本年度の調査では、昨年度に確認されていた古代の溝跡の続きと、建物の柱穴(時代は不明)14基がみつかりました。調査面積はわずかで、4月末で調査は終了しました。
【調査区遠景】
表土剥ぎ前の調査区を西側から撮影。
【重機で表土剥ぎ】
重機で表土を除去して、遺構を探します。
東側から撮影。
【調査区遠景】
表土剥ぎを終えた調査区を南側から撮影。
【溝跡の調査】
昨年度までの調査で古代の溝跡であることがわかっています。
【溝跡の土層断面】
溝跡を埋めた土の堆積状態を観察するために、ベルト状の壁を残して掘りあげた状態です。
【調査区全景】
古代の溝跡1条と柱穴が14基見つかりました。柱穴の時代や建物の形や大きさは判明しませんでした。
<お知らせ>
9月11日(土),奥日影遺跡と同日に現地説明会を開催します。詳細はホームページ遺跡見学会のお知らせ欄をご確認ください。
【遺跡調査の様子】
・竪穴式建物跡8軒、掘立柱建物跡4棟、溝10本、小土坑400基を現在調査中です。中世と考えられる青磁の破片や砥石などが出土しています。
・写真手前側、一輪車のところに大きな溝があり、立つ人の後ろ側に竪穴式建物跡があります。
・遺跡の様子を、ぜひ現地でご覧ください。
【大きな溝跡SD15の調査】
・調査区の東側で、幅1m、長さ約60mもある大きな溝が発見されました。溝の時期は中世~近世と考えらます。
・溝は中世に一度埋もれかけ、最終的には近世以降になって大きな石を投棄して埋め立てられたものと思われます。
遺跡の北側からは南北にのびる溝が2本(SD07・08)みつかりました。溝SD07は幅3~4m、深さ1m以上もあり、さらに北側まで続くことがわかっていて、長さは約100mあります。溝の底からは平安時代の土師器(はじき)、灰釉陶器(かいゆうとうき)などが出土しているので、その時期には溝が埋まりはじめたようです。
溝SD08は幅、深さとも約1mで、長さ80mほどが現在検出されています。溝SD07にほぼ平行していることや断面の形がよく似ていることから、2本の溝は、同時期にあったものと考えています。
溝SD08の断面形は先端が少し突出するV字形をしています。溝跡を覆っている土の中には、水が流れたような痕跡がまったくなく、どこかへ給水するための水路とは考えにくいようです。今後、溝の用途について、十分検討する必要があります。
遺跡の一番南側の地区からは掘立柱建物跡がみつかりました。柱穴がみつかった場所に人に立ってもらいました。これは東西3間、南北2間の12本の柱をもつ建物跡です。
これは東西1間、南北2間の6本の柱をもつ建物跡です。周辺の小さい穴から室町時代から戦国時代頃の土師質土器(はじしつどき)が出ていることから、中世の建物跡ではないかと考えられます。
8月6日(木)に佐久市立田口小学校5年生有志6名が体験発掘を行いました。なにかいいものが出るかな?
早速、溝の中から平安時代の土器が出てきました。また少し離れた場所の土器がくっつきました。こうしたことはなかなかないだけに、調査研究員もびっくり!
体験発掘の後は、掘り出した土器をみんなで洗ってみました。強すぎず弱すぎず、適当な力で土器を洗うのは意外と難しかったかな。洗っているうちに土器の模様が出てきたのには、ちょっと感激でした。