Research調査情報

2017年6月29日

山鳥場遺跡 平成29年度調査情報(2)

山鳥場遺跡の発掘作業を開始しました。山鳥場遺跡は昨年度からの継続調査です。今年度の調査では縄文時代の遺物包含層(土器や石器を含む地層)の広がりを確認しました。現在、包含層の上面から徐々に掘り下げる作業を進めています。この地層の下から縄文時代中期の竪穴(たてあな)建物跡も確認されています。


【遺跡の土層断面】

矢印の部分に黒味の強い地層が堆積しています。縄文時代中期(約4500年前)~後期(約4000年前)を中心とした土器や石器が多く含まれています。



【遺物包含層を掘り下げる】

調査区を4m四方の方眼に区切り、土器や石器の出土量や分布状況を記録しながら掘り下げていきます。



【土偶の顔を発見】

縄文時代中期(約4500年前)に作られたと考えられます。土偶は完全な形で出土するものが少なく、完全な形の土偶をバラバラにして捨てる風習があったのかもしれません。


【縄文時代の「刃物」?を発見】

昨年度、遺跡からは石を薄く割った破片がたくさん出土しました。これらを観察したところ、破片の一端が刃先のように鋭く、その一部が摩耗しているものもありました。縄文人が石の破片を刃物代わりに使用した可能性があります。

 

山鳥場遺跡・三ケ組遺跡

2017年6月27日

柳沢遺跡 平成29年度調査情報 (2)

現在、遺跡北端の市道倭(やまと)2号線に沿った東西約2m、南北約36mの細長い調査区(B区)を調査しています。


【B区調査風景】

写真右側には高社山(こうしゃさん)がそびえ、左側には千曲川が流れています。調査区は高社山の火山山麓扇状地の末端部分に位置します。


【縄文時代の土坑】

西側はH18~20年に築堤事業で調査が行われ、縄文・弥生・平安時代の遺構や遺物がみつかっています。その続きと考えられる縄文時代の土坑を検出しました。


【B区出土遺物】

縄文時代中期末から後期初頭(約4000年前)の土器が出土しました。


【打製石斧】

土掘りの道具と考えられている打製石斧(だせいせきふ)もみつかっています。
先端部が土に当たって摩耗しています。

柳沢遺跡 

2017年6月12日

小島・柳原遺跡群 平成29年度調査情報(2)

今年度、発掘調査予定範囲は、ほぼ表面の土が剥ぎ終わりました。古代から中世の竪穴建物跡16軒、溝跡7本、墓35基、土坑(穴)200基以上が検出され、調査が進められています。6月7日には、県文化財保護審議委員の先生方や県教育委員会の皆さんが現場を視察されました。


【土器が置かれ、焼けていた穴】

 内耳土器が多量に出土した穴が見つかりました。穴の内側は激しく焼けており、カマドの煙道(えんどう)のような筒状の掘り込みが付いています。穴の中には土器が置かれていました。土器を焼いた穴にしては小さく、何のための施設か検討中です。


【木棺墓と土坑墓】

 昨年度から戦国時代から江戸時代初期にかけてのお墓がいくつも見つかっていますが、今年度も、長方形のお棺が納められていたと思われるお墓(木棺墓)が見つかっています(写真中央)。その右側には、人骨がそのまま土葬されたお墓もみつかっています(写真右)。


【風炉】

 お茶などをたてる時には、湯を沸かすために特別な道具、風炉(ふうろ・ふろ)が使われました。中世のものは、縁に文様装飾が施されていますが、特に素焼き(瓦質)のものが、室町時代以降珍重され、お茶を飲む風習(喫茶・茶の湯)とともに全国に広まったようです。

7月8日(土)に現地説明会を開催しますので、是非ご来場ください。

小島・柳原遺跡群

2017年5月11日

浅川扇状地遺跡群(桐原地区) 平成29年度整理情報(2)

本年度、今まで浅川扇状地遺跡群で出土した金属製品を長野県立歴史館で、整理作業のための応急的な保存処理を開始しています。保存処理の前に、エックス線透過観察を行ったところ、なんと「和同開珎」(わどうかいちん・かいほう)の文字が浮かび上がってきました。


【古代竪穴建物跡から出土した銭】

今から5年前、平成24年度に平安時代前期(9世紀頃)の竪穴建物跡の埋土(まいど)から銭貨(せんか)が出土しました。錆に覆われていて字は読めませんでした。


【出土銭は「和同開珎」だった!】

和同開珎(708年発行)は、北は北海道、南は九州まで出土している、初めて全国に広がった古代貨幣です。県内では24例目となりますが、長野市内では初めてです。政府が整備した道路(官道:かんどう)や役所(官衙:かんが)の跡から出土することが知られており、単に珍しいだけでなく、古代長野の歴史を考える上で、重要です。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2017年5月2日

地家遺跡 平成29年度整理情報(1)

地家遺跡からは、さまざまな種類の木製品が出土しています。日常生活用具もありますが、寺院・葬送・祭祀に関わると考えられるものが多いのが特徴です。今回は、そのいくつかを紹介します。


【高欄の斗束】

仏堂に設けられた須弥壇(しゅみだん)の高欄(こうらん)の斗束(とづか)と推測しています。高欄の横材は上から架木(ほこぎ)、平桁(ひらげた)、地覆(じふく)と3本あり、斗束は地覆の上に立てて平桁を通し架木を支える縦材です。通栭(とおしたたら)ともいいます。この資料は、上部に架木の受部、中央やや上に平桁が取り付く窪み、下部に地覆に固定するためのホゾを作り出しています。

【高欄の模式図】

【板状の塔婆】

塔婆(とうば)は、葬送や供養の際に立てられる木製の板で、板状のものと角柱状の塔婆があります。写真は板状で頭部を緩く尖らせ、側面から2か所の切込みを入れています。

【角柱状の塔婆】

ほぼ四角柱の塔婆です。頭部が緩く尖り、2か所の切込みが全周しています。

【包丁形・刀形木製品】

包丁や刀の形の木製品がみられます。背側を厚く、刃側を薄く削って加工しています。何らかの祭祀行為に用いられたものと推測しています。

【火付木】

棒状の材の下端を斜めに切り落として尖らせたものや、丸く加工したものが150点ほど出土しています。そのうちの大部分は片端もしくは両端が顕著に炭化しているため、火付木(ひつけぎ)と考えています。火付木は火種をカマドや灯明などに移す際に用いる点火具といわれています。



【木製品の実測】

出土した木製品は木質の軟化が進み、また乾燥に弱いため、資料を傷めないよう丁寧かつ素早く実測することが必要です。細心の注意を払いながら作業を進めています。
写真は資料をルーペで詳しく観察しながら実測図を作成している様子です。



地家遺跡

2017年5月2日

石川条里遺跡 平成29年度調査情報(1)

坂城更埴バイパス建設に伴う石川条里遺跡の発掘調査が始まりました。現在は、県道長野上田線の東側で調査をしています。


【発掘作業開始式】

4月13日(木)、今年度の発掘調査が始まりました。写真は
発掘作業開始式の様子です。


【周辺の遺跡】

現在発掘調査を実施している調査区を東から撮影した写真です。写真中央にある三角形の尾根には、越将軍塚(こししょうぐんづか)古墳と赤沢城跡(あかざわじょうせき)があります。その尾根の麓では、長谷鶴前(はせつるまえ)遺跡群の発掘調査を行っています。




【水田跡の調査】

平安時代の水田跡を調査しています。平安時代の水田跡は、千曲川の洪水砂で覆われているため、その砂層を掘り下げて畔や水田面に残る足跡と思われるくぼみなどを検出しています。


【水田跡の畔の検出状況】

写真中央の黒色の部分が畔で、その両側の明るい部分が洪水砂です。洪水砂を取り除くと水田面が現れます。


【水田面に足跡?】

畔の両側の水田面には、足跡と思われるくぼみが多数あります。水田を覆う洪水砂がこのくぼみにも埋まっています。


【土層断面の記録】

土層の断面を記録している様子です。


【水田跡の記録】

水田跡の調査で検出した畦は、電子平板という測量機器を用いて記録しています。

石川条里遺跡

2017年4月27日

山鳥場遺跡・三ヶ組遺跡 平成29年調査情報(1)

県道御馬越塩尻(おんまごえしおじり)(停)線の改築に伴う調査です。山鳥場遺跡は昨年度に引き続き調査を行いますが、現在は、昨年の調査で竪穴(たてあな)建物跡から出土した土器の接合作業を進めています。三ヶ組遺跡は今年度からの調査です。遺跡の確認調査をしました。


【三ヶ組遺跡の確認調査1】

 三ヶ組遺跡は今まで発掘された記録がないため、本調査前に確認調査を行いました。


【三ヶ組遺跡の確認調査2】

 調査予定地に東西方向にトレンチを入れたところ、耕作土直下で基盤となる黄色い地層が出てきて、遺構は確認できませんでした。近代の圃場(ほじょう)整備で、遺跡が削られた可能性があります。


【三ヶ組遺跡で発見された縄文時代の石器】

写真左は打製石斧(だせいせきふ)の一部、右は石鏃(せきぞく)です。


【山鳥場遺跡の土器接合作業】

昨年度の調査で、竪穴建物跡から大小さまざまな大きさに割れた土器が出土しました。この中から文様や色合いの同じ破片を集めてつなげていきます。


【接合して形が明らかになった土器】

縄文時代中期(約4500年前)の深鉢(ふかばち)形土器です。高さ約50㎝、胴回りは約40㎝もある大形品です。粘土ヒモを貼付けたり棒状の工具で線を引いて文様を描いてあります。

山鳥場遺跡・三ケ組遺跡

2017年4月27日

柳沢遺跡 平成29年度調査情報(1)

4月10日から9月29日の予定で、県道中野飯山線建設事業に伴う発掘調査を開始しました。今年度は、柳沢遺跡の北端部(B区)と南端部(C区・D区)の3か所で、3,350㎡を発掘調査します。


【発掘作業員開始式】

4月20日から発掘作業員さん13名を加えて発掘作業が始まりました。


【高社山と発掘調査地点】

現在調査中のD区では、弥生時代中期後半(約2,000年前)の土器と平安時代前半(約1,200年前)の土器が出土しています。


【D区調査風景】

平安時代の掘立柱(ほったてばしら)建物跡の柱穴と思われる遺構がみつかっています。

柳沢遺跡 

2017年4月27日

川原遺跡 平成29年度整理情報(1)

―川原遺跡の整理作業を開始しました―

昨年発掘が終了した飯田市川原遺跡の本格的な整理作業を開始しました。発掘現場で測量してきた遺構の図面を編集したり、竪穴(たてあな)建物跡等から取り上げてきた土器や石器を分類、観察して、発掘調査報告書を作る準備をしていきます。


【竪穴建物跡の平面図編集】

遺跡で記録した竪穴建物跡の平面図と断面図を照合して、報告書に載せる図面のもとを作っていきます。


【柱穴の断面図編集】

基準の位置を確認して標高値をそろえて、柱穴の断面図を清書していきます。


【遺物台帳の確認】

遺物の分類、観察をする前に、遺跡で記録したデータと実際の遺物との照合を行います。


【縄文土器の接合作業開始!】

取り上げてきた縄文土器のかけらをパズルをするようにくっつけて、できるだけもとの形に近づけます。さあ開始!!

川原遺跡

2017年4月26日

出川南遺跡 平成29年度整理情報(1)

センターでは、平成26年から昨年まで出川南遺跡の発掘調査を行ってきました。今年度は、これまでの調査成果をまとめる本格整理作業を進めています。松本市教育委員会が実施した平成25年発掘分も含めて整理し、来年3月には報告書を刊行する予定です。


【遺構図面の点検】

遺構図面の点検を行いました。

平成26・28年に調査を行った溝跡は何本も重なり合いながら複数の調査区にまたがっていて、点検するのにとても苦労しました。


【土器の接合】

平成26年調査で出土した土器から、接合作業を開始しました。古墳時代前期から中期の土師器(はじき)が多いようです。出川南ムラに暮らした人々の様子が見えてくるかもしれません。どれだけ形になるか今から楽しみです。

出川南遺跡

2017年4月25日

ー浅川扇状地遺跡群「本村南沖遺跡」報告書刊行しましたー

書名:浅川扇状地遺跡群 本村南沖遺跡

副書名:新県立大学施設整備事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書

シリーズ番号:113

刊行:2017年3月


本村南沖(ほんむらみなみおき)遺跡は、飯縄山(いいづなやま)南東麓を源流とする浅川が形成した浅川扇状地扇央部分の西端で、南東方向に傾斜する地形の標高387~390mに立地します。主に、弥生時代後期と平安時代9世紀後半の集落跡がみつかりました。特に、弥生時代後期初頭吉田式期の複数の住居を構えた集落跡の発見例は少なく、本遺跡は集落域の分布の広がりを考えるうえで貴重な事例になります。

【遺跡全景(南から)】

縄文時代は土器片のみの出土で遺構はみつかっていません。ほかに弥生時代前期併行の墓跡、古墳時代中期の流路跡、奈良~平安時代の流路跡や弥生~平安時代の土坑(どこう)などを確認しました。


【弥生時代の土器】

吉田式期の竪穴(たてあな)建物跡7軒、掘立柱建物跡1棟、土坑を確認しました。遺物の様相から短期間に存在した集落で、吉田式土器の基準となる遺跡である長野吉田高校グランド遺跡の集落跡とほぼ同時期と考えられます。


【弥生時代の墓跡(SM02)出土遺物】

弥生時代後期前半 箱清水式期の成立段階に相当する土器棺(どきかん)墓が2基みつかりました。そのうちSM02は3個体の壺(つぼ)と1個体の甕(かめ)を組み合わせたもので、中心となる壺1個体は胴部に焼成後の穿孔がありました。この時期の住居跡が隣接する本村東沖遺跡内でみつかっており、居住域と墓域の関係がうかがわれます。


【平安時代の竪穴建物跡(SB13)出土土器】

平安時代は9世紀後半の竪穴建物跡が10軒のほか、掘立柱建物跡1棟、土坑を確認しました。竪穴建物跡は重複があるものの、出土土器に差がないため、ほぼ同一時期の集落であると考えられます。

浅川扇状地遺跡群(三輪地区)

2017年4月25日

浅川扇状地遺跡群(桐原地区) 平成29年度整理情報(1)

浅川扇状地遺跡群は、調査を開始して7年目となりました。今年度も引き続き本格整理作業を行い、古墳時代以降の土器実測を中心に作業を進めています。また、未調査の地区の発掘作業も準備が整いしだい、再開していく予定です。


【土器の実測作業】

古墳時代の甕(かめ)を実測しています。土器の形を整える時についた細かい工具の調整痕(ちょうせいこん)なども、正確に方眼紙に写し取っていきます。


【土器の観察一覧表作成作業】

実測した土器の大きさや色調などの情報を、報告書用に表として作成していきます。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2017年4月24日

ー「龍源寺跡」報告書刊行しましたー

書名:龍源寺跡

副書名:社会資本整備総合交付金(道路)事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書
    (国)256号飯田市上久堅拡幅(1)

シリーズ番号:114

刊行:2017年3月

 
龍源寺跡は伊那谷の天竜川左岸(竜東)の山間地にあります。遺跡が立地する段丘の先端にある谷状地形内を調査した結果、谷状地形を改変して造り出した平場から「方三間(ほうさんげん)の仏堂(ぶつどう)」の可能性が高い礎石建物跡や井戸跡、溝跡などの中世遺構がみつかりました。遺跡の南側には、この地を治めた国人(こくじん)領主である知久(ちく)氏の本城(神之峯(かんのみね)城城跡)があり、飯喬(いいたか)道路建設に伴う神之峯中腹遺跡の発掘では堂宇(どうう)と推測される礎石建物跡が発見されています。神之峯城城跡の周囲には宗教施設が点在していたと推測され、飯田市上久堅(かみひさかた)地区の地域史を明らかにする上で、重要な資料となりました。


【龍源寺跡 遠景(北西から)】

谷状地形内には、平場が造成されていました。写真左下に玉川が流れています。


【谷状地形での調査風景】

谷奥側から玉川側を臨んでいます。三方を尾根に囲まれた中で調査しています。写真中央に礎石建物跡があります。


【3間×3間の礎石建物跡】

写真は建物跡に伴う礎石と礎石推定箇所に模擬柱を立てたものです。建物跡の平面形状は方形で、写真の撮影方向に入り口が存在したと推測されます。


【礎石建物跡造成の様子】

礎石建物跡を構築する際に、黒褐色土と褐色土を交互に埋め立てて造成されています。

【礫石経(れきせききょう)の代用品】

礎石建物跡の検出時に、礎石に囲まれたなかから扁平な礫が45個出土しました。写真はその一部です。礫にはお経が書かれていませんが、礫石経(一字一石経)の代用品と考えています。これらは、地鎮具(じちんぐ)として使われたと推測しています。

龍源寺跡

2017年4月24日

小島・柳原遺跡群 平成29年度調査情報(1)

一般国道18号長野東バイパスの建設に伴って、昨年度に引き続き今年度も発掘作業が始まりました。今年度は北八幡川と村山堰に挟まれた部分の東半分を調査します。

 昨年度調査した地区の隣接地になり、平安時代の竪穴建物跡、中世の溝跡や墓跡などの調査になると想定しています。地域の歴史の解明につながる成果が期待されます。


【発掘作業が始まりました】

 4月14日から、作業員さん約20名、調査研究員2名で始まりました。冬の間にたくわえた体力と気合で、みんなやる気いっぱいです。


【大溝の延長】

 昨年度、調査区をほぼ南北に分断するような形で見つかった大溝の延長部分が現れてきました。調査区の南側でほぼ直角に曲がっているようです。


【石塔の出土】

 大溝付近の表土を掘り下げていくなかで、早速、五輪塔や宝篋印塔(ほうきょういんとう)の笠が出土しています。宝篋印塔は、真田家墓所のように上級武士などの供養塔として建てられることが知られています。大溝の性格を考えるうえで手がかりになるかもしれません。

小島・柳原遺跡群

2017年4月12日

ー「黒部遺跡 二ツ石前遺跡」報告書刊行しましたー

書名:黒部遺跡 二ツ石前遺跡

副書名:県営中山間総合整備事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書 信州高山地区

シリーズ番号:116

刊行:2017年(平成29年)3月

両遺跡とも、樋沢川扇状地に立地し、調査地点は黒部遺跡が樋沢川の扇頂部、二ツ石前遺跡は扇央部にあたります。調査の結果、扇状地形成時の河道変動による起伏がとらえられましたが、調査地点は古代の人々が集落を営むには適さない地でした。

今回の調査地点は、遺構がなく、遺物も希薄でありましたが、当地における扇状地利用のあり様を考えるうえで貴重な成果が得られたと考えています。

【黒部遺跡 遠景(南から)】

遺跡は、写真奥を流れる樋沢川左岸で、扇状地扇頂部にあたり、今回は遺跡の北東隅を調査しました。


【黒部遺跡 出土石器】

南側の調査区で、縄文土器の小片とともに、黒曜石製の石鏃が出土しました。


【二ツ石前遺跡 東側トレンチ】

今回は遺跡のほぼ中央を調査しました。東側の樋沢川に近い調査区からは、川によって運ばれた多くの巨礫がみつかります。


【二ツ石前遺跡 出土石器】

地山層上面より、熱性変質を受けた凝灰岩製の削器が出土しました。

 

黒部遺跡・二ツ石前遺跡

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