塩崎遺跡群では、いろいろな時代の住居跡がみつかっていますが、時代によって形や特徴が異なりますので、簡単に紹介したいと思います。
【弥生時代中期】
住居跡の平面形が小判形(楕円形)をしています。この住居跡からは土器片が一面に広がって見つかりました。住み替える時に捨てていったのでしょうか。
【弥生時代後期】
住居跡の形は隅が丸い長方形になります。この住居跡からは炭化した材が見つかっています。火事にあったものと思われます。
【奈良時代】
隅丸ですが、ほぼ方形になっています。画面の奥側の壁の中央にカマドがあり、煙を出す煙道が住居跡の外にのびています。
【カマド】
上の画像の住居跡のカマドです。焚口(土が焼けて赤くなっているところ)の両側に石を立て、カマドの壁の芯材としたようです(袖石)。焚口には、土器がたくさん出土しています。
【焼失住居跡】
火事で焼けた南北約8m×東西約5mの弥生時代後期の住居跡が出てきました。
【焼け焦げた建築材】
黒く焼け焦げた細長い材が散乱していますが、いずれも弥生時代の住居の上物(屋根など)の建築部材と考えられます。
【古代の溝】
奈良時代の溝がみつかっています。当初別々の2本の溝跡と考えて調査していましたが、なんと1本につながって、上空からみるとL字形になることがわかりました。
【L字形の溝の意味】
長さ東西約31m、南北約14m、幅1~1.5m、深さ0.5m前後、かなりしっかりした溝跡です。埋土の土層の観察からは、水が流れていたような痕跡は見つかっていません。何かを囲むような溝のようにも思えます。

【木棺墓】
人骨が2体葬られた弥生時代中期の木棺墓SM2012では、頭骨の脇から石鏃、扁平片刃石斧などの石器19点が出土しています。

【石器の副葬品】
石器は棺の中に置かれていたというよりも、崩れ落ちたような状況に見えます。棺の上に置かれて埋葬されたものだったかもしれません。被葬者は、弥生時代の塩崎ムラの戦士だったのか狩人だったのでしょうか。
【墓群】
塩崎遺跡群の東側の調査区(1区)からは、お墓の底やまわりにこぶし大の石を敷き詰めた弥生時代の木棺墓(もっかんぼ)、土器に骨を入れて埋葬した土器棺墓(どきかんぼ)、土坑墓(どこうぼ:はかあな)といったお墓がいくつも出土しています。
【木棺墓】
骨や緑色のきれいな管玉(2点)がお墓の底から出土した木棺墓もありました。(矢印が管玉)
【専門家の視察】
貴重な資料ということで、長野市埋蔵文化財センターのみなさんも視察に来られました。専門家の見学に、センター職員の説明にも熱がはいります。

【平成27年度開始式】
本年度も4月から、塩崎遺跡群の発掘を開始しました。開始式の会場は熱気でムンムンしていました。苦もあり、楽しみもある発掘調査ですが、まずは、健康と安全に気をつけてとの話が調査部長からありました。

【早速、発掘に邁進!】
昨年度からの続きを早速、発掘調査しています。本年度も貴重な遺構や遺物の出土が期待されていて、調査に携わっている人たちの胸も高鳴っています。(画像は2-2区)

【古代の円面硯が出土】
円面硯(えんめんけん:上から見ると円形のすずり)が竪穴住居跡から出土しました。昨年度から合わせると3点目になります。役所や寺院でしか使われなかったと言われる貴重な焼き物です。不思議なことに墨をする部分がデコボコしており、未使用だったのかもしれません。