Research調査情報

【調査情報】北信

2026年10月27日

長野市 川田条里遺跡 2026年度発掘調査情報(5)

【川田氏館跡の北側から、中世の水田や畠がみつかる】

 発掘調査は、認定こども園川田(旧川田保育園)北側のT8調査区まで進んでいます。

 T8調査区では、中世の水田跡や畠跡がみつかりました。

 北にいくにつれて、ピットなどの検出密度がうすくなるため、T8調査区付近が、中世館跡にともなう遺構分布の北端になるものと考えられます。

 畠跡は、幅60㎝ほどの間隔で畝がつくられています。どんな作物かつくられていたのか。今後、採取した土の科学分析を行うなどして調べていく予定です。

調査区全景(北から撮影)

 

真上から見たT8調査区水田跡と畠跡(右が北)

 

【川田は、今も昔も水とのたたかい】

 川田地区は、昔から千曲川との関係など、水とのたたかいを繰り返しながら歴史を重ねてきたところです。

 9月は、秋雨前線や台風などの影響で天候不順の日が多く、発掘調査にも大きな影響がでました。調査する面は水びたしで、水をくみだしても次から次へとわいてきます。調査した遺構の壁などが崩れてしまうこともありました。

 そんな中でも、作業に従事する方々には、泥まみれになりながら、少しずつできる作業を行い、調査を進めていただきました。水とのたたかいは、発掘現場でも起こっています。

調査面にたまった水を排水しながらの調査

 

【これからの調査の予定】

 発掘調査の現場作業は、11月末頃に終了する予定です。

 現場における調査は今年度で最後となるため、若穂川田地区の歴史を知る上で貴重な情報をできるだけ多く得られるよう調査を進めてまいります。

ご協力よろしくお願いいたします。

 

川田条里遺跡発掘だより2026年度第5号(PDF:1.33MB)

北信,川田条里遺跡,調査情報

2026年10月27日

中野市 南大原遺跡 2026年度発掘調査情報(3)

【平安時代の焼失した竪穴建物跡を発見!!】

 調査区北側の鍋久保地区で平安時代(今から約900年前)の焼失した竪穴建物跡が発見されました(上の写真)。床面には焼け焦げた柱の木材が、崩れ落ちたような状態で広がり、炭化材の周りには壁材や屋根材と思われる土が焼けて固まってみつかりました。

 一方で土器などの食器類がほとんど出土していないことから、急な火災ではなく、意図的に火がつけられた痕跡と考えられます。 

   

焼失した建物跡(長さ5.5m×幅5m)

 

【壊されたカマドの意味は?】

 平安時代の竪穴建物跡には煮炊きに使用した「カマド」が付属しています(左の写真)。カマドは建物の南東隅につくられ、扁平で細長い川原石(大きさ20∼30㎝)を芯材として組んで粘土で覆っていたと推測されます。

 それらの石は本来の位置から抜かれたり、割られたりして、カマド周辺から出土することが多く引っ越しの時にカマドの機能を停止する儀式の痕跡ではないでしょうか。

カマドの芯材に使用された川原石の検出状況

 

【弥生時代の大きな穴みつかる】

 調査区南の南大原地区では、大きな穴が3つみつかっています。時期はいずれも弥生時代中期(約1,900年前)です。このうち1つ(左写真の上)は東西に長い隅丸方形で長さ1.7×幅1×深さ0.3mの大きさです。穴の西側底面からは小形の壺や甕が重なっていて、その横には小穴内から鉢が出土しました。こうした状況から、土器をお供えした墓の跡と考えています。

 これ以外の2つは隅丸方形で西側の穴は長さ2.4×幅2.2×深さ0.7m(左写真の左下)、長さ3.5×幅3.3×深さ1.0m(左写真の右下)と大きくてとても深い穴です。秋に収穫した穀物や木の実などを越冬用に貯蔵していたのかもしれません。

長方形の穴土器出土状況

 

正方形の穴掘削状況

 

【南大原遺跡現地説明会のご案内】

実施日時 令和8年11月7日(土)

全体説明 ① 10:00∼12:00 受付9:30∼

     ② 13:00∼15:00 受付12:30∼

内容   ・鍋久保地区の発掘現場で遺構や遺物などの説明

     ・鍋久保、南大原地区出土の遺物や写真パネルの展示と説明

     ・発掘調査の動画

 

南大原遺跡発掘だより2026年度第3号(PDF:885KB)

北信,南大原遺跡,調査情報

2026年9月29日

長野市 川田条里遺跡 2026年度発掘調査情報(4)

【古代水田面の調査を実施中!!】

 認定こども園川田(旧川田保育園)すぐ東のT10調査区で、奈良時代頃と考えられる古代水田面の調査を実施しています。調査の結果、不整形な水田畦畔の痕跡が確認されました。今後の精査により、水田の年代や畦畔の構造などを明らかにしていく予定です。

 また、この遺構面では、水田を掘り込む小穴群や溝、竪穴状遺構などが確認されています。上層の鎌倉時代中頃の面では確認されずに、奈良時代頃の水田を掘り込んでいることから、これらの遺構は平安時代から鎌倉時代初め頃のものであると考えられます。特に小穴群は一定間隔で方形や直線に並んでおり、掘立柱建物の柱痕や柵列痕である可能性があります。

奈良時代頃と考えられる水田畦畔(T10調査区 白線が畦畔ライン)

 

 

平安時代から鎌倉時代初め頃の掘立柱建物跡あるいは柵列(T10調査区)

 

【礫集中遺構から木製の祭祀具が出土!!】

 T10調査区の古代水田面を切り込む溝状の遺構の内部で礫が集中する状況が確認されました。礫は平らな面を上に向けてそろえて検出されており、遺構内に敷き並べられていた可能性があります。遺構からは土器や陶磁器等とともに木製品が出土しています。木製品は曲物や板材等の他、実用品とは考えられない刀などのミニチュア品のようなものも見られます。これらのミニチュア品は「祓い」などのおまじないに使用された祭祀具と考えられます。似たように礫を敷いた祭祀遺構が千曲市屋代遺跡群上信越自動車道地点の調査時に、飛鳥時代から奈良時代の面で確認されています。今後も当遺構の性格について検討を行っていく予定です。

礫集中遺構(T10調査区 東から)

 

礫集中遺構で確認された木製祭祀具(刀形?)

 

【これからの調査の予定】

 T10調査区の調査と並行して、さらに北側のT8調査区の調査を行っています。現在は中世面の調査を行っており、小穴数基と中世以降の水田痕(畦畔痕、足跡、稲株痕?)が確認されています。

 北側に向けて遺構数が少なくなり、調査区内で中世の遺構分布は途切れるものと考えられます。

 今後の調査の進捗については、次回の発掘だよりでお知らせいたします。

T8調査区 調査風景

 

川田条里遺跡発掘だより2026年度第4号(PDF:1.16MB)

 

北信,川田条里遺跡,調査情報

2026年8月28日

長野市 川田条里遺跡 2026年度発掘調査情報(3)

【鎌倉時代の大きな工作遺構を発見!】

 認定こども園川田(旧川田保育園)すぐ東のT10調査区で、南北11m×東西5mの方形に地面を掘り込んでつくられた鎌倉時代の竪穴状遺構(7号竪穴)が確認されました。

 西側の壁際に炉と思われる焼けた部分が二つあり、鉄滓(鍛冶の際に出る鉄くず)や砥石が出土していることから、鍛冶作業などの工作活動が行われていた場所と考えられます。

 認定こども園川田建設時の発掘調査でも、室町時代の工作遺構がみつかっており、川田氏館跡があったとされるこの周辺では、長く工作活動が行われていた様子がみえてきました。

 

上:工作遺構と考えられる7号竪穴状遺構(真上から撮影上が西)

左下:認定こども園川田東隣のT10調査区鎌倉時代遺構全景(東から撮影)

右下:工作遺構からみつかった炉の跡(炉1)

 

 

【発掘調査の現地公開を開催二日間で111名もの参加者!】

 7月1日・2日に、T10調査区の発掘作業現地公開を実施し、二日間合計で111名もの方にご来跡いただきました。誠にありがとうございました。

 現地公開では、鎌倉時代の建物跡や工作遺構を実際に発掘調査している様子や、遺跡から出土した鎌倉時代から室町時代の出土品などをご覧いただきました。川田地域の歴史について考えていただく貴重な機会となったとすれば幸いです。

現地公開の様子(T10調査区)

 

【これからの調査の予定】

T9調査区調査着手風景

 

 今回の調査範囲で最も北に位置するT8・T9調査区の調査を開始しました。

 川田氏館跡に関連すると考えられる中世遺構の南限と東限が現在までの調査でみつかっており、北限がみつかれば、その広がりをとらえることができます。果たして調査の結果はどうなるでしょうか。

 

川田条里遺跡発掘だより2026年度第3号(PDF:958KB)

北信,川田条里遺跡,調査情報

2026年7月28日

中野市 南大原遺跡 2026年度発掘調査情報(2)

【南大原地区で弥生時代後期(約1,800年前)の合わせ甕が出土しました】

 南大原地区では、重機による表土の掘削を終え、現在作業員による遺構の検出や掘り下げを進めています。これまでのところ、弥生時代中期(約2,000年前)と後期(約1,800年前)の集落の一部がみつかっています。今回は、2か所で全容がわかる形でみつかった弥生時代後期の土器を紹介します。一つは、穴の中に高さ約22㎝の甕(煮炊き用の容器)を横倒しにし、別の甕(高さ約20㎝)を合わせ口にして入れ込んでいます。甕の一部は割れてしまっていましたがほぼ完全な状態です。いずれの土器にも表面に波状の文様がつけられています。また、実際に調理に使っていたようで、表面にはススがついていました。

 

【壺も重なった状態で出土しました】

 もう一つは、穴の中に壺(貯蔵用の容器)を斜めにすえ、その上に別の壺の底部をかぶせています。壺の大きさは残っている部分で上部が高さ約16㎝、下部が高さ約36㎝です。

 通常、遺跡からみつかる土器は壊れて捨てられた破片の状態であることが多いのですが、この二つはほぼ完全な状態でみつかっています。このことから、弥生時代に埋められた土器と考えられ、墓などの用途が想像できます。今後は土器の中の土壌などを調べて、その実態に迫っていきたいと思います。

 

【南大原地区で過去に調査した環状土坑列の続きを確認しました】

 南大原地区では、第5次調査(2019・2020年)で、弥生時代中期後半から後期の祭祀場と想定される環状土坑列がみつかっています。今回はここに隣接する北東側を調査しています。環状の続きとなる土坑列が検出されました。また、それとは別の3つ目の列が新たにみつかりました。

 

【鍋久保地区で畑跡が発見されました】

 鍋久保地区の調査区南側では、南北約20m×東西約150mの範囲から黒褐色土と黄褐色土の帯がいく筋も連続した状況でみつかりました。黒褐色土の帯は作物を植えるため盛り上げた畝で、黄褐色土の帯は畝を作るために掘りくぼめられた畝間です。畑跡は、洪水等の砂にパックされた状態でみつかっています。

畑跡の完掘 南西から (人のいるところが畝間)

 

畑跡の断面

 

南大原遺跡発掘だより2026年度第2号(PDF:963KB)

北信,南大原遺跡,調査情報

2026年6月29日

長野市 川田条里遺跡 2026年度発掘調査情報(2)

【室町時代の遺構を発見】

 認定こども園川田の東側に隣接するT10調査区の発掘調査を行っています。これまでの調査では、室町時代と推定される150基を超える土坑や、溝跡などが検出されています。これらの遺構やその周辺からは、土器や陶器、磁器などとともに、鉄滓(鍛冶を行う際にでる鉄くず)やふいご羽口(鍛冶炉へ空気を送り込むための土製送風管)、るつぼ(鋳造を行う際に溶けた金属を入れる容器)などといった鍛冶に関連する遺物が出土しています。過去に認定こども園川田のある場所で実施された発掘調査の際にもこれらの遺物が出土しており、調査地周辺に川田氏館跡に関わる工作空間が存在したものと考えられます。

発掘調査の様子(東から撮影奥の建物は認定こども園川田)

 

【時代を示す遺物】

 土器などの遺物は、作り方や素材などに一定の決まりがあり、それを観察することによって、つくられた時代や地域などを推測することができます。発掘調査の際に建物跡や溝跡などを「〇〇時代のもの」と推定することができるのも、出土した遺物などから時代を推測しているからです。ここでは、今回の調査の年代推定につながった、室町時代の遺跡に出土する遺物をご紹介します。

 

内耳鍋

 囲炉裏等の上に吊り下げるために、土器の内側に取手(耳)を有する土器です。現在の鍋のように煮炊きに使用されました。室町時代頃から見られるようになります。

内耳鍋出土状況(赤矢印)

内耳鍋完形イメージ図

 

かわらけ(ろくろ成形)

 かわらけは小形の皿や埦形の土器で、宴会等の場で使用されたと考えられています。

 鎌倉時代頃から見られますが、時代ごとに作り方が異なり、鎌倉時代には「手づくね」で作られていたものが、室町時代頃からは「ろくろ」で作られるようになります。

かわらけ出土状況(赤矢印)

 

かわらけ(ろくろ成形)

 

【現場公開を実施します】

 現在、T10調査区2次面の調査を行っています。地元の皆さんにはすでに回覧いたしましたが、7月1日(水)と2日(木)の両日、午前10時から11時30分まで発掘調査現場の公開を行います。ここで紹介した遺物の展示も行いますので、ぜひお越しください。

 

川田条里遺跡発掘だより2026年度第2号(PDF:1.11MB)

北信,川田条里遺跡,調査情報

2026年6月8日

中野市 南大原遺跡 2026年度発掘調査情報(1)

【令和8年度の発掘調査がはじまります】

 6月5日(金)から、中野市大字上今井字南大原、鍋久保地籍の2地区で発掘作業を行います。これまでの調査の成果と合わせて各地区の生活の痕跡を記録して、各時代の文化や生活の特色を明らかにしたいと思います。

 今回の調査は、上今井遊水地整備事業に先立って令和5年度から継続して実施し、本年度は11月末までを予定しています。期間中、大型重機をはじめ、車両が出入りしますので十分ご注意ください。また、調査区域内には危険な場所もありますので、許可なく立ち入らないようお願いします。

 皆さまのご理解とご協力をお願い申し上げます。

南上空からみた南大原遺跡(令和7年撮影)

 

【南大原遺跡ってどんな遺跡?】

 『長野県中野市遺跡詳細分布図』( 2006中野市教育委員会)には、縄文・弥生・平安時代の遺跡として記載されています。

 1950年(第1次調査)と1957年(第2次)に中野市上今井在住の故神田五六さんと地元の高校生が中心となって発掘調査が行われ、1950年の調査では縄文時代前期後半の竪穴建物跡がみつかり、そこから出土した土器は「南大原式土器」と命名されました。

 その後、1979年(第3次)に旧豊田村教育委員会が、2011~2013年(第4次)と2019・2020年(第5次)に当センターが、いずれも県道三水中野線改良工事に伴い発掘調査を実施し、弥生時代中期後半から後期を主とした集落遺跡であることが明らかとなりました。第6次発掘となる今回は、2023年に逆川地区で江戸時代の水田跡、2024・2025年には南大原地区で弥生、古墳、平安時代の集落跡、北大原と舞台地区で平安時代の集落跡が発見されました。

南大原遺跡全体図

 

【今までの発掘のおもな成果】

 

第5次調査(2019・2020年)南大原地区

 弥生時代中期後半から後期の集落遺跡であることが明確になり、祭祀場と想定される環状土坑列がみつかりました。今回はここに隣接する北東側を調査します。

 

第6次調査(2024年)北大原地区

 トレンチで、縄文後期の堀之内式土器(約3,800年前)の深鉢形土器の破片が出土しました。

 

第6次調査(2024年)南大原地区

 弥生時代中期後半(約2,000年前)の栗林式土器が出土しました。

 

 

第6次調査(2025年)南大原地区

 弥生時代中期後半の竪穴建物跡(玉つくり工房跡)から、玉つくり関連遺物となる、原石(緑色凝灰岩)、溝跡が残る碧玉片、玉鋸、管玉3点が出土。また、建物跡から複数の管玉や勾玉が出土しました。

 

 

第6次調査(2025年)南大原地区

 奈良時代の竪穴建物跡から、5枚重ねの須恵器が出土、右は下から2枚目の墨書土器

 

第6次調査(2025年)舞台地区

 平安時代中期の竪穴建物跡から出土の八稜鏡。

 

南大原遺跡発掘だより2026年度第1号(PDF:880KB)

北信,南大原遺跡,調査情報

2026年5月21日

長野市 川田条里遺跡 2026年度発掘調査情報(1)

【令和8年度の発掘調査が始まりました】

 4月22日(水)から、令和8年度の川田条里遺跡の発掘調査を行っています。

 この調査は、国補(仮称)若穂スマートIC整備事業に伴って行うもので、今年度の調査は11月末まで、安西工業(株)に発掘作業支援業務を委託して実施しています。

 若穂スマートIC整備事業に伴う当センターの発掘調査は、令和4年度から行ってきましたが、現地での作業は、今年度で終了する予定です。

遺跡全景(南から昨年度調査終了時撮影)

 

【川田条里遺跡ってどんな遺跡?】

本遺跡は、1989~1990(平成元~2)年に当センターが上信越道建設に伴い発掘調査を実施し、弥生時代中期から近世まで各時期の水田跡が重なっていることを確認しました。

1999(平成11)年には、長野市教育委員会による川田保育園(現、認定こども園川田)の改築に伴う発掘調査で、15世紀後半の工作遺構を発見しました。

2022(令和4)年から始まった若穂スマートIC整備に伴う当センターの調査では、弥生時代から江戸時代までの重なり合う水田跡の確認とともに、鎌倉時代から室町時代の中世遺構が確認され、その遺構の広がりの東端・南端をとらえることができました。

調査地点のすぐ西側に隣接する川田小学校は、中世にこの付近で勢力を持っていた武士、川田氏の館があった場所と推定されており、「川田氏館跡」という遺跡となっています。

これまでの調査で確認された中世遺構は、館跡に関係していると考えられます。

 

【今年も室町時代の穴や溝、陶器や銭貨などがみつかっています】

みつかった室町時代の穴や溝の跡(白線の中)

 

出土した銭貨

 

 

 今年の調査は、こども園のすぐ東側から始めました。

 昨年の調査で、現在の地表面下約70㎝に室町時代の生活面があることがわかっていたため、その近くまで重機で掘り下げ、その後、人の手により表面をきれいに削って穴などの跡をみつける検出作業をしています。

 すでに、多くの穴や溝の跡がみつかっており、中にはほぼ等間隔で直線に並ぶ穴もあります。これは柵や建物の柱跡の可能性があります。

 遺物としては、昨年もみつかっていた室町時代の鍋や茶碗など陶磁器の破片が多いのですが、今年は銭貨がみつかりました。

 この銭貨は中国でつくられた貨幣で、室町時代頃に日本国内でも使われていた北宋銭と思われます。今後、X線透過観察などを行い、文字の解読をしていく予定です。

【これからの調査予定】

 今年度の調査は、こども園横からさらに北へ向かって進めていきます。中世遺構の北端がみつかるのか、期待しています。

 昨年同様、今年の発掘調査にも、ご理解・ご協力を賜りますよう、よろしくお願いいたします。

 

川田条里遺跡発掘だより2026年度第1号(PDF:924KB)

 

北信,川田条里遺跡,調査情報

2026年3月4日

2026年3月3日 浅川扇状地遺跡群情報

 2011年撮影の浅川扇状地遺跡群調査範囲附近(長野市桐原地区)の航空写真です。撮影者から公開の許可を頂きました。県道高田線建設前の様子がよくわかります。

 なお撮影者、撮影日がわかるようにして頂ければ、ご自由にお使いいただけます。(センターの許可不要)

   撮影者:航空写真の千曲カラー

 

撮影日:2011.5.25

 

撮影日:2011.5.25

 

撮影日:2011.10.4

 

撮影日:2011.10.4

 

撮影日:2011.11.7

 

撮影日:2011.11.7

 

北信,浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)(2021年刊行),調査情報

2025年12月5日

南大原遺跡 2025年度発掘調査情報(8)

【舞台地区現地説明会開催】

 11月15日(土)に、舞台地区を対象とした現地説明会が行われました。当日は、天候にもめぐまれ、213人の参加がありました。

 説明会では、調査地内を実際に歩き、調査地の広さを実感していただくとともに、平安時代の60軒を超える竪穴建物跡や、唯一みつかった墓などを見ていただきました。なかでも、歯や人骨が残った墓や、復元されたカマドなどが注目を集めました。

 この他、事務所内では遺物の見学が行われ、八稜鏡や緑釉陶器・灰釉陶器といった、当時の有力者の存在を示す遺物などを見ていただきました。

現地見学の様子

現地見学の様子

遺物見学の様子

復元されたカマド

 

【最後の空中写真撮影-南大原地区-】

 南大原地区では、11月21日(金)にドローンによる全体写真の撮影を行いました。9月27日(土)の現地説明会以降に明らかとなった成果を対象としたものです。弥生時代の遺構が主な対象となりました。

南西上空から見た南大原地区

 

【調査は最終盤】

 舞台地区では、調査の終了に向け、詰めの調査を行いました。竪穴建物跡では、カマドを解体しながら、その構築過程を調べていきました。また、竪穴建物跡を構築した際の、床部分の整地状況を調べていきました。多くの建物では、竪穴掘削後、整地を行い床が整えられていることが明らかになりました。

 この他、人骨がみつかった墓については、歯と頭蓋骨を取り上げました。専門家に鑑定していただき、年齢等が明らかになるのではと期待しています。

 いずれの地区も補足調査を含めて、12月の第1週に終わる予定です。

西上空から見た北大地区・舞台地区

 

【今年度の成果】

 南大原地区では、弥生時代、古墳時代、奈良時代、平安時代の遺構・遺物が明らかとなりました。特に、弥生時代の多くの竪穴建物跡から管玉が出土している点が注目されます。

 北大原地区・舞台地区では、平安時代の遺構・遺物が明らかとなりました。70軒を超える竪穴建物跡からなる大集落が明らかとなりました。その範囲は約1,500㎡に及びます。当地には、これまで平安時代のムラの記録等はなく、予想外の発見でした。これが今年度の調査で最大の成果と言えるでしょう。

 

【土器の水洗洗浄始まる】

 発掘現場で出土した土器は土が付いたままの状態なので、旧豊井小学校の一室で、土を洗い落とす作業(水洗洗浄)を始めました。墨で文字が書かれた土器(墨書土器)など新たな発見が期待されます。

 

南大原遺跡発掘だより2025年度第8号(PDF: 943KB)

北信,南大原遺跡,調査情報

2025年11月5日

南大原遺跡 2025年度発掘調査情報(7)

【弥生時代の建物跡も次々に発見-南大原地区-】

 9月27日(土)に奈良~平安時代の集落を中心に現地説明会を行った南大原地区では、それよりも古い弥生時代の建物跡の調査を行っています。

 弥生時代の建物は丸い形の竪穴建物跡で、その時期は中期(今からおよそ2100年前)にあたり、南大原遺跡の東側にある栗林遺跡の大規模な集落跡と同時期になります。

 竪穴建物跡からは、弥生土器や石器のほかにネックレスなどに使われた玉製品も多くみつかっています。完成品のほかに作りかけのものもみつかっていますので、近くに玉つくり工房もあったようです。調査はもう少し続きます。今後の調査の進展が楽しみです。

弥生時代の竪穴建物跡 南大原地区

 

【高丘小学校6年生が発掘体験-南大原地区-】

 10月1日(水)、中野市立高丘小学校6年生が南大原地区で発掘調査の体験を行いました。

 埋蔵文化財センター職員らの指導を受けながら、移植ごて小さなスコップを手に持ち、弥生時代中期の竪穴建物跡の発掘を行いました。

 みなさんは、はじめての発掘体験が新鮮だったようで真剣に取り組んでいました。時折、弥生土器片をみつけると歓声があがりました。このなかから未来の考古学者があらわれるのか楽しみです。

高丘小学校6年生発掘体験 南大原地区

 

【平安時代人の発見!!-舞台地区-】

 舞台地区の東側では、平安時代(今からおよそ1000年前)の人骨が1体みつかりました。長方形の穴の中には頭蓋骨、上下顎骨と歯、脚部の骨が残っていました。このことから遺体は頭部を北に向け、手足を伸ばして横たわった状態であったと考えられます。なお、長方形の穴には木の棺があったものとみられ、その外側にはお供えとみられる素焼きのお皿が数枚重なってみつかっています。

 人骨は通常、土壌の成分によって分解されることが多く、貝塚や洞窟などを除けば遺跡から良好な状態でみつかることはきわめてまれで、たいへん貴重な資料です。

墓跡はこの1か所のみです。このムラの有力者だったかもしれません。

平安時代のお墓 舞台地区    人骨の頭部(白い歯が目立つ)

 

【平安時代の大集落を公開しますー舞台地区-】

 舞台地区では、平安時代の一般的な住宅である竪穴建物が60軒以上もみつかっています。その建物数は周辺地域では最大級です。また、今回の調査まで南大原遺跡ではその存在は不明でした。まさに幻の平安時代ムラの発見と言えます。建物の中からは、中野地域では数少ない近畿地方や東海地方で作られる緑釉陶器や東海地方の灰釉陶器、銅製品鏡・馬具など貴重な遺物も複数みつかっています。

平安時代の竪穴建物跡調査風景 舞台地区

東海地方の灰釉陶器 舞台地区

 

 11月15日(土)には舞台地区の現地説明会を行います。普段は立ち入ることのできない現地で建物跡や出土品を間近で見ることができます。ぜひ、ご参加ください。

南大原遺跡発掘だより2025年度第7号(PDF: 894KB)

北信,南大原遺跡,調査情報

2025年10月5日

南大原遺跡 2025年度発掘調査情報(6)

【南大原地区の現地説明会が無事に終わりました】

 9月27日(土)に行なわれた南大原地区の現地説明会では、153名の見学者の方たちに来ていただきました。地元の方たちや県外からの方たちも見受けられ、大変な賑わいとなりました。

 ご見学いただき、ありがとうございました。

 また、11月15日土には、舞台地区で現地説明会を開催する予定です。詳細につきましては、今後、情報を回覧させていただきます。

調査区現地での説明

遺物展示室での説明

 

【現地説明会の様子】

 特に好評いただきましたのは、遺物展示室の勾玉、管玉の展示でした。こちらの遺物は、一か所の遺構から出土したのではなく、複数の弥生時代中期の竪穴建物跡からみつかった玉類を集めて完成させました。勾玉、管玉はお墓から出土することが多いのですが、南大原地区では竪穴建物跡からの出土となり、破片を含めて管玉が9個以上も出土した竪穴建物跡もみつかっています。

 勾玉は1.3cmと非常に小さいものです。昨年度の調査でも弥生時代中期の竪穴建物跡から勾玉がみつかっており、今回、出土した勾玉と形が似ています。

遺物展示室・勾玉展示

 

【続・舞台地区の調査成果について】

 舞台地区全体で50軒以上の竪穴建物跡が検出されています。

 いずれも平安時代の中頃の、9世紀末から10世紀代に限定されてきています。竪穴建物跡の調査では、希少品である緑釉陶器や鉄製の鎌が出土し、裕福な集団であった可能性があります。

 その中でも、舞台西地区の竪穴建物跡(SB16)からは八稜鏡が出土し注目されます。

舞台西SB16から出土した八稜鏡

舞台西SB16から出土した八稜鏡の取り上げ

 

【八稜鏡の出土例】

 県内での八稜鏡の出土例は少なく、中野市の栗林遺跡、長野市の南宮遺跡、田中沖遺跡、坂城町の上五明条里水田址などがあげられます。これらは南大原遺跡と同じで、竪穴建物跡から出土しています。お墓から副葬品として出土した例としては、茅野市の中村・外垣外遺跡、塩尻市の吉田川西遺跡があります。吉田川西遺跡で出土した八稜鏡は重要文化財に指定されています。

 

【参考文献】長野市誌編さん委員会2003『長野市誌第十二巻資料編原始・古代・中世』

南大原遺跡発掘だより2025年度第6号(PDF: 799KB)

北信,南大原遺跡,調査情報

2025年9月22日

川田条里遺跡 2025年度発掘調査情報(5)

【新しい調査区の発掘調査が始まりました!】

 7月下旬から市道町川田大門線北側でT12調査区の発掘調査が始まりました。現在は中世と想定される面の調査を行っています。

 T12調査区の西側に隣接する旧川田保育園(現:認定こども園川田)建設時の調査では、川田氏館跡との関連が想定される建物の跡や、たくさんの穴がみつかっています。

T12調査区調査の様子(北東から)

 

【穴だらけ!これって建物の跡?】

 T12調査区からも建物の柱穴を含むたくさんの穴がみつかりました。

 一見まとまりなく見えるこれらの穴も、穴の大きさや、穴と穴との間隔などを分析することによって、当時の建物の柱の位置や、上部の構造を推定することができます。

 建物の規模を表すときには、柱と柱の間を「間」と表現します。

 T12調査区では、東西3間×南北2間の建物や、東西2間×南北2間の建物と想定される痕跡がみつかっています。

東西3間×南北2間の建物跡

東西2間×南北2間の建物跡

 

【東海地方から搬入された中世の陶器】

 T12調査区からは、中世と想定される尾張(愛知県西部)周辺の窯で焼かれた山茶碗や、美濃中津川(岐阜県中津川市)周辺の窯で焼かれた陶器の甕がみつかりました。

 山茶碗は、釉薬を使わずに焼き上げられた陶器です。生産地である東海地方を中心に中部地方にも広く分布する遺物です。長野市内の遺跡でもみつかっており、日常雑器として消費されたと考えられています。

 中津川の窯で作られた陶器は、生産地周辺から信濃にかけて多くみつかっている遺物です。北信地域では、栗田城跡・尾張城跡(ともに長野市)、東條遺跡(千曲市)など有力者の居館などに関連する遺跡でみつかっています。本遺跡も川田氏館跡に隣接しており、地域の有力者との関連を考えさせる遺物です。

 

尾張周辺で焼かれた山茶碗

 

中津川の窯で焼かれた陶器(甕)

 

 

【現場公開】

 現在、T12調査区は1次面(中世面)の調査を終え、さらに下の面の調査を行っています。遺構数も増加し調査は佳境を迎えています。

 また、地元の皆さんにはすでに回覧いたしましたが、10月1日(水)と2日(木)の両日、午後1時30分から3時まで発掘調査現場の公開を行います。平日ではありますが、ぜひお越しください!

 

川田条里遺跡発掘だより2025年度第5号(PDF: 711KB)

北信,川田条里遺跡,調査情報

2025年9月5日

南大原遺跡 2025年度発掘調査情報(5)

【令和7年度の南大原遺跡の発掘調査、後半戦がはじまりました】

 8月末で北大原地区の調査が終了し、舞台地区に2班が合流し、南大原地区と同時並行で調査を進めています。調査区域内には危険な場所もありますので、許可なく立ち入らないようお願いします。発掘の見学を希望される方は、事前にご連絡ください。

 今後、南大原地区では、9月27日(土)に現地説明会を開催する予定です。また、10月1日(水)には、高丘小学校6年生の体験発掘を受け入れる予定です。皆さまのご理解とご協力をお願い申し上げます。

南大原遺跡空中写真(北東から)

 

【南大原地区の調査成果について】

 南大原地区は、弥生時代中期後半から古墳時代、奈良・平安時代の竪穴建物跡が見つかっています。他の2地区の竪穴建物跡は平安時代に限定されているのに対して、南大原地区は長期にわたり居住に好適地であったと考えられます。現在は、古墳時代~奈良・平安時代の竪穴建物跡の調査を中心に行っています。

 下の写真は須恵器の坏が5枚重なって出土したもので、下2枚の坏には墨で字が書かれていました。墨書土器と言いますが、南大原遺跡では初めての出土となります。

南大原SB127須恵器坏出土状況(8世紀代)

南大原SB127 5枚重ねの下2枚に墨書

 

 下の写真は、竪穴建物跡に付随するカマドです。SB136は煙り出しの穴がトンネル状に確認され、SB142では、カマドに掛けた土師器の甕を支える支脚石が確認されました。

南大原SB136カマド(8世紀末~9世紀初)

南大原SB142カマド(9世紀前半)

 

【北大原地区の調査成果について】

 7月16・17日の現地公開で竪穴建物跡の細部についてご覧いただいた方もいらっしゃると思いますが、全体的にみると下の写真のように2間×2間の総柱建物跡を中心に、東側に4軒、西側に4軒の竪穴建物跡が分布します。西側の4軒は現市道側まで延びています。いずれも重複しており、これは1軒ずつ4時期に渡り建て替えられていたことを示しています。一方、東側の4軒は重複することもなく最大で4軒同時存在したことが考えられます。また、SB2・3はカマドを造り替えており、長い期間、使用されていたと想定されます。今後、出土した土器等を分析して、竪穴建物跡の時期を特定できればと考えています。今後の整理作業に乞うご期待です。

北大原地区 空中写真(南から)

 

【舞台地区の調査成果について】

 舞台地区全体で50軒以上の竪穴建物跡が検出されました。いずれも9世紀末から10世紀代に限定されそうです。北大原地区から続く河岸段丘上の高まりを居住地として集住し、その後、短期間に移動してしまい、遺跡としては近世まで空白地帯になってしまう様子が想像されます。竪穴建物跡の調査では、希少品である緑釉陶器や鉄製品が出土し、さらに12m×10m程の巨大な竪穴建物跡も見つかっております。リーダー的な存在を持つ裕福な集団であった可能性があります。また、木棺墓が検出され、どんな副葬品が出土するか楽しみです。この地区につきましては、 11月に現地説明会を開催する予定です。詳細につきましては後日回覧させていただきます。

舞台西SB13カマド(10世紀代)

舞台西SB19から出土した緑釉陶器

 

南大原遺跡発掘だより2025年度第5号(PDF: 873KB)

北信,南大原遺跡,調査情報

2025年8月15日

川田条里遺跡 2025年度発掘調査情報(4)

【古墳時代から奈良時代と推測される水田跡がみつかりました!!】

 市道町川田大門線南側のT14・T15調査区の発掘調査が完了しました。

 地表面から約130cmほど下で古墳時代から奈良時代と思われる水田の畦畔がみつかっています。また、T14調査区では畦畔に沿って長さ100cm程度の杭が打ち込まれていました。T15調査区内の一角では畦畔が不明瞭となります。過去の上信越自動車道部分の調査では、T15調査区付近で水田が確認されなくなることが分かっており、今回の調査成果と一致しています。周辺環境の復元については、今後科学分析による検討を行います。

壁面で確認された畦畔の盛り上がり(T15調査区)

古墳時代から奈良時代の水田の畦畔(T14調査区)

古墳時代から奈良時代の水田の畦畔(T15調査区)

畦畔に伴う木杭(T14調査区)

畦畔に伴う木材(T15調査区)

 

【水田で出土した遺物】

 水田面での遺物の量は少ないですが、古墳時代の土器(土師器)などが出土しています。

 土師器は甕(煮炊きに用いる土器)の割合が多いです

古墳時代の土器(T15調査区)

 

【これからの調査の予定】

 7月下旬から市道町川田大門線北側のT12調査区の調査を実施しています。隣接するこども園の調査では、中世の居館跡である川田氏館跡に関連する遺構が確認されており、T12調査区でも多くの発見があるものと期待されます。新たな調査成果は今後の発掘だよりでお知らせします。

T12調査区の調査

 

川田条里遺跡発掘だより2025年度第4号(PDF: 1059KB)

北信,川田条里遺跡,調査情報

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