川久保・宮沖遺跡

ふりがな
かわくぼ・みやおきいせき 
住所
中野市豊津字堰添  マップ
立地
斑尾川と千曲川の合流地点の左岸 
事業名
千曲川替佐築堤関連 
調査期間
平成16-19年 
時代
縄文・弥生・古墳・古代・中近世 
遺跡の種類
集落跡・水田跡・畑跡 
備考
 

2012年11月27日

川久保・宮沖遺跡 平成24年度 整理情報

 

 川久保・宮沖遺跡は長野県の北部、中野市豊津に所在し、斑尾(まだらお)川が千曲川と合流する左岸に立地します。替佐築堤事業に伴い平成16年度~19年度にかけて調査を行いました。遺跡の中心となる時期は弥生時代中期~近世です。弥生時代中期~平安時代には断続的に集落や水田として利用され、鎌倉時代以後は水田などに利用されていたと考えられます。ここでは、発掘調査と整理作業でわかったことを紹介します。

 

【中世の墓跡】

 周囲から河原石が多くみつかっていて、墓の上に河原石を積んでいたと思われます。鎌倉時代初めころのものです。


【堰跡(せぎあと)】

 水田跡に造られた用水のなかでみつかった堰跡です。棒状の木材を数本重ねたもので、片側を木の根に引っかけて杭で固定しています。この堰で水位を上げて水をひいたと考えられます。


【平安時代の鍛冶(かじ)を行った住居跡】
 鍛冶炉を備えた11世紀ころの竪穴住居跡です。写真中央奥に見える住居内の小さな穴が鍛冶炉とみられます。フイゴの羽口を設置したと思われる溝跡もみつかりました。


【漁網用の錘(おもり)】
 これらは漁網につけた錘です。写真右は中世の素焼きの錘で、県内でも似たものがたくさん見つかっています。中央は双孔棒状土錘(そうこうぼうじょうどすい)といい、西日本で多くみられるものですが、長野県では珍しいものです。左は網の錘の可能性がありますが、他の錘より重く、漁業用の網の錘と断定はできていません。



カテゴリ:川久保・宮沖遺跡

ページのトップへ