Research調査情報

2020年7月28日

氏神遺跡 2020年度 調査情報(6)

【発掘作業は終盤ですが・・・】

 7月一杯で発掘作業を終了します。連日の雨で現場はご覧のとおり水没しています。今月は、丸一日作業ができたのは、たったの3日。今年の梅雨はもう少し続きそうです。



【洗浄作業】

 遺物についた泥をブラシで洗い落します。土器の破片は、ゴシゴシこすると傷めてしまうため、小刻みにトントントンとブラシの先を当てるように洗うのがコツです。

【注記作業】

 洗浄した遺物は、乾燥させて再びポリ袋等に収納し、台帳に登録します。そして、「注記マシン」という機械を使って、遺物一点一点に遺跡記号や出土遺構名等を、マーキングします。


【土器の接合作業】

 土器片を出土場所ごとに広げて、接合作業をおこないます。ジグソーパズルに似ていますが、すべてのパーツが必ずそろうわけではない点が、土器接合の難しいところです。

うじがみ遺跡ニュースvol.6 2020年7月発行(PDF1.45MB)



氏神遺跡

2020年7月13日

氏神遺跡 2020年度 調査情報(5)

【 穴99個発見! 何に使った?】

 遺跡からは、たくさんの穴がみつかっています。これまでにみつかった穴は99個。場所や組合せ、形や大きさ、土の埋まり方、出土遺物など、さまざまな要素を手がかりにして、私たちは穴の用途を考えていきます。今回はそのなかのいくつかを紹介します。


【遺跡のはずれでみつかった深い穴(落とし穴)】

 遺跡の西側と南のはずれで、直径が約1mの円形で、深さが約1.2mの深い穴がみつかりました。(深い穴は、作業の安全に配慮して、半分に割って調査します。)


【逆茂木(さかもぎ)の跡】

 穴の下の方は長方形で、底には直径3㎝、深さ10~15㎝の小さな穴が4か所あります。この穴は、底に杭(逆茂木)を立てた縄文時代の動物をつかまえるための落とし穴と考えられます。



【埋土の中から】

 落とし穴の埋土からは、約5500年前の縄文土器の小さな破片が出土しました。


【貯蔵穴(ちょぞうけつ)】

 縄文時代の竪穴建物跡の近くからは、直径約1mの円形で、深さ約60㎝の、断面が袋状の穴がいくつかみつかっています。穴の大きさや形から、木の実などを保存した穴(貯蔵穴)と考えられます。


【黄色矢印の穴の断面】

 貯蔵穴と考えられる穴は、直径72㎝、深さ60㎝、容量が約245ℓとなります。

【穴を掘る道具】

 狭くて深い穴を掘るのは一苦労なので、移植ごてや両刃鎌は言うに及ばず、おたまやスプーンなど、さまざまな道具が使われます。



【打製石斧(だせいせきふ)】

 縄文人は、穴を掘る道具の打製石斧を棒の先にくくりつけ、硬い土を根気よく突いてほぐし、手のひらなどですくい上げ、穴を掘り進んでいたのでしょう。

 



うじがみ遺跡ニュースvol.5 2020年7月発行(PDF1.0MB)

氏神遺跡

2020年6月9日

氏神遺跡 2020年度 調査情報(4)

【縄文時代の竪穴(たてあな)建物跡完掘!】

竪穴の中からみつかった柱穴や溝の跡の位置、大きさや深さ、埋まった土の特徴などから、この竪穴はからへ、からへというようにつくりかえられた竪穴が2軒重なっていることがわかりました。

【掘立柱建物跡と四角い竪穴建物跡】

長方形に並んだ黒土で埋まった円い穴がみつかりました。これらは掘立柱建物跡の柱穴です。柱穴の中から内面黒色の土器片が出土しました。
左隣には、一辺4mほどの四角い竪穴建物跡がみえます。


【四角い竪穴建物跡】

この四角い竪穴建物跡は、煙出しがついていることから、室内にカマドがある建物跡であることが確認できました。灰の釉薬(うわぐすり)をかけた陶器や、羽釜(はがま)などの遺物から、この竪穴建物は平安時代中期、およそ1,000年前のものであることがわかりました。




竪穴の奥に見える出っ張り部分を精査してみると、土器片や割れた川原石、崩れた粘土のかたまりが出てきました。

川原石を芯材にして粘土をアーチ状に被せたカマドがあったと考えられます。



【カマドのイメージ】

(『三角原遺跡』長野県埋文2005より)

うじがみ遺跡ニュースvol.4 2020年6月発行(PDF1.12MB)

 



 

氏神遺跡

2020年5月18日

氏神遺跡 2020年度調査情報(3)

【村長さん 教育長さん 来跡】

発掘作業もひと月が過ぎ、縄文時代や平安時代のさまざまな遺構・遺物がみつかっています。

朝日村の小林村長さんと百瀬教育長さんに御多忙の中、視察していただきました。次々に発見される村の新たな歴史を目の当たりにして、感激された様子でした。


【遺跡に なぞの格子目模様】

黄色っぽい地層上面で遺構を検出していると、格子目模様が現れました。長イモづくり経験者にお聞きしたところ、トレンチャー※で作付け用に最初は南北溝にしたけれど、水が溜まってしまい具合が悪く、水が流れて長イモ の生育が良くなるように東西溝に変更した結果だとわかりました。

※【トレンチャー】

伸びたツノのような部分が回転し、溝状に土を掘る機械【川辺農業産業株式会社HPより】

【次から次へと縄文土器が出土】

竪穴建物跡(たてあなたてものあと)と思われる半円形の黒っぽい土を取り除いてみると、縄文土器が次々と出土しました。土器はいずれも床より高い位置から出土しています。この集落で暮らしていた縄文人は、埋まりかけた竪穴建物跡のくぼみを不燃物の廃棄場所に利用していたようです。おかげで、この竪穴建物が縄文時代の中期中頃(約5,300年前)に放棄されたことがわかりました。

【縄文時代中期中頃(約5300年前)の土器】





 

うじがみ遺跡ニュースvol.3 (PDF1.07MB) 2020年5月発行

 

氏神遺跡

2020年4月20日

氏神遺跡 2020年度調査情報(2)

【8名の精鋭も加わって!】

4月13日から、発掘作業員さんも参加して、本格的に調査を開始しました。まずは、調査範囲の壁削り。遺跡の堆積状況を調べるため、土層断面を精査しています。


【氏神遺跡の地形】

氏神遺跡は、鎖川(くさりがわ)に向かって北へ流れる内山沢(うちやまざわ)左岸の段丘上にあります。 東へ緩やかに傾斜していて、陽当たりはとても良いところです。

【土の中の落としもの】

遺跡の堆積状況です。

3層:黒褐色の土の中から、平安時代(約1100年前)の土器がみつかりました。

4層:茶褐色の土の中から、縄文時代中ごろ(約5500年~5000年前)の土器も姿をあらわしました。


うじがみ遺跡ニュースvol.2(1.13MB)2020年4月発行

氏神遺跡

2020年4月17日

氏神遺跡 2020年度調査情報(1)

【調査開始しました!】

朝日村向陽台(こうようだい)団地の第3期造成工事に伴って、西洗馬の上組にある氏神遺跡の発掘調査を行うことになりました。7月末までの短い期間ですが、よろしくお願いします。


【氏神(うじがみ)遺跡って、なに?】

氏神遺跡は、戦後まもなく塩尻市の平出(ひらいで)遺跡で総合調査がおこなわれた頃、國學院(こくがくいん)大学の大場磐雄(おおばいわお)博士の指導のもと、地域の有志の皆さんが発見した歴史ある遺跡です。
『朝日村誌』によると、今から約12,000年前につくられた黒曜石(こくようせき)製の有舌尖頭器(ゆうぜつせんとうき)をはじめ、縄文中期の土偶(どぐう)など、さまざまな時代の人びとの営みを証明する遺物が、採集されているようです。

 

【縄文時代や平安時代の土器発見!!】

氏神遺跡で正式な発掘調査がおこなわれるのは、今回がはじめてです。
4月6日(月)から、バックホーをつかって表土の掘削をはじめました。調査範囲の東寄りにある住まいの跡らしき部分から、土器のカケラが出土しています。これから、どんな宝物が出てくるやら、楽しみですね。

 

うじがみ遺跡ニュースvol.1(PDF1.01MB)2020年4月発行

 

 

氏神遺跡

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