の柱穴が並んでいました。柱の間隔が150㎝前後にそろっており、柵列跡と考えられます。
川久保・宮沖遺跡は長野県の北部、中野市豊津に所在し、斑尾(まだらお)川が千曲川と合流する左岸に立地します。替佐築堤事業に伴い平成16年度~19年度にかけて調査を行いました。遺跡の中心となる時期は弥生時代中期~近世です。弥生時代中期~平安時代には断続的に集落や水田として利用され、鎌倉時代以後は水田などに利用されていたと考えられます。ここでは、発掘調査と整理作業でわかったことを紹介します。
【中世の墓跡】
周囲から河原石が多くみつかっていて、墓の上に河原石を積んでいたと思われます。鎌倉時代初めころのものです。
【堰跡(せぎあと)】
水田跡に造られた用水のなかでみつかった堰跡です。棒状の木材を数本重ねたもので、片側を木の根に引っかけて杭で固定しています。この堰で水位を上げて水をひいたと考えられます。
【平安時代の鍛冶(かじ)を行った住居跡】
鍛冶炉を備えた11世紀ころの竪穴住居跡です。写真中央奥に見える住居内の小さな穴が鍛冶炉とみられます。フイゴの羽口を設置したと思われる溝跡もみつかりました。
【漁網用の錘(おもり)】
これらは漁網につけた錘です。写真右は中世の素焼きの錘で、県内でも似たものがたくさん見つかっています。中央は双孔棒状土錘(そうこうぼうじょうどすい)といい、西日本で多くみられるものですが、長野県では珍しいものです。左は網の錘の可能性がありますが、他の錘より重く、漁業用の網の錘と断定はできていません。
―千曲川に臨む弥生時代のムラ―
南大原遺跡の発掘調査を開始しました。南大原遺跡では昨年度も調査を行っており、弥生時代中期後半(約2000年前)の遺構や遺物がみつかっています。本年度は、昨年度の調査区と道路(県道三水中野線)を挟んだ反対側(南側)を調査しています。これまでの調査成果から、集落の続きがみつかることが予想されます。
【今年度の調査区】
写真左側の高くなった部分が、県道三水中野線です。調査区は、そのすぐ南側です。
【出土した土器】
出土した土器は、栗林式と呼ばれる弥生時代中期後半の台付甕(だいつきがめ)です。
【みつかった土坑】
黄色い土の検出面に、黒っぽい土の落ち込み部分が見えます。土坑と呼ばれる穴の跡です。みつかったこれらの土坑は、掘立柱建物の柱穴の可能性があると考えられます。
―今年度の調査が終了しました―
10月末で、琵琶島遺跡の今年度の発掘が終了しました。今回の調査では、弥生時代中期後半の集落跡がみつかりました。竪穴住居跡(2軒)、掘立柱建物跡(9棟)、平地建物跡(3基)、柵列(2列)、土坑(約300基)などの遺構が、種類ごとにまとまりを持って、千曲川に沿うように南北に並んでいる集落のようすが明らかになりました。琵琶島遺跡は来年度も調査を行う予定で、遺跡の中心地に近いところであり、さらなる成果が期待されます。
【調査最終段階の琵琶島遺跡】
今年度の最後に、千曲川に向かってやや傾斜する部分を調査しました。礫混じりの地層に、弥生時代に所属すると思われるいくつかの土坑が発見されました。
【調査区の埋戻し】
調査区を埋め戻し、調査を終了しました。
11月になり、調査も終盤を迎えています。調査では竪穴住居跡が1軒みつかりました。出土した遺物から、平安時代後期のものと考えられます。調査地は山間地にあり、大規模な集落の展開は見込めないでしょう。数軒程度からなる小さな集落であったと思われますが、なぜ平坦地ではなく人里離れた山中に住んでいたのでしょうか。今後明らかにしていきたいと思います。
【竪穴住居跡の調査】
住居跡の床の上や壁際にはたくさんの土器が残されていました。完形に近いものも数点出土しました。
【土器の出土状況】
住居跡の東側にカマドがあり、その周囲から坏や甕などの土器片が出土しました。
【平安時代の坏(つき)】
完全な形の内黒土器です。水もれを防ぐためにていねいに磨き、内面を黒色処理したものです。カマド近くの壁際から出土しました。