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速報展「長野県の遺跡発掘2014」 みどころ紹介
7月19日(土)から長野県伊那文化会館で開催する「長野県埋蔵文化財センター速報展 長野県の遺跡発掘2014」のみどころを紹介します。
市街地の下に眠る遺跡-長野市浅川扇状地遺跡群
赤い土器が出土した溝 溝からまとまってみつかった赤い土器
長野市の県道高田若槻線の建設に伴う、浅川扇状地遺跡群の発掘調査では弥生時代から近世までの集落跡を確認しています。
去年12月、珍しい形の壺が発見されました。全体の輪郭や赤い色に塗られていることは、弥生時代後期にみられる壺形土器ですが、特徴なのは口縁部が2段になっていることです。これまで県内では数例の発見例がありましたが、完全な形で発見されたのは今回が初めてです。
2段の口縁にどんな意味があるのかは謎ですが、弥生時代終末期から古墳時代へ移行していく邪馬台国の時代とほぼ同時期に、善光寺平を中心に特殊な形の壺が作られたことが今回の発掘でわかりました。
【主な展示資料】
弥生土器(2段口縁の壺・壺・蓋・台付甕・高坏)、古墳時代の土器(長胴甕・甑・鉢・台付甕・坏)
江戸時代の陶磁器・瓦・土製品(土製 一分銀)
野辺山最古の石器群-南牧村矢出川第Ⅷ遺跡
矢出川第Ⅷ遺跡の調査風景 水晶製の石器
南牧村の県営畑地総合土地改良事業に伴う、矢出川第Ⅷ遺跡の発掘調査では旧石器時代のブロック(石器集中)が3ヶ所確認され、ナイフ形石器や石斧など合計177点の石器がみつかりました。
今回出土した石器はほとんどが黒曜石製でしたが水晶製の石器が23点まとまってみつかりました。その中には、長さ5~7㎝の大型の水晶4点が含まれています。
今回の発見により、野辺山高原一帯での遺跡の始まりが約3万年前までさかのぼることが明らかになりました。また、約3万年前の遺跡から大型の水晶製の石器がまとまってみつかった事例は、国内では最も古く、水晶利用の歴史の始まりを知る重要な発見になりました。
【主な出展資料】
水晶製の石器(石核)、黒曜石製の石器(ナイフ形石器・貝殻状刃器)
沖積地に広がる大集落-中野市南大原遺跡
竪穴住居跡から出土した土器 つぶれた状態で出土した土器
中野市の県道三水中野線改築に伴う、南大原遺跡では平成23年度からの発掘調査で、今から約2000年前の弥生時代中期後半、栗林式土器の時代を中心としたムラの跡がみつかっていました。さらに今年度の調査ではムラは弥生時代後期の箱清水式土器の時代(今から約1800年前)まで続くことがわかりました。
弥生時代中期後半の一軒の竪穴住居跡からは、5個の壺が床面に置かれたままの状態でみつかりました。それらの土器の中には土圧で垂直につぶれたものもありました。
つぶれた状態で出土した壺は復元して展示しています。
【主な出展資料】
弥生土器(壺)、石器(大型蛤刃石斧・磨製石鏃・打製石鏃・石鎚)、勾玉
千曲川沿いの大集落-長野市塩崎遺跡群
再葬墓から出土した壺形土器(右高さ50㎝) ヒスイの原石(右6㎝)と勾玉
長野市の国道18号坂城更埴バイパスに伴う塩崎遺跡群の発掘調査では、弥生時代中期から平安時代の竪穴住居跡や墓跡がみつかりました。注目される出土品には、東海地方からコメづくりとともに伝わってきた可能性のある壺形土器とヒスイの原石があります。壺形土器は地元で作られた小型壺と一緒に弥生時代中期初頭(今から約2,200年前)の再葬墓から出土しました。また、弥生時代中期の竪穴住居跡の床面から出土したヒスイの原石は、弥生時代の遺構からみつかったものとしては県内最大級です。
【主な出展資料】
弥生土器(壺・甕)、ヒスイ原石、勾玉、古墳時代の土師器(壺・鉢・高坏)
今回紹介した塩崎遺跡群は7月26日(土)に行われる講演会・遺跡報告会で「信州の弥生集落―北・南-」と題して紹介されます。
新たに発見された古墳-佐久市高尾5号墳
高尾5号墳の横穴式石室(入口側から)
中部横断自動車道建設に伴い、佐久市の高尾A遺跡では平成21年・23年度に発掘調査をおこない、旧石器時代の石器や縄文時代の遺構や遺物がみつかりました。昨年度の調査では、丘陵の南斜面で予想もしていなかった古墳が1基発見されました。直径約9mの円墳で、周囲を幅約3mの周溝がめぐっています。後世の造成などで壁上部や天井の石は失われていましたが、南側に入口を設けた埋葬施設である横穴式石室は残っていました。
古墳の築造年代は、周溝から見つかった須恵器と石室の形態から、7C後半から8C初めと考えられます。この頃、佐久地方の山麓地域では、数多くの古墳が築かれます。
【主な出展資料】
奈良時代の須恵器(高台付坏・蓋)、縄文土器・石製品(玦状耳飾)
築城以前の山間の営み-飯田市神之峯城跡
飯喬道路建設に伴い、神之峯城跡が立地する丘陵の中腹部を平成24・25年度に調査しました。神之峯城は飯田市域の天竜川左岸を治めていた知久(ちく)氏が16世紀初頭に築城したと言われています。発掘調査の結果、16世紀には神之峯城の本丸から下った中腹部に寺院が建っていたと推測されました。さらに、築城前の15世紀と廃城後の17世紀以降の人びとの営みも確認され、今回の発掘で神之峯城の実態解明に向けた資料を得ることができました。
【主な出展資料】
中世陶磁器(青磁碗・香炉、天目茶碗、すり鉢、おろし皿) 石製品(砥石)
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