Research調査情報

2015年1月6日

洞源遺跡 平成26年度調査情報(3)

-洞源遺跡の調査が終了しました-

昨年度・本年度と2年にわたった調査が、本年11月6日をもって終了しました。佐久地域では初となる製鉄炉が発見され、最終的に検出された遺構は、平安時代後期の製鉄炉3基、焼土跡4基、土坑1基、火床を伴う作業場1軒、中世の土坑1基でした。佐久地域における鉄生産のあり方を考える上で、大変貴重な発見になりました。

 

【洞源遺跡遠景】

西側上空から見た遺跡のようすです。

 

【製鉄炉跡の実測】

長さや幅、深さを測って、図面用紙に記録していきます。調査区は傾斜があり、製鉄炉跡上部と下部とでは約30cmの高低差があります。

 

【製鉄炉跡】

全長170cm、幅80cm、深さ15cmほどの製鉄炉跡です。炭化物の粒子を多く含み、鞴(ふいご)の羽口片や鉄滓(てっさい)が炉内から見つかりました。

洞源遺跡

2014年10月2日

洞源遺跡 平成26年度調査情報(2)

これまでの発掘により、佐久地域では初めてとなる平安時代後期(10世紀頃)につくられたと考えられる製鉄炉跡が検出され、10月4日(土)に現地説明会を開催します。

焼土跡の周辺から鞴(ふいご)の羽口の小片と鉄滓(てっさい)が少量出土したのをきっかけに、現在までに3基の製鉄炉の跡と考えられる遺構がみつかっています。また、焼土跡や多量の土器が検出されている遺構が発見されており、製鉄に関わる作業場の可能性を視野に調査を進めています。

 

【製鉄炉跡の検出】

3基の焼土跡は全長160~200cm、幅50~90cmを測ります。原料から鉄を取り出す製鉄を行った炉跡と考えられます。精錬鍛冶を行っていたかどうかは、出土している鉄滓を観察した上で判断したいと考えています。

 

【作業場と考えられる遺構】

およそ16m離れた2基の製鉄炉跡の中間の位置に、焼土とともに坏や甕などの多くの土器が検出されました。カマドは検出されませんでしたが、製鉄の作業に関わった人々の作業場や休憩する場所だったのでしょうか。

 

【炉に空気を吹き込む鞴の羽口(小片)】

羽口とは火力を強めるために使う筒型の土製品です。炉は操業後に壊されるので、羽口も割れてしまうことが多いと考えられます。製鉄炉跡周辺などから、これまでに3点の羽口の小片が出土しています。

 

【遺跡全体写真(南から)】

3基の製鉄炉跡は東からSF07、SF02、SF06としました。今後当時の人々が何のために鉄をつくっていたのか、洞源遺跡の製鉄遺構はどんな性格のものだったのか追究していきます。

洞源遺跡

2014年9月1日

洞源遺跡 平成26年度調査情報(1)

昨年度に引き続き、洞源遺跡の発掘調査が始まりました。本年度の調査範囲は、昨年度調査区の北東に隣接する1区(2,300㎡)と、昨年度遺構・遺物が検出された2区(1,500㎡)の合計3,800㎡です。昨年度の調査では縄文時代と平安時代の遺物と焼土を伴う土坑2基が確認されました。今年度は昨年度遺構が確認された一帯を含めて、北東側の傾斜が緩い地区にあたることから、縄文時代と平安時代の遺構・遺物の検出が期待されます。

 

【調査区遠景(南から)】

比較的緩斜面の1区に対して、2区は急斜面になっています。1区では重機によるトレンチ調査を開始し、今のところ、縄文時代と考えられる土器片が数点出土しましたが、遺構が確認されていません。

一方、2区では昨年度確認された遺構周辺を重機により表土剥ぎを行っています。


 

【昨年度確認された焼土を伴う土坑】

土坑内の土には、焼土や炭化物がみられます。直径は約40cmです。現在、この遺構の周辺を検出していますが、新たに土師器の坏・甕の破片、焼土跡などがみつかっています。また、中世の内耳土器片も出土しました。徐々に遺跡の状況が明らかになってきました。


洞源遺跡

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