Research調査情報

2020年11月13日

南大原遺跡 2020年度 整理情報(4)

弥生時代の鉄製品の新知見!

 

 

 2か年の調査(2019・2020年)で出土した鉄製品2点のX線撮影を行ったところ、錆で覆われて見えない部分の観察から、新たな発見がありました。

 一つは木器加工に使用するような小さな鉄製工具、もう一つは小さな鉄製品の未成品の可能性が高まったことです。



【鉄製工具か(弥生時代中期)】

 X線写真では逆L字状の段が観察できる(赤丸部分)。この部分は刃部と茎(※)を分ける関(まち)に当たると想定されます。写真上が刃部、下が茎と考えられます。※茎(なかご:柄に装着する部分)

 

 長さ49×幅9×厚さ8mm、重さ6.7g。

 弥生時代中期後半の竪穴建物跡出土。



【鉄製品の未成品か(弥生時代後期)】

 薄い木の葉状に加工されている。

 写真赤丸部分を拡大して(下画像参照)観察すると、端部に面があることから、鉄素材から切り離したままの可能性があります。

 

 長さ33×幅19×厚さ8mm、重さ4.3g。

 弥生時代後期前半の竪穴建物跡出土。



【上の鉄製品端部の拡大写真】

 今後、X線CT検査等のより詳細な分析を進めた後、錆取りや樹脂含侵等の保存処理を行います。



 南大原ムラでは、従来の石器では難しい、木器加工に用いる鉄製工具を製作していたようです。近年、日本海沿岸で、木器加工を専門に行っていたと思われる集落遺跡が、発見されています。最新の文物が入るシナノの玄関口として、いち早く先端技術を手に入れていたのかもしれません。

南大原遺跡

2020年9月28日

南大原遺跡 2020年度 整理情報(3)

歴史遺産を未来に残すために ~整理室より~

遺跡から出土した貴重な資料は、埋蔵文化財センター内の整理室に運び、整理と分析を行って、南大原遺跡という歴史遺産を未来に継承するための調査報告書を作成しています。
これからの仕事を紹介します。

 

【一つひとつ、記録化する】

 ペットボトルなどにある賞味期限の印字を見たことがありますか?それと同じ方法で土器1点1点に出土データを記録します。

遺跡名や出土位置の出土データが印字されます。

【土器に残された情報を読み取る】

 土器の表面に描かれた文様を寸分違わない精度で図面に写しとります。こうして作成された実測図は全国各地で出土した土器と比較検討する大切なデータとなります。


【遺跡の痕跡を図として保存する】

 二千年前の弥生人たちが大地に刻んだ生活の痕跡である建物やお墓の記録を、パソコンを使って合成していきます。


【調査記録や成果を1冊に】

 発掘現場と整理室で蓄積された遺跡の記録と成果を、皆さまにご覧いただけるように調査報告書を刊行します。現地には残せない遺跡の記録となる報告書もまた、大切な歴史遺産の一つです。


【先人の生き方を共有する】

 
出土品は博物館等で大切に展示保管されます。現在もセンター展示室で代表的な出土品や写真パネルを展示しています。土器や石器は先人たちが我われ現代人と同じ大地に生きた証しです。




南大原遺跡発掘調査情報(2)(pdf 1.0MB)





 

南大原遺跡

2020年9月23日

南大原遺跡 2020年度 発掘調査情報(2)

2年間大変お世話になりました。


昨年4月から実施した南大原遺跡の発掘作業も、この9月をもちまして無事終了いたしました。昨年10月には台風19号の影響で調査の一時中断もありましたが、地域の皆様には日頃からご理解ご協力をいただき、改めてお礼申し上げます。
 


【千曲川と共に生きた弥生人】

 調査区を善光寺平方面から見ると、左に現在の千曲川の流れ、右に明治時代以前の旧千曲川の痕跡がはっきりとわかります。弥生時代の人々が暮らした二千年前、この一帯はどのような環境だったのでしょうか。


【堆積学による遺跡環境の復元】

 遺跡環境を復元するため、土壌堆積学を専門とする信州大学理学部の研究室に調査をお願いしました。住居跡内に堆積した土や遺跡が立地する基盤層が土壌サンプルとして採取されました。その分析によって千曲川べりに暮らした弥生人の生活環境を解明することが期待されます。




【発掘ゲンバってなんだ?】

 中野市立豊井小学校6年生が元気に訪ねてくれました。「本物の土器に触れるのはきっと一生に一度の機会。校長先生もきっと今日初めて触るはずだよ」と話しかけると、皆「えー!」。順番に恐る恐る土器を触ってみて、「弥生土器は薄くてザラザラしてる」、「持ってみると思ったより軽いよ」と色んな声が聞こえきました。発掘現場でしか味わえないワクワク、ドキドキする“生の歴史”を感じてくれたようでした。



南大原遺跡

2020年8月19日

南大原遺跡 2020年度発掘調査情報(1)

【発掘調査 最終段階です】

 
6月下旬から発掘調査を再開しました。昨年10月の台風19号による千曲川氾らんなどの影響で調査ができなかった部分を対象に、9月半ばまで実施します。今回の調査をもって県道改築工事に伴う発掘調査は全て終了します。


【弥生時代の竪穴(たてあな)建物跡を発見】

 略円形の竪穴建物跡1軒がみつかりました。過去の調査も含め本遺跡25軒目です。竪穴建物跡は当時人々が暮らした住居と考えられます。調査の積み重ねによって2100年前の弥生ムラの全容が明らかになりつつあります。


【雨ニモ 夏ノ暑サニモマケズ】

 例年になく雨の日が多かった梅雨が明けた途端、記録的な酷暑が続いています。農家の皆様と同じく、私たちの仕事も天気に大きく左右されます。近隣の野菜畑や果樹園を参考に、発掘現場を遮光シートで覆ってみました。 日差しを遮り、風通しが良く体感気温は外気より数度低く感じられ、熱中症予防や地面の乾燥予防に効果は抜群です。


【弥生土器の復元】

 
発掘調査と並行して、センター復元室では昨年度出土したバラバラになった土器のかけらを組み合わせて、足りない部分を石こうで埋めていく復元作業をすすめています。

 南大原遺跡の弥生土器は薄くもろいため、慎重な作業が続いています。


【復元された弥生土器】

 二千年の眠りから覚めた弥生土器。壺や甕などのバラエティーに富んでいます。

 

【南大原遺跡の出土品が長野県立歴史館で展示されます】

 前回の県道改築工事に伴う発掘調査で2013年に発見された弥生時代の鉄製品が、この秋、県立歴史館企画展に出展されます。信州の弥生時代を語る上で外せない重要な出土品です。柳沢遺跡出土の弥生時代の銅製品(中野市博所蔵)など県内資料も多数集まる、見ごたえのある展示会です。

〇県立歴史館秋季企画展『稲作とクニの誕生-信州と北部九州-』 

 1.会期 9/15(火)~11/29(日)

 2.場所 長野県立歴史館 企画展示室(千曲市大字屋代科野の里歴史公園内)

 3.問い合わせ 長野県立歴史館 電話026-274-2000 


南大原遺跡調査速報(1)(pdf 1.48MB)


南大原遺跡

2020年5月20日

南大原遺跡 2020年度 整理情報(2)

【石器から鉄器へ】

南大原遺跡は、弥生時代中期後半から後期前半の集落跡です。
弥生時代は、鉄器や青銅器の金属器が日本列島に広まりました。長野県では、中期まで主体的だった石器が後期になると次第に金属器に移り変わっていきます。
整理作業では約150点の石器を確認しましたが、そのうち今回は、石器から金属器へ技術革新が起こった頃の石器を紹介します。


【砥石】

中期の竪穴建物跡から出土しました。中央部が研ぎ面に利用され滑らかになっています。鉄器用なのか磨製石器用なのか、今後、砥ぎ面の細かな観察で明らかになるかもしれません。


【打製石鏃】

中期と後期の竪穴建物跡(たてあなたてものあと)から出土しました。まだ縄文時代と同じように打ち欠いて作られた石鏃が使われています。
この時期には、基部中央が突き出ている有茎石鏃(ゆうけいせきぞく)が多く見られます。


【磨製石鏃】

出土した磨製石鏃4点の内、3点は後期前半の竪穴建物跡から出土したもの(写真左)です。全体を磨き上げ、基部中央に矢の柄に装着するための小さな穴があけられています。


【磨製石鏃未製品】

弥生時代後期前半の竪穴建物跡からは、磨製石鏃の未製品や素材の石片が出土しているので、建物内で石鏃を製作していたことも想定されます。


【磨製石斧(ませいせきふ)と石鎚(いしづち)】

中期の溝跡などから出土。
いずれも石材は深緑色をした非常に硬い輝緑岩(きりょくがん)です。石槌(写真左端)は磨製石斧の刃が折れたものを再利用した石器で、表面に何かを敲いた痕跡があります。


【刃器(じんき)】

弥生時代中期の竪穴建物跡から出土。
大きく割った石片の鋭利な縁をそのまま刃として使った石器です。刃の部分に光沢が見られることがあり、稲を刈るなどの道具であったためと考えられています。


南大原遺跡

2020年5月20日

南大原遺跡 2020年度 整理情報(1)

長野県立歴史館で開催中の「春季展2020年長野県の考古学」と、当センター展示室の南大原遺跡出土品を紹介します。県立歴史館では弥生時代中期のムラ、センター展示室では弥生時代後期のムラの様子を紹介しています。来場をお待ちしています。


【石から鉄へ―先進技術に挑んだ弥生時代のムラ】

弥生時代中期後半(約2,100年前)、南大原の弥生人は竪穴建物(たてあなたてもの)に暮らし、木棺墓(もっかんぼ)に葬られる人もいました。ムラの中心には柱を立てたと考えられる穴が環状に並んでいます。共同の儀礼の場なのかもしれません。縄文時代以来の石器を使う一方で、石鎚(いしづち)や砥石(といし)、台石(だいいし)を用いて、鉄器を加工していました。


【弥生時代中期の土器(歴史館春季展展示)】

現代と同じように用途に合わせて様々な形があります。煮炊用の甕と甕の蓋、貯蔵用の壺、盛付用の鉢などです。土器の形によって、表面の文様はおおむね決まっています。



【弥生時代中期の石器(歴史館春季展展示)】

小鉄片が出土し、鉄器加工を行ったと考えられる竪穴建物跡で出土した石器です。鉄器加工にかかわる道具と考えています。


【礫床木棺墓から出土した管玉(歴史館春季展展示)】

管玉(くだたま)は、写真右側の小さな礫床木棺墓(れきしょうもっかんぼ)から出土しました。ストロー状に紐を通す穴があけらた管玉は、硬い緑色の石で、北陸地方の玉作りを行った集落からもたらされた交易品の可能性があります。


【弥生時代中期の鉄製品(県立歴史館春季展に展示)】

弥生時代中期後半の竪穴建物跡から出土しました。
矢じりなどの武器なのか、木工具などの刃先なのか、用途は解明されていません。


【弥生時代後期の竪穴建物跡(埋文センター展示室)】

長さ5.9m、幅4.2mの隅丸(すみまる)長方形をした四本柱の建物跡です。
床の中央奥寄りに小さな炉跡があります。


【弥生時代後期の甕(埋文センター展示室)】

細い棒を束ねた施文具で、波状文や横引き文(簾状文)が付けられ、ボタンのような貼付文も見られます。この時期の北信地方で一般的な文様の甕です。


【弥生時代後期の磨製石鏃(埋文センター展示室)】

弥生時代後期の竪穴建物跡から出土しました。

南大原遺跡

2020年2月6日

南大原遺跡 2019年度調査情報(3)

 この度の台風19号の影響で被害に遭われた皆様方には心よりお見舞い申し上げます。

 

【今年度の発掘調査は終了しました】

 平成31年4月にスタートした発掘作業は令和2年1月末に終了しました。昨年10月の台風19号による千曲川の氾らんでは、調査現場がそっくり水没し、プレハブが流出してしまいましたが、多くの皆様のご支援とご協力によって復旧することができました。

 
地元の皆様には、復旧作業中に温かいお言葉を掛けていただいたり、採れたてのブドウを差し入れていただいたりと、お心遣いいただきました。改めてお礼申し上げます。


【千曲川べりに営まれた2,000年前の集落】

 今回の調査では、弥生時代中期(約2,000年前)の集落跡を良好な状態で確認することができました。過去の調査成果を合わせると、集落の様子がよくわかります。
集落は大きく蛇行する千曲川沿いの自然堤防上に立地していました。同じころ、旧千曲川の対岸には栗林遺跡(県史跡)の集落がありました。

集落で一番高い場所に「環状土坑列(かんじょうどこうれつ)」があり、土坑列を取り囲むように竪穴建物跡(たてあなたてものあと)や墓域(ぼいき)、掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)が分布しています。集落の中心にある土坑列は共同の儀礼の場なのかもしれません。 


【「環状土坑列」とは?】

 調査区南東部から全国的に類例のない「環状土坑列」が2基みつかりました。直径が0.6~0.9mほどの大きな土坑(穴)が円弧状に並んでいて、配列は南北にずれて二つあります。土坑は長径18mもある、大きな環状に配列していたといえそうです。(人の立つ位置に土坑があります。) 


【柱を立てていた跡のある土坑(穴)】

 土坑の深さは0.1~0.6mと深浅あり、深いものには柱の痕跡がある例もあります。単なるトーテムポールのようなものなのか、建物なのか、その性格は今後の研究課題です。(赤い色の部分が柱を立てていたところです。)


【2,000年前の鉄器つくり】

 竪穴建物跡内から鉄製品・小鉄片や、砥石・台石といった加工具が出土しています。南大原遺跡の弥生集落では小規模な鉄器加工が行われていたと考えられます。2,000年前という、日本国内でも非常に早いころ、北信濃にはすでに鉄器加工技術が伝わっていたことを示す重要な発見です。

【竪穴建物跡から出土した1㎝ほどの小さな鉄片】


【一か所にまとまるお墓】

 お墓は集落の一か所にまとまっています。お墓の種類は二つあって、木製の板を組み合わせた木棺墓(もっかんぼ)が7基、木製板を組み合わせてから床一面に丸い石を敷き詰めた礫床木棺墓(れきしょうもっかんぼ)が5基みつかっています。


【並んで見つかった礫床木棺墓】

 右の墓から管玉(くだたま)20点がまとまって出土しました。


【墓などから出土した管玉】

 小さな礫床木棺墓からは石製首飾りの管玉が20点まとまって出土しました。

【次年度に向けて】

 今年度台風による千曲川の氾らんの影響等で調査を延期した部分で発掘作業を

 予定しています。引き続きご協力よろしくお願いします。

 

南大原遺跡

2019年7月16日

南大原遺跡 2019年度 発掘調査情報(2)

【調査開始から4か月】

調査開始から、この7月ではや4か月が経過しました。お陰さまで調査は順調に進んでいます。遺跡からは今から約2,000年前の弥生時代の集落跡が発見され、当時のさまざまな生活道具が出土しています。


【南西上空からみた調査遺跡】

梅雨の合間を縫って、6月25日にドローンで空中撮影を行いました。写真で見る通り、今の千曲川は遺跡の左(西)側を流れていますが、明治維新さなかの明治3~5(1870~1872)年、洪水に苦しめられていた地元農民による「瀬替え工事」によって直流化されたことによるものです。工事以前の千曲川は、大きく蛇行して遺跡の右側を流れていました。旧千曲川の痕跡は水田地帯となって今も残っています。弥生集落が営まれた頃も遺跡の右側を流れていたようです。

【深さ2.2mの谷地形】

谷の堆積土内から弥生土器が出土しています。千曲川のはんらんによってできた谷に土器が捨てられたのではないかと考えています。 


【真上からみた調査遺跡】

遺跡上空から撮影した垂直写真です。黄色い部分が竪穴建物跡です。自然堤防上の水はけのよい好立地を選んで集落がつくられています。過去の調査成果によって、8月から調査を進める東側部分にも集落跡が続くことがわかっています。


【土器等が大量に出土した竪穴建物跡】

土器は完全な形をとどめていないものが大半で、まとめて廃棄した状況と推測されます。


【弥生の鉄製品出土!】

弥生時代中期の竪穴建物跡から出土しました。長さ4.8cm。ずっしりとした重量感があります。2,000年前の鉄製品は貴重な出土例です。


【弥生の逸品 赤い鉢】

表面を赤彩し丁寧に磨き上げた鉢形の素焼き土器です。ほぼ無傷の状態で竪穴建物内から出土しました。食べ物を盛り付けていたのでしょうか。

★★★出土品を展示公開します★★★

今回紹介した出土品や写真パネルを、8月から長野市篠ノ井の県埋蔵文化財センター展示室にて公開しています。近くにお立ち寄りの際、お気軽にご覧ください。展示解説も行います。8月からこれまでプレハブ・駐車場のあった場所の調査を開始します。
より大きな成果が期待されます。今後ともご理解、ご協力をお願いします。(発掘現場を見学する場合は、担当者にお声掛けください。)


センター展示室のご案内

住    所 長野市篠ノ井布施高田963-4

公開日・時間 月~金曜日 午前9時~午後5時

      (年末年始、祝休日、8/13-15、展示替期間中を除く)

 

南大原遺跡

2019年6月7日

南大原遺跡 2019年度発掘調査情報(1)

4月から発掘調査を開始しました。調査地点は中野市上今井、千曲川に架かる上今井橋の中野市街地側たもとです。調査前はサクランボ畑でした。交通量が多い県道三水中野線を千曲川の水害に強い道路に改築する工事に先立って、遺跡の発掘調査を実施しています。期間は4月から11月を予定しています。

【これまでの調査】(2016年刊行報告書より)

 南大原遺跡は、1950(昭和25)年から2013年(平成25)年まで4次の発掘調査がありました。1次調査で出土した縄文土器は南大原式と命名され、2次から4次調査では弥生から古墳時代の礫床木棺墓(れきしょうもっかんぼ)や方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)も見つかっています。なかでも4次調査では、今からおよそ2千年前の弥生時代中期後半から後期前半の集落跡が見つかり、多くの土器が出土しました。

【弥生時代の鉄器製作遺跡か

 2011~2013年の調査では、県内で類例の少ない弥生時代中期の鉄斧(てっぷ)が出土しています。


【弥生時代中期後半期の石器出土】

弥生時代中期後半期の竪穴(たてあな)住居跡から煮炊きに使用する炉跡とは別の火床を確認し、台石・敲石(たたきいし)・砥石、粘土塊(かい)などが出土しています。こうした状況から、住居内で石製の道具類を使った鍛冶(かじ)(鉄製品の加工)が行われていた可能性を指摘しています。弥生時代中期の集落での鍛冶は、全国的に見ても古い段階に位置づけられます。

 今回の調査では、北信濃の弥生における鉄加工技術の実態をとらえることが大きな目的の一つです。

【写真で見る様々な作業

ここでは、発掘調査の様々な作業を、写真の一コマ一コマで紹介します。

 

【重機による表土掘削】

畑の耕作土等はあらかじめ重機で掘削します。地形の起伏に合わせて除去するため、豊富な経験と高い技術をもったオペレーターの腕の見せ所です。

【測量用杭の設置】

調査区内に杭を打ち込みます。この杭は、遺構や遺物の客観的な位置を共有できる測量をするための基準になり、国家座標値をもつ精度の高いものです。

【遺構の検出作業】

作業員が横一列に並び、地面を両刃(りょうば)鎌で丁寧に削っていきます。薄茶色の地面に対し、直径5mほどの黒い円形の土が浮かび上がってきました。どうやら、ここには竪穴住居跡があるようです。調査研究員がクギで薄茶色の土と黒色土との境に線を引いています。

【住居跡埋土(まいど)の掘り下げ】

検出作業で見つけた円形の黒色土(竪穴住居跡の中に埋まった土)を掘り下げていきます。この時、埋土から見つかる遺物は出土状態を記録するまで、残しながら掘り進めます。

【図面の作成】

住居跡の埋まり方や遺物の出土状態、住居跡の形状等を図面用紙に記録していきます。直射日光の下、ミリ単位の作業が求められます。

【掘り出されたばかりの文化財】

竪穴住居跡の床近くで複数の土器が出土しました。およそ2千年前の弥生時代人が生活に使った甕(かめ)や壺(つぼ)です。博物館では見られない「掘り出されたばかりの文化財」です。

発掘作業が終わると、まもなく道路工事が始まり、遺跡は失われてしまいます。およそ2千年前の弥生人が残した生々しい暮らしの跡をご覧いただけるのは、今しかありません。遺跡見学はいつでも可能ですので、農作業などの合間に、ぜひ発掘現場にお立ち寄りいただき、声をかけてください。

 発掘作業は11月までの長丁場です。これからも、弥生人が残した土器や石器などの遺物を丁寧に取り上げていく作業を続けていきます。地元の皆様には、引き続きご協力をお願いします。

南大原遺跡

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