<令和6年度の発掘作業が始まりました>
令和4年度に始まった発掘調査も今年度で3年目になります。
今年度の調査では、これまでにみつかっている古代集落の広がりと、継続時期を把握すること、昨年度あらたにみつかった中世面の広がりが確認されることを期待しています。
<昨年度の調査成果>
昨年度の調査では古代の竪穴建物跡16軒、掘立柱建物跡1軒などがみつかり、令和4年度に集落の南限と想定した範囲よりもさらに南へ集落が広がることがわかりました。

調査区の南西でみつかった竪穴建物跡(SB39)からは、炭化した木材や焼けた土が一面に広がって出土しました。また、建物の壁も焼けて赤くなっていることから、この建物は焼失した住居と考えられます。

また、調査区南端では火葬施設が3基みつかりました。いずれも内部から焼けた土や炭化した木材、焼けた人骨のほか、銭貨が10枚出土しました。そのうちの1枚は「洪武通宝」(初鋳1368年)と判別することができました。このことから、これらの火葬施設は室町時代以降のものと推定しています。











































【古墳の周溝を発見】


SB3とした竪穴建物跡から、土師器と呼ばれる土器が大量に出土しました。器種は坏・埦・高坏などの食器や供膳具、煮沸具の甕、貯蔵具の壺などがあります。また、少量ですが須恵器も出土しました。
SB3では、カマドが2基確認され、作り直しがされたようです。新しく作られたカマドは、天井石をはずしてカマド前方に置き、その上に半分に割った甕を片方は内側を下に向け、もう片方は内側を上に向けた状態で出土しました。カマド廃棄時の祭祀の痕跡かもしれません。

古墳時代~平安時代後期以前の、洪水による砂層に覆われた二時期の水田跡が見つかりました。二時期ともに1枚100㎡未満の小区画で、少ない労力で田面を平らにし、水を均等にいきわたらせるよう工夫していたようです。
調査区西側の流路跡から古墳時代の土師器、須恵器、板状の木材などが出土しました。



