【11月の発掘調査成果】
黒田大明神原B遺跡の発掘調査は11月30日(火)で終了しました。11月は調査区北側で、縄文時代の竪穴建物跡1軒と弥生時代の竪穴建物跡5軒の調査を行いました。建物跡からは土器や石器などが出土しました。
今回の調査成果により、この遺跡が栃ヶ洞(とちがほら)川に面した東西に長細い台地上に広がる、縄文時代と弥生時代の集落跡であることがわかりました。
【縄文時代の竪穴建物跡】
建物跡は直径約3mの円形に近い形をしていて、深さは20cm程です。中央には炉があります。土器の形や模様から、縄文時代中期前半の建物跡と考えています。
【弥生時代の竪穴建物跡】
一番大きい建物跡は、5×4.3mの長方形で、深さは40cm程です。柱穴、入口施設のための穴、炉があります。この遺跡の弥生時代の竪穴建物跡の特徴は、遺物の出土が僅かであること、床面が非常に硬く締め固められていることです。この特徴は、弥生時代後期における周辺の集落遺跡の建物跡に共通します。
黒田大明神原B遺跡 通信第3号
【上五明条里水田址の調査履歴】
この遺跡からは、過去の調査で、千曲川の洪水砂層に覆われた水田跡や、9~11世紀の集落跡が発見されました。集落からは、鉄鐸(てったく)や鈴、八稜鏡(はちりょうきょう)、猿面硯(えんめんけん)等の珍しい遺物がみつかっています。
【平安時代の集落跡】
今回の調査では、現在までに竪穴建物跡17軒を主体とした平安時代の集落跡を確認しています。竪穴建物跡からは、内面に花びらのような暗文が描かれた土器が出土しました。


上五明条里水田址 発掘たより№1
約4万点に及ぶ礫石経の洗浄が終わり、10月からは注記、写真撮影、計測、文字の判読の作業を行っています。
ふじ塚遺跡発掘たより_No.5

【注記】
礫石経塚での出土場所が分かるように、機械を使って、礫石経1点ずつ注記を行います。
【写真撮影】
1点ずつ作業用の写真を撮影します。礫石経の出土量は膨大なので、撮影した写真も使って整理作業を行います。
【計測】
石にお経を書く時に、どのような石を選んでいるのか調べるために計測を行っています。直径約1.5~15cm、扁平な円礫から厚みのある角礫まで様々な形状の石が使われていることがわかってきました。
【文字の判読】
「佛」「菩」「薩」「釈」「迦」「南」「無」「経」など誰でも読むことができる文字と、消えてしまい不明瞭な文字や墨痕がないものに分けることができます。現在私たちが目にすることがほとんどない旧字や異体字と思われる文字も含まれており、辞書で調べながらの作業になりますが、自分たちでは判読不可能な文字が多数あります。
【立正大学教授 時枝務先生の指導】
宗教考古学がご専門の時枝務先生に判読の指導を受けました。間違った文字が含まれているので、文字を知らない人も書いている可能性があるようです。約4万点の礫石経を1点ずつ観察する気の遠くなるような作業ですが、ふじ塚遺跡の礫石経塚を解明していく上で重要な作業だと激励されました。
【土器の実測作業】
沢尻東原遺跡から出土した土器の復元作業はほぼ終了し、実測作業が本格的に始まりました。
【土器の写真を撮影する】
土器の実測には、デジタル技術を活用しています。デジカメで土器を全方向から分割して撮影し、その写真を委託業者が合成して3D実測図を作ります。1点の土器に必要なカット数は土器1点につき200カット程になります。
【完成した土器の3D実測図】
土器の凹凸の細部まで表現されています。
【断面図の作成】
土器の断面図は手実測で作成します。この段階で土器の作り方や使用痕などを観察します。
【完成した実測図】
3D実測図と手実測の断面図を合成して、実測図の完成です。報告書には実物の1/4や1/6の大きさで掲載します。

【ナギジリ2号古墳の調査成果】
直径14mの円墳で、幅3mの周溝が巡ります。石室は床に石が敷き詰められた横穴式石室で、長さ7.2m、最大幅2.2m、入口幅1.4m、最大側壁高約2mを測ります。
【ナギジリ2号古墳の見学会】
座光寺公民館・歴史に学び地域をたずねる会・2000年浪漫の郷委員会主催の遺跡見学会を、11月15日に開催しました。参加者は、熱心に古墳や出土遺物の説明に耳を傾けており、遺跡に対する関心の高さを感じることができました。
座光寺石原遺跡見学会資料
【出土した副葬品】
ナギジリ2号古墳では、須恵器(写真左)や鉄鏃(てつぞく)、鉄刀、耳環(じかん)とよばれる耳飾り(写真右)等の副葬品が出土しています。

座光寺石原遺跡発掘だより第7号