Research調査情報

2024年10月29日

飯田市五郎田遺跡 2024発掘調査情報(1)

【2024年度の発掘調査が始まっています】

 2024年7月から重機による表土の掘削作業が始まり 、 中央新幹線建設工事に伴う五郎田遺跡の今年度の発掘調査を開始しました 。 今年度の調査面積は約 1600 ㎡あり 、 場所は 、 2021 ・2022 年度に弥生時代から平安時代の竪穴建物跡 34 軒 、 掘立柱建物跡 5 棟などがみつかった発掘調査範囲の北側 、 2022 ・ 2023 年度に古墳時代から奈良 ・ 平安時代の竪穴建物跡 19 軒などがみつかった発掘調査範囲の南東側に位置しています 。

五郎田遺跡の年度別発掘調査範囲

 表土の掘削作業と並行して遺構を探す作業を開始しました。 その結果 、 竪穴建物跡約 20軒など多数の遺構がみつかりました 。 弥生時代から平安時代までの遺構が多くみつかっている場所の隣接地のため 、 調査前から相当数の遺構が存在することを予想していましたが 、想定を上回る数の遺構がみつかっています 。

遺構の検出作業

遺構の検出状況

 白線で囲われた黒っぽい土の範囲が遺構。写真中央奥の黄色っぽい土は、自然に堆積した土で、遺構はこの黄色っぽい土を掘って作られ、黒っぽい土で埋まっています。

 

【竪穴建物跡から続々と遺物が出土】

 五郎田遺跡が立地する段丘面には、 古代伊那郡の郡役所 伊那郡衙 と推定される国史跡の恒川官衙遺跡や 、 三彩陶器 ・ 円面硯 ・ 銅製帯金具等の出土遺物から恒川官衙遺跡と関係する集落と想定される堂垣外遺跡があります 。 五郎田遺跡は 、 堂垣外遺跡とともに伊那郡衙に関係する大規模集落の一つであった可能性を想定していますが 、 昨年までの調査では官衙に関連する遺物は出土していませんでした 。
 今年度の発掘調査で、 「 円面硯 」 という古代の硯が出土しました 。 残っている部分の直径は約11 ㎝ で 、 中央に墨を擦る部分の 「 陸 」 を 、 その周りに墨水を入れる部分の 「 海 」 を確認することができます 。 硯は文字を書くために必須の道具で 、 郡衙に勤めていた役人が仕事をするためには欠かせない道具です 。 恒川官衙遺跡でも多く出土しています 。そのほか「 灯明皿 」 という 、 灯りをともすための器も出土しました 。 食器の転用品と思われ 、 口縁部内側にススが付着しています 。 大きさは口縁部直径が約 10 ㎝ 、 底部直径が約5 ㎝ 、 高さが約 3 ㎝ です 。
 今回紹介した円面硯と灯明皿は、 産地や製作年代について今後の検討が必要で 、 伊那郡衙との関係を指摘できる段階ではありませんが 、 今後の調査成果をお楽しみに 。

五郎田遺跡出土の円面硯

五郎田遺跡出土の灯明皿

灯明皿使用イメージ図

 

五郎田遺跡発掘たより2024年度第1号(PDF:797KB)

五郎田遺跡,南信,調査情報

2024年10月23日

松本市安塚古墳群 2024発掘調査情報(2)

【第13号古墳(石室)の解体】

 第13号古墳は、石室内の調査が終了したため石室の解体調査に入りました。側壁には2~4段の河原石が積まれ、奥壁には3個の石が立っています。側壁の石を上の段から徐々に取り外したところ、上段と下段の石はほとんど接しておらず、隙間に土を入れて積んでいることがわかりました。加工していない河原石が崩れないように積んだ当時のやり方がわかり興味深かったです。ちなみに、もっとも重い奥壁の石は、75kgありました。

 第13号古墳は、石室の内側に石の平坦な面をそろえて設置しています。石は石材から、梓川の河原から採取したと考えられますので、河原では平坦な面がある石を選んで採取したと考えられます。第13号古墳の調査は、石室の石すべて取り外して記録も終了しました。

石室の解体風景

第13号古墳 最下段まで石を取り外した状況(赤丸はピット)

 

【全容を現した第12号古墳】

 安塚古墳群では、令和3年度に松本市教委が行った試掘調査で発見された第12号古墳(石室)の
規模・形状を捉える調査も行いました。石室が発見された場所を拡張して精査したところ、奥壁から開口部(入口)までの長さが約6m、幅約1.5mの規模を有する石室であることがわかりました。今回調査した第13号古墳の約2倍の大きさです。

 安塚古墳群は、昭和53年(1978)に松本市教委により圃場整備に伴う発掘調査が行われ、大小2種類の古墳(石室)があることがわかりました。松本波田道路の用地内にも大小2種類の古墳が複数あることがわかっていて、来年度以降の調査がさらに期待されます。

第12号古墳 精査風景

 

安塚古墳群発掘だより 第4号(PDF:962KB)

安塚古墳群発掘だより 第5号(PDF:1085KB)

 

中信,安塚古墳群,調査情報

2024年10月23日

長野市長沼城跡 2024発掘調査情報(1)

【長沼城跡の発掘調査が終盤となっています】

 長沼城跡は16~17世紀に、千曲川左岸の平地に築かれた南北約 650m 、東西約 500mという大規模な平城です。 2021 年から発掘調査がおこなわれ、今年の 10 月に調査が終了する予定です。 

 昨年までの調査では、戦国時代から近世初期の礎石建物跡や堀跡、土塁などの遺構が確認されています。そして同時期の土器や陶磁器、鉄砲玉などの遺物も出土しています。

長沼城縄張り想定図

 

【今年度の調査】

 中堀に伴うと思われる石列が出土しており、 約 40 cm の大きな石を支えるように裏込めとして小石が敷きつめられている箇所が見つかっています 。 中堀の杭列は土塁が崩れないように施された土留めと考えています 。昨年までの調査においても石列 、 杭列が見つかっています 。 これらの成果をもとに城郭の構造をあきらかにしていきたいと思います 。

土留めのための杭列

 

【注目!金足物とは】

 遺物としては、戦国時代から近世初めのカワラケ、灯明皿、内耳鍋などの土器や陶磁器類が多数出土しています。また、太刀の鞘の一部である足金物も出土しました。

 金足物は、太刀を腰から吊るす際の固定金具として使われていました。太刀1振に2つあります!

 県内の遺跡からの出土例は少なく、中世、戦国時代の遺跡から出土した類例は、御代田町の前藤部遺跡で1点、佐久市の北山寺遺跡で3点の出土などが確認されています。

長沼城跡出土の金足物

 

長沼城跡発掘たより 第6号(PDF:761KB)

北信,調査情報,長沼城跡

2024年10月23日

松本市真光寺遺跡 2024発掘調査情報(2)

【4年間の発掘作業が終了】

 9月末をもって、今年度予定していた発掘作業が終了しました。今年度は遺跡の北西側を調査し、中世の方形にめぐる溝跡や、中世以降の建物跡と思われる竪穴状の遺構約10基、掘立柱建物跡の柱穴を含む土坑約260基などがみつかりました。遺物としては、中世以降の内耳鍋(土鍋)や陶磁器片、石臼、凹石といった当時の生活道具が多くみつかったほか、近世以降の鞴の羽口や鉄滓が出土するなど、鍛治の存在を思わせるものもみつかりました。

 令和3年度から開始した真光寺遺跡の発掘作業は、今年度ですべて終了となります。今後は、長野市にある長野県埋蔵文化財センターにて、発掘作業の成果をまとめ報告書を作成する整理作業を進めていきます。

真光寺遺跡の全景

 

【これまでの調査成果】

〇波田地区ではじめての古墳発見

 7世紀後半から8世紀初頭(飛鳥~奈良時代)頃に造られた古墳が2基みつかりました。石室の時期や造り方は、近くの安塚古墳群や秋葉原古墳群と似ており、梓川右岸地域の古墳築造を考えるにあたり貴重な事例となりました。

真光寺遺跡の古墳石室

 

〇中世の土葬墓、火葬施設跡

 現真光寺お堂の北東では、直径約70cmの円形の土坑が集中し、穴の底面近くでヒトの頭骨の一部や歯がみつかる例が複数確認されました(=中世の土葬墓)。歯の一部を鑑定したところ、埋葬されたのは6歳以下の子どもの可能性が高いことが分かってきました。また、遺体を燃やした「火葬施設跡」も多数みつかりました。

中世の土葬墓

 

〇中世の方形にめぐる溝跡

 遺跡の西側で、幅約2m・深さ0.3~0.6mの溝跡がみつかりました。溝跡はほぼ直角に屈曲する部分が2カ所あり、短辺が50m程の長方形にめぐることが予想できます。溝で区画された内側には竪穴状遺構や柱穴の可能性がある土坑などが多数あります。区画内がどのような場所であったのか、今後明らかにしていきたいと思います。

方形にめぐる溝跡

 

真光寺遺跡発掘だより 第2号(PDF:699KB)

真光寺遺跡発掘だより 第3号(PDF:734KB)

中信,真光寺遺跡,調査情報

2024年10月23日

中野市南大原遺跡 2024発掘調査情報(2)

【浮かび上がる古代の暮らし】

 旧千曲川左岸の緩い斜面地に広がる南大原地区では、今から約2,000年前の弥生時代中期の集落と、今から約1,100~1,200年前の平安時代の集落を調査しています。平安時代の集落は、溝を巡らせて土地を区画し、方向を揃えた竪穴建物跡がみつかりました。区画溝は、集落の境を示している可能性があります。

 
【今日に繋がる日常の軌跡】

 SB102(平安時代の竪穴建物跡)は、一辺約5mの規模を持ち南側隅にカマドを備えています。この竪穴建物跡からは、灰釉陶器の皿を転用した硯や、鉄製紡錘車(繊維を紡ぐ道具)、耳皿がみつかりました。耳皿ざらとは、皿の側縁を対称的に折り曲げるつくりをした土器で、箸置きに使われたと考えられています。大河ドラマ「光る君へ」では、夫の藤原宣孝と主人公まひろ(紫式部)が、食事の際に箸置きとして耳皿を使用していました。

 みつかったお宝は、文房具、食器、箸置きなど現代を生きる私たちにも馴染み深いものばかりです。今から約1,100~1,200年前の人々の日常に思いを馳せていただければ幸いです。

密集する竪穴建物跡

SB102出土の耳皿

 

【広大な大地に眠る遺跡、次々と目覚める】

 南大原地区から微高地(現リンゴ畑)を挟んだ北西側の地域ではトレンチ掘削による確認調査が進んでいます。逆川・北大原・舞台・鍋久保の4地区のうち、現在は、逆川・北大原・舞台地区の調査をしています。

〇逆川地区

 掘削したトレンチの断面を見ると、現在の地形と同じように南東(リンゴ畑を営む微高地)側から北(現千曲川)側へ傾斜する地形が確認できました。洪水層が厚く堆積し、安定した土地ではなかったようです。

 これまで、近世水田の範囲を逆川地区境の市道までと考えていましたが、湧水点が市道の南側で確認され、近世水田が湧水点まで伸びていることが確認できました。

 

〇北大原地区

 逆川地区の北隣となる北大原地区の調査が始まりました。北大原地区は、7月まで北端を調査しており、そこでは平安時代の竪穴建物跡が見つかっています。

北大原地区確認調査風景

 

〇舞台地区

 7月後半から調査を行っています。8月は、北大原地区の西側を調査しています。北西のトレンチからは、竪穴建物跡とみられる凹みを検出しました。凹みのなかからは奈良~平安時代に使われていた土器(土師器)の埦が見つかり、この時期の建物跡と考えられます。

舞台地区土器出土状況

 

【現地説明会を開催しました】

 8月10日(土曜日)、本調査区(南大原地区)の発掘現場において一般公開を行いました。

 現場を一望できる高台から遺跡の全体説明を行った後、弥生時代中期(およそ2,000年前)、平安時代(およそ1,100年前)の竪穴建物跡近くでそれぞれ説明をしました。プレハブでは、出土品の展示・説明も行いました。展示した遺物は、今年と平成の三水中野線関連調査地点での出土品で、弥生土器、土師器、石器、鉄製品など様々なものがあります。見学者は139名にのぼり、関東や関西など遠方からも多く訪れ、南大原遺跡の注目度の高さを感じる説明会となりました。

 今年の調査は、長野県埋蔵文化財センターと日本文化財保護協会とが一緒になって行っており、説明会でも職員がお互いに協力して設営、説明を行いました。

現地説明会の風景

 

南大原遺跡発掘たより 第3号(PDF:1057KB)

南大原遺跡発掘たより 第4号(PDF:966KB)

北信,南大原遺跡,調査情報

2024年7月31日

松本市安塚古墳群 2024発掘調査情報(1)

【安塚古墳群の発掘調査が始まりました】

 6月3日(月)から10月中旬までの予定で、松本市和田蘇我地区の北側で安塚古墳群の発掘調査を行っています。

安塚古墳群 発掘たより第3号(PDF:807KB)

 

【安塚古墳・秋葉原古墳とは】

 松本市の新村地区には、7世紀末から8世紀にかけて築造された古墳が数多く分布しています(安塚古墳群・秋葉原古墳群)。江戸時代の開田で土饅頭のかたちに似た古墳特有の盛土は削られてしまいましたが、圃場整備に先立ち松本市教育委員会が行った発掘調査では、安塚古墳群(1978年発掘)で9基、秋葉原古墳群(1982年発掘)で5基の古墳がみつかっています。

 これらの発掘調査に携わった直井雅尚氏は、この新村地区の一大古墳群は、島立地区に分布する古代集落(南栗遺跡・北栗遺跡・三の宮遺跡など)の墓地と考える重要な指摘をしています。※直井雅尚1994「松本市安塚・秋葉原古墳群の再検討」『中部高地の考古学Ⅳ』長野県考古学会

【昨年度までの調査成果】

 令和4年度には、地中に向けて高周波の電磁波を放射し、その反応で古墳の存在を確認する地中レーダー探査を行いました。令和5年度には、地中レーダーで反応を示した箇所に重機で幅2mのトレンチを碁盤の目のように掘削して、古墳などの遺構や遺物の存在を確認する調査を行いました。その結果、2基の古墳が確認され、松本市教育委員会の試掘調査で確認された古墳を含めると、調査対象地内に5基の古墳があることがわかりました。

 

本年度は、今まで確認された5基の古墳のなかで第13号古墳を調査し、さらに用地内にいくつ古墳が眠っているかを確認する調査を行います。今までの調査で、第13号古墳の石室と、古墳の周りに円形の穴(土坑)がみつかっています。

 これからの調査で、石室の規模や形状、石室の中に副葬された遺物が発見されることが期待されます。

 

中信,安塚古墳群,調査情報

2024年7月12日

飯田市正泉寺・五郎田遺跡 2024年度発掘調査情報(1)

【古墳時代から平安時代の竪穴建物跡を続々と発見】

 4月の発掘調査開始から3か月ほど経ちました。遺跡は、土曽川左岸の微高地上に広がっています。調査の便宜上、国道153号に接する部分を1区、その北西側を2区、3区と呼び、調査は2区から開始しました。現在、1区へも展開し、1・2区あわせて古墳時代から平安時代の竪穴建物跡を約30軒、土坑を約30基検出し、調査を行っています。
 竪穴建物跡などの遺構は、古い時期のものが埋まった後に、新しい時期のものが掘り込まれ、重なり合ってみつかります。それが繰り返され、自然の地面がないほど密集している様子が分かってきました。

正泉寺・五郎田遺跡 発掘だより第2号(PDF:1002KB)

 

【調査のようす】

 竪穴建物跡の中から、注目される古墳時代の竪穴建物跡(SB4)をご紹介します。この遺構は、飯田下伊那地域にカマドが伝わった5世紀中頃に営まれた建物です。北西壁際では高坏などの土器が集中してみつかっていて、この場所で土器に供え物を盛ってマツリが行われたのではないかと考えられます。このような土器の出土状況は飯田市内の同じ頃の4遺跡ほどでみつかっています。

南信,正泉遺跡・五郎田遺跡,調査情報

2024年7月2日

飯田市川原遺跡 2024発掘調査情報(1)

 令和4年度から開始した飯田市川原遺跡の発掘作業が今年6月に終了しました。発掘作業の成果を振り返ってみましょう。

<弥生・古墳時代の墓域・集落域の発見と百済土器の出土>

 令和4年度の発掘作業では、古墳時代中期(約1500年前)の竪穴建物跡4軒、掘立柱建物跡1棟、弥生時代後期~古墳時代前期(約1700年前)のお墓である方形周溝墓を5基確認しました。なかでも古墳時代の竪穴建物跡からは、今の韓国西部にあった百済国(くだらこく:4世紀~660年までの間)で作られた「百済土器」の盌(わん)が出土しました。飯田市内で3例目、東日本で5例目の百済土器になります。飯田地域の古墳時代を考えるうえで非常に重要な発見となりました。

百済土器が出土した竪穴建物跡

百済土器 盌

<縄文時代後期の集落・配石遺構を調査>

 令和5年度の発掘作業では縄文時代後期(約4500年前)の集落、配石遺構の調査を行いました。敷石住居跡3軒、配石遺構24基を確認しました。敷石住居跡は当該期の下伊那地域では類例が少なく貴重な資料となりました。また、埋設土器が6基みつかっています。そのなかの一つから青森県を中心に北東北地域に分布する十腰内式土器(とこしないしきどき)に似た土器が出土しました。壺形の土器で出土状況からお墓に使用したと考えています。

敷石住居跡 住居の壁際に石を並べている

弧状に立石を並べた配石遺構

十腰内式土器の影響を受けた土器

 

 川原遺跡は遠隔地との交流を持った遺跡であることがわかってきました。また、遺跡は集落域(縄文時代)→墓域(弥生時代)→集落域(古墳時代)と土地利用が変化したことがわかりました。天竜川の恵みを受けながら人々は生活をしていたことが想像できます。

 今後は発掘作業の成果をまとめ報告書を作成する整理作業を行います。

 

川原遺跡発掘たより 第5号(PDF:1249KB)

南信,川原遺跡,川原遺跡・下川原遺跡,調査情報

2024年6月28日

南栗遺跡 2024発掘調査情報(1)

<令和6年度の発掘作業が始まりました>

 令和4年度に始まった発掘調査も今年度で3年目になります。

 今年度の調査では、これまでにみつかっている古代集落の広がりと、継続時期を把握すること、昨年度あらたにみつかった中世面の広がりが確認されることを期待しています。

南栗遺跡発掘たより 第7号(PDFデータ:670KB)

<昨年度の調査成果>

 昨年度の調査では古代の竪穴建物跡16軒、掘立柱建物跡1軒などがみつかり、令和4年度に集落の南限と想定した範囲よりもさらに南へ集落が広がることがわかりました。

 調査区の南西でみつかった竪穴建物跡(SB39)からは、炭化した木材や焼けた土が一面に広がって出土しました。また、建物の壁も焼けて赤くなっていることから、この建物は焼失した住居と考えられます。

 また、調査区南端では火葬施設が3基みつかりました。いずれも内部から焼けた土や炭化した木材、焼けた人骨のほか、銭貨が10枚出土しました。そのうちの1枚は「洪武通宝」(初鋳1368年)と判別することができました。このことから、これらの火葬施設は室町時代以降のものと推定しています。

 

中信,南栗遺跡,調査情報

2024年6月3日

真光寺遺跡 2024年度発掘調査情報(1)

★令和6年度の発掘作業がはじまります

 4月中旬から、松本市波田(はた)三溝(さみぞ)の真光寺遺跡(しんこうじいせき)の発掘作業がはじまります。発掘調査は、中部縦貫自動車道松本波田道路建設に先立ち令和3年度に開始し、本年度で4年目となります。これまでの調査では、飛鳥時代から奈良時代に築造された古墳や、中世以降の火葬かそう施設しせつ跡あと・土葬(どそう)墓ぼ・溝跡(みぞあと)・石列(せきれつ)などがみつかっています。

真光寺遺跡の位置

 詳しい情報はこちら(真光寺遺跡発掘だより№1 PDFデータ:834K)

 

調査区遠景(東から撮影)

 

★令和5年度の調査成果 ~三溝地区の中世の様子~

 昨年度の調査では、中世の火葬施設跡(かそうしせつあと)や土葬墓(どそうぼ)、中世以降の溝跡(みぞあと)や石列(せきれつ)、土坑(どこう)などがみつかりました。火葬施設跡からは焼けた骨片や炭化物のほか、銭貨(せんか)(中国の宋の時代につくられていた銭)や15世紀ごろの陶器(仏花瓶)(ぶっかびん)が出土しました。また、土葬墓からは人の歯や銭貨が出土しました。このほか、土坑などから16世紀ごろの内耳鍋(ないじなべ)(日常の煮炊き道具)もみつかり、三溝地区の中世の様子の一端がうかがえました。

 

 

火葬施設跡でみつかった陶器片
土坑の底でみつかった人の歯(土葬墓)
現・真光寺北側でみつかった石列
土坑から出土した内耳鍋

真光寺遺跡,調査情報

2024年5月30日

正泉寺・五郎田遺跡 2024年度発掘調査情報(1)

≪令和6年度の発掘調査が始まりました≫

 座光寺上郷道路建設に伴って、正泉寺遺跡(しょうせんじいせき)・五郎田遺跡(ごろたいせき)の発掘作業を4月から開始しています。正泉寺遺跡・五郎田遺跡は飯田市座光寺に位置し、土曽川(どそがわ)左岸の微高地上に隣り合って立地します。これまで、正泉寺遺跡は発掘調査歴はありませんが、昭和38年に弥生時代中期(約2,000年前)の土器や石器が偶然発見され、弥生時代・古墳時代・平安時代・近世の遺物散布地として知られていました。令和2年~4年に長野県埋蔵文化財センターで確認調査を行ったところ、弥生時代や古墳時代の建物跡や土坑(どこう)がみつかり、集落の広がりを予想することができました。五郎田遺跡は令和3年度からリニア中央新幹線建設や国道153号拡幅に伴って、継続して発掘調査が行われています。

 

 詳しい情報はこちら(正泉寺・五郎田遺跡発掘だより№1 PDFデータ:1,133K)

 

令和6年度 正泉寺遺跡・五郎田遺跡の調査位置

 これまでに、今年度調査地の約半分の表土掘削を行い、おもに古墳時代の竪穴建物跡15軒、土坑数基などを検出しています。また、それらの竪穴建物跡からは、土師器(はじき)の甕(かめ)や坏(つき)、高坏(たかつき)、須恵器(すえき)の坏、磨製石鏃(ませいせきぞく)や砥石、銅製の耳環(じかん)などがみつかっています。

 

≪調査のようす≫

遺構の検出作業

両刃鎌で表面を削り、土の色や質の違いから、遺構をみつけていきます。

遺構精査1

一辺約4mの四角形の黒色土の落込みを見つけました。試し掘りをして、どんな土がどのように堆積しているのかを確認します。

遺構精査2

土の堆積を観察するためのベルトを残して掘り下げます。赤く土が焼けている火床がみつかったことから、建物跡だとわかりました。

遺物出土状況

黒色土を除去したところ、床面から多くの土器がみつかりました。土器の特徴から、古墳時代後期(約1,500年前)と考えられます。

正泉遺跡・五郎田遺跡,調査情報

2024年5月30日

南大原遺跡 2024年度発掘調査情報(1)

≪南大原遺跡の本格的な発掘調査がはじまりました≫

 6月3日(月)から、中野市大字上今井字南大原ほかで南大原遺跡の発掘調査を行います。現在は、発掘調査に伴う現地プレハブの設置工事等を行ってい ます。 この発掘調査は、上今井遊水地整備事業に先立って実施するもので、11月末までを予定しています。 期間中、大型重機をはじめ、車両が出入りしますので十分ご注意ください。また、調査区域内には危険な場所もありますので、許可なく立ち入らないようお願いします。発掘の見学を希望される方は、事前にご連絡ください。皆さまのご理解とご協力をお願い申し上げます。

 

 詳しい情報はこちら(南大原遺跡発掘だより№1 PDFデータ:939K)

 

南大原遺跡空中写真(R5年11月撮影)

≪南大原遺跡ってどんな遺跡?≫

 『長野県中野市遺跡詳細分布図』( 2006 中野市教育委員会市)には、縄文・弥生・平安時代の遺跡として登載されています。1950年と1957年に神田五六さんと地元の高校生が中心となって発掘調査が 行われ、1950年の調査では縄文時代前期後半の竪穴建物跡が見つかり、そこから出土した土器は「南大原式土器」と命名されました。その後、1979年に旧豊田村教育委員会が、2011~2013年と2019・ 2020年に当センターが、いずれも県道三水中野線改良工事に伴い発掘調査を実施し、弥生時代中期後半から後期を主とした集落遺跡であることが明らかとなりました。中でも、鉄製品を加工したと考えら れる工房跡や、祭祀場と想定される環状土坑列の存在は、注目を集めています。

弥生時代中期後半の竪穴建物跡
環状土坑列(かんじょうどこうれつ)

立っている人の前に土坑がある

鉄製品・小鉄片・焼成粘土塊(しょうせいねんどこん)
弥生時代中期後半の土器群

≪令和5年度の調査成果≫

 「上今井遊水地だより」令和6年2月号でお知らせしましたとおり、右図のA・C区でトレンチ(試し掘り)調査を、緑線の部分で地層抜取り調査を実施しました。

 その結果、A区の調査では弥生時代中期後半の土器や平安時代の灰釉陶器等とともに、重複する平安時代の竪穴建物跡や、時代は特定できておりませんが、掘立柱建物跡・溝跡が確認されました。
 C区及び地層抜取り調査や古地理復元分析調査の結果、江戸時代以降の水田跡の分布範囲が、地域に遺る「上今井耕地絵図(かみいまいこうちえず)」(東江部村山田庄左衛門家文書(ひがしえべむらやまだしょうざえもんけもんじょ))と一致することが明らかとなりました。
 また、この江戸時代以降の水田層の下からは、奈良時代の掘立柱建物跡の他、焼土跡や溝跡等の遺構群が検出され、南大原遺跡でも奈良時代の人々の生活の痕跡があったことが確認されました。

R5年度調査区全体図
C区で検出された奈良時代の掘立柱建物跡
R6年度調査区全体図
想定される各時代の領域

南大原遺跡,調査情報

2023年6月20日

川原遺跡 2023年度発掘調査情報(1)

【4月から川原遺跡の調査を行っています】

 2年目の川原遺跡の発掘調査は、昨年度に確認した古墳時代中期の竪穴建物跡と弥生時代後期から古墳時代初頭の方形周溝墓の調査を継続して行っています。

 令和5年7月4日(火)~7日(金)の午前10時30分~午前11時30分、午後1時30分~午後2時30分には現地公開も予定しています。

 詳しい情報はこちら(川原遺跡発掘だより PDFデータ:785KB)

 

【百済土器(くだらどき)の発見】

 令和4年度の調査で、古墳時代中期の竪穴建物跡(SB4)から出土した土器が、朝鮮半島の百済国(くだらこく)で作られて、日本に持ち込まれた「百済土器」であることがわかりました。今年5月10・11日に専門の先生に確認していただいたもので、飯田市では3例目となります。

 

【縄文時代の遺構】

 今年度、北西側(天竜川側)に拡張した調査範囲から、縄文時代後期の配石遺構がみつかりました。このうちSH7は、拳大から人頭大の川原石とともに、縄文土器や石器が出土しています。中でも石棒が2点出土していることが特筆されます。また、石囲炉があることから、敷石住居の可能性もあります。

南信,川原遺跡・下川原遺跡

2023年6月20日

川田条里遺跡 2023年度発掘調査情報(2)

【これまでの調査とこれからの予定】

6か所の調査区(右図のT1~T6)を設定し、調査を進めています。T4・5の2地区で発見した川田氏館跡に関連する遺構群について、その詳細が明らかになってきました。その他の調査区では平安時代と古墳時代の水田跡の調査のため、重機で深堀りをし調査しています。

 調査期間も残すところ1か月となりました。今後は、水田跡の調査が主となるため、泥や水との戦いとなります。

 詳しい情報はこちら(川田条里遺跡発掘だより第2号 PDFデータ:747KB)

 

【川田氏館跡に関連する遺構群】

 1999年(平成11年)に長野市教育委員会が実施した発掘調査で、15世紀後半の溝により規制された10棟の建物跡や焼土を伴う土坑、工房跡を想起させる張床状遺構などが発見されました。

 今回の調査で発見した遺構群は、右図に示すようにT5区で直角に近い角度で曲がる溝跡(区画溝)の北西側に掘立柱建物跡などが展開しており、溝で区画された屋敷地であったと考えられます。

 

【小さな出土遺物が遺構群の時期を語る!】

 溝跡を発掘すると、土器や陶磁器が出土しました。中国から輸入された青磁や白磁、石川県産の珠洲焼(すずやき)、岐阜県産の中津川焼や山茶碗、地元産のカワラケなど、種類が豊富です。この遺跡が、当時の全国的な焼物の流通ルートに組み込まれていたことを物語ります。

 焼物それぞれの特徴から、時代や時期がわかりました。その結果、今回発見した溝で区画された屋敷地は、鎌倉時代のものであることがわかりました。川田氏館跡は室町時代のものと考えられており、今回発見した屋敷地はそれよりも古い時代のものです。これが基盤となり、川田氏館跡へ発展していったのでしょうか。

北信,川田条里遺跡

2023年6月20日

真光寺遺跡 2023年度発掘調査情報(1)

【令和5年度の調査が始まりました】

 本年度で3年目となる真光寺遺跡の発掘調査が、4月25日(火)から調査員5名と作業員13名で始まりました。

 詳しい情報はこちら(真光寺遺跡発掘たより通巻5号 PDFデータ:956KB)

 

【令和3・4年度の調査成果】

 昨年度までの調査で、古墳が2基、中世の土坑墓や火葬施設、柵列跡などがみつかりました。

 

【今年度の発見!】

 今年度の調査では、土坑が30基ほどみつかり、周辺から骨片や焼土などが出土しています。調査を進め、土坑の性格などを確認していきます。調査は11月末までの予定です。今後どんな発見があるのか楽しみです。

中信,真光寺遺跡

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