Research調査情報

【調査情報】北信

2025年12月5日

南大原遺跡 2025年度発掘調査情報(8)

【舞台地区現地説明会開催】

 11月15日(土)に、舞台地区を対象とした現地説明会が行われました。当日は、天候にもめぐまれ、213人の参加がありました。

 説明会では、調査地内を実際に歩き、調査地の広さを実感していただくとともに、平安時代の60軒を超える竪穴建物跡や、唯一みつかった墓などを見ていただきました。なかでも、歯や人骨が残った墓や、復元されたカマドなどが注目を集めました。

 この他、事務所内では遺物の見学が行われ、八稜鏡や緑釉陶器・灰釉陶器といった、当時の有力者の存在を示す遺物などを見ていただきました。

現地見学の様子

現地見学の様子

遺物見学の様子

復元されたカマド

 

【最後の空中写真撮影-南大原地区-】

 南大原地区では、11月21日(金)にドローンによる全体写真の撮影を行いました。9月27日(土)の現地説明会以降に明らかとなった成果を対象としたものです。弥生時代の遺構が主な対象となりました。

南西上空から見た南大原地区

 

【調査は最終盤】

 舞台地区では、調査の終了に向け、詰めの調査を行いました。竪穴建物跡では、カマドを解体しながら、その構築過程を調べていきました。また、竪穴建物跡を構築した際の、床部分の整地状況を調べていきました。多くの建物では、竪穴掘削後、整地を行い床が整えられていることが明らかになりました。

 この他、人骨がみつかった墓については、歯と頭蓋骨を取り上げました。専門家に鑑定していただき、年齢等が明らかになるのではと期待しています。

 いずれの地区も補足調査を含めて、12月の第1週に終わる予定です。

西上空から見た北大地区・舞台地区

 

【今年度の成果】

 南大原地区では、弥生時代、古墳時代、奈良時代、平安時代の遺構・遺物が明らかとなりました。特に、弥生時代の多くの竪穴建物跡から管玉が出土している点が注目されます。

 北大原地区・舞台地区では、平安時代の遺構・遺物が明らかとなりました。70軒を超える竪穴建物跡からなる大集落が明らかとなりました。その範囲は約1,500㎡に及びます。当地には、これまで平安時代のムラの記録等はなく、予想外の発見でした。これが今年度の調査で最大の成果と言えるでしょう。

 

【土器の水洗洗浄始まる】

 発掘現場で出土した土器は土が付いたままの状態なので、旧豊井小学校の一室で、土を洗い落とす作業(水洗洗浄)を始めました。墨で文字が書かれた土器(墨書土器)など新たな発見が期待されます。

 

南大原遺跡発掘だより2025年度第8号(PDF: 943KB)

北信,南大原遺跡,調査情報

2025年11月5日

南大原遺跡 2025年度発掘調査情報(7)

【弥生時代の建物跡も次々に発見-南大原地区-】

 9月27日(土)に奈良~平安時代の集落を中心に現地説明会を行った南大原地区では、それよりも古い弥生時代の建物跡の調査を行っています。

 弥生時代の建物は丸い形の竪穴建物跡で、その時期は中期(今からおよそ2100年前)にあたり、南大原遺跡の東側にある栗林遺跡の大規模な集落跡と同時期になります。

 竪穴建物跡からは、弥生土器や石器のほかにネックレスなどに使われた玉製品も多くみつかっています。完成品のほかに作りかけのものもみつかっていますので、近くに玉つくり工房もあったようです。調査はもう少し続きます。今後の調査の進展が楽しみです。

弥生時代の竪穴建物跡 南大原地区

 

【高丘小学校6年生が発掘体験-南大原地区-】

 10月1日(水)、中野市立高丘小学校6年生が南大原地区で発掘調査の体験を行いました。

 埋蔵文化財センター職員らの指導を受けながら、移植ごて小さなスコップを手に持ち、弥生時代中期の竪穴建物跡の発掘を行いました。

 みなさんは、はじめての発掘体験が新鮮だったようで真剣に取り組んでいました。時折、弥生土器片をみつけると歓声があがりました。このなかから未来の考古学者があらわれるのか楽しみです。

高丘小学校6年生発掘体験 南大原地区

 

【平安時代人の発見!!-舞台地区-】

 舞台地区の東側では、平安時代(今からおよそ1000年前)の人骨が1体みつかりました。長方形の穴の中には頭蓋骨、上下顎骨と歯、脚部の骨が残っていました。このことから遺体は頭部を北に向け、手足を伸ばして横たわった状態であったと考えられます。なお、長方形の穴には木の棺があったものとみられ、その外側にはお供えとみられる素焼きのお皿が数枚重なってみつかっています。

 人骨は通常、土壌の成分によって分解されることが多く、貝塚や洞窟などを除けば遺跡から良好な状態でみつかることはきわめてまれで、たいへん貴重な資料です。

墓跡はこの1か所のみです。このムラの有力者だったかもしれません。

平安時代のお墓 舞台地区    人骨の頭部(白い歯が目立つ)

 

【平安時代の大集落を公開しますー舞台地区-】

 舞台地区では、平安時代の一般的な住宅である竪穴建物が60軒以上もみつかっています。その建物数は周辺地域では最大級です。また、今回の調査まで南大原遺跡ではその存在は不明でした。まさに幻の平安時代ムラの発見と言えます。建物の中からは、中野地域では数少ない近畿地方や東海地方で作られる緑釉陶器や東海地方の灰釉陶器、銅製品鏡・馬具など貴重な遺物も複数みつかっています。

平安時代の竪穴建物跡調査風景 舞台地区

東海地方の灰釉陶器 舞台地区

 

 11月15日(土)には舞台地区の現地説明会を行います。普段は立ち入ることのできない現地で建物跡や出土品を間近で見ることができます。ぜひ、ご参加ください。

南大原遺跡発掘だより2025年度第7号(PDF: 894KB)

北信,南大原遺跡,調査情報

2025年10月5日

南大原遺跡 2025年度発掘調査情報(6)

【南大原地区の現地説明会が無事に終わりました】

 9月27日(土)に行なわれた南大原地区の現地説明会では、153名の見学者の方たちに来ていただきました。地元の方たちや県外からの方たちも見受けられ、大変な賑わいとなりました。

 ご見学いただき、ありがとうございました。

 また、11月15日土には、舞台地区で現地説明会を開催する予定です。詳細につきましては、今後、情報を回覧させていただきます。

調査区現地での説明

遺物展示室での説明

 

【現地説明会の様子】

 特に好評いただきましたのは、遺物展示室の勾玉、管玉の展示でした。こちらの遺物は、一か所の遺構から出土したのではなく、複数の弥生時代中期の竪穴建物跡からみつかった玉類を集めて完成させました。勾玉、管玉はお墓から出土することが多いのですが、南大原地区では竪穴建物跡からの出土となり、破片を含めて管玉が9個以上も出土した竪穴建物跡もみつかっています。

 勾玉は1.3cmと非常に小さいものです。昨年度の調査でも弥生時代中期の竪穴建物跡から勾玉がみつかっており、今回、出土した勾玉と形が似ています。

遺物展示室・勾玉展示

 

【続・舞台地区の調査成果について】

 舞台地区全体で50軒以上の竪穴建物跡が検出されています。

 いずれも平安時代の中頃の、9世紀末から10世紀代に限定されてきています。竪穴建物跡の調査では、希少品である緑釉陶器や鉄製の鎌が出土し、裕福な集団であった可能性があります。

 その中でも、舞台西地区の竪穴建物跡(SB16)からは八稜鏡が出土し注目されます。

舞台西SB16から出土した八稜鏡

舞台西SB16から出土した八稜鏡の取り上げ

 

【八稜鏡の出土例】

 県内での八稜鏡の出土例は少なく、中野市の栗林遺跡、長野市の南宮遺跡、田中沖遺跡、坂城町の上五明条里水田址などがあげられます。これらは南大原遺跡と同じで、竪穴建物跡から出土しています。お墓から副葬品として出土した例としては、茅野市の中村・外垣外遺跡、塩尻市の吉田川西遺跡があります。吉田川西遺跡で出土した八稜鏡は重要文化財に指定されています。

 

【参考文献】長野市誌編さん委員会2003『長野市誌第十二巻資料編原始・古代・中世』

南大原遺跡発掘だより2025年度第6号(PDF: 799KB)

北信,南大原遺跡,調査情報

2025年9月22日

川田条里遺跡 2025年度発掘調査情報(5)

【新しい調査区の発掘調査が始まりました!】

 7月下旬から市道町川田大門線北側でT12調査区の発掘調査が始まりました。現在は中世と想定される面の調査を行っています。

 T12調査区の西側に隣接する旧川田保育園(現:認定こども園川田)建設時の調査では、川田氏館跡との関連が想定される建物の跡や、たくさんの穴がみつかっています。

T12調査区調査の様子(北東から)

 

【穴だらけ!これって建物の跡?】

 T12調査区からも建物の柱穴を含むたくさんの穴がみつかりました。

 一見まとまりなく見えるこれらの穴も、穴の大きさや、穴と穴との間隔などを分析することによって、当時の建物の柱の位置や、上部の構造を推定することができます。

 建物の規模を表すときには、柱と柱の間を「間」と表現します。

 T12調査区では、東西3間×南北2間の建物や、東西2間×南北2間の建物と想定される痕跡がみつかっています。

東西3間×南北2間の建物跡

東西2間×南北2間の建物跡

 

【東海地方から搬入された中世の陶器】

 T12調査区からは、中世と想定される尾張(愛知県西部)周辺の窯で焼かれた山茶碗や、美濃中津川(岐阜県中津川市)周辺の窯で焼かれた陶器の甕がみつかりました。

 山茶碗は、釉薬を使わずに焼き上げられた陶器です。生産地である東海地方を中心に中部地方にも広く分布する遺物です。長野市内の遺跡でもみつかっており、日常雑器として消費されたと考えられています。

 中津川の窯で作られた陶器は、生産地周辺から信濃にかけて多くみつかっている遺物です。北信地域では、栗田城跡・尾張城跡(ともに長野市)、東條遺跡(千曲市)など有力者の居館などに関連する遺跡でみつかっています。本遺跡も川田氏館跡に隣接しており、地域の有力者との関連を考えさせる遺物です。

 

尾張周辺で焼かれた山茶碗

 

中津川の窯で焼かれた陶器(甕)

 

 

【現場公開】

 現在、T12調査区は1次面(中世面)の調査を終え、さらに下の面の調査を行っています。遺構数も増加し調査は佳境を迎えています。

 また、地元の皆さんにはすでに回覧いたしましたが、10月1日(水)と2日(木)の両日、午後1時30分から3時まで発掘調査現場の公開を行います。平日ではありますが、ぜひお越しください!

 

川田条里遺跡発掘だより2025年度第5号(PDF: 711KB)

北信,川田条里遺跡,調査情報

2025年9月5日

南大原遺跡 2025年度発掘調査情報(5)

【令和7年度の南大原遺跡の発掘調査、後半戦がはじまりました】

 8月末で北大原地区の調査が終了し、舞台地区に2班が合流し、南大原地区と同時並行で調査を進めています。調査区域内には危険な場所もありますので、許可なく立ち入らないようお願いします。発掘の見学を希望される方は、事前にご連絡ください。

 今後、南大原地区では、9月27日(土)に現地説明会を開催する予定です。また、10月1日(水)には、高丘小学校6年生の体験発掘を受け入れる予定です。皆さまのご理解とご協力をお願い申し上げます。

南大原遺跡空中写真(北東から)

 

【南大原地区の調査成果について】

 南大原地区は、弥生時代中期後半から古墳時代、奈良・平安時代の竪穴建物跡が見つかっています。他の2地区の竪穴建物跡は平安時代に限定されているのに対して、南大原地区は長期にわたり居住に好適地であったと考えられます。現在は、古墳時代~奈良・平安時代の竪穴建物跡の調査を中心に行っています。

 下の写真は須恵器の坏が5枚重なって出土したもので、下2枚の坏には墨で字が書かれていました。墨書土器と言いますが、南大原遺跡では初めての出土となります。

南大原SB127須恵器坏出土状況(8世紀代)

南大原SB127 5枚重ねの下2枚に墨書

 

 下の写真は、竪穴建物跡に付随するカマドです。SB136は煙り出しの穴がトンネル状に確認され、SB142では、カマドに掛けた土師器の甕を支える支脚石が確認されました。

南大原SB136カマド(8世紀末~9世紀初)

南大原SB142カマド(9世紀前半)

 

【北大原地区の調査成果について】

 7月16・17日の現地公開で竪穴建物跡の細部についてご覧いただいた方もいらっしゃると思いますが、全体的にみると下の写真のように2間×2間の総柱建物跡を中心に、東側に4軒、西側に4軒の竪穴建物跡が分布します。西側の4軒は現市道側まで延びています。いずれも重複しており、これは1軒ずつ4時期に渡り建て替えられていたことを示しています。一方、東側の4軒は重複することもなく最大で4軒同時存在したことが考えられます。また、SB2・3はカマドを造り替えており、長い期間、使用されていたと想定されます。今後、出土した土器等を分析して、竪穴建物跡の時期を特定できればと考えています。今後の整理作業に乞うご期待です。

北大原地区 空中写真(南から)

 

【舞台地区の調査成果について】

 舞台地区全体で50軒以上の竪穴建物跡が検出されました。いずれも9世紀末から10世紀代に限定されそうです。北大原地区から続く河岸段丘上の高まりを居住地として集住し、その後、短期間に移動してしまい、遺跡としては近世まで空白地帯になってしまう様子が想像されます。竪穴建物跡の調査では、希少品である緑釉陶器や鉄製品が出土し、さらに12m×10m程の巨大な竪穴建物跡も見つかっております。リーダー的な存在を持つ裕福な集団であった可能性があります。また、木棺墓が検出され、どんな副葬品が出土するか楽しみです。この地区につきましては、 11月に現地説明会を開催する予定です。詳細につきましては後日回覧させていただきます。

舞台西SB13カマド(10世紀代)

舞台西SB19から出土した緑釉陶器

 

南大原遺跡発掘だより2025年度第5号(PDF: 873KB)

北信,南大原遺跡,調査情報

2025年8月15日

川田条里遺跡 2025年度発掘調査情報(4)

【古墳時代から奈良時代と推測される水田跡がみつかりました!!】

 市道町川田大門線南側のT14・T15調査区の発掘調査が完了しました。

 地表面から約130cmほど下で古墳時代から奈良時代と思われる水田の畦畔がみつかっています。また、T14調査区では畦畔に沿って長さ100cm程度の杭が打ち込まれていました。T15調査区内の一角では畦畔が不明瞭となります。過去の上信越自動車道部分の調査では、T15調査区付近で水田が確認されなくなることが分かっており、今回の調査成果と一致しています。周辺環境の復元については、今後科学分析による検討を行います。

壁面で確認された畦畔の盛り上がり(T15調査区)

古墳時代から奈良時代の水田の畦畔(T14調査区)

古墳時代から奈良時代の水田の畦畔(T15調査区)

畦畔に伴う木杭(T14調査区)

畦畔に伴う木材(T15調査区)

 

【水田で出土した遺物】

 水田面での遺物の量は少ないですが、古墳時代の土器(土師器)などが出土しています。

 土師器は甕(煮炊きに用いる土器)の割合が多いです

古墳時代の土器(T15調査区)

 

【これからの調査の予定】

 7月下旬から市道町川田大門線北側のT12調査区の調査を実施しています。隣接するこども園の調査では、中世の居館跡である川田氏館跡に関連する遺構が確認されており、T12調査区でも多くの発見があるものと期待されます。新たな調査成果は今後の発掘だよりでお知らせします。

T12調査区の調査

 

川田条里遺跡発掘だより2025年度第4号(PDF: 1059KB)

北信,川田条里遺跡,調査情報

2025年8月5日

南大原遺跡 2025年度発掘調査情報(4)

【北大原地区-現地公開開催】

 7月16日・17日の2日間にわたり、上今井遊水池整備事業に関わる現地公開が、国土交通省と長野県埋蔵文化財センター協同で開催されました。発掘調査現場の公開は、北大原地区を対象として行われ、実際に調査地区内に入り、調査の状況を見学していただきました。その後、出土した土器や鉄器・石器などを見ていただきました。

 2日間で計36名の参加があり、地元の方に「南大原遺跡」の存在を知っていただく絶好の機会となりました。中には、「発掘調査に参加したい」との声も寄せられ、うれしい限りです。この機会に、遺跡に興味を持っていただければと思います。

 また、この様子が7月17日付『信濃毎日新聞』と同25日付『北信ローカル』にも紹介されました。

現地公開の様子

 

【竪穴建物跡次々明らかに-舞台西地区-】

 舞台西地区では、調査が進むにつれて竪穴建物跡が次々と明らかになってきています。7月末現在で、27棟を数えます。いずれも、平安時代の建物と思われます。

 竪穴建物跡のなかには、カマドのみしか残っていないものもあります。一方、大変良好な状態で、当時の姿をとどめている竪穴建物跡も明らかとなっています。

竪穴建物が明らかになりつつある舞台西地区

 

【奈良時代の竪穴建物跡発見-南大原地区-】

 南大原地区では約40棟の竪穴建物跡がみつかり、順次調査を進めています。そのなかの1棟は、奈良時代の竪穴建物跡であることが明らかとなってきました。

 令和5年度から南大原遺跡の調査を進めてきていますが、奈良時代の竪穴建物跡の発見は今回が初めてとなります。これで南大原遺跡は、奈良時代から平安時代後期まで続く集落跡であったことがわかり、大きな成果といえます。調査が進むにつれて、より具体的な成果が得られるものと思われます。

奈良時代の竪穴建物跡

 

【南大原遺跡の熱中症対策新聞に掲載されました】

 南大原遺跡に関しまして、県下各地の熱中症対策の実施状況の一例として、7月9日付『信濃毎日新聞」に掲載されました。今後も、熱中症対策に万全を期し、調査を進めていきたいと思います。

南大原遺跡発掘だより2025年度第4号(PDF: 637KB)

北信,南大原遺跡,調査情報

2025年7月16日

川田条里遺跡 2025年度発掘調査情報(3)

【中世の溝跡とそれに沿う2本の杭列がみつかりました】

 市道町川田大門線南側の15T調査区で、幅約3m、深さ約40cmの中世(鎌倉時代~室町時代)の溝跡がみつかりました。

 この溝跡はほぼ東西に走っており、東から西へ向かって傾斜しています。

 また、溝跡の南側には、2本の杭列もみつかりました。中には打ち込みやすいように先端を加工したものも含まれ(写真下)、深さ1m以上まで刺さっているものもあります。今から500年以上前の人が削った痕だと考えるとワクワクします。

 この溝跡は、川田小学校を中心に広がる川田氏館跡に関連する可能性があります。

15Tでみつかった中世の溝跡(真上から)

15T 溝に沿って並ぶ杭列

(杭を取り上げるために手前を掘り下げてあります)

打ち込みやすいように加工された杭の先端

 

【今年の調査で出土した遺物より】

 羽口は、鉄などを溶かす鍛冶作業に使われる道具の一つで、鞴(風を送る装置)から炉の中に風を送る土製の管で、真ん中に空気が通る穴があります。炉に近い部分は、高熱で変色したり、鉄などが付着することがあります。

(参考) 千曲市清水製鉄遺跡出土 羽口

(長野県埋蔵文化財センター1997『清水製鉄遺跡』)

(参考)鍛冶作業の模式図

(作図:長野県埋蔵文化財センター 佐久市洞源遺跡現地説明会資料より)

 

 川田条里遺跡では、過去に川田保育園(現認定こども園川田)の改築工事に伴う発掘調査で、羽口など鍛冶作業に関わる遺物が出土し、川田氏館跡周辺で、鍛冶作業などの生産活動が活発に行われていたと推定されました。

 出土した羽口は、生産活動がより広い範囲で行われていたことを示す注目の遺物です。

 

【これからの調査の予定】

 市道南側の調査区では、中世の調査が終了し、その下の水田調査を行っています。現在は、奈良時代頃と推定される水田の姿が見え始めてきました。

 地元の皆様方に、今年の調査成果を見ていただく機会も、今後計画していきたいと考えています。

 

川田条里遺跡発掘だより2025年度第3号(PDF: 853KB)

 

北信,川田条里遺跡,調査情報

2025年7月5日

南大原遺跡 2025年度発掘調査情報(3)

【3つの顔をもつ調査区-①舞台西、②北大原、③南大原-】

 本年度は北西の①舞台西地区、②北大原(舞台東)地区、南東の③南大原地区の3つの調査区で発掘調査を進めています。いずれの地区も同じ南大原遺跡となっていますが、丘となっているリンゴ畑をはさんで西側と東側とにわかれ①舞台西から③南大原の距離は実走で1.4㎞近く離れています。また、標高はおよそ328~333mの間にあります。このため、各地区で遺跡の様相が大きく異なります。

 1つの遺跡でも3つの顔を持っているとでも言えるのではないでしょうか。それでは、南大原遺跡の3つの顔を1つずつ見ていきましょう。

南大原遺跡 全景空中写真(西から)

 

【深いところに平安時代が… -①舞台西地区-】

 今回の調査で最も西にある舞台西地区では、地表面から1.5mよりも深いところで平安時代(今からおよそ1,100年前)の集落がみつかりました。集落の中心は地面を四角く掘って作った複数の竪穴建物跡からなります。まだ竪穴建物跡の調査は始まったばかりですが、石組のカマドが良好に残り、真っ赤な焼土がみられます。このような保存状態の良さは、その後の千曲川による洪水堆積が厚かったので、後世の人為的な改変が及ばなかったためなのでしょう。早く全容を見てみたいものです。

舞台西地区 平安時代の竪穴建物跡調査風景と焼土検出状況

 

【平安時代の“ヒルズ”!?公開-②北大原地区-】

 一方、舞台西地区の東側にあたる北大原地区では、地表面からおよそ30㎝下と浅いところから平安時代の集落がみつかっています。この集落も舞台西地区と同様に竪穴建物跡を中心とし、同時期とみられます。

 竪穴建物跡からはカマド以外に柱穴、敲きしめられた床、割れていない土器など当時の生活を考える手がかりが多くみつかっています。

 北大原地区は、すぐ東隣にあるリンゴ畑から続く高台に位置しており、いわば“ヒルズ”と言ったところでしょうか。

 なお、北大原地区では7月16日(水)・17日(木)の2日間(10時~11時20分、13時30分~14時50分)で現地公開を行います。生の発掘調査の状況を職員の解説つきで見ることができます。ぜひ、ご参加ください。集合場所は南大原遺跡拠点プレハブとなります。当日は各所に案内看板が出ます。

北大原地区 平安時代の竪穴建物跡 調査風景

 

【弥生時代から平安時代まで大集合-③南大原地区-】

 南大原地区は、今回の調査区で最も東側にあり、昨年度調査区の南側にあたります。

 こちらの地区も北大原同様に高台にあり、地表面から浅いところから建物跡やお墓などたくさんの集落の形跡がみつかっています。その密度はほかの2地区をはるかに超えています。しかも平安時代だけでなく、弥生時代(およそ2,000年前) 、古墳時代(およそ1,700年前)など複数の時期のものが重なってみつかっています。このことから、南大原地区は、洪水の影響があまりない安定した土地で、連綿と人が住み続けられたのでしょうか。南大原遺跡の中心であったのかもしれません。

南大原地区 弥生~平安時代の竪穴建物跡調査風景

昨年度調査 南大原地区 

弥生時代の玉作製品(穴をあける道具)※1目盛りは1mm

 

 

南大原遺跡発掘だより2025年度第3号(PDF: 1024KB)

北信,南大原遺跡,調査情報

2025年6月15日

川田条里遺跡 2025年度発掘調査情報(2)

【川田条里遺跡の発掘調査を行っています】

 川田条里遺跡の発掘調査の開始から約1か月が経過しました。現在、市道町川田大門線南側の14T・15T調査区の発掘を行っています。これまでの調査では、地表面から約80cmほど下で中世(鎌倉時代~室町時代)の遺構が確認されています。調査区に隣接する川田小学校の周辺は、中世の居館跡である川田氏館跡として周知の埋蔵文化財包蔵地に登録されており、今回の調査でみつかった遺構は、館跡に関連する遺構である可能性があります。

上空から見た発掘調査現場(南から)

 

【中世の建物跡を発見!鍛冶工房か?】

 14T調査区では、中世の掘立柱建物跡、溝跡などがみつかっています。そのうち1棟の掘立柱建物跡では、鉄片や、鉄を溶かすために使う坩堝片などが出土しており、鍛冶等を行う工房あったと考えられます。

14T 中世の遺構面

 

 また、調査区内ではかわらけ(小皿)や内耳鍋などといった地元産の土器や、白磁、青磁などといった輸入陶磁器が出土しています。

 さらに、中世の掘立柱建物跡付近を少し掘り下げたところ、鍛冶に関わる遺構がみつかりました。遺構は石を組んで築かれ、内部には炭混じりの土が堆積しています。

 周辺では鉄滓(鍛冶を行う際に出る鉄くず)が出土しており、14T調査区の付近には、中世の鍛冶関連の作業を行う空間が広がっていた可能性が高いと考えられます。

鍛冶関連遺構

 

【東西に走る中世の溝跡を発見】

 15T調査区では、中世の溝跡がみつかっています。溝の規模は幅約3m、深さ約40cm程度で、溝の南側に沿う木杭の列を確認しました。この溝より南側では遺構が検出されておらず、この溝は中世の遺構範囲の南限を示すものと考えられます。

中世の溝跡(西から)

溝跡に沿う木杭の列

 

【これからの調査の予定】

 現在の中世面の調査終了後、さらに下の古代面(古墳・奈良時代)の調査を行う予定です。過去の上信越自動車道部分の調査成果を踏まえると、14T・15T付近は古代の水田が一面に広がっていたと思われ、14Tでは、古代水田の畦畔を構築する木材が一部確認されています。新たな調査成果は改めてお知らせします。古代面では一体どのような発見があるのか、乞うご期待です。

14Tで確認された古代の木材

 

川田条里遺跡発掘だより2025年度第2号(PDF: 1259KB)

 

北信,川田条里遺跡,調査情報

2025年6月5日

南大原遺跡 2025年度発掘調査情報(2)

【遺跡の姿が見えてきました!】

 5月1日から令和7年度の発掘調査を始めました。

 表土の掘削により、弥生時代、平安時代の竪穴建物跡などがみつかっています。

 遺物は、弥生土器、平安時代の土師器、須恵器が出土しています。

 遺物の種類は、生活に必要な、食器や水を貯めておく甕かめの破片が見つかっています。

 そのなかでも、金属を砥とぐための砥石といしが注目されます。

 昨年度の調査で弥生時代の金属加工の工房跡がみつかっているため、今年の調査でも、工房や職人たちの建物跡がみつかるかもしれません。確認された遺構をこれから、人の手で本格的に掘り下げていきます!

発掘調査風景(南大原調査区)

表土掘削でみつかった遺物(南大原調査区)

出土した砥石(南大原調査区)

 

【弥生時代の建物跡】

 左の写真は弥生時代の竪穴建物跡の発見状況です。弥生時代の竪穴建物跡は、丸い形をしているのに対し、平安時代の竪穴建物跡は正方形に近い形をしています。

 昨年度の調査では、弥生時代中期の石器製作工房跡や管玉製作工房跡と考えられる特殊な遺構や遺物がみつかっています。

 今後どれだけの数になるか、わかりませんが特殊な遺構に注意しながら調査を続けていきます。

弥生時代の竪穴建物跡(南大原調査区)

 

【平安時代の建物跡】

 平安時代の建物跡は、一辺の長さが約4m50cmの正方形の形でみつかっています。

 昨年度の調査で、9世紀後半から10世紀ごろの平安時代の竪穴建物跡が7軒みつかっています。

 これらの竪穴建物跡は旧千曲川の流路方向と平行し建てられています。今年度も地形を意識しながらの調査をおこないます。

平安時代の竪穴建物跡(南大原調査区)

 

【番外編・南大原遺跡の展示】

 長野県埋蔵文化財センター(長野市篠ノ井)の展示室では、昨年度の調査でみつかった南大原遺跡の遺物が展示されています。他にも県内で発掘された遺物を展示しています。ぜひ、いらしてください!

埋蔵文化財センター展示室

 

南大原遺跡の遺物展示

 

【公開日:月~金(年末年始・祝日を除く)午前9時~午後5時・無料】

 

南大原遺跡発掘だより2025年度第2号(PDF: 733KB)

北信,南大原遺跡,調査情報

2025年5月23日

川田条里遺跡 2025年度発掘調査情報(1)

【川田条里遺跡の発掘調査がはじまりました】

 4月30日(水)から、長野市若穂川田地区で川田条里遺跡の発掘調査をおこなっています。この調査は、(仮称)若穂スマートインターチェンジ整備事業に先立っておこなうもので、今年度の調査は11月中旬まで、調査は来年度まで続く予定です。調査は㈱島田組に発掘作業支援業務を委託して実施しています。

令和7年度の発掘調査予定地

 

 期間中、大型重機をはじめ、車両が出入りしますので十分ご注意ください。

 また、調査区域内には危険な場所もありますので、許可なく立ち入らないようお願いします。発掘の見学を希望する方は、事前にご連絡ください。皆さまのご理解とご協力をお願い申し上げます。

 

【川田条里遺跡ってどんな遺跡?】

 川田条里遺跡は、以前から何度か発掘調査がおこなわれています。過去の調査成果を振り返りながら、川田条里遺跡とはどんな遺跡なのか、ご紹介します。

 

【上信越自動車道建設時 2000年前から続く水田跡】

 1989~1990(平成元~2)年に長野県埋蔵文化財センターが上信越自動車建設事業に伴い発掘調査を実施し、弥生時代中期から近世まで各時期の水田跡が重なっていることを確認しました。

 特に古墳時代と奈良時代の小区画水田と、奈良・平安時代の条里型水田の発見は、全国的にも注目されました。

みつかった奈良時代の水田跡

 

 

【川田保育園改築時 室町時代館跡に関係する工作遺構を発見】

 1999(平成11)年、長野市教育委員会は、川田条里遺跡の範囲内に位置する川田氏館跡について、川田保育園(現、認定こども園川田)の改築工事に伴う発掘調査を実施し、15世紀後半の室町時代館跡に関係する工作遺構を発見しました。

 

【令和4年度調査 地層を抜き取って地下の水田を探る】

 地下の状態を知るために、重機を使って地表下4mまで鉄製の枠を打ち込む地層抜き取り調査(ジオスライサー掘削法)を、合計41地点で実施しました。

 その結果、今年度の調査区付近では、地表下4mまでの間に、古墳時代から奈良時代と考えられる水田面が少なくとも2面存在することがわかりました。

ジオスライサーの打ち込み作業

 

【令和5年度調査 鎌倉時代の建物跡や溝跡を発見】

 調査区周辺の現在の地形は平坦ですが、過去は西(川田小学校側)から東(高速道側)に向かって傾斜し、その傾斜地から鎌倉時代の建物跡や溝跡がみつかりました。

 みつかった建物跡は2棟で、その柱穴からは13世紀前半の鎌倉時代のカワラケ(小皿)が出土しています。また、これらの建物跡を取り囲むように溝跡がみつかったため、溝で区画された屋敷地であったと考えられます。

鎌倉時代の掘立柱建物跡

 

【さらにその下からは、古い畦畔の芯として使われた建築部材を発見】

 鎌倉時代の屋敷地のさらに約20cm下から水田跡がみつかり、その畦畔(あぜ)には建物の部材が芯材として再利用されていました。

 中には長さ4mにも及ぶ「造出柱」とよばれる高床建物に使う柱も使われていました。放射性炭素年代測定では今から約1500年前の古墳時代中期頃という結果が出ています。

 川田周辺に高床建物が立ち並ぶムラが存在していたことは間違いありません。

長さ4mの「造出柱」

 

 今年度の調査地点は、鎌倉時代の遺構と室町時代の遺構がみつかった、中間の部分にあたります。

どんな昔の川田の姿を見せてくれるのか。乞うご期待です。

 

川田条里遺跡発掘だより2025年度第1号(PDF: 809KB)

 

北信,川田条里遺跡,調査情報

2025年5月7日

南大原遺跡 2025年度発掘調査情報(1)

【令和7年度の南大原遺跡の発掘調査がはじまりました】

 本年度は3箇所で発掘調査を同時進行で進めます。4月28日(月)から重機を入れ、5月1日(木)から発掘作業員の皆さんと発掘作業を開始しています。

 この発掘調査は、上今井遊水地整備事業に伴って実施するもので、11月末までを予定しています。期間中、大型重機をはじめ、車両が出入りしますので、車のすれ違い等十分ご注意ください。

 また、調査区域内には危険な場所もありますので、許可なく立ち入らないようお願いします。発掘の見学を希望される方は、事前にご連絡ください。

皆さまのご理解とご協力をお願い申し上げます。

 

 

【南大原遺跡のこれまでの調査について】

 南大原遺跡では、 2回の学術発掘調査(1・2次調査)と県道三水中野線の改良工事に伴う3回の緊急発掘調査(3~5次調査)が行われてきました。1次調査では縄文時代前期後半の土器(南大原式土器=諸磯a式土器)と竪穴建物跡が確認されました。2次調査の調査地点は特定できていませんが、大きな溝跡の底から弥生時代後期の土器が出土しました。1次調査は弥生時代中期後半の竪穴建物跡の調査を目的とし、2次調査では縄文時代前期後半の竪穴建物跡の調査が目的で学術調査が行われましたが、土の中のことは思うように行かないというところでしょうか。

 一方、3次~5次調査は、工事によって破壊されてしまう遺跡を記録として保存することを目的とした調査でした。この調査では、弥生時代中期後半~古墳時代前期の集落跡の構造の一端が明らかとなりました。中でも、鉄製品を加工したと考えられる工房跡や、祭祀場と想定される環状土坑列の存在は、注目を集めました。

 令和5年度から始まった上今井遊水地整備事業に伴う発掘調査は、6次調査と位置付けられ、3次~5次調査と同様に記録保存を目的とした調査になります。

これまでの南大原遺跡の調査

 

【令和7年度の調査】

 本年度は、事業地内の北大原・舞台地籍と南大原地籍で本格的な発掘調査を、3箇所同時並行で進めていく予定です。

 北大原・舞台地籍では昨年度の確認調査で、平安時代の竪穴建物跡がみつかっています。トレンチ調査では遺構の分布が比較的希薄でしたが、調査区全面での遺構検出で、どんな種類の、どんな時代の遺構がどのくらいみつかるか、期待が高まります。

北大原・舞台地籍の調査地点

 

 南大原地籍では昨年度の確認調査で、弥生時代中期後半・平安時代の竪穴建物跡がみつかっています。また、管玉が1点出土しており、昨年度調査した管玉製作工房跡をはじめとした工房跡群が、本年度調査区まで広がっているのかどうか、明らかにしていきたいと考えています。

南大原地籍の調査地点 

 

 どんな貴重な遺物が埋まっているか、新たな発見があるのか。今後の調査に乞うご期待です。

南大原遺跡発掘だより2025年度第1号(PDF: 790KB)

 

北信,南大原遺跡,調査情報

2024年10月23日

長野市長沼城跡 2024発掘調査情報(1)

【長沼城跡の発掘調査が終盤となっています】

 長沼城跡は16~17世紀に、千曲川左岸の平地に築かれた南北約 650m 、東西約 500mという大規模な平城です。 2021 年から発掘調査がおこなわれ、今年の 10 月に調査が終了する予定です。 

 昨年までの調査では、戦国時代から近世初期の礎石建物跡や堀跡、土塁などの遺構が確認されています。そして同時期の土器や陶磁器、鉄砲玉などの遺物も出土しています。

長沼城縄張り想定図

 

【今年度の調査】

 中堀に伴うと思われる石列が出土しており、 約 40 cm の大きな石を支えるように裏込めとして小石が敷きつめられている箇所が見つかっています 。 中堀の杭列は土塁が崩れないように施された土留めと考えています 。昨年までの調査においても石列 、 杭列が見つかっています 。 これらの成果をもとに城郭の構造をあきらかにしていきたいと思います 。

土留めのための杭列

 

【注目!金足物とは】

 遺物としては、戦国時代から近世初めのカワラケ、灯明皿、内耳鍋などの土器や陶磁器類が多数出土しています。また、太刀の鞘の一部である足金物も出土しました。

 金足物は、太刀を腰から吊るす際の固定金具として使われていました。太刀1振に2つあります!

 県内の遺跡からの出土例は少なく、中世、戦国時代の遺跡から出土した類例は、御代田町の前藤部遺跡で1点、佐久市の北山寺遺跡で3点の出土などが確認されています。

長沼城跡出土の金足物

 

長沼城跡発掘たより 第6号(PDF:761KB)

北信,調査情報,長沼城跡

2024年10月23日

中野市南大原遺跡 2024発掘調査情報(2)

【浮かび上がる古代の暮らし】

 旧千曲川左岸の緩い斜面地に広がる南大原地区では、今から約2,000年前の弥生時代中期の集落と、今から約1,100~1,200年前の平安時代の集落を調査しています。平安時代の集落は、溝を巡らせて土地を区画し、方向を揃えた竪穴建物跡がみつかりました。区画溝は、集落の境を示している可能性があります。

 
【今日に繋がる日常の軌跡】

 SB102(平安時代の竪穴建物跡)は、一辺約5mの規模を持ち南側隅にカマドを備えています。この竪穴建物跡からは、灰釉陶器の皿を転用した硯や、鉄製紡錘車(繊維を紡ぐ道具)、耳皿がみつかりました。耳皿ざらとは、皿の側縁を対称的に折り曲げるつくりをした土器で、箸置きに使われたと考えられています。大河ドラマ「光る君へ」では、夫の藤原宣孝と主人公まひろ(紫式部)が、食事の際に箸置きとして耳皿を使用していました。

 みつかったお宝は、文房具、食器、箸置きなど現代を生きる私たちにも馴染み深いものばかりです。今から約1,100~1,200年前の人々の日常に思いを馳せていただければ幸いです。

密集する竪穴建物跡

SB102出土の耳皿

 

【広大な大地に眠る遺跡、次々と目覚める】

 南大原地区から微高地(現リンゴ畑)を挟んだ北西側の地域ではトレンチ掘削による確認調査が進んでいます。逆川・北大原・舞台・鍋久保の4地区のうち、現在は、逆川・北大原・舞台地区の調査をしています。

〇逆川地区

 掘削したトレンチの断面を見ると、現在の地形と同じように南東(リンゴ畑を営む微高地)側から北(現千曲川)側へ傾斜する地形が確認できました。洪水層が厚く堆積し、安定した土地ではなかったようです。

 これまで、近世水田の範囲を逆川地区境の市道までと考えていましたが、湧水点が市道の南側で確認され、近世水田が湧水点まで伸びていることが確認できました。

 

〇北大原地区

 逆川地区の北隣となる北大原地区の調査が始まりました。北大原地区は、7月まで北端を調査しており、そこでは平安時代の竪穴建物跡が見つかっています。

北大原地区確認調査風景

 

〇舞台地区

 7月後半から調査を行っています。8月は、北大原地区の西側を調査しています。北西のトレンチからは、竪穴建物跡とみられる凹みを検出しました。凹みのなかからは奈良~平安時代に使われていた土器(土師器)の埦が見つかり、この時期の建物跡と考えられます。

舞台地区土器出土状況

 

【現地説明会を開催しました】

 8月10日(土曜日)、本調査区(南大原地区)の発掘現場において一般公開を行いました。

 現場を一望できる高台から遺跡の全体説明を行った後、弥生時代中期(およそ2,000年前)、平安時代(およそ1,100年前)の竪穴建物跡近くでそれぞれ説明をしました。プレハブでは、出土品の展示・説明も行いました。展示した遺物は、今年と平成の三水中野線関連調査地点での出土品で、弥生土器、土師器、石器、鉄製品など様々なものがあります。見学者は139名にのぼり、関東や関西など遠方からも多く訪れ、南大原遺跡の注目度の高さを感じる説明会となりました。

 今年の調査は、長野県埋蔵文化財センターと日本文化財保護協会とが一緒になって行っており、説明会でも職員がお互いに協力して設営、説明を行いました。

現地説明会の風景

 

南大原遺跡発掘たより 第3号(PDF:1057KB)

南大原遺跡発掘たより 第4号(PDF:966KB)

北信,南大原遺跡,調査情報

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