Research調査情報

2017年7月11日

石川条里遺跡 平成29年度調査情報 (2)

6月上旬まで調査を行っていた地区では、地表下約1.8mで千曲川の洪水で埋まった弥生時代の水田跡を発見しました。坂城更埴バイパス建設に伴う石川条里遺跡の発掘調査では、初めての発見となります。


【弥生時代水田跡の調査】

写真の右側に県道長野上田線が通っています。
弥生時代の土層を覆う砂層を掘り下げ、畔などを検出している様子です。白線が畔です。洪水砂は、畔の部分にはなく、水田面に堆積していました。



【地形の起伏に沿った水田】

弥生時代の水田跡を上空から撮影した写真です。畔で囲まれた水田跡の左側で微高地がみつかりました。弥生時代の畔はこの微高地の裾に沿ってつくられています。一方、現在の水田は、ほぼ東西南北方向に畔が延びています。


【水田跡の測量】

電子平板を使って畔の測量をしている様子です。

水田一枚が小さいことがわかります。


【上空から見た石川条里遺跡】

調査区とその周辺を撮影した写真です。調査区周辺は現在も水田が広がり、弥生時代から生産域であったことがわかります。

石川条里遺跡

2017年7月4日

小島・柳原遺跡群 平成29年度調査情報 (3)

柳原住民自治協議会による遺跡の見学会が6月28日にありました。地域の皆さん23名の参加があり、熱心に調査の様子をご覧になっていました。

【調査区の見学】

一段高い場所から、調査区全体を見学していただきました。
遺構が重なり合っている様子がよくわかります。


【竪穴(たてあな)建物跡の説明】

前日夜に雨が降りましたが、竪穴建物跡の間近で見学していただくことができました。参加者からは、遺跡や遺構に関する質問が多く出されました。


【遺物の説明】

平安時代の土師器(はじき)や須恵器(すえき)、土製のおもり、陶製
の容器のフタ、お茶の道具である風炉(ふろ・ふうろ)の破片など、今年出土した遺物を見ていただきました。

小島・柳原遺跡群

2017年6月27日

柳沢遺跡 平成29年度調査情報 (2)

現在、遺跡北端の市道倭(やまと)2号線に沿った東西約2m、南北約36mの細長い調査区(B区)を調査しています。


【B区調査風景】

写真右側には高社山(こうしゃさん)がそびえ、左側には千曲川が流れています。調査区は高社山の火山山麓扇状地の末端部分に位置します。


【縄文時代の土坑】

西側はH18~20年に築堤事業で調査が行われ、縄文・弥生・平安時代の遺構や遺物がみつかっています。その続きと考えられる縄文時代の土坑を検出しました。


【B区出土遺物】

縄文時代中期末から後期初頭(約4000年前)の土器が出土しました。


【打製石斧】

土掘りの道具と考えられている打製石斧(だせいせきふ)もみつかっています。
先端部が土に当たって摩耗しています。

柳沢遺跡 

2017年6月12日

小島・柳原遺跡群 平成29年度調査情報(2)

今年度、発掘調査予定範囲は、ほぼ表面の土が剥ぎ終わりました。古代から中世の竪穴建物跡16軒、溝跡7本、墓35基、土坑(穴)200基以上が検出され、調査が進められています。6月7日には、県文化財保護審議委員の先生方や県教育委員会の皆さんが現場を視察されました。


【土器が置かれ、焼けていた穴】

 内耳土器が多量に出土した穴が見つかりました。穴の内側は激しく焼けており、カマドの煙道(えんどう)のような筒状の掘り込みが付いています。穴の中には土器が置かれていました。土器を焼いた穴にしては小さく、何のための施設か検討中です。


【木棺墓と土坑墓】

 昨年度から戦国時代から江戸時代初期にかけてのお墓がいくつも見つかっていますが、今年度も、長方形のお棺が納められていたと思われるお墓(木棺墓)が見つかっています(写真中央)。その右側には、人骨がそのまま土葬されたお墓もみつかっています(写真右)。


【風炉】

 お茶などをたてる時には、湯を沸かすために特別な道具、風炉(ふうろ・ふろ)が使われました。中世のものは、縁に文様装飾が施されていますが、特に素焼き(瓦質)のものが、室町時代以降珍重され、お茶を飲む風習(喫茶・茶の湯)とともに全国に広まったようです。

7月8日(土)に現地説明会を開催しますので、是非ご来場ください。

小島・柳原遺跡群

2017年5月11日

浅川扇状地遺跡群(桐原地区) 平成29年度整理情報(2)

本年度、今まで浅川扇状地遺跡群で出土した金属製品を長野県立歴史館で、整理作業のための応急的な保存処理を開始しています。保存処理の前に、エックス線透過観察を行ったところ、なんと「和同開珎」(わどうかいちん・かいほう)の文字が浮かび上がってきました。


【古代竪穴建物跡から出土した銭】

今から5年前、平成24年度に平安時代前期(9世紀頃)の竪穴建物跡の埋土(まいど)から銭貨(せんか)が出土しました。錆に覆われていて字は読めませんでした。


【出土銭は「和同開珎」だった!】

和同開珎(708年発行)は、北は北海道、南は九州まで出土している、初めて全国に広がった古代貨幣です。県内では24例目となりますが、長野市内では初めてです。政府が整備した道路(官道:かんどう)や役所(官衙:かんが)の跡から出土することが知られており、単に珍しいだけでなく、古代長野の歴史を考える上で、重要です。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2017年5月2日

石川条里遺跡 平成29年度調査情報(1)

坂城更埴バイパス建設に伴う石川条里遺跡の発掘調査が始まりました。現在は、県道長野上田線の東側で調査をしています。


【発掘作業開始式】

4月13日(木)、今年度の発掘調査が始まりました。写真は
発掘作業開始式の様子です。


【周辺の遺跡】

現在発掘調査を実施している調査区を東から撮影した写真です。写真中央にある三角形の尾根には、越将軍塚(こししょうぐんづか)古墳と赤沢城跡(あかざわじょうせき)があります。その尾根の麓では、長谷鶴前(はせつるまえ)遺跡群の発掘調査を行っています。




【水田跡の調査】

平安時代の水田跡を調査しています。平安時代の水田跡は、千曲川の洪水砂で覆われているため、その砂層を掘り下げて畔や水田面に残る足跡と思われるくぼみなどを検出しています。


【水田跡の畔の検出状況】

写真中央の黒色の部分が畔で、その両側の明るい部分が洪水砂です。洪水砂を取り除くと水田面が現れます。


【水田面に足跡?】

畔の両側の水田面には、足跡と思われるくぼみが多数あります。水田を覆う洪水砂がこのくぼみにも埋まっています。


【土層断面の記録】

土層の断面を記録している様子です。


【水田跡の記録】

水田跡の調査で検出した畦は、電子平板という測量機器を用いて記録しています。

石川条里遺跡

2017年4月27日

柳沢遺跡 平成29年度調査情報(1)

4月10日から9月29日の予定で、県道中野飯山線建設事業に伴う発掘調査を開始しました。今年度は、柳沢遺跡の北端部(B区)と南端部(C区・D区)の3か所で、3,350㎡を発掘調査します。


【発掘作業員開始式】

4月20日から発掘作業員さん13名を加えて発掘作業が始まりました。


【高社山と発掘調査地点】

現在調査中のD区では、弥生時代中期後半(約2,000年前)の土器と平安時代前半(約1,200年前)の土器が出土しています。


【D区調査風景】

平安時代の掘立柱(ほったてばしら)建物跡の柱穴と思われる遺構がみつかっています。

柳沢遺跡 

2017年4月25日

ー浅川扇状地遺跡群「本村南沖遺跡」報告書刊行しましたー

書名:浅川扇状地遺跡群 本村南沖遺跡

副書名:新県立大学施設整備事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書

シリーズ番号:113

刊行:2017年3月


本村南沖(ほんむらみなみおき)遺跡は、飯縄山(いいづなやま)南東麓を源流とする浅川が形成した浅川扇状地扇央部分の西端で、南東方向に傾斜する地形の標高387~390mに立地します。主に、弥生時代後期と平安時代9世紀後半の集落跡がみつかりました。特に、弥生時代後期初頭吉田式期の複数の住居を構えた集落跡の発見例は少なく、本遺跡は集落域の分布の広がりを考えるうえで貴重な事例になります。

【遺跡全景(南から)】

縄文時代は土器片のみの出土で遺構はみつかっていません。ほかに弥生時代前期併行の墓跡、古墳時代中期の流路跡、奈良~平安時代の流路跡や弥生~平安時代の土坑(どこう)などを確認しました。


【弥生時代の土器】

吉田式期の竪穴(たてあな)建物跡7軒、掘立柱建物跡1棟、土坑を確認しました。遺物の様相から短期間に存在した集落で、吉田式土器の基準となる遺跡である長野吉田高校グランド遺跡の集落跡とほぼ同時期と考えられます。


【弥生時代の墓跡(SM02)出土遺物】

弥生時代後期前半 箱清水式期の成立段階に相当する土器棺(どきかん)墓が2基みつかりました。そのうちSM02は3個体の壺(つぼ)と1個体の甕(かめ)を組み合わせたもので、中心となる壺1個体は胴部に焼成後の穿孔がありました。この時期の住居跡が隣接する本村東沖遺跡内でみつかっており、居住域と墓域の関係がうかがわれます。


【平安時代の竪穴建物跡(SB13)出土土器】

平安時代は9世紀後半の竪穴建物跡が10軒のほか、掘立柱建物跡1棟、土坑を確認しました。竪穴建物跡は重複があるものの、出土土器に差がないため、ほぼ同一時期の集落であると考えられます。

浅川扇状地遺跡群(三輪地区)

2017年4月25日

浅川扇状地遺跡群(桐原地区) 平成29年度整理情報(1)

浅川扇状地遺跡群は、調査を開始して7年目となりました。今年度も引き続き本格整理作業を行い、古墳時代以降の土器実測を中心に作業を進めています。また、未調査の地区の発掘作業も準備が整いしだい、再開していく予定です。


【土器の実測作業】

古墳時代の甕(かめ)を実測しています。土器の形を整える時についた細かい工具の調整痕(ちょうせいこん)なども、正確に方眼紙に写し取っていきます。


【土器の観察一覧表作成作業】

実測した土器の大きさや色調などの情報を、報告書用に表として作成していきます。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2017年4月24日

小島・柳原遺跡群 平成29年度調査情報(1)

一般国道18号長野東バイパスの建設に伴って、昨年度に引き続き今年度も発掘作業が始まりました。今年度は北八幡川と村山堰に挟まれた部分の東半分を調査します。

 昨年度調査した地区の隣接地になり、平安時代の竪穴建物跡、中世の溝跡や墓跡などの調査になると想定しています。地域の歴史の解明につながる成果が期待されます。


【発掘作業が始まりました】

 4月14日から、作業員さん約20名、調査研究員2名で始まりました。冬の間にたくわえた体力と気合で、みんなやる気いっぱいです。


【大溝の延長】

 昨年度、調査区をほぼ南北に分断するような形で見つかった大溝の延長部分が現れてきました。調査区の南側でほぼ直角に曲がっているようです。


【石塔の出土】

 大溝付近の表土を掘り下げていくなかで、早速、五輪塔や宝篋印塔(ほうきょういんとう)の笠が出土しています。宝篋印塔は、真田家墓所のように上級武士などの供養塔として建てられることが知られています。大溝の性格を考えるうえで手がかりになるかもしれません。

小島・柳原遺跡群

2017年4月12日

ー「黒部遺跡 二ツ石前遺跡」報告書刊行しましたー

書名:黒部遺跡 二ツ石前遺跡

副書名:県営中山間総合整備事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書 信州高山地区

シリーズ番号:116

刊行:2017年(平成29年)3月

両遺跡とも、樋沢川扇状地に立地し、調査地点は黒部遺跡が樋沢川の扇頂部、二ツ石前遺跡は扇央部にあたります。調査の結果、扇状地形成時の河道変動による起伏がとらえられましたが、調査地点は古代の人々が集落を営むには適さない地でした。

今回の調査地点は、遺構がなく、遺物も希薄でありましたが、当地における扇状地利用のあり様を考えるうえで貴重な成果が得られたと考えています。

【黒部遺跡 遠景(南から)】

遺跡は、写真奥を流れる樋沢川左岸で、扇状地扇頂部にあたり、今回は遺跡の北東隅を調査しました。


【黒部遺跡 出土石器】

南側の調査区で、縄文土器の小片とともに、黒曜石製の石鏃が出土しました。


【二ツ石前遺跡 東側トレンチ】

今回は遺跡のほぼ中央を調査しました。東側の樋沢川に近い調査区からは、川によって運ばれた多くの巨礫がみつかります。


【二ツ石前遺跡 出土石器】

地山層上面より、熱性変質を受けた凝灰岩製の削器が出土しました。

 

黒部遺跡・二ツ石前遺跡

2017年3月24日

柳沢銅戈の復元

 

甦れ弥生青銅器の輝き-柳沢銅戈の復元-(行事・お知らせページ)へ

柳沢遺跡

2017年3月9日

小島・柳原遺跡群出土の塔鋺形合子(とうまりがたごうす)について

プレスリリース資料

塔鋺形合子について(pdfデータ(1.3MB)

 

小島・柳原遺跡群

2017年1月30日

浅川扇状地遺跡群(三輪地区)整理情報(3)

 

今年度は本格整理作業を行ってきましたが、3月の報告書刊行に向けて大詰めを迎えています。報告書は県立長野図書館や長野県立歴史館を始め、県内の市町村教育委員会等に配布し、どなたにも見ていただけるようにします。



【遺物写真撮影】

遺物写真は土器の模様や形の特徴が正確に写るよう、ライティングを調節しながらプロのカメラマンに撮影してもらいました。


【報告書の編集・版組】

これまでに作成してきた遺構実測図、遺物実測図、遺構・遺物写真、原稿を合わせ報告書の体裁を整えて、本として印刷できるようにパソコンを使って版組をしていきます。


編集・版組したページの状態です。


【校正】

誤字・脱字はもちろん、間違いがないように細かくチェックし、校正していきます。

浅川扇状地遺跡群(三輪地区)

2016年12月15日

柳沢遺跡調査情報(2)

10月3日から開始した発掘調査は、11月30日で終了しました。調査前に予想していた縄文時代と平安時代の遺構は発見されず、弥生時代と思われる不整形な土坑が2基検出されました。11月には来年度調査予定地区の確認調査をしました。



【遺構範囲とH28年度の調査区(900㎡)】

遺跡範囲(青色のトーン)北端部がH28年度の調査区となります。黄色のトーン部分は築堤事業の調査部分(H18~20年度調査)です。


【出土した縄文土器と弥生土器】

不整形な土坑から出土した縄文時代中期と弥生時代後期?の土器片。


【来年度調査予定地の確認調査】

重機によるトレンチ調査の結果、弥生時代中期と平安時代の土器などが出土し、掘立柱(ほったてばしら)建物跡などの遺構が検出されました。


【確認調査】

前写真の右側の調査区(C区)のトレンチ。砂層が堆積しており、壁が崩れるため、深いところは法面(のりめん)をつけて掘ります。


【確認調査の土層断面】

C区の地表下約1mの黒褐色シルト層から平安時代の土器片がまとまって出土しました。調査地点付近に竪穴(たてあな)住居跡などの居住施設があった可能性があります。


【確認調査の出土遺物】左:C区から出土した平安時代の須恵器、土師器(はじき)、灰釉(かいゆう)陶器。
右:D区から出土した弥生時代中期の土器片。

柳沢遺跡 ,調査情報

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