Research調査情報

2026年6月8日

中野市 南大原遺跡 2026年度発掘調査情報(1)

【令和8年度の発掘調査がはじまります】

 6月5日(金)から、中野市大字上今井字南大原、鍋久保地籍の2地区で発掘作業を行います。これまでの調査の成果と合わせて各地区の生活の痕跡を記録して、各時代の文化や生活の特色を明らかにしたいと思います。

 今回の調査は、上今井遊水地整備事業に先立って令和5年度から継続して実施し、本年度は11月末までを予定しています。期間中、大型重機をはじめ、車両が出入りしますので十分ご注意ください。また、調査区域内には危険な場所もありますので、許可なく立ち入らないようお願いします。

 皆さまのご理解とご協力をお願い申し上げます。

南上空からみた南大原遺跡(令和7年撮影)

 

【南大原遺跡ってどんな遺跡?】

 『長野県中野市遺跡詳細分布図』( 2006中野市教育委員会)には、縄文・弥生・平安時代の遺跡として記載されています。

 1950年(第1次調査)と1957年(第2次)に中野市上今井在住の故神田五六さんと地元の高校生が中心となって発掘調査が行われ、1950年の調査では縄文時代前期後半の竪穴建物跡がみつかり、そこから出土した土器は「南大原式土器」と命名されました。

 その後、1979年(第3次)に旧豊田村教育委員会が、2011~2013年(第4次)と2019・2020年(第5次)に当センターが、いずれも県道三水中野線改良工事に伴い発掘調査を実施し、弥生時代中期後半から後期を主とした集落遺跡であることが明らかとなりました。第6次発掘となる今回は、2023年に逆川地区で江戸時代の水田跡、2024・2025年には南大原地区で弥生、古墳、平安時代の集落跡、北大原と舞台地区で平安時代の集落跡が発見されました。

南大原遺跡全体図

 

【今までの発掘のおもな成果】

 

第5次調査(2019・2020年)南大原地区

 弥生時代中期後半から後期の集落遺跡であることが明確になり、祭祀場と想定される環状土坑列がみつかりました。今回はここに隣接する北東側を調査します。

 

第6次調査(2024年)北大原地区

 トレンチで、縄文後期の堀之内式土器(約3,800年前)の深鉢形土器の破片が出土しました。

 

第6次調査(2024年)南大原地区

 弥生時代中期後半(約2,000年前)の栗林式土器が出土しました。

 

 

第6次調査(2025年)南大原地区

 弥生時代中期後半の竪穴建物跡(玉つくり工房跡)から、玉つくり関連遺物となる、原石(緑色凝灰岩)、溝跡が残る碧玉片、玉鋸、管玉3点が出土。また、建物跡から複数の管玉や勾玉が出土しました。

 

 

第6次調査(2025年)南大原地区

 奈良時代の竪穴建物跡から、5枚重ねの須恵器が出土、右は下から2枚目の墨書土器

 

第6次調査(2025年)舞台地区

 平安時代中期の竪穴建物跡から出土の八稜鏡。

 

南大原遺跡発掘だより2026年度第1号(PDF:880KB)

北信,南大原遺跡,調査情報

2026年5月21日

長野市 川田条里遺跡 2026年度発掘調査情報(1)

【令和8年度の発掘調査が始まりました】

 4月22日(水)から、令和8年度の川田条里遺跡の発掘調査を行っています。

 この調査は、国補(仮称)若穂スマートIC整備事業に伴って行うもので、今年度の調査は11月末まで、安西工業(株)に発掘作業支援業務を委託して実施しています。

 若穂スマートIC整備事業に伴う当センターの発掘調査は、令和4年度から行ってきましたが、現地での作業は、今年度で終了する予定です。

遺跡全景(南から昨年度調査終了時撮影)

 

【川田条里遺跡ってどんな遺跡?】

本遺跡は、1989~1990(平成元~2)年に当センターが上信越道建設に伴い発掘調査を実施し、弥生時代中期から近世まで各時期の水田跡が重なっていることを確認しました。

1999(平成11)年には、長野市教育委員会による川田保育園(現、認定こども園川田)の改築に伴う発掘調査で、15世紀後半の工作遺構を発見しました。

2022(令和4)年から始まった若穂スマートIC整備に伴う当センターの調査では、弥生時代から江戸時代までの重なり合う水田跡の確認とともに、鎌倉時代から室町時代の中世遺構が確認され、その遺構の広がりの東端・南端をとらえることができました。

調査地点のすぐ西側に隣接する川田小学校は、中世にこの付近で勢力を持っていた武士、川田氏の館があった場所と推定されており、「川田氏館跡」という遺跡となっています。

これまでの調査で確認された中世遺構は、館跡に関係していると考えられます。

 

【今年も室町時代の穴や溝、陶器や銭貨などがみつかっています】

みつかった室町時代の穴や溝の跡(白線の中)

 

出土した銭貨

 

 

 今年の調査は、こども園のすぐ東側から始めました。

 昨年の調査で、現在の地表面下約70㎝に室町時代の生活面があることがわかっていたため、その近くまで重機で掘り下げ、その後、人の手により表面をきれいに削って穴などの跡をみつける検出作業をしています。

 すでに、多くの穴や溝の跡がみつかっており、中にはほぼ等間隔で直線に並ぶ穴もあります。これは柵や建物の柱跡の可能性があります。

 遺物としては、昨年もみつかっていた室町時代の鍋や茶碗など陶磁器の破片が多いのですが、今年は銭貨がみつかりました。

 この銭貨は中国でつくられた貨幣で、室町時代頃に日本国内でも使われていた北宋銭と思われます。今後、X線透過観察などを行い、文字の解読をしていく予定です。

【これからの調査予定】

 今年度の調査は、こども園横からさらに北へ向かって進めていきます。中世遺構の北端がみつかるのか、期待しています。

 昨年同様、今年の発掘調査にも、ご理解・ご協力を賜りますよう、よろしくお願いいたします。

 

川田条里遺跡発掘だより2026年度第1号(PDF:924KB)

 

北信,川田条里遺跡,調査情報

2026年5月13日

飯田市 正泉寺遺跡 2026年度発掘調査情報(1)

【令和8年度の調査が始まりました】

 座光寺上郷道路の建設に伴い、4月から今年度の発掘調査を開始しました。昨年度に引き続き6区と県道市場桜町線部分の9~11区の調査(面積2,240㎡)を行います。これまでの調査によって弥生時代の流路跡や墓跡、古墳時代から奈良・平安時代の竪穴建物跡、掘立柱建物跡や土坑(穴)などの遺構、コンテナ170箱以上の土器や石器などの遺物が出土しています。今年度の調査区でも多くの遺構や遺物の発見を予想しています。

 近年、遺跡周辺では様々な公共事業に先立つ遺跡の発掘調査が進められています。土曽川が形成した微高地上に広がる正泉寺遺跡や五郎田遺跡、対岸のママ下遺跡では同じ時代の集落跡がみつかっていることから、今後これら集落のまとまりや移り変わりなどを明らかにしていきたいと考えています。

南西上空からみた正泉寺遺跡調査区(R7年度撮影)

 

【金属製品の応急的な保存処理を行いました】

 

 正泉寺遺跡ではさまざまな金属製品が出土しています。出土した金属製品は空気や水分に触れると酸化して、劣化が進んでしまいます(赤錆・緑青)。それを防ぎ、写真撮影や図化ができるように、令和7年度に科学的な処理を施しました。耳環は、はがれかけていた金の薄板を元のように戻して接着もしました。

 

【4月の調査のようす】

10区トレンチ調査風景

 

 重機を使ってトレンチ掘削を行った後、人力で土の表面を削り、土の違いから、土坑や竪穴建物跡などの遺構をみつけます。

11区トレンチ断面

 

 トレンチの断面をきれいに削り、写真と図面の記録をとりました。水田層の下位は砂礫層であることがわかりました。

 

 令和6年度から始まった調査もいよいよ3年目を迎えます。

 調査区域内には危険な場所もありますので、許可なく立ち入らないようにお願いします。調査中であれば、ご説明いたしますので、お気軽にお声掛けください。

 

正泉寺遺跡発掘だより2026年度第1号(PDF:948KB)

南信,正泉寺遺跡,調査情報

2026年3月4日

2026年3月3日 浅川扇状地遺跡群情報

 2011年撮影の浅川扇状地遺跡群調査範囲附近(長野市桐原地区)の航空写真です。撮影者から公開の許可を頂きました。県道高田線建設前の様子がよくわかります。

 なお撮影者、撮影日がわかるようにして頂ければ、ご自由にお使いいただけます。(センターの許可不要)

   撮影者:航空写真の千曲カラー

 

撮影日:2011.5.25

 

撮影日:2011.5.25

 

撮影日:2011.10.4

 

撮影日:2011.10.4

 

撮影日:2011.11.7

 

撮影日:2011.11.7

 

北信,浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)(2021年刊行),調査情報

2026年2月18日

正泉寺遺跡2025年度発掘調査情報(4)

 正泉寺遺跡の調査は、昨年度から始まり今年で2年目となります。4月14日から始まった調査は、暑い夏を越え、遠くの山に雪が積もり始めた12月18日に終了しました。

 発見された主な遺構は古墳時代~奈良・平安時代の竪穴建物跡81 軒、土坑175 基、溝状遺構6条、掘立柱建物跡1棟。弥生時代の流路跡1条。縄文時代の土坑2基。そのうち竪穴建物跡は全体の約9割が7区でみつかりました。

 7区からは、飯田地域では珍しい「箸置き」に使われたと考えられている素焼きの耳皿が出土(SB84)しています。また、平安時代の竪穴建物跡では川原石を芯材としたカマドが構築されていました。

素焼きの耳皿(SB84)

竪穴建物跡(SB93)

 

川原石を用いたカマド(SB93)

 

 古墳時代~奈良・平安時代の集落の下層からは弥生時代の流路跡(SD9)がみつかり、たくさんの弥生土器が出土しました。また、縄文時代中期の土器が出土した土坑もみつかりました。

弥生時代の流路跡(SD9) 左上:流路跡から出土した弥生土器

 

 正泉寺遺跡周辺の座光寺・上郷飯沼地区は比較的平坦な段丘地帯で、今年度から調査が始まったママ下遺跡、令和3年から調査を行っている五郎田遺跡、近年調査された堂垣外遺跡や西浦遺跡など数多くの遺跡が密接して存在しています。これらの遺跡の北東約1km(元善光寺駅の南東約100m)には古代伊那郡の郡衙(役所)跡と推定されている恒川遺跡群が存在します。座光寺・上郷飯沼地区に展開するこれら古代の遺跡は、役所を中心として成立し栄えたムラの跡と考えられます。

 近年、リニア中央新幹線建設に伴う発掘調査で数多くの出土品や情報が得られています。今後これら貴重な成果から、座光寺・上郷飯沼地区周辺の古代のムラの様子が更に明らかになっていくことと思います。

作業風景(図面の整理作業)

 令和8年3月17日~5月10日「掘るしん2026in飯田」が飯田市考古博物館で開催されます。耳皿も展示されますので皆さんお越しください。詳しくはHPをご覧ください。

 

正泉寺遺跡発掘だより2025年度第9号(PDF:972KB)

※号数は調査開始時からの通算

南信,正泉寺遺跡,調査情報

2026年2月12日

藪越遺跡2025年度発掘調査情報(1)

【薮越遺跡の調査成果】

 長野県埋蔵文化財センターは、国道153号の道路改築事業に先立ち、令和4年度から飯田市薮越遺跡(飯田市上郷飯沼3406-1)の記録保存を目的とする発掘調査を実施しました。今年度は6月から作業を開始し、調査は12月中旬まで実施しました。

 薮越遺跡は天竜川右岸の低位段丘面上(下段)、天竜川支流の栗沢川の左岸に位置しています。

 薮越遺跡の周囲には高屋遺跡や芝崎遺跡、北浦遺跡の他国史跡の飯沼天神塚(雲彩寺)古墳があります。

遺跡の位置 (地理院地図に加筆)

 

【「礎石」を持つ大型竪穴建物跡】

 調査区の北側では「礎石」をもつ竪穴建物跡がみつかりました。

礎石をもつ竪穴建物跡

 

 通常の家は床に穴を掘って柱を立てますが、この建物には柱を載せるための石「礎石」が置かれていました。壁沿いにも礎石を並べています。

 

【「こも編み石」の出土】

 礎石をもつ建物跡のすぐ隣の竪穴建物跡(SB24)からは、細長い形の石が固まってみつかりました。これは「こも編み石」と呼ばれる、ムシロなどを編む際の重りです。

こも編み石

 

【カマドに供えられた土器】

 竪穴建物跡(SB13)のカマド周辺からは、割れずに残った土器が重なるように見つかりました。

カマドに供えられた土器

 

 使い古して捨てられたのではなく、この家から引っ越す際に、カマドを仕舞うための儀式で用いられたと考えられます

 

【現場公開開催】

 12月3日(水)・4日(木)の2日間、現場公開を開催しました。15名の方にご来場いただき、実際に出た建物の跡や土器を公開しました。

 調査研究員が直接解説を行い、地域の歴史を学んでいただく貴重な機会となりました。

現場公開の様子

 

 今年度の発掘調査にご協力いただき、ありがとうございました。

 来年度も薮越遺跡の調査は続く予定です。

 引き続き皆様のご協力を賜りますよう、よろしくお願いいたします。

 

藪越遺跡発掘だより2025年度第1号(PDF: 784KB)

南信,藪越遺跡,調査情報

2026年1月8日

南栗遺跡2025年度発掘調査情報(3)

 4月に開始した今年度の調査も、12月12日に無事終了いたしました。発掘期間中のご協力ありがとうございました。冬期間は出土した遺物や図面・写真の整理作業を長野市にある当センターで行います。

 また、令和8年2月7日(土)から3月8日(日)まで、松本市のキッセイ文化ホールにて今年度の調査成果の展示を行います。詳細は当センターHPでご確認ください。皆様のお越しをお待ちしております。

 

【今年度の調査成果】

 今年度は竪穴建物跡119軒、土坑367基などを調査しました。

 本遺跡での過去の圃場整備や長野自動車道建設工事に伴う調査と、令和4年度から実施している松本JCT建設事業に伴う発掘調査を合計すると、確認された建物跡は644軒にのぼります。そして、これらの調査により、古墳時代後期から平安時代後期に至る約500年間にわたり人々が生活したことが確認され、島立・和田地区にはたくさんの人が居住していたことが明らかになりました。また、本年度は遺跡範囲の西側にあたる和田地区6区で、竪穴建物跡を28軒確認し、集落がさらに西側に広がることが明らかになりました。来年度以降の調査では、どのような遺構がみつかるのか、大いに期待されます。来年度以降の調査につきましても、引き続きご理解とご協力をお願いいたします。

 

【円面硯を発見】

 奈良時代の竪穴建物跡(SB6023)からは、須恵器の丸い硯が大小2点出土しました。これらは、「円面硯」と呼ばれる硯です。円面硯には大きさや形状にさまざまなものがあり、透かし穴をあけた脚や獣をかたどった脚が付いているものもあります。硯が出土したことは、文字を書くことを必要とした役人などがこの地に居住していた可能性が考えられます。

出土した円面硯

円面硯の一例

奈良国立文化財研究所1991『藤原宮と京』より

 

【長胴甕が口を合わせた状態で出土!】

 平安時代の竪穴建物跡(SB6020)では、完形の長胴甕2個体が口を合わせた状態で出土しました。これは「横位埋設土器」あるいは「土師器合口甕」と呼ばれ、土師器甕や羽釜を組み合わせて横位に埋設するものです。これらの遺物の内部から歯牙や骨片が出土する事例があり、甕の大きさから乳幼児のための土器棺と考えられています。松本市周辺では、過去に城山遺跡(1927年出土)と富士電機松本工場遺跡(1944年出土)で南栗遺跡と同じ状態の長胴甕が出土し、城山遺跡では甕の内部から歯牙5点と骨片が、富士電機松本工場遺跡では骨片が出土しています。

 南栗遺跡の長胴甕の内部からは歯牙や骨片は出土していませんが、松本市域の複数の遺跡で口を合わせた状態の長胴甕が出土することは興味深く、その背景を今後探りたいと思います。

口を合わせた状態で出土した長胴甕

 

参考文献

両角守一・堀内千萬藏1927 「一種の合口甕を出したる松本市宮淵遺跡に就きて」『考古学雑誌』第17巻第11号

沼山源喜治1981 「土師器合口甕棺葬について–東日本における諸例を中心に-」『考古学雑誌』第66巻第4号

柳澤和明2025 「横位埋設土器棺を用いた古代東国の乳幼児・死産児墓制」『日本考古学』第61号吉川弘文館

 

南栗遺跡発掘だより2025年度第3号(PDF: 832KB)

中信,南栗遺跡,調査情報

2025年12月5日

南大原遺跡 2025年度発掘調査情報(8)

【舞台地区現地説明会開催】

 11月15日(土)に、舞台地区を対象とした現地説明会が行われました。当日は、天候にもめぐまれ、213人の参加がありました。

 説明会では、調査地内を実際に歩き、調査地の広さを実感していただくとともに、平安時代の60軒を超える竪穴建物跡や、唯一みつかった墓などを見ていただきました。なかでも、歯や人骨が残った墓や、復元されたカマドなどが注目を集めました。

 この他、事務所内では遺物の見学が行われ、八稜鏡や緑釉陶器・灰釉陶器といった、当時の有力者の存在を示す遺物などを見ていただきました。

現地見学の様子

現地見学の様子

遺物見学の様子

復元されたカマド

 

【最後の空中写真撮影-南大原地区-】

 南大原地区では、11月21日(金)にドローンによる全体写真の撮影を行いました。9月27日(土)の現地説明会以降に明らかとなった成果を対象としたものです。弥生時代の遺構が主な対象となりました。

南西上空から見た南大原地区

 

【調査は最終盤】

 舞台地区では、調査の終了に向け、詰めの調査を行いました。竪穴建物跡では、カマドを解体しながら、その構築過程を調べていきました。また、竪穴建物跡を構築した際の、床部分の整地状況を調べていきました。多くの建物では、竪穴掘削後、整地を行い床が整えられていることが明らかになりました。

 この他、人骨がみつかった墓については、歯と頭蓋骨を取り上げました。専門家に鑑定していただき、年齢等が明らかになるのではと期待しています。

 いずれの地区も補足調査を含めて、12月の第1週に終わる予定です。

西上空から見た北大地区・舞台地区

 

【今年度の成果】

 南大原地区では、弥生時代、古墳時代、奈良時代、平安時代の遺構・遺物が明らかとなりました。特に、弥生時代の多くの竪穴建物跡から管玉が出土している点が注目されます。

 北大原地区・舞台地区では、平安時代の遺構・遺物が明らかとなりました。70軒を超える竪穴建物跡からなる大集落が明らかとなりました。その範囲は約1,500㎡に及びます。当地には、これまで平安時代のムラの記録等はなく、予想外の発見でした。これが今年度の調査で最大の成果と言えるでしょう。

 

【土器の水洗洗浄始まる】

 発掘現場で出土した土器は土が付いたままの状態なので、旧豊井小学校の一室で、土を洗い落とす作業(水洗洗浄)を始めました。墨で文字が書かれた土器(墨書土器)など新たな発見が期待されます。

 

南大原遺跡発掘だより2025年度第8号(PDF: 943KB)

北信,南大原遺跡,調査情報

2025年11月5日

南大原遺跡 2025年度発掘調査情報(7)

【弥生時代の建物跡も次々に発見-南大原地区-】

 9月27日(土)に奈良~平安時代の集落を中心に現地説明会を行った南大原地区では、それよりも古い弥生時代の建物跡の調査を行っています。

 弥生時代の建物は丸い形の竪穴建物跡で、その時期は中期(今からおよそ2100年前)にあたり、南大原遺跡の東側にある栗林遺跡の大規模な集落跡と同時期になります。

 竪穴建物跡からは、弥生土器や石器のほかにネックレスなどに使われた玉製品も多くみつかっています。完成品のほかに作りかけのものもみつかっていますので、近くに玉つくり工房もあったようです。調査はもう少し続きます。今後の調査の進展が楽しみです。

弥生時代の竪穴建物跡 南大原地区

 

【高丘小学校6年生が発掘体験-南大原地区-】

 10月1日(水)、中野市立高丘小学校6年生が南大原地区で発掘調査の体験を行いました。

 埋蔵文化財センター職員らの指導を受けながら、移植ごて小さなスコップを手に持ち、弥生時代中期の竪穴建物跡の発掘を行いました。

 みなさんは、はじめての発掘体験が新鮮だったようで真剣に取り組んでいました。時折、弥生土器片をみつけると歓声があがりました。このなかから未来の考古学者があらわれるのか楽しみです。

高丘小学校6年生発掘体験 南大原地区

 

【平安時代人の発見!!-舞台地区-】

 舞台地区の東側では、平安時代(今からおよそ1000年前)の人骨が1体みつかりました。長方形の穴の中には頭蓋骨、上下顎骨と歯、脚部の骨が残っていました。このことから遺体は頭部を北に向け、手足を伸ばして横たわった状態であったと考えられます。なお、長方形の穴には木の棺があったものとみられ、その外側にはお供えとみられる素焼きのお皿が数枚重なってみつかっています。

 人骨は通常、土壌の成分によって分解されることが多く、貝塚や洞窟などを除けば遺跡から良好な状態でみつかることはきわめてまれで、たいへん貴重な資料です。

墓跡はこの1か所のみです。このムラの有力者だったかもしれません。

平安時代のお墓 舞台地区    人骨の頭部(白い歯が目立つ)

 

【平安時代の大集落を公開しますー舞台地区-】

 舞台地区では、平安時代の一般的な住宅である竪穴建物が60軒以上もみつかっています。その建物数は周辺地域では最大級です。また、今回の調査まで南大原遺跡ではその存在は不明でした。まさに幻の平安時代ムラの発見と言えます。建物の中からは、中野地域では数少ない近畿地方や東海地方で作られる緑釉陶器や東海地方の灰釉陶器、銅製品鏡・馬具など貴重な遺物も複数みつかっています。

平安時代の竪穴建物跡調査風景 舞台地区

東海地方の灰釉陶器 舞台地区

 

 11月15日(土)には舞台地区の現地説明会を行います。普段は立ち入ることのできない現地で建物跡や出土品を間近で見ることができます。ぜひ、ご参加ください。

南大原遺跡発掘だより2025年度第7号(PDF: 894KB)

北信,南大原遺跡,調査情報

2025年10月5日

南大原遺跡 2025年度発掘調査情報(6)

【南大原地区の現地説明会が無事に終わりました】

 9月27日(土)に行なわれた南大原地区の現地説明会では、153名の見学者の方たちに来ていただきました。地元の方たちや県外からの方たちも見受けられ、大変な賑わいとなりました。

 ご見学いただき、ありがとうございました。

 また、11月15日土には、舞台地区で現地説明会を開催する予定です。詳細につきましては、今後、情報を回覧させていただきます。

調査区現地での説明

遺物展示室での説明

 

【現地説明会の様子】

 特に好評いただきましたのは、遺物展示室の勾玉、管玉の展示でした。こちらの遺物は、一か所の遺構から出土したのではなく、複数の弥生時代中期の竪穴建物跡からみつかった玉類を集めて完成させました。勾玉、管玉はお墓から出土することが多いのですが、南大原地区では竪穴建物跡からの出土となり、破片を含めて管玉が9個以上も出土した竪穴建物跡もみつかっています。

 勾玉は1.3cmと非常に小さいものです。昨年度の調査でも弥生時代中期の竪穴建物跡から勾玉がみつかっており、今回、出土した勾玉と形が似ています。

遺物展示室・勾玉展示

 

【続・舞台地区の調査成果について】

 舞台地区全体で50軒以上の竪穴建物跡が検出されています。

 いずれも平安時代の中頃の、9世紀末から10世紀代に限定されてきています。竪穴建物跡の調査では、希少品である緑釉陶器や鉄製の鎌が出土し、裕福な集団であった可能性があります。

 その中でも、舞台西地区の竪穴建物跡(SB16)からは八稜鏡が出土し注目されます。

舞台西SB16から出土した八稜鏡

舞台西SB16から出土した八稜鏡の取り上げ

 

【八稜鏡の出土例】

 県内での八稜鏡の出土例は少なく、中野市の栗林遺跡、長野市の南宮遺跡、田中沖遺跡、坂城町の上五明条里水田址などがあげられます。これらは南大原遺跡と同じで、竪穴建物跡から出土しています。お墓から副葬品として出土した例としては、茅野市の中村・外垣外遺跡、塩尻市の吉田川西遺跡があります。吉田川西遺跡で出土した八稜鏡は重要文化財に指定されています。

 

【参考文献】長野市誌編さん委員会2003『長野市誌第十二巻資料編原始・古代・中世』

南大原遺跡発掘だより2025年度第6号(PDF: 799KB)

北信,南大原遺跡,調査情報

2025年9月22日

南栗遺跡2025年度発掘調査情報(2)

 4月に始まった発掘調査も後半に入りました。今年度の発掘調査で発見した竪穴建物跡は90軒を超え、松本盆地最大級の古代集落がさらに広がることが判明しました。

 今年度の発掘調査は12月上旬までを予定しております。発掘の見学を希望される方は事前にご連絡ください。皆様のご理解とご協力をお願いします。

 

【現地説明会を開催しました】

 9月13日(土)に現地説明会を開催しました。地元の皆様を中心に、93名のご来場がありました。誠にありがとうございました。

 本号では、現地説明会当日に多くの方から注目された部分を抜粋してご紹介します。

 

【発掘調査の成果について】

 これまでの調査で竪穴建物数は調査範囲の南側で減少する傾向があり、調査範囲付近が集落の南端であることが判明しました。調査区の南側には鎖川が流れており水害の影響を受けやすい場所であたため、洪水を避けた場所にムラを形成したのではないかと考えられます。また今年度は、今までより西側の和田地区側に調査範囲を広げた所、竪穴建物跡が数多く確認されており、集落がさらに西方へ広がることがわかりました。

1区空撮状況(北東から)

3区空撮状況(東から)

 

【家の中の灯り】

 竪穴建物跡からは建物内の照明に用いた器が出土しました。日常使用する食器(碗や皿)に油を注ぎ、麻やい草から作った芯を浸して明かりを灯しました。食器の縁には黒い煤がついています。

灰釉陶器の椀を用いた燈明皿

 

【壊されたカマド】

 竪穴建物跡の壁には調理場であるカマドが作られます。粘土でカマドの壁と天井を形作り、壁の芯材には大きな石を使い、天井には穴を開けて煮炊きをする甕を差し込みます。調査中、多くのカマドは破壊された状態でみつかります。カマドは火の神が宿る特別な場所と考えられており、建物を廃棄する際にカマドを破壊する習慣が存在したようです。この建物では、カマドの一部を破壊し、その後、火床の上に支脚石を叩き折って置き、さらにその上に底を抜いた甕を立て、周りを芯材の石(花崗岩)で囲う様子が確認できました。

カマド(使用時)

カマドの構造

長野県埋蔵文化財センター2005『三角原遺跡』

壁の芯材を一部残す壊されたカマド

奥壁に底を抜いた甕を立てて、周囲を芯材の石で囲むカマド

 

南栗遺跡発掘だより2025年度第2号(PDF: 1261KB)

中信,南栗遺跡,調査情報

2025年9月22日

川田条里遺跡 2025年度発掘調査情報(5)

【新しい調査区の発掘調査が始まりました!】

 7月下旬から市道町川田大門線北側でT12調査区の発掘調査が始まりました。現在は中世と想定される面の調査を行っています。

 T12調査区の西側に隣接する旧川田保育園(現:認定こども園川田)建設時の調査では、川田氏館跡との関連が想定される建物の跡や、たくさんの穴がみつかっています。

T12調査区調査の様子(北東から)

 

【穴だらけ!これって建物の跡?】

 T12調査区からも建物の柱穴を含むたくさんの穴がみつかりました。

 一見まとまりなく見えるこれらの穴も、穴の大きさや、穴と穴との間隔などを分析することによって、当時の建物の柱の位置や、上部の構造を推定することができます。

 建物の規模を表すときには、柱と柱の間を「間」と表現します。

 T12調査区では、東西3間×南北2間の建物や、東西2間×南北2間の建物と想定される痕跡がみつかっています。

東西3間×南北2間の建物跡

東西2間×南北2間の建物跡

 

【東海地方から搬入された中世の陶器】

 T12調査区からは、中世と想定される尾張(愛知県西部)周辺の窯で焼かれた山茶碗や、美濃中津川(岐阜県中津川市)周辺の窯で焼かれた陶器の甕がみつかりました。

 山茶碗は、釉薬を使わずに焼き上げられた陶器です。生産地である東海地方を中心に中部地方にも広く分布する遺物です。長野市内の遺跡でもみつかっており、日常雑器として消費されたと考えられています。

 中津川の窯で作られた陶器は、生産地周辺から信濃にかけて多くみつかっている遺物です。北信地域では、栗田城跡・尾張城跡(ともに長野市)、東條遺跡(千曲市)など有力者の居館などに関連する遺跡でみつかっています。本遺跡も川田氏館跡に隣接しており、地域の有力者との関連を考えさせる遺物です。

 

尾張周辺で焼かれた山茶碗

 

中津川の窯で焼かれた陶器(甕)

 

 

【現場公開】

 現在、T12調査区は1次面(中世面)の調査を終え、さらに下の面の調査を行っています。遺構数も増加し調査は佳境を迎えています。

 また、地元の皆さんにはすでに回覧いたしましたが、10月1日(水)と2日(木)の両日、午後1時30分から3時まで発掘調査現場の公開を行います。平日ではありますが、ぜひお越しください!

 

川田条里遺跡発掘だより2025年度第5号(PDF: 711KB)

北信,川田条里遺跡,調査情報

2025年9月19日

正泉寺遺跡2025年度発掘調査情報(3)

【夏の発掘作業進行中】

 9月に入り多少涼しい風が吹くようになりましたが、8月は連日、熱中症警戒アラートが発令され、飯田市も猛暑日が続いていました。屋外での発掘調査だけでなく、暑さ対策として土器の洗浄も行いながら作業を進めました。

 

【7区の調査のようす】

 7区の調査を継続中です。平安時代の竪穴建物跡が40軒以上みつかっています。すでに調査が終了した4区以上に竪穴建物跡の重なりが激しくなっており、調査区のどこを掘っても遺構がみつかる状況が続いています。また、直径50~60cmほどの円形の土坑を数基検出しました。掘立柱建物跡の柱穴の可能性も考えられます。

 

竪穴建物跡につくられたカマド

このカマドには支脚石、袖石が残っていて、土器が多く出土しました。石を芯としてやや粘りのある黄色の土で作られたカマドの構造を観察することができます。カマドの中は橙色に土が焼けていて、火が焚かれた部分がはっきりとわかります。

 

インターンシップ生の発掘調査の参加

大学生、大学院生が発掘調査に参加しています。大学の授業で学んだことと、現場で実際に体験することは様々なギャップや新発見があるようです。

2週間ほどの期間ですが実りのある経験になるといいですね。

 

竪穴建物が重なってみつかったようす

竪穴建物が3軒重複してほぼ同じ場所に建てられていました。

当時の人々は同じ場所に長い時間居住していたのでしょうか。

青→黄→赤(11世紀ごろ)の順に新しくなっています。

 

正泉寺遺跡発掘だより2025年度第8号(PDF:893KB)

※号数は調査開始時からの通算

南信,正泉寺遺跡,調査情報

2025年9月16日

安塚古墳群 2025年度発掘調査情報(3)

【後光のような光景】

 4月からの発掘調査が続いています。一日の調査が終わり、暑さが和らいだ夕方に北アルプス方向を臨むと、雲の隙間から太陽の光が放射状に広がる幻想的な風景がみえます。仏や菩薩が発する光である「後光」が差すような光景です。

 安塚古墳群の発掘調査を見守っている仏や菩薩が、一日の調査を労っているように感じられます。

後光のような光景

【お堂?のまわりには】

 現在は、おもに中世の遺構を調査しています。プレハブ近くの調査区には、中世(16世紀)の礎石建物跡があります。お堂と考えられるこの礎石建物跡のまわりには、遺体を火葬した穴(以下、「火葬遺構」と呼称)が7基発見されました。火葬遺構からは、銭貨や火葬骨、焼土、炭化材が出土しました。また、礎石建物跡からは、撒かれたような状態で火葬骨と炭化物がみつかっているため、納骨に関わるお堂(墳墓堂)と推測しています。

 今後の調査では、礎石建物跡の性格解明と、礎石建物跡と火葬遺構との関係を明らかにする予定です。

お堂と考えられる礎石建物跡と火葬遺構(南から臨む)赤丸:火葬遺構

 

【火葬遺構の姿】

 発見された火葬遺構は、平面が長方形で、規模は長辺約1~1.2m、短辺約0.6~0.8mです。火葬遺構の中央西側には突出した場所があり、火葬の煙を出す施設と考えられます。突出部は西側にあり、中には長さ約1mに達するものがあります。安塚古墳群では乗鞍方面からの強い西風が吹くため、強い西風を受ける側に煙出しを設けることで火葬の効率を上げたものと推測されます。

 火葬遺構からは多くの炭化材が出土しました。炭化材には板材・角材・丸太材があり、それらの材は棺や火葬で燃やした木材や火葬遺構の上に渡した木材であったと思われます。また、火葬遺構の底からは、棺を置くための「棺台」の石が2列に並び発見されました。底近くにある棺台付近からは、やや大きい火葬骨と銭貨が出土したため、火葬した遺体が遺構の底に落ちたものと思われます。

 安塚古墳群の火葬遺構は遺物の残りが良く、出土遺物から穴のなかで遺体を火葬した方法がわかりました。

火葬遺構の精査(SK1053)

火葬遺構の掘り下げ(SK1067)

炭化材の精査(SK1071)

棺台の近くから出土した銭貨と火葬骨、炭化材(SK1052)

 

引用・参考文献

狹川真一2011『中世墓の考古学』高志書院

関口慶久2006「墳墓堂」『季刊考古学』第97号

「特集中世寺院の多様性」雄山閣

中野豈任1988『忘れられた霊場』平凡社

 

安塚古墳群発掘だより2025年度第3号(PDF: 905KB)

中信,安塚古墳群,調査情報

2025年9月5日

南大原遺跡 2025年度発掘調査情報(5)

【令和7年度の南大原遺跡の発掘調査、後半戦がはじまりました】

 8月末で北大原地区の調査が終了し、舞台地区に2班が合流し、南大原地区と同時並行で調査を進めています。調査区域内には危険な場所もありますので、許可なく立ち入らないようお願いします。発掘の見学を希望される方は、事前にご連絡ください。

 今後、南大原地区では、9月27日(土)に現地説明会を開催する予定です。また、10月1日(水)には、高丘小学校6年生の体験発掘を受け入れる予定です。皆さまのご理解とご協力をお願い申し上げます。

南大原遺跡空中写真(北東から)

 

【南大原地区の調査成果について】

 南大原地区は、弥生時代中期後半から古墳時代、奈良・平安時代の竪穴建物跡が見つかっています。他の2地区の竪穴建物跡は平安時代に限定されているのに対して、南大原地区は長期にわたり居住に好適地であったと考えられます。現在は、古墳時代~奈良・平安時代の竪穴建物跡の調査を中心に行っています。

 下の写真は須恵器の坏が5枚重なって出土したもので、下2枚の坏には墨で字が書かれていました。墨書土器と言いますが、南大原遺跡では初めての出土となります。

南大原SB127須恵器坏出土状況(8世紀代)

南大原SB127 5枚重ねの下2枚に墨書

 

 下の写真は、竪穴建物跡に付随するカマドです。SB136は煙り出しの穴がトンネル状に確認され、SB142では、カマドに掛けた土師器の甕を支える支脚石が確認されました。

南大原SB136カマド(8世紀末~9世紀初)

南大原SB142カマド(9世紀前半)

 

【北大原地区の調査成果について】

 7月16・17日の現地公開で竪穴建物跡の細部についてご覧いただいた方もいらっしゃると思いますが、全体的にみると下の写真のように2間×2間の総柱建物跡を中心に、東側に4軒、西側に4軒の竪穴建物跡が分布します。西側の4軒は現市道側まで延びています。いずれも重複しており、これは1軒ずつ4時期に渡り建て替えられていたことを示しています。一方、東側の4軒は重複することもなく最大で4軒同時存在したことが考えられます。また、SB2・3はカマドを造り替えており、長い期間、使用されていたと想定されます。今後、出土した土器等を分析して、竪穴建物跡の時期を特定できればと考えています。今後の整理作業に乞うご期待です。

北大原地区 空中写真(南から)

 

【舞台地区の調査成果について】

 舞台地区全体で50軒以上の竪穴建物跡が検出されました。いずれも9世紀末から10世紀代に限定されそうです。北大原地区から続く河岸段丘上の高まりを居住地として集住し、その後、短期間に移動してしまい、遺跡としては近世まで空白地帯になってしまう様子が想像されます。竪穴建物跡の調査では、希少品である緑釉陶器や鉄製品が出土し、さらに12m×10m程の巨大な竪穴建物跡も見つかっております。リーダー的な存在を持つ裕福な集団であった可能性があります。また、木棺墓が検出され、どんな副葬品が出土するか楽しみです。この地区につきましては、 11月に現地説明会を開催する予定です。詳細につきましては後日回覧させていただきます。

舞台西SB13カマド(10世紀代)

舞台西SB19から出土した緑釉陶器

 

南大原遺跡発掘だより2025年度第5号(PDF: 873KB)

北信,南大原遺跡,調査情報

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