【2022年度の発掘作業終了】
12月23日(金)に今年度の発掘作業が無事終了しました。近隣の方々をはじめ、発掘調査にご理解、ご協力をいただいた皆様に感謝申し上げます。
詳しい情報はこちら(西浦遺跡 発掘だより第3号 PDFデータ)
【溝に区画された古墳時代前期初頭の集落跡】
平行する溝跡や直交する溝跡を組み合わせて土地を区画し、区画内に溝跡と同じ軸方向の竪穴建物跡や掘立柱建物跡が造られていました。建物が区画内に整然と配置された古墳時代前期初頭(約1700年前)の集落景観が想像されます。
竪穴建物跡は、4本の柱を基本とし、土器埋設炉や間仕切り溝、鍛冶炉を想起させる強い熱を受けて硬化した炉跡を伴っています。
【古墳の周溝を発見】
調査地の東端から、古墳の周溝を発見しました。残存する周溝は、全体の1/4程度とみられ、直径約14mと推定する6~7世紀代の円墳であったと考えられます。周溝からはガラス製のまが玉や小玉、石製の管玉が出土しました。
【平安時代末期の竪穴建物跡から和鏡が出土】
平安時代末期(約1000年前)の竪穴建物跡から、青銅製の和鏡が出土しました。直径約8.4㎝でX線撮影を行ったところ、文様は不鮮明なものの、中央の丸い突起に紐を通す穴があることがわかりました。
古墳時代前期(約1600年前)の集落跡が明らかに
下図に示した遺構のうち、SB107・SM101を除いた遺構は、すべて古墳時代前期と考えています。この集落は「塀」などと考えられる溝跡(SD103~105)が同じ方向に構築され、竪穴建物跡(SB)や掘立柱建物跡(ST)も溝跡と方向が揃っています。集落の中で建物を建てる際に、何らかの規制や計画性があったことが考えられ、一般の集落とは異なることを印象付けます。
古墳の周溝からガラス製の勾玉と小玉が出土
ガラス製の勾玉・小玉は、首飾りを構成していた装飾品です。何らかの祭祀に伴い、古墳の周溝に埋納されたと考えられます。
和鏡が竪穴建物跡から出土しました
平安時代末期(11世紀後半)の竪穴建物跡から青銅製の和鏡が出土しました。古代の和鏡が発掘調査で出土するのは、飯田市内では初のことです。
和鏡は、直径約8.4㎝で、中央の丸い突起(紐)にひもを通す穴が確認できました。また、周縁に6か所等間隔に、内側に折り曲げたような細工が観察でき、六弁の輪花形(六花形)を指向していたのかもしれません。
西浦遺跡発掘だより№2(PDFデータ:756KB)
【発掘調査が始まりました】
6月13日(月)から、リニア中央新幹線建設に先立って、西浦遺跡の発掘調査をおこなっています。
場所は、天竜川右岸の飯田市上郷飯沼地区の、一段高い丘の上です。
調査は9月いっぱいまで予定しています。皆さまのご理解とご協力をお願い申し上げます。
【西浦遺跡ってどんな遺跡?】
西浦遺跡は、縄文・弥生・古墳・平安時代、中世・近世の集落跡・その他の墓とされており、遺跡の範囲は南北約400m、東西約250mと広範囲にわたります。
2019年の飯田市教育委員会による発掘調査では、弥生・古墳・平安時代の集落跡や、弥生時代の墓(方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)・円形周溝墓(えんけいしゅうこうぼ))、7世紀代の古墳=飯沼塚田古墳が発見され、テレビや新聞でも報道されました。
【調査成果】
これまでの調査で、竪穴建物跡6軒、溝跡2条、柱穴状の土坑約100基、そして古墳の周溝を1基発見しました。この古墳ですが、墳丘は平安時代の荘園開発に際して削平されたものと想像され、現在まで存在すら把握されていないものでした。残存する周溝は、全体の1/4程度とみられますが、古墳がこの地に築造されていたことは間違いありません。西浦遺跡周辺には、古墳時代の集落が多数存在しますが、それらの集落との関係性を探る上でも、重要な発見と考えています。
西浦遺跡発掘だより第1号(PDF:797KB)