Research調査情報

2020年4月27日

浅川扇状地遺跡群 2020年度整理情報(1)

2011年に始まった発掘調査も10年目となりました。今年度は、2018・2019年に調査を行った部分の整理作業を行い、来年度の報告書刊行に向けた作業を進めていきます。


【土器の復元】

割れ口が丸くなって、つきにくいものもありましたが、ばらばらに割れていた破片を接着して、元の形に復元します。


【土器の実測】

接着し、一部を石膏で補強した土器の実測をします。土器が作られた時の細かな調整の様子などの詳しい観察は、何年やっても難しいですが、図に記録していかねばなりません。


【応急的保存処理】

今年度も遺跡から出土した金属製品のクリーニング作業が始まりました。それぞれの製品について、大きさや現在の状態を記入したカードを作成してから、保存処理を行っていきます。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2020年4月22日

沢尻東原遺跡 2020年度整理情報(1)

【本格整理作業を開始しました】

沢尻東原遺跡の発掘作業は昨年度で終了し、今年度は報告書の刊行に向けた本格的な整理作業を開始しました。現在は土器の接合と復元を実施しています。



【たくさんの遺物が出土しました】

沢尻東原遺跡の発掘調査ではたくさんの遺物が出土しました。コンテナ数は土器270箱、石器50箱を数えます。


【土器の接合作業】

遺跡でみつかる土器は大部分が割れた状態で出土します。すべての破片の文様、色、厚さ、割れ口などの特徴を観察して、土器の形を想像しながら接合します。


【接合が終了した土器】

まるでパズルのようですが、全部のピースがあるわけではありません。このように大部分が復元できる土器は少ないです。


【土器の復元】

接合が終了した土器は立体的に復元します。破片どうしを接着し、テープで固定しながら底から上に向けて組み上げていきます。


【復元が終了した土器】

今から約5000年前、縄文時代中期のものです。

石膏(せっこう)で欠落している部分を補強します。


沢尻東原遺跡

2020年4月20日

氏神遺跡 2020年度調査情報(2)

【8名の精鋭も加わって!】

4月13日から、発掘作業員さんも参加して、本格的に調査を開始しました。まずは、調査範囲の壁削り。遺跡の堆積状況を調べるため、土層断面を精査しています。


【氏神遺跡の地形】

氏神遺跡は、鎖川(くさりがわ)に向かって北へ流れる内山沢(うちやまざわ)左岸の段丘上にあります。 東へ緩やかに傾斜していて、陽当たりはとても良いところです。

【土の中の落としもの】

遺跡の堆積状況です。

3層:黒褐色の土の中から、平安時代(約1100年前)の土器がみつかりました。

4層:茶褐色の土の中から、縄文時代中ごろ(約5500年~5000年前)の土器も姿をあらわしました。


うじがみ遺跡ニュースvol.2(1.13MB)2020年4月発行

氏神遺跡

2020年4月17日

氏神遺跡 2020年度調査情報(1)

【調査開始しました!】

朝日村向陽台(こうようだい)団地の第3期造成工事に伴って、西洗馬の上組にある氏神遺跡の発掘調査を行うことになりました。7月末までの短い期間ですが、よろしくお願いします。


【氏神(うじがみ)遺跡って、なに?】

氏神遺跡は、戦後まもなく塩尻市の平出(ひらいで)遺跡で総合調査がおこなわれた頃、國學院(こくがくいん)大学の大場磐雄(おおばいわお)博士の指導のもと、地域の有志の皆さんが発見した歴史ある遺跡です。
『朝日村誌』によると、今から約12,000年前につくられた黒曜石(こくようせき)製の有舌尖頭器(ゆうぜつせんとうき)をはじめ、縄文中期の土偶(どぐう)など、さまざまな時代の人びとの営みを証明する遺物が、採集されているようです。

 

【縄文時代や平安時代の土器発見!!】

氏神遺跡で正式な発掘調査がおこなわれるのは、今回がはじめてです。
4月6日(月)から、バックホーをつかって表土の掘削をはじめました。調査範囲の東寄りにある住まいの跡らしき部分から、土器のカケラが出土しています。これから、どんな宝物が出てくるやら、楽しみですね。

 

うじがみ遺跡ニュースvol.1(PDF1.01MB)2020年4月発行

 

 

氏神遺跡

2020年3月2日

塔鋺形合子(とうまりがたごうす)模造品の製作

 

塔鋺形合子(とうまりがたごうす)模造品の製作

 

 ☆動画:塔鋺形合子模造品製作 (MP4,7.0MB)

 

小島・柳原遺跡群

2020年2月6日

南大原遺跡 2019年度調査情報(3)

 この度の台風19号の影響で被害に遭われた皆様方には心よりお見舞い申し上げます。

 

【今年度の発掘調査は終了しました】

 平成31年4月にスタートした発掘作業は令和2年1月末に終了しました。昨年10月の台風19号による千曲川の氾らんでは、調査現場がそっくり水没し、プレハブが流出してしまいましたが、多くの皆様のご支援とご協力によって復旧することができました。

 
地元の皆様には、復旧作業中に温かいお言葉を掛けていただいたり、採れたてのブドウを差し入れていただいたりと、お心遣いいただきました。改めてお礼申し上げます。


【千曲川べりに営まれた2,000年前の集落】

 今回の調査では、弥生時代中期(約2,000年前)の集落跡を良好な状態で確認することができました。過去の調査成果を合わせると、集落の様子がよくわかります。
集落は大きく蛇行する千曲川沿いの自然堤防上に立地していました。同じころ、旧千曲川の対岸には栗林遺跡(県史跡)の集落がありました。

集落で一番高い場所に「環状土坑列(かんじょうどこうれつ)」があり、土坑列を取り囲むように竪穴建物跡(たてあなたてものあと)や墓域(ぼいき)、掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)が分布しています。集落の中心にある土坑列は共同の儀礼の場なのかもしれません。 


【「環状土坑列」とは?】

 調査区南東部から全国的に類例のない「環状土坑列」が2基みつかりました。直径が0.6~0.9mほどの大きな土坑(穴)が円弧状に並んでいて、配列は南北にずれて二つあります。土坑は長径18mもある、大きな環状に配列していたといえそうです。(人の立つ位置に土坑があります。) 


【柱を立てていた跡のある土坑(穴)】

 土坑の深さは0.1~0.6mと深浅あり、深いものには柱の痕跡がある例もあります。単なるトーテムポールのようなものなのか、建物なのか、その性格は今後の研究課題です。(赤い色の部分が柱を立てていたところです。)


【2,000年前の鉄器つくり】

 竪穴建物跡内から鉄製品・小鉄片や、砥石・台石といった加工具が出土しています。南大原遺跡の弥生集落では小規模な鉄器加工が行われていたと考えられます。2,000年前という、日本国内でも非常に早いころ、北信濃にはすでに鉄器加工技術が伝わっていたことを示す重要な発見です。

【竪穴建物跡から出土した1㎝ほどの小さな鉄片】


【一か所にまとまるお墓】

 お墓は集落の一か所にまとまっています。お墓の種類は二つあって、木製の板を組み合わせた木棺墓(もっかんぼ)が7基、木製板を組み合わせてから床一面に丸い石を敷き詰めた礫床木棺墓(れきしょうもっかんぼ)が5基みつかっています。


【並んで見つかった礫床木棺墓】

 右の墓から管玉(くだたま)20点がまとまって出土しました。


【墓などから出土した管玉】

 小さな礫床木棺墓からは石製首飾りの管玉が20点まとまって出土しました。

【次年度に向けて】

 今年度台風による千曲川の氾らんの影響等で調査を延期した部分で発掘作業を

 予定しています。引き続きご協力よろしくお願いします。

 

南大原遺跡

2020年1月14日

石川条里遺跡 2019年度発掘調査情報(2)

平成31年4月に開始した今年度の発掘作業は、冠着山が雪化粧した12月をもちまして終了しました。

【雪を被った冠着山】

平成25年度から開始した坂城更埴バイパス改築に伴う塩崎遺跡群、石川条里遺跡、長谷鶴前遺跡群の発掘作業は、市道の一部を残して終了することになります。
長野市篠ノ井塩崎地区の皆様には、大変お世話になり、ありがとうございました。

今年度は、おもに平安時代とこれまでの発掘では明確ではなかった古墳時代の遺構・遺物がみつかりました。


【古墳時代の杭列と遺物集中】

県道長野上田線に近い調査区で、4条の杭列と遺物集中がみつかりました。杭列は、ほかの調査区で確認した古墳時代の大畦とほぼ同じ方向に延びており、土地を区画するためにつくられたものと思われます。杭列の一角に遺物が集中していました。


【杭列と横木】

4条ある杭列のなかで、もっとも東側の杭列には、杭列に沿って自然木が埋設されていました。杭列を保護する目的で設置されたと思われます。


【遺物集中での作業風景】

長辺約5m、短辺約3m、深さ約30cmを測る不整形な落ち込みがみつかりました(検出面からの計測値)。底面にこまかな凹凸があります。この落ち込み(SX002)からは多量の木材と土器が廃棄された状態で出土しました。木材は自然木が大半を占めていましたが、農具や建築部材と思われるものもみられました。


【遺物集中】

SX002からは供献(きょうけん)用の小型丸底(こがたまるぞこ)土器や高坏(たかつき)が出土しましたが、特に小型丸底土器の出土割合が多いことが特徴的でした。SX002の周辺で行われた非日常的な行為で用いられた土器が廃棄されたものと思われます。


【小型丸底土器出土状況】


【ミニチュア土器】

小形丸底土器を模した非常に小さいミニチュア土器も1点出土しました。土器の口径は約3cmで、土器の縁から底までは約5cmを測るものです。

石川条里遺跡

2020年1月8日

浅川扇状地遺跡群 2019年度発掘調査情報(4)

【発掘作業が終了しました。】

4月に開始した今年度の発掘作業も11月末で終了しました。今年度は桐原地区と吉田田町地区で調査を行い、弥生時代から平安時代の竪穴建物跡15軒や中世の居館(桐原要害)の堀跡、弥生時代から近世の土坑125基などがみつかりました。


【弥生時代(約1,800年前)】


【竪穴(たてあな)建物跡 写真撮影準備作業】

弥生時代の遺構は吉田田町・桐原の両地区から竪穴建物跡2軒や土坑などがみつかりました。


【土器出土状況】

そのうちのひとつの住居跡からは甕や壺・高坏などたくさんの土器が出土し、高さ4.3㎝の珍しいミニチュア土器もみつかりました。(点線内)


【ミニチュア土器】


【古墳時代(約1,700年前)】

【古墳時代の竪穴建物跡】

古墳時代の遺構は、桐原地区の竪穴建物跡が1軒ですが、埋土の中からは甕や壺・器台など様々な土器がみつかりました。

 

【平安時代(約1,100年前)】

平安時代の遺構としては、桐原地区で竪穴建物跡が12軒みつかりました。後世のかく乱を受けて壊されている部分が多く、出土した土器も少なめでしたが、墨書がある土器や土製の紡錘車など珍しい遺物もみつかっています。

【土製紡錘車】

(径7.5㎝、厚さ2.5㎝、重さ168.8g)

 

【中世(約600年前)】
【中世の堀跡】

 
中世の居館(桐原要害)の堀跡は、西側の辺が南北約118mに達することが確認できました。

 

【近世(約150年前)】

【吉田田町地区 近世面の調査風景】

近世の遺構は、吉田田町地区で土坑27基がみつかりました。


【炭化物で埋まっていた近世の土坑】

多くの土坑には、炭や焼けた土の塊などが混入していて、1864(元治元)年の「田町の大火」との関連が想定されます。


【おわりに】

平成23年度から始まった発掘作業も今年度で終了となります。長い間多大なご協力をいただきありがとうございました。これからは、篠ノ井の県埋蔵文化財センターで今までの調査成果の整理作業を行っていきます。埋文センターの展示室には浅川扇状地遺跡群から出土した遺物も展示しておりますので、お近くにお出かけの際は是非お立ち寄りください。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2019年12月4日

沢尻東原遺跡 2019年度発掘調査情報(4)

平成31年4月に開始した発掘作業は令和元年11月をもちまして終了しました。辰野町の皆様には、多大なるご協力をいただき、大変ありがとうございました。
沢尻東原遺跡では約1.8haという広大な範囲を調査し、縄文時代中期(約5000年前)の竪穴建物跡49軒を調査することができました。
今後は報告書作成に向けて本格的な整理作業が始まります。
今後とも地域の皆様のご理解、ご支援をよろしくお願いします。


【沢尻東原遺跡の全景】

小さな丸い影が竪穴建物跡です。
1時期のムラは5~10軒程と考えられます。縄文時代中期ごろ、数百年の間に何世代もの人々が住んでいたことがわかりました。
点線の範囲では埋甕群がみつかりました。


【土器片を敷いた埋甕炉】

竪穴建物跡の中央には囲炉裏(いろり)がつくられています。
この建物跡の炉は深鉢の底を抜いて炉にし、底には土器片が敷かれていました。


【土偶を発見】

沢尻東原遺跡では土偶が7点みつかりました。
完全な形ではなく、いずれも顔、胴、手などの
破片です。縄文時代の遺跡では土偶が割れた状態で
発見されることが多く、縄文人が何らかの意図をもち、
土偶を割り、捨てたと考えられます。


【埋甕群を発見】

竪穴建物跡が分布する範囲の内側で約15基みつかりました(写真1の点線範囲)。
深鉢の中から骨片が出土する例があり、墓の可能性が高いと考えられます。
深鉢の大きさからみて乳幼児の墓が特定の場所にまとめてつくられた可能性があります。


【埋甕の出土状況】

大きな深鉢を用い、地面にほぼ垂直か、やや斜めに
埋められています。


【埋甕の出土状況】

埋甕は接近して埋められたり、離れた場所に単独で埋められる例がありました。また埋甕の中からは拳大の石や凹石などが出土する例もありました。
今後、埋甕の分布状況や、出土資料を検討し、その性格を検討していく予定です。

沢尻東原遺跡

2019年12月4日

一の釜遺跡 2019年度発掘調査情報(3)

11月末で一の釜遺跡の調査を終了しました。調査区は南向きの急傾斜地で、4段の平坦面に分かれていました。上段の平坦面では遺構がみつかりましたが、それより下方の中段、下段、最下段は後世の造成によって削平や撹拌を受けていたため、遺構はありませんでした。


【上段全景】

縄文時代前期末から中期初頭(約5,500年前)の竪穴建物跡2軒、土坑18基と平安時代の土坑1基が見つかりました。


【平安時代の土坑】

縦1.m、横0.5mほどの長方形の土坑です。
底面近くの隅から平安時代の土器(坏)が見つかりました。割れていますが、もとの形に復元することができそうです。


【縄文土器】

見つかった縄文土器の一部です。
土器の表面に粘土紐を貼り付けその上から竹を半分に割った道具などでつけた模様、円や弧を描いた模様、縄目模様が見られます。中央右寄りの破片は小さい穴があけられた浅鉢形の有孔鍔付土器です。


【石器】

写真は石鏃や石錐、石匙、石核です。国史跡星ヶ塔の黒曜石原産地遺跡に近いためか、黒曜石がたくさん出土しました。なかにはチャートや頁岩製の石器もわずかに見つかっています。


【石皿】

前回紹介した大きな礫がたくさん見つかった土坑の礫の中に石皿が含まれていました。縦40cmほどの楕円形をした円礫の中央部(灰色の部分)はすべすべしています。ドングリなどをすり潰したのでしょうか。

一の釜遺跡

2019年10月28日

一の釜遺跡 2019年度発掘調査情報(2)

*調査開始から2か月がたちました。
【見学者】

一の釜遺跡には地元の方をはじめ、これまでに30人ほどの方が見学に訪れました。下諏訪町教育委員会による調査や隣接する武居林遺跡の調査に携わった方から、過去の調査成果などの貴重なお話を伺うことができました。


【竪穴(たてあな)建物跡1】

東西の幅が4mほどの方形の落ち込みが見つかりました。南北に傾斜した斜面に立地するため、南壁は削平を受け、掃除道具の「ちりとり」のような形をしています。北壁側には柱穴が2つ見つかりました。 


【石皿】

竪穴建物跡の床面近くで見つかりました。欠けているので全体の大きさはわかりません。木の実をすり潰したりする台として使われたと考えています。




【竪穴建物跡2】

5mほど西側にもう1基方形の落ち込みが見つかりました。掘り込みは約10cmと浅いのですが、たくさんの黒曜石の剝片や砕片が竪穴建物跡を埋める土の中から見つかりました。平らな底面の一部に焼土が分布することから、これも竪穴建物跡と考えられます。


【遺構検出】

地面を移植ゴテや両刃鎌を使って平らにしています。周囲の土と色や質が異なる部分が見つかりました。穴かどうか確認するため、試し掘りをします。


【遺構精査】

どうやら人が掘った穴のようです。次に半分だけ穴の底まで掘り下げ、土の埋まり方や遺物の入り方、種類などを観察し記録します。



【縄文土器】

穴の中からは、縄文時代前期末(今から約5,000年前)頃の土器や黒曜石の破片が不規則に見つかりました。



【穴の中から見つかった礫】

この穴の底からは大きな礫がたくさん見つかりました。この穴が使われなくなった後で、礫を捨てたのかもしれません。

*今後はこれまでより南側の斜面下方にある平坦面の調査を始めます。

 お気軽にお立ち寄りください。 

一の釜遺跡

2019年10月24日

浅川扇状地遺跡群 2019年度発掘調査情報(3)

【発掘作業開始から7か月

平成31年4月に始まった発掘作業は、地域の皆様のご協力のもと順調に進み、この10月で7か月が経過しました。この間に、夏から継続してきた桐原地区の調査が終わり、中世の館跡に伴う堀跡や平安時代の竪穴建物跡等を確認しました。また、新たに吉田田町地区でも発掘を開始しました。今後とも地域の皆様のご理解とご協力をよろしくお願いします。


【平安時代の竪穴建物跡】


【かまど跡の周囲からまとまってみつかった土器】


【床に埋められた土器】

桐原地区では、平安時代の竪穴建物跡から、床に埋められた状態の土器が見つかりました。なぜ、床に土器を埋めるのか、はっきりした理由はわかっていません。土器の出土状態を観察すると、ゴミ穴のような場所ではなく、土器の大きさに合わせて掘られた穴に、口を上にして設置されていました。古代人が特別の思いで意図的に土器を埋めたことがわかります。


【中世の堀跡、どこまで続く?】

桐原地区では平安時代の遺構の他に、中世の館跡「桐原要害」に伴う堀跡を確認しています。調査区を南北に縦断するように見つかったこの堀は、館跡の西側を区画するものです。堀は館跡を囲むように設置されるため、どこかで東側に曲がり、南側を区画する堀になるはずですが、この調査区では堀の屈曲部を見つけることができませんでした。今後の課題です。

【ハートマーク?の墨書土器】

墨で文字や絵が描かれた土器を墨書土器といいます。浅川扇状地遺跡群では、これまでも墨書土器が見つかっていますが、今回は、なんと「♡マーク」が描かれています。じつは、これはハートではなく、イノシシの目をモチーフにした「猪目」という模様です。「猪目」は、魔除けの目的で描かれたものだと考えられており、現代でも神社仏閣などで時折見ることができる模様です。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2019年10月17日

浅川扇状地遺跡群 2019年度発掘調査情報(2)

浅川扇状地遺跡群 現地説明会を開催しました!

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2019年9月24日

一の釜遺跡 2019年度発掘調査情報(1)

【発掘調査が始まりました!】

昭和63年と平成11年に下諏訪町教育委員会が実施した発掘調査では、縄文時代前期末葉から中期初頭(約5,500年前)を中心とする集落跡が見つかりました。黒曜石の原産地を間近に控え、大量の黒曜石が出土することが特徴です。今回の調査対象地からは外れますが、付近に一の釜古墳があり、古墳時代の遺物も出土しています。

 


【諏訪湖の対岸(南)から調査地を望む】

一の釜遺跡は、霧ケ峰高原を背にした湖北山地の南斜面、鋳物師(いもじ)沢川と福沢川に挟まれた細長い尾根上に位置します。眼下には下諏訪の市街地と諏訪湖が広がり、天気が良いと遠く富士山を望むことができます。


 

【表土掘削】

重機を使い、表土や畑などの耕作土を除去し、遺構や遺物が見つかる黄褐色のローム層の上面まで掘り下げています。
調査員は、遺構や遺物がないかどうか、重機のバケットの先を集中して見つめています。重機の運転手さんは、調査員の指示によって土をわずかずつ平らに掘り下げます。
調査員と運転手さんとのコミュニケーションが欠かせない、緊張感のある作業です。

 

【遺構検出】

重機で表土を除去した地面は、移植ゴテや両刃鎌を使って人力で平らにしていきます。すると、黄褐色の地面に薄茶色をした土の質の異なる部分が見つかりました(写真の矢印部分)。直径50cmから1mほどの円形で、黒曜石や縄文土器の破片が出土しています。ひととおり遺構の検出作業が進んだところで、土の質の異なる部分を掘り下げていきます。

穴の形や土の埋まり方、出土する遺物などから、遺構の時期や用途を探っていくわけです。
現在のところ、竪穴建物の痕跡らしき部分も見つかっています。上屋を支えた柱跡や火を焚いた炉跡が見つかれば、竪穴建物跡と断定できるのですが、果たしてどうなりますか? お楽しみに!
 

一の釜遺跡

2019年9月11日

沢尻東原遺跡 2019年度発掘調査情報(3)

猛暑の中の発掘作業を乗りこえ、竪穴建物跡(たてあなたてものあと)を掘り始めるとそのようすも少しずつわかってきました。これまで取上げた土器以外にも、建物跡の床面(ゆかめん)からは屋根を支えた柱の穴や、煮炊きをおこなった炉(=イロリ)の跡などを発見しました。
今回は、縄文中期(約5,000年前)のいろいろな大きさや形の炉跡について紹介します。


【いろいろな炉跡】

竪穴建物跡で大小さまざまな炉跡を発見しました。中期の前半から後半へとうつるなかで、①から③へと炉の大きさも次第に大きくなってゆくようです。

【炉跡①】

7号竪穴建物跡では大変小さな石組炉(いしぐみろ)を発見しました。長さ約20㎝ほどの平らな石を4つ組合せています。他のものと違って、たった4つしか石を使わないので、小ささがわかると思います。


【炉跡②】

25号などの竪穴建物跡では石組炉の内側に土器を埋設していました。石組埋甕炉(いしぐみまいようろ)といいます。約60~70㎝の石の輪の中に、直径25㎝余りの土器が埋まっています。土器は底部や口縁などを打ち欠いて、胴部の高さ15~20㎝程度の部分を使っています。<


【炉跡③】

2号竪穴建物跡では、石で囲んだ炉の内側にも石を敷き詰めています。石囲石敷炉(いしがこいいしじきろ)といいます。長径約1.3mと、やや大型になっているのもこの炉跡の特徴です。


【来訪者が次々と】

7月22日、天候が悪化する中、辰野町の武居保男町長さん、山田勝己副町長さんが遺跡を見学されました。
縄文時代の集落のようすや出土した石器の使い方などを調査担当者が解説しました。
縄文時代の土器がまとまって出土した13号竪穴建物跡などを見学され、遺構・遺物の出土状況やその重要性について、理解を深めていただきました。



【何が出てくるか?ドキドキ!】

夏休み直前の7月23日、辰野南小学校の6年生につづき5年生が遺跡の見学と発掘体験をおこないました。
天竜川に近い調査地点の東端付近を移植ゴテで掘って、大小さまざまな土器のカケラを発見しました。
今回は特に黒曜石(こくようせき)のカケラを見つけることが多く、発見のたびにひときわ大きな歓声が上がりました。
5年生の皆さんも縄文時代を十分に体感できたようです。



現地説明会を開催します!】
 
ホームページで紹介した炉跡や竪穴建物跡の一部、発掘調査のようすなどを見学していただけます。出土したばかりの土器や石器も展示します。

☆お誘い合わせの上、お越しください!

   ☆9月21日(土)

    ①午前10:30~

    ②午後13:30~

 ※詳細は(案内チラシ案内図)をご覧ください。(小雨決行)

 

 

沢尻東原遺跡

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