Research調査情報

2025年9月22日

川田条里遺跡 2025年度発掘調査情報(5)

【新しい調査区の発掘調査が始まりました!】

 7月下旬から市道町川田大門線北側でT12調査区の発掘調査が始まりました。現在は中世と想定される面の調査を行っています。

 T12調査区の西側に隣接する旧川田保育園(現:認定こども園川田)建設時の調査では、川田氏館跡との関連が想定される建物の跡や、たくさんの穴がみつかっています。

T12調査区調査の様子(北東から)

 

【穴だらけ!これって建物の跡?】

 T12調査区からも建物の柱穴を含むたくさんの穴がみつかりました。

 一見まとまりなく見えるこれらの穴も、穴の大きさや、穴と穴との間隔などを分析することによって、当時の建物の柱の位置や、上部の構造を推定することができます。

 建物の規模を表すときには、柱と柱の間を「間」と表現します。

 T12調査区では、東西3間×南北2間の建物や、東西2間×南北2間の建物と想定される痕跡がみつかっています。

東西3間×南北2間の建物跡

東西2間×南北2間の建物跡

 

【東海地方から搬入された中世の陶器】

 T12調査区からは、中世と想定される尾張(愛知県西部)周辺の窯で焼かれた山茶碗や、美濃中津川(岐阜県中津川市)周辺の窯で焼かれた陶器の甕がみつかりました。

 山茶碗は、釉薬を使わずに焼き上げられた陶器です。生産地である東海地方を中心に中部地方にも広く分布する遺物です。長野市内の遺跡でもみつかっており、日常雑器として消費されたと考えられています。

 中津川の窯で作られた陶器は、生産地周辺から信濃にかけて多くみつかっている遺物です。北信地域では、栗田城跡・尾張城跡(ともに長野市)、東條遺跡(千曲市)など有力者の居館などに関連する遺跡でみつかっています。本遺跡も川田氏館跡に隣接しており、地域の有力者との関連を考えさせる遺物です。

 

尾張周辺で焼かれた山茶碗

 

中津川の窯で焼かれた陶器(甕)

 

 

【現場公開】

 現在、T12調査区は1次面(中世面)の調査を終え、さらに下の面の調査を行っています。遺構数も増加し調査は佳境を迎えています。

 また、地元の皆さんにはすでに回覧いたしましたが、10月1日(水)と2日(木)の両日、午後1時30分から3時まで発掘調査現場の公開を行います。平日ではありますが、ぜひお越しください!

 

川田条里遺跡発掘だより2025年度第5号(PDF: 711KB)

北信,川田条里遺跡,調査情報

2025年9月19日

正泉寺遺跡2025年度発掘調査情報(3)

【夏の発掘作業進行中】

 9月に入り多少涼しい風が吹くようになりましたが、8月は連日、熱中症警戒アラートが発令され、飯田市も猛暑日が続いていました。屋外での発掘調査だけでなく、暑さ対策として土器の洗浄も行いながら作業を進めました。

 

【7区の調査のようす】

 7区の調査を継続中です。平安時代の竪穴建物跡が40軒以上みつかっています。すでに調査が終了した4区以上に竪穴建物跡の重なりが激しくなっており、調査区のどこを掘っても遺構がみつかる状況が続いています。また、直径50~60cmほどの円形の土坑を数基検出しました。掘立柱建物跡の柱穴の可能性も考えられます。

 

竪穴建物跡につくられたカマド

このカマドには支脚石、袖石が残っていて、土器が多く出土しました。石を芯としてやや粘りのある黄色の土で作られたカマドの構造を観察することができます。カマドの中は橙色に土が焼けていて、火が焚かれた部分がはっきりとわかります。

 

インターンシップ生の発掘調査の参加

大学生、大学院生が発掘調査に参加しています。大学の授業で学んだことと、現場で実際に体験することは様々なギャップや新発見があるようです。

2週間ほどの期間ですが実りのある経験になるといいですね。

 

竪穴建物が重なってみつかったようす

竪穴建物が3軒重複してほぼ同じ場所に建てられていました。

当時の人々は同じ場所に長い時間居住していたのでしょうか。

青→黄→赤(11世紀ごろ)の順に新しくなっています。

 

正泉寺遺跡発掘だより2025年度第8号(PDF:893KB)

※号数は調査開始時からの通算

南信,正泉寺遺跡,調査情報

2025年9月16日

安塚古墳群 2025年度発掘調査情報(3)

【後光のような光景】

 4月からの発掘調査が続いています。一日の調査が終わり、暑さが和らいだ夕方に北アルプス方向を臨むと、雲の隙間から太陽の光が放射状に広がる幻想的な風景がみえます。仏や菩薩が発する光である「後光」が差すような光景です。

 安塚古墳群の発掘調査を見守っている仏や菩薩が、一日の調査を労っているように感じられます。

後光のような光景

【お堂?のまわりには】

 現在は、おもに中世の遺構を調査しています。プレハブ近くの調査区には、中世(16世紀)の礎石建物跡があります。お堂と考えられるこの礎石建物跡のまわりには、遺体を火葬した穴(以下、「火葬遺構」と呼称)が7基発見されました。火葬遺構からは、銭貨や火葬骨、焼土、炭化材が出土しました。また、礎石建物跡からは、撒かれたような状態で火葬骨と炭化物がみつかっているため、納骨に関わるお堂(墳墓堂)と推測しています。

 今後の調査では、礎石建物跡の性格解明と、礎石建物跡と火葬遺構との関係を明らかにする予定です。

お堂と考えられる礎石建物跡と火葬遺構(南から臨む)赤丸:火葬遺構

 

【火葬遺構の姿】

 発見された火葬遺構は、平面が長方形で、規模は長辺約1~1.2m、短辺約0.6~0.8mです。火葬遺構の中央西側には突出した場所があり、火葬の煙を出す施設と考えられます。突出部は西側にあり、中には長さ約1mに達するものがあります。安塚古墳群では乗鞍方面からの強い西風が吹くため、強い西風を受ける側に煙出しを設けることで火葬の効率を上げたものと推測されます。

 火葬遺構からは多くの炭化材が出土しました。炭化材には板材・角材・丸太材があり、それらの材は棺や火葬で燃やした木材や火葬遺構の上に渡した木材であったと思われます。また、火葬遺構の底からは、棺を置くための「棺台」の石が2列に並び発見されました。底近くにある棺台付近からは、やや大きい火葬骨と銭貨が出土したため、火葬した遺体が遺構の底に落ちたものと思われます。

 安塚古墳群の火葬遺構は遺物の残りが良く、出土遺物から穴のなかで遺体を火葬した方法がわかりました。

火葬遺構の精査(SK1053)

火葬遺構の掘り下げ(SK1067)

炭化材の精査(SK1071)

棺台の近くから出土した銭貨と火葬骨、炭化材(SK1052)

 

引用・参考文献

狹川真一2011『中世墓の考古学』高志書院

関口慶久2006「墳墓堂」『季刊考古学』第97号

「特集中世寺院の多様性」雄山閣

中野豈任1988『忘れられた霊場』平凡社

 

安塚古墳群発掘だより2025年度第3号(PDF: 905KB)

中信,安塚古墳群,調査情報

2025年9月5日

南大原遺跡 2025年度発掘調査情報(5)

【令和7年度の南大原遺跡の発掘調査、後半戦がはじまりました】

 8月末で北大原地区の調査が終了し、舞台地区に2班が合流し、南大原地区と同時並行で調査を進めています。調査区域内には危険な場所もありますので、許可なく立ち入らないようお願いします。発掘の見学を希望される方は、事前にご連絡ください。

 今後、南大原地区では、9月27日(土)に現地説明会を開催する予定です。また、10月1日(水)には、高丘小学校6年生の体験発掘を受け入れる予定です。皆さまのご理解とご協力をお願い申し上げます。

南大原遺跡空中写真(北東から)

 

【南大原地区の調査成果について】

 南大原地区は、弥生時代中期後半から古墳時代、奈良・平安時代の竪穴建物跡が見つかっています。他の2地区の竪穴建物跡は平安時代に限定されているのに対して、南大原地区は長期にわたり居住に好適地であったと考えられます。現在は、古墳時代~奈良・平安時代の竪穴建物跡の調査を中心に行っています。

 下の写真は須恵器の坏が5枚重なって出土したもので、下2枚の坏には墨で字が書かれていました。墨書土器と言いますが、南大原遺跡では初めての出土となります。

南大原SB127須恵器坏出土状況(8世紀代)

南大原SB127 5枚重ねの下2枚に墨書

 

 下の写真は、竪穴建物跡に付随するカマドです。SB136は煙り出しの穴がトンネル状に確認され、SB142では、カマドに掛けた土師器の甕を支える支脚石が確認されました。

南大原SB136カマド(8世紀末~9世紀初)

南大原SB142カマド(9世紀前半)

 

【北大原地区の調査成果について】

 7月16・17日の現地公開で竪穴建物跡の細部についてご覧いただいた方もいらっしゃると思いますが、全体的にみると下の写真のように2間×2間の総柱建物跡を中心に、東側に4軒、西側に4軒の竪穴建物跡が分布します。西側の4軒は現市道側まで延びています。いずれも重複しており、これは1軒ずつ4時期に渡り建て替えられていたことを示しています。一方、東側の4軒は重複することもなく最大で4軒同時存在したことが考えられます。また、SB2・3はカマドを造り替えており、長い期間、使用されていたと想定されます。今後、出土した土器等を分析して、竪穴建物跡の時期を特定できればと考えています。今後の整理作業に乞うご期待です。

北大原地区 空中写真(南から)

 

【舞台地区の調査成果について】

 舞台地区全体で50軒以上の竪穴建物跡が検出されました。いずれも9世紀末から10世紀代に限定されそうです。北大原地区から続く河岸段丘上の高まりを居住地として集住し、その後、短期間に移動してしまい、遺跡としては近世まで空白地帯になってしまう様子が想像されます。竪穴建物跡の調査では、希少品である緑釉陶器や鉄製品が出土し、さらに12m×10m程の巨大な竪穴建物跡も見つかっております。リーダー的な存在を持つ裕福な集団であった可能性があります。また、木棺墓が検出され、どんな副葬品が出土するか楽しみです。この地区につきましては、 11月に現地説明会を開催する予定です。詳細につきましては後日回覧させていただきます。

舞台西SB13カマド(10世紀代)

舞台西SB19から出土した緑釉陶器

 

南大原遺跡発掘だより2025年度第5号(PDF: 873KB)

北信,南大原遺跡,調査情報

2025年8月15日

川田条里遺跡 2025年度発掘調査情報(4)

【古墳時代から奈良時代と推測される水田跡がみつかりました!!】

 市道町川田大門線南側のT14・T15調査区の発掘調査が完了しました。

 地表面から約130cmほど下で古墳時代から奈良時代と思われる水田の畦畔がみつかっています。また、T14調査区では畦畔に沿って長さ100cm程度の杭が打ち込まれていました。T15調査区内の一角では畦畔が不明瞭となります。過去の上信越自動車道部分の調査では、T15調査区付近で水田が確認されなくなることが分かっており、今回の調査成果と一致しています。周辺環境の復元については、今後科学分析による検討を行います。

壁面で確認された畦畔の盛り上がり(T15調査区)

古墳時代から奈良時代の水田の畦畔(T14調査区)

古墳時代から奈良時代の水田の畦畔(T15調査区)

畦畔に伴う木杭(T14調査区)

畦畔に伴う木材(T15調査区)

 

【水田で出土した遺物】

 水田面での遺物の量は少ないですが、古墳時代の土器(土師器)などが出土しています。

 土師器は甕(煮炊きに用いる土器)の割合が多いです

古墳時代の土器(T15調査区)

 

【これからの調査の予定】

 7月下旬から市道町川田大門線北側のT12調査区の調査を実施しています。隣接するこども園の調査では、中世の居館跡である川田氏館跡に関連する遺構が確認されており、T12調査区でも多くの発見があるものと期待されます。新たな調査成果は今後の発掘だよりでお知らせします。

T12調査区の調査

 

川田条里遺跡発掘だより2025年度第4号(PDF: 1059KB)

北信,川田条里遺跡,調査情報

2025年8月5日

南大原遺跡 2025年度発掘調査情報(4)

【北大原地区-現地公開開催】

 7月16日・17日の2日間にわたり、上今井遊水池整備事業に関わる現地公開が、国土交通省と長野県埋蔵文化財センター協同で開催されました。発掘調査現場の公開は、北大原地区を対象として行われ、実際に調査地区内に入り、調査の状況を見学していただきました。その後、出土した土器や鉄器・石器などを見ていただきました。

 2日間で計36名の参加があり、地元の方に「南大原遺跡」の存在を知っていただく絶好の機会となりました。中には、「発掘調査に参加したい」との声も寄せられ、うれしい限りです。この機会に、遺跡に興味を持っていただければと思います。

 また、この様子が7月17日付『信濃毎日新聞』と同25日付『北信ローカル』にも紹介されました。

現地公開の様子

 

【竪穴建物跡次々明らかに-舞台西地区-】

 舞台西地区では、調査が進むにつれて竪穴建物跡が次々と明らかになってきています。7月末現在で、27棟を数えます。いずれも、平安時代の建物と思われます。

 竪穴建物跡のなかには、カマドのみしか残っていないものもあります。一方、大変良好な状態で、当時の姿をとどめている竪穴建物跡も明らかとなっています。

竪穴建物が明らかになりつつある舞台西地区

 

【奈良時代の竪穴建物跡発見-南大原地区-】

 南大原地区では約40棟の竪穴建物跡がみつかり、順次調査を進めています。そのなかの1棟は、奈良時代の竪穴建物跡であることが明らかとなってきました。

 令和5年度から南大原遺跡の調査を進めてきていますが、奈良時代の竪穴建物跡の発見は今回が初めてとなります。これで南大原遺跡は、奈良時代から平安時代後期まで続く集落跡であったことがわかり、大きな成果といえます。調査が進むにつれて、より具体的な成果が得られるものと思われます。

奈良時代の竪穴建物跡

 

【南大原遺跡の熱中症対策新聞に掲載されました】

 南大原遺跡に関しまして、県下各地の熱中症対策の実施状況の一例として、7月9日付『信濃毎日新聞」に掲載されました。今後も、熱中症対策に万全を期し、調査を進めていきたいと思います。

南大原遺跡発掘だより2025年度第4号(PDF: 637KB)

北信,南大原遺跡,調査情報

2025年7月18日

正泉寺遺跡2025年度発掘調査情報(2)

【暑い中での発掘調査が進んでいます!】

 4月から始まった発掘調査も3ヶ月がたちました。東海では梅雨も明け、飯田でも急激に気温が上昇しはじめました。熱中症に注意しながら調査を進めています。現在まで4区と8区の調査が終了し、7区の調査を行っています。たくさん昔の生活跡がみつかっていますので、各区の調査状況をお伝えします。

正泉寺遺跡 R7年度調査区

 

【4区の調査のようす】

 4区では平安時代と思われる竪穴建物跡が5軒、土坑が25基みつかりました。6軒の竪穴建物跡は重なり合ってみつかりました。下の写真中央にその様子が確認できます。同じ場所で複数の世代にわたって生活を営んでいたのでしょうか。一方水色で示した範囲では、平安時代以降の氾濫によって地面が削られたり、土砂が堆積した様子や、後世のかく乱の様子がわかりました。

4区全体写真(北西より撮影)

 

【7区の調査のようす】

 6月から開始し、現在平安時代の竪穴建物跡を約10軒を調査中です。カマド跡の残存状況がよい建物跡や完形の土器が出土した建物跡がみつかっています。

 

竪穴建物跡(SB83)のカマド

北西の壁面の中央にカマドの跡が確認されました。カマド周辺からはカマドを構築する40cmほどの石や、ほぼ完全な形の土器が多く出土しました。

 

竪穴建物跡(SB84)出土の土器

竪穴建物跡のコーナー付近の床面から、完全な形の耳皿や小形の皿がまとまって出土しました。遺物から11世紀の遺構と考えられます。正泉寺遺跡では初めての発見です。

 

正泉寺遺跡発掘だより2025年度第7号(PDF:950KB)

※号数は調査開始時からの通算

 

南信,正泉寺遺跡,調査情報

2025年7月16日

川田条里遺跡 2025年度発掘調査情報(3)

【中世の溝跡とそれに沿う2本の杭列がみつかりました】

 市道町川田大門線南側の15T調査区で、幅約3m、深さ約40cmの中世(鎌倉時代~室町時代)の溝跡がみつかりました。

 この溝跡はほぼ東西に走っており、東から西へ向かって傾斜しています。

 また、溝跡の南側には、2本の杭列もみつかりました。中には打ち込みやすいように先端を加工したものも含まれ(写真下)、深さ1m以上まで刺さっているものもあります。今から500年以上前の人が削った痕だと考えるとワクワクします。

 この溝跡は、川田小学校を中心に広がる川田氏館跡に関連する可能性があります。

15Tでみつかった中世の溝跡(真上から)

15T 溝に沿って並ぶ杭列

(杭を取り上げるために手前を掘り下げてあります)

打ち込みやすいように加工された杭の先端

 

【今年の調査で出土した遺物より】

 羽口は、鉄などを溶かす鍛冶作業に使われる道具の一つで、鞴(風を送る装置)から炉の中に風を送る土製の管で、真ん中に空気が通る穴があります。炉に近い部分は、高熱で変色したり、鉄などが付着することがあります。

(参考) 千曲市清水製鉄遺跡出土 羽口

(長野県埋蔵文化財センター1997『清水製鉄遺跡』)

(参考)鍛冶作業の模式図

(作図:長野県埋蔵文化財センター 佐久市洞源遺跡現地説明会資料より)

 

 川田条里遺跡では、過去に川田保育園(現認定こども園川田)の改築工事に伴う発掘調査で、羽口など鍛冶作業に関わる遺物が出土し、川田氏館跡周辺で、鍛冶作業などの生産活動が活発に行われていたと推定されました。

 出土した羽口は、生産活動がより広い範囲で行われていたことを示す注目の遺物です。

 

【これからの調査の予定】

 市道南側の調査区では、中世の調査が終了し、その下の水田調査を行っています。現在は、奈良時代頃と推定される水田の姿が見え始めてきました。

 地元の皆様方に、今年の調査成果を見ていただく機会も、今後計画していきたいと考えています。

 

川田条里遺跡発掘だより2025年度第3号(PDF: 853KB)

 

北信,川田条里遺跡,調査情報

2025年7月5日

南大原遺跡 2025年度発掘調査情報(3)

【3つの顔をもつ調査区-①舞台西、②北大原、③南大原-】

 本年度は北西の①舞台西地区、②北大原(舞台東)地区、南東の③南大原地区の3つの調査区で発掘調査を進めています。いずれの地区も同じ南大原遺跡となっていますが、丘となっているリンゴ畑をはさんで西側と東側とにわかれ①舞台西から③南大原の距離は実走で1.4㎞近く離れています。また、標高はおよそ328~333mの間にあります。このため、各地区で遺跡の様相が大きく異なります。

 1つの遺跡でも3つの顔を持っているとでも言えるのではないでしょうか。それでは、南大原遺跡の3つの顔を1つずつ見ていきましょう。

南大原遺跡 全景空中写真(西から)

 

【深いところに平安時代が… -①舞台西地区-】

 今回の調査で最も西にある舞台西地区では、地表面から1.5mよりも深いところで平安時代(今からおよそ1,100年前)の集落がみつかりました。集落の中心は地面を四角く掘って作った複数の竪穴建物跡からなります。まだ竪穴建物跡の調査は始まったばかりですが、石組のカマドが良好に残り、真っ赤な焼土がみられます。このような保存状態の良さは、その後の千曲川による洪水堆積が厚かったので、後世の人為的な改変が及ばなかったためなのでしょう。早く全容を見てみたいものです。

舞台西地区 平安時代の竪穴建物跡調査風景と焼土検出状況

 

【平安時代の“ヒルズ”!?公開-②北大原地区-】

 一方、舞台西地区の東側にあたる北大原地区では、地表面からおよそ30㎝下と浅いところから平安時代の集落がみつかっています。この集落も舞台西地区と同様に竪穴建物跡を中心とし、同時期とみられます。

 竪穴建物跡からはカマド以外に柱穴、敲きしめられた床、割れていない土器など当時の生活を考える手がかりが多くみつかっています。

 北大原地区は、すぐ東隣にあるリンゴ畑から続く高台に位置しており、いわば“ヒルズ”と言ったところでしょうか。

 なお、北大原地区では7月16日(水)・17日(木)の2日間(10時~11時20分、13時30分~14時50分)で現地公開を行います。生の発掘調査の状況を職員の解説つきで見ることができます。ぜひ、ご参加ください。集合場所は南大原遺跡拠点プレハブとなります。当日は各所に案内看板が出ます。

北大原地区 平安時代の竪穴建物跡 調査風景

 

【弥生時代から平安時代まで大集合-③南大原地区-】

 南大原地区は、今回の調査区で最も東側にあり、昨年度調査区の南側にあたります。

 こちらの地区も北大原同様に高台にあり、地表面から浅いところから建物跡やお墓などたくさんの集落の形跡がみつかっています。その密度はほかの2地区をはるかに超えています。しかも平安時代だけでなく、弥生時代(およそ2,000年前) 、古墳時代(およそ1,700年前)など複数の時期のものが重なってみつかっています。このことから、南大原地区は、洪水の影響があまりない安定した土地で、連綿と人が住み続けられたのでしょうか。南大原遺跡の中心であったのかもしれません。

南大原地区 弥生~平安時代の竪穴建物跡調査風景

昨年度調査 南大原地区 

弥生時代の玉作製品(穴をあける道具)※1目盛りは1mm

 

 

南大原遺跡発掘だより2025年度第3号(PDF: 1024KB)

北信,南大原遺跡,調査情報

2025年6月18日

高屋遺跡2025年度発掘調査情報(1)

【高屋遺跡の発掘調査が始まりました】

 長野県埋蔵文化財センターは、国道153号の道路改築事業に先立ち、令和4年度から飯田市高屋遺跡(上郷別府)の記録保存を目的とする発掘調査を実施しています。今年度も4月から作業を開始し。調査は11月末まで実施する予定です。

 高屋遺跡は天竜川右岸の低位段丘上(下段)に立地しています。高屋遺跡の周囲には薮越遺跡や溝口の塚古墳、宮垣外遺跡、国指定史跡の飯沼天神塚(雲彩寺)古墳があります。また、『高屋』の交差点付近には番神塚古墳があったとされています。

遺跡の位置(地理院地図に加筆)

 

 高屋遺跡はこれまで平成8(1996)年から平成11(1999)年にかけて飯田市教育委員会が「高屋」の交差点付近を、令和4(2022)年と令和5(2023)年に当センターが国道153号沿いの調査を行いました。

 令和4・5年の調査では、古墳時代~奈良・平安時代の竪穴建物跡7軒、土坑186基、奈良・平安時代の掘立柱建物跡3棟、弥生時代~奈良・平安時代の溝跡・流路跡が10条みつかりました。また、弥生時代の方形周溝墓とみられる溝跡もみつかっています。

 今年の調査は令和5年度に調査した地区のさらに南側、「高屋」の交差点の北側を調査します。

今年の調査地区の位置

 

【流路跡(SD06)の調査】

今年度調査区の様子

 

 令和5年の調査でみつかった流路跡(SD06)では、多くの土器が出土しました。その中には墨書のある灰釉陶器や、刻書のある須恵器も出土しました。

 このSD06は南北方向に流れており、今年度の調査区にも続いていました。そして、「高屋」の交差点に向かって続いていくと考えられます。平成8~11年の飯田市教育委員会の調査でも、流路跡がみつかっており、SD06とつながる可能性があります。

 今年度の調査では、流路跡から弥生土器の壺や、土師器の甕、土製の勾玉が出土しています。

弥生土器の出土状況

土製勾玉の出土状況

 

高屋遺跡発掘だより2025年度第3号(PDF:865KB)

※号数は調査開始時からの通算

南信,調査情報,高屋遺跡

2025年6月15日

川田条里遺跡 2025年度発掘調査情報(2)

【川田条里遺跡の発掘調査を行っています】

 川田条里遺跡の発掘調査の開始から約1か月が経過しました。現在、市道町川田大門線南側の14T・15T調査区の発掘を行っています。これまでの調査では、地表面から約80cmほど下で中世(鎌倉時代~室町時代)の遺構が確認されています。調査区に隣接する川田小学校の周辺は、中世の居館跡である川田氏館跡として周知の埋蔵文化財包蔵地に登録されており、今回の調査でみつかった遺構は、館跡に関連する遺構である可能性があります。

上空から見た発掘調査現場(南から)

 

【中世の建物跡を発見!鍛冶工房か?】

 14T調査区では、中世の掘立柱建物跡、溝跡などがみつかっています。そのうち1棟の掘立柱建物跡では、鉄片や、鉄を溶かすために使う坩堝片などが出土しており、鍛冶等を行う工房あったと考えられます。

14T 中世の遺構面

 

 また、調査区内ではかわらけ(小皿)や内耳鍋などといった地元産の土器や、白磁、青磁などといった輸入陶磁器が出土しています。

 さらに、中世の掘立柱建物跡付近を少し掘り下げたところ、鍛冶に関わる遺構がみつかりました。遺構は石を組んで築かれ、内部には炭混じりの土が堆積しています。

 周辺では鉄滓(鍛冶を行う際に出る鉄くず)が出土しており、14T調査区の付近には、中世の鍛冶関連の作業を行う空間が広がっていた可能性が高いと考えられます。

鍛冶関連遺構

 

【東西に走る中世の溝跡を発見】

 15T調査区では、中世の溝跡がみつかっています。溝の規模は幅約3m、深さ約40cm程度で、溝の南側に沿う木杭の列を確認しました。この溝より南側では遺構が検出されておらず、この溝は中世の遺構範囲の南限を示すものと考えられます。

中世の溝跡(西から)

溝跡に沿う木杭の列

 

【これからの調査の予定】

 現在の中世面の調査終了後、さらに下の古代面(古墳・奈良時代)の調査を行う予定です。過去の上信越自動車道部分の調査成果を踏まえると、14T・15T付近は古代の水田が一面に広がっていたと思われ、14Tでは、古代水田の畦畔を構築する木材が一部確認されています。新たな調査成果は改めてお知らせします。古代面では一体どのような発見があるのか、乞うご期待です。

14Tで確認された古代の木材

 

川田条里遺跡発掘だより2025年度第2号(PDF: 1259KB)

 

北信,川田条里遺跡,調査情報

2025年6月5日

南大原遺跡 2025年度発掘調査情報(2)

【遺跡の姿が見えてきました!】

 5月1日から令和7年度の発掘調査を始めました。

 表土の掘削により、弥生時代、平安時代の竪穴建物跡などがみつかっています。

 遺物は、弥生土器、平安時代の土師器、須恵器が出土しています。

 遺物の種類は、生活に必要な、食器や水を貯めておく甕かめの破片が見つかっています。

 そのなかでも、金属を砥とぐための砥石といしが注目されます。

 昨年度の調査で弥生時代の金属加工の工房跡がみつかっているため、今年の調査でも、工房や職人たちの建物跡がみつかるかもしれません。確認された遺構をこれから、人の手で本格的に掘り下げていきます!

発掘調査風景(南大原調査区)

表土掘削でみつかった遺物(南大原調査区)

出土した砥石(南大原調査区)

 

【弥生時代の建物跡】

 左の写真は弥生時代の竪穴建物跡の発見状況です。弥生時代の竪穴建物跡は、丸い形をしているのに対し、平安時代の竪穴建物跡は正方形に近い形をしています。

 昨年度の調査では、弥生時代中期の石器製作工房跡や管玉製作工房跡と考えられる特殊な遺構や遺物がみつかっています。

 今後どれだけの数になるか、わかりませんが特殊な遺構に注意しながら調査を続けていきます。

弥生時代の竪穴建物跡(南大原調査区)

 

【平安時代の建物跡】

 平安時代の建物跡は、一辺の長さが約4m50cmの正方形の形でみつかっています。

 昨年度の調査で、9世紀後半から10世紀ごろの平安時代の竪穴建物跡が7軒みつかっています。

 これらの竪穴建物跡は旧千曲川の流路方向と平行し建てられています。今年度も地形を意識しながらの調査をおこないます。

平安時代の竪穴建物跡(南大原調査区)

 

【番外編・南大原遺跡の展示】

 長野県埋蔵文化財センター(長野市篠ノ井)の展示室では、昨年度の調査でみつかった南大原遺跡の遺物が展示されています。他にも県内で発掘された遺物を展示しています。ぜひ、いらしてください!

埋蔵文化財センター展示室

 

南大原遺跡の遺物展示

 

【公開日:月~金(年末年始・祝日を除く)午前9時~午後5時・無料】

 

南大原遺跡発掘だより2025年度第2号(PDF: 733KB)

北信,南大原遺跡,調査情報

2025年6月5日

安塚古墳群 2025年度発掘調査情報(2)

【発掘を開始してから約1か月、今は?】

 5月に国土交通省が松本波田道路事業用地内の草刈りをおこなったことで、東京ドーム(グラウンド部分)の約1.5倍相当の21,000㎡に及ぶ安塚古墳群の広さが実感できるようになりました。

 発掘調査は、今年度調査範囲のなかでもっとも西側の地区でおこなっています。発掘を開始してから約1か月間の調査の結果、昨年度調査した古墳がつくられた時代とは違う中世の遺構・遺物が発見される成果があがっています。

広いグランドを彷彿させる事業用地

 

【礎石建物跡の発見、お堂か?】

 令和5年度に松本市教育委員会がおこなった試掘調査では、古墳の石室の一部の可能性が高い石列を発見し「第16号古墳」と仮称しました。今回、試掘で発見された石列のまわりを広げて精査したところ、地面よりやや高く方形に盛り上げた場所(以下、「マウンド状の高まり」と呼びます。)から扁平な河原石が複数みつかりました。この河原石は等間隔にならぶことから、礎石建物跡の「礎石」と考えられます。また、建物跡の内側は硬く叩き締められており、そこから中世の内耳鍋と銭貨、刀子が出土しました。礎石建物跡とマウンド状の高まりの時期や性格は、今後の調査で明らかにする予定です。発見された礎石建物跡は、各面が東・西・南・北方向を向くお堂と考えられ、松本市域での発見は珍しく、今後の調査が期待されます。

左:マウンド状の高まり 調査風景

(白色点線:現時点で想定される礎石建物跡のかたち)

右上:内耳鍋の出土状況

右下:3枚重なって出土した銭貨

 

【礎石建物跡は宗教・信仰的な建物か?】

 お堂と考えられる礎石建物跡では、叩き占めた面から焼けた骨や炭の細かな破片が多く出土しています。このことから、お堂は火葬骨の埋納に関係した建物であった可能性があります。今調査している場所は、考古学や墳墓研究でよばれている「葬地」であったと言えます。

骨と炭の出土状況

 

【火葬に関係した遺構を発見】

 現在の遺構検出作業中に、壁が真っ赤に焼け、内部には炭化物が多く埋まる穴が5基みつかりました。これらの穴からは、焼けた骨や銭貨が出土しています。松本波田道路改築に伴う真光寺遺跡と南栗遺跡の調査事例を参考にすると、これらの穴は他界した人を焼いた中世の「火葬施設」もしくは火葬骨を埋納した中世の「火葬墓」と考えられます。

左:火葬遺構の出土状況

右:銭貨と骨の出土状況(緑色:戦果、白色:骨)

 

 

参考文献

狭川真一編2007『墓と葬送の中世』高志書院

狭川真一著2011『中世墓の考古学』高志書院

 

安塚古墳群発掘だより2025年度第2号(PDF: 672KB)

 
 

中信,安塚古墳群,調査情報

2025年5月23日

川田条里遺跡 2025年度発掘調査情報(1)

【川田条里遺跡の発掘調査がはじまりました】

 4月30日(水)から、長野市若穂川田地区で川田条里遺跡の発掘調査をおこなっています。この調査は、(仮称)若穂スマートインターチェンジ整備事業に先立っておこなうもので、今年度の調査は11月中旬まで、調査は来年度まで続く予定です。調査は㈱島田組に発掘作業支援業務を委託して実施しています。

令和7年度の発掘調査予定地

 

 期間中、大型重機をはじめ、車両が出入りしますので十分ご注意ください。

 また、調査区域内には危険な場所もありますので、許可なく立ち入らないようお願いします。発掘の見学を希望する方は、事前にご連絡ください。皆さまのご理解とご協力をお願い申し上げます。

 

【川田条里遺跡ってどんな遺跡?】

 川田条里遺跡は、以前から何度か発掘調査がおこなわれています。過去の調査成果を振り返りながら、川田条里遺跡とはどんな遺跡なのか、ご紹介します。

 

【上信越自動車道建設時 2000年前から続く水田跡】

 1989~1990(平成元~2)年に長野県埋蔵文化財センターが上信越自動車建設事業に伴い発掘調査を実施し、弥生時代中期から近世まで各時期の水田跡が重なっていることを確認しました。

 特に古墳時代と奈良時代の小区画水田と、奈良・平安時代の条里型水田の発見は、全国的にも注目されました。

みつかった奈良時代の水田跡

 

 

【川田保育園改築時 室町時代館跡に関係する工作遺構を発見】

 1999(平成11)年、長野市教育委員会は、川田条里遺跡の範囲内に位置する川田氏館跡について、川田保育園(現、認定こども園川田)の改築工事に伴う発掘調査を実施し、15世紀後半の室町時代館跡に関係する工作遺構を発見しました。

 

【令和4年度調査 地層を抜き取って地下の水田を探る】

 地下の状態を知るために、重機を使って地表下4mまで鉄製の枠を打ち込む地層抜き取り調査(ジオスライサー掘削法)を、合計41地点で実施しました。

 その結果、今年度の調査区付近では、地表下4mまでの間に、古墳時代から奈良時代と考えられる水田面が少なくとも2面存在することがわかりました。

ジオスライサーの打ち込み作業

 

【令和5年度調査 鎌倉時代の建物跡や溝跡を発見】

 調査区周辺の現在の地形は平坦ですが、過去は西(川田小学校側)から東(高速道側)に向かって傾斜し、その傾斜地から鎌倉時代の建物跡や溝跡がみつかりました。

 みつかった建物跡は2棟で、その柱穴からは13世紀前半の鎌倉時代のカワラケ(小皿)が出土しています。また、これらの建物跡を取り囲むように溝跡がみつかったため、溝で区画された屋敷地であったと考えられます。

鎌倉時代の掘立柱建物跡

 

【さらにその下からは、古い畦畔の芯として使われた建築部材を発見】

 鎌倉時代の屋敷地のさらに約20cm下から水田跡がみつかり、その畦畔(あぜ)には建物の部材が芯材として再利用されていました。

 中には長さ4mにも及ぶ「造出柱」とよばれる高床建物に使う柱も使われていました。放射性炭素年代測定では今から約1500年前の古墳時代中期頃という結果が出ています。

 川田周辺に高床建物が立ち並ぶムラが存在していたことは間違いありません。

長さ4mの「造出柱」

 

 今年度の調査地点は、鎌倉時代の遺構と室町時代の遺構がみつかった、中間の部分にあたります。

どんな昔の川田の姿を見せてくれるのか。乞うご期待です。

 

川田条里遺跡発掘だより2025年度第1号(PDF: 809KB)

 

北信,川田条里遺跡,調査情報

2025年5月20日

正泉寺遺跡2025年度発掘調査情報(1)

【令和7年度の調査が始まりました】

 座光寺上郷道路の建設に伴い、昨年に引き続き、4月から今年度の発掘調査を開始しました。昨年度の調査区隣接地4区から県道市場桜町線までの間((~8区の調査面積4000㎡を行ないます。これまでの確認調査によって弥生時代から奈良・平安時代の竪穴建物跡や土坑が発見されているので、今年度の調査区でも多くの遺構や遺物がみつかると予想しています。

 近年、遺跡周辺では様々な公共事業に先立つ遺跡の発掘調査が進められています。土曽川が形成した微高地上に広がる正泉寺遺跡や五郎田遺跡、対岸のママ下遺跡では同じ時代の集落跡がみつかっていることから、今後これら集落のまとまりや移り変わりなどを明らかにしていきたいと考えています。

正泉寺遺跡 調査区 (R6年度撮影)

正泉寺遺跡周辺の遺跡 飯田市遺跡地図から

 

【4月の調査のようす】

遺構検出作業

重機を使って表土掘削を行った後、人力で土の表面を削り、土の違いから、土坑(穴)や竪穴建物跡などの遺構をみつけます。

 

遺構精査

8区の北東部分では、奈良・平安時代の竪穴建物跡2軒がみつかりました。後世のかく乱で壊されているため、全体の形状は明らかではありませんが、カマド跡が残っていました。

 

正泉寺遺跡発掘だより2025年度第6号(PDF: 1059KB)

※号数は調査開始時からの通算

南信,正泉寺遺跡,調査情報

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