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篠ノ井東中の生徒が職場体験を行いました |
9月24日に篠ノ井東中の2年生3名が当センターにおいて職場体験を実施しました。沢尻東原遺跡の作業室では土器の接合を行いました。
たくさんの土器片が並ぶのをみて最初は戸惑いましたが、真剣に取り組み、破片同士がつながるようになりました。
担当職員から縄文土器の特徴について説明を受けました。当センターでの職場体験では、このほかに図書の整理も実施しました。
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篠ノ井東中の生徒が職場体験を行いました |
9月24日に篠ノ井東中の2年生3名が当センターにおいて職場体験を実施しました。沢尻東原遺跡の作業室では土器の接合を行いました。
たくさんの土器片が並ぶのをみて最初は戸惑いましたが、真剣に取り組み、破片同士がつながるようになりました。
担当職員から縄文土器の特徴について説明を受けました。当センターでの職場体験では、このほかに図書の整理も実施しました。
歴史遺産を未来に残すために ~整理室より~
遺跡から出土した貴重な資料は、埋蔵文化財センター内の整理室に運び、整理と分析を行って、南大原遺跡という歴史遺産を未来に継承するための調査報告書を作成しています。
これからの仕事を紹介します。
ペットボトルなどにある賞味期限の印字を見たことがありますか?それと同じ方法で土器1点1点に出土データを記録します。
遺跡名や出土位置の出土データが印字されます。
土器の表面に描かれた文様を寸分違わない精度で図面に写しとります。こうして作成された実測図は全国各地で出土した土器と比較検討する大切なデータとなります。
二千年前の弥生人たちが大地に刻んだ生活の痕跡である建物やお墓の記録を、パソコンを使って合成していきます。
発掘現場と整理室で蓄積された遺跡の記録と成果を、皆さまにご覧いただけるように調査報告書を刊行します。現地には残せない遺跡の記録となる報告書もまた、大切な歴史遺産の一つです。
出土品は博物館等で大切に展示保管されます。現在もセンター展示室で代表的な出土品や写真パネルを展示しています。土器や石器は先人たちが我われ現代人と同じ大地に生きた証しです。
座光寺石原遺跡は、飯田市座光寺地区の土曽川(どそがわ)左岸にあります。リニア中央新幹線の(仮)長野県駅と中央自動車道座光寺スマートインター(建設中)を結ぶ座光寺上郷(ざこうじかみさと)道路の建設に伴い、発掘調査を実施しています。過去の調査記録では、いくつかの古墳の存在と、石室(せきしつ)から馬具(ばぐ)や鉄鏃(てつぞく)などが出土したことが報告されています。古墳の痕跡を探求することも、今回の調査目的の1つと考えています。
【寒冷紗(かんれいしゃ)の下で】
猛暑の日には寒冷紗を張り、日影の中で調査しました。熱中症にならないように、注意しながら掘り下げを進めました。
【石器が出土しました】
縄文時代や弥生時代とみられる打製石斧(だせいせきふ)4点、横刃形(よこばがた)石器4点、砥石(といし)1点が出土しました。これらの石器は、遺跡周辺で採取できる石材を使って製作されています。
【 集石炉(しゅうせきろ)を検出】
焼けた石や炭がたくさん詰まった集石炉がみつかりました。現在のところ、遺物が出土していないので詳しい時期や性格はわかりませんが、これからの調査で明らかにしていきたいと思います。
2年間大変お世話になりました。
昨年4月から実施した南大原遺跡の発掘作業も、この9月をもちまして無事終了いたしました。昨年10月には台風19号の影響で調査の一時中断もありましたが、地域の皆様には日頃からご理解ご協力をいただき、改めてお礼申し上げます。
調査区を善光寺平方面から見ると、左に現在の千曲川の流れ、右に明治時代以前の旧千曲川の痕跡がはっきりとわかります。弥生時代の人々が暮らした二千年前、この一帯はどのような環境だったのでしょうか。
【堆積学による遺跡環境の復元】
遺跡環境を復元するため、土壌堆積学を専門とする信州大学理学部の研究室に調査をお願いしました。住居跡内に堆積した土や遺跡が立地する基盤層が土壌サンプルとして採取されました。その分析によって千曲川べりに暮らした弥生人の生活環境を解明することが期待されます。
中野市立豊井小学校6年生が元気に訪ねてくれました。「本物の土器に触れるのはきっと一生に一度の機会。校長先生もきっと今日初めて触るはずだよ」と話しかけると、皆「えー!」。順番に恐る恐る土器を触ってみて、「弥生土器は薄くてザラザラしてる」、「持ってみると思ったより軽いよ」と色んな声が聞こえきました。発掘現場でしか味わえないワクワク、ドキドキする“生の歴史”を感じてくれたようでした。
7月28、29日に沢尻東原遺跡の整理作業について、県文化財保護審議委員の早稲田大学高橋龍三郎教授より指導を受けました。
【土器を細かく観察する】
土器には変色したり、器面がすり減ったり、焼けた部分や煮炊きの焦げ痕など、たくさんの情報が残っています。こうした観察から土器が何に使われたのかを探ります。
【沢尻東原遺跡の評価について】
沢尻東原遺跡は縄文中期の集落を丸ごと調査し、集落の構造がわかるだけでなく器形や文様の残りが良い土器がたくさん出土しており、長野県の縄文時代を考えるうえで大変貴重な遺跡であるとの評価を頂きました。
(参考)沢尻東原遺跡概要(pdf1.07MB)
長野県宝「信州の特色ある縄文土器」(長野県教育委員会HPへ)
【土器の接合・復元作業】
進行中
沢尻東原遺跡では、土器の接合と復元作業を進めています。
【復元した土器】
沢尻東原遺跡では、今から5,000年前(縄文時代中期)の土器が多く出土しています。上伊那地域のオリジナルな土器のほか県内外の様々な地域のものが出土しています。現在20個体以上の土器が復元できました。
【勝坂式(かつさかしき)土器(井戸尻式(いどじりしき)土器)】
粘土紐で立体的な装飾をするのが特徴です。神奈川県相模原市の勝坂遺跡や長野県富士見町の井戸尻遺跡を標識とし、中期中葉に西関東~長野県中部まで幅広く分布しています。
【梨久保(なしくぼ)B式土器】
細い粘土紐を貼り付けたり、胴体に縦横の直線を描くのが特徴です。長野県岡谷市の梨久保遺跡を標識とし、中期後葉に諏訪・松本を中心に分布しています。
【台形土器】
土器を作る時の工作台という説があります。山梨県で多く発見されています。
【夏休み考古学教室での展示】
8月7・8日に実施した、夏休み考古学教室で接合作業の公開と復元した土器の展示を行いました。複雑な土器の文様をみて見学者の方も大変感動していました。
【発掘調査 最終段階です】
6月下旬から発掘調査を再開しました。昨年10月の台風19号による千曲川氾らんなどの影響で調査ができなかった部分を対象に、9月半ばまで実施します。今回の調査をもって県道改築工事に伴う発掘調査は全て終了します。
【弥生時代の竪穴(たてあな)建物跡を発見】
略円形の竪穴建物跡1軒がみつかりました。過去の調査も含め本遺跡25軒目です。竪穴建物跡は当時人々が暮らした住居と考えられます。調査の積み重ねによって2100年前の弥生ムラの全容が明らかになりつつあります。
【雨ニモ 夏ノ暑サニモマケズ】
例年になく雨の日が多かった梅雨が明けた途端、記録的な酷暑が続いています。農家の皆様と同じく、私たちの仕事も天気に大きく左右されます。近隣の野菜畑や果樹園を参考に、発掘現場を遮光シートで覆ってみました。 日差しを遮り、風通しが良く体感気温は外気より数度低く感じられ、熱中症予防や地面の乾燥予防に効果は抜群です。
【弥生土器の復元】
発掘調査と並行して、センター復元室では昨年度出土したバラバラになった土器のかけらを組み合わせて、足りない部分を石こうで埋めていく復元作業をすすめています。
南大原遺跡の弥生土器は薄くもろいため、慎重な作業が続いています。
【復元された弥生土器】
二千年の眠りから覚めた弥生土器。壺や甕などのバラエティーに富んでいます。
【南大原遺跡の出土品が長野県立歴史館で展示されます】
前回の県道改築工事に伴う発掘調査で2013年に発見された弥生時代の鉄製品が、この秋、県立歴史館企画展に出展されます。信州の弥生時代を語る上で外せない重要な出土品です。柳沢遺跡出土の弥生時代の銅製品(中野市博所蔵)など県内資料も多数集まる、見ごたえのある展示会です。
〇県立歴史館秋季企画展『稲作とクニの誕生-信州と北部九州-』
1.会期 9/15(火)~11/29(日)
2.場所 長野県立歴史館 企画展示室(千曲市大字屋代科野の里歴史公園内)
3.問い合わせ 長野県立歴史館 電話026-274-2000
7月から発掘調査を開始しました。ふじ塚遺跡では過去、町道拡幅に伴う発掘調査を町教育委員会が行っていますが、ごく狭い範囲の調査であったため、遺構・遺物は確認されませんでした。本格的な発掘調査となる今回の成果が期待されます。
遺跡のなかには、ふじ塚古墳があります。ここから富士山がみえることから、「富士塚」と呼ばれるようになったとも考えられています。古墳であるか、中世の塚であるか、発掘で明らかにしたいと思います。
【 遠景】
ふじ塚遺跡は標高835mほどで、眼下に諏訪湖や下諏訪町の市街地が見渡せます。
遺跡の周辺には西側に昨年度調査を行った一の釜遺跡、北西側に武居林遺跡(下諏訪社中学校)、南側に地獄久保遺跡(下諏訪北小学校)が分布しています。
【開始式】
下諏訪町のしごと創生支援施設「ホシスメバ」の一画を現場事務所としてお借りしています。
7月6日に開始式を行いました。
【表土掘削】
重機を使った表土掘削を始めに行います。地表面から30~50cmほど掘り下げたところで、黄褐色の土に変わりました。
次にジョレンや両刃鎌、移植ごてを使って、人力で地面を平らに削り、遺構をみつけます。黒曜石や土器の破片が出土しています。
【遺構検出】
地面を平らに削っていくと、黒褐色をした楕円形の部分がみつかりました。まず半分だけ掘り下げて、穴の断面形や土の埋まり方を確認しながら、遺構の調査を進めていきます。
7月一杯で発掘作業を終了します。連日の雨で現場はご覧のとおり水没しています。今月は、丸一日作業ができたのは、たったの3日。今年の梅雨はもう少し続きそうです。
遺物についた泥をブラシで洗い落します。土器の破片は、ゴシゴシこすると傷めてしまうため、小刻みにトントントンとブラシの先を当てるように洗うのがコツです。
洗浄した遺物は、乾燥させて再びポリ袋等に収納し、台帳に登録します。そして、「注記マシン」という機械を使って、遺物一点一点に遺跡記号や出土遺構名等を、マーキングします。
土器片を出土場所ごとに広げて、接合作業をおこないます。ジグソーパズルに似ていますが、すべてのパーツが必ずそろうわけではない点が、土器接合の難しいところです。
うじがみ遺跡ニュースvol.6 2020年7月発行(PDF1.45MB)
【 穴99個発見! 何に使った?】
遺跡からは、たくさんの穴がみつかっています。これまでにみつかった穴は99個。場所や組合せ、形や大きさ、土の埋まり方、出土遺物など、さまざまな要素を手がかりにして、私たちは穴の用途を考えていきます。今回はそのなかのいくつかを紹介します。
遺跡の西側と南のはずれで、直径が約1mの円形で、深さが約1.2mの深い穴がみつかりました。(深い穴は、作業の安全に配慮して、半分に割って調査します。)
【逆茂木(さかもぎ)の跡】
穴の下の方は長方形で、底には直径3㎝、深さ10~15㎝の小さな穴が4か所あります。この穴は、底に杭(逆茂木)を立てた縄文時代の動物をつかまえるための落とし穴と考えられます。
落とし穴の埋土からは、約5500年前の縄文土器の小さな破片が出土しました。
【貯蔵穴(ちょぞうけつ)】
縄文時代の竪穴建物跡の近くからは、直径約1mの円形で、深さ約60㎝の、断面が袋状の穴がいくつかみつかっています。穴の大きさや形から、木の実などを保存した穴(貯蔵穴)と考えられます。
【黄色矢印の穴の断面】
貯蔵穴と考えられる穴は、直径72㎝、深さ60㎝、容量が約245ℓとなります。
狭くて深い穴を掘るのは一苦労なので、移植ごてや両刃鎌は言うに及ばず、おたまやスプーンなど、さまざまな道具が使われます。
縄文人は、穴を掘る道具の打製石斧を棒の先にくくりつけ、硬い土を根気よく突いてほぐし、手のひらなどですくい上げ、穴を掘り進んでいたのでしょう。
うじがみ遺跡ニュースvol.5 2020年7月発行(PDF1.0MB)
竪穴の中からみつかった柱穴や溝の跡の位置、大きさや深さ、埋まった土の特徴などから、この竪穴は、△から□へ、●から★へというようにつくりかえられた竪穴が2軒重なっていることがわかりました。
【掘立柱建物跡と四角い竪穴建物跡】
長方形に並んだ黒土で埋まった円い穴がみつかりました。これらは掘立柱建物跡の柱穴です。柱穴の中から内面黒色の土器片が出土しました。
左隣には、一辺4mほどの四角い竪穴建物跡がみえます。
【四角い竪穴建物跡】
この四角い竪穴建物跡は、煙出しがついていることから、室内にカマドがある建物跡であることが確認できました。灰の釉薬(うわぐすり)をかけた陶器や、羽釜(はがま)などの遺物から、この竪穴建物は平安時代中期、およそ1,000年前のものであることがわかりました。
竪穴の奥に見える出っ張り部分を精査してみると、土器片や割れた川原石、崩れた粘土のかたまりが出てきました。
川原石を芯材にして粘土をアーチ状に被せたカマドがあったと考えられます。
【カマドのイメージ】
(『三角原遺跡』長野県埋文2005より)
うじがみ遺跡ニュースvol.4 2020年6月発行(PDF1.12MB)
リニア中央新幹線の建設工事に伴い、下伊那郡喬木村おくまんのん遺跡の発掘調査を実施しました。
縄文時代の遺物散布地として知られていましたが、これまで調査履歴がなく、詳しいことは分かっていませんでした。
今回は、遺跡の西端にあたる部分450㎡の調査を行いました。
【調査開始】
遺跡は、天竜川左岸の低位段丘面上に位置し、標高494~520mの城原(じょうばら)台地の直下にあります。
トレンチを重機で掘削して調査を行いましたが、大量の水が湧いてきて大変でした。排水作業をするたびに、たくさんのイモリや沢ガニに出会いました。
【土砂の堆積】
トレンチ壁面の観察から、調査地は谷にあたり、山からの土砂が運ばれて堆積した場所と考えられます。
昭和36年6月に伊那谷を襲った大水害「三六災害」の時にも、この谷を土石流が下っていったそうです。
【土器や石器を発見!】
堆積していた土砂の中から、弥生時代や古代の土器・石器がみつかりました。城原台地上では、弥生時代後期の住居跡がみつかっているので、そのような周辺の遺跡から運ばれてきたものかもしれません。
【記録、そして埋め戻しへ】
掘削後は図面や写真などで記録を取り、埋め戻しを行いました
約1ヶ月の発掘作業は終了しましたが、これから調査成果をまとめる整理作業が始まります。
おくまんのん遺跡はっくつだより 2020年5月発行(PDF823KB)
【石器から鉄器へ】
南大原遺跡は、弥生時代中期後半から後期前半の集落跡です。
弥生時代は、鉄器や青銅器の金属器が日本列島に広まりました。長野県では、中期まで主体的だった石器が後期になると次第に金属器に移り変わっていきます。
整理作業では約150点の石器を確認しましたが、そのうち今回は、石器から金属器へ技術革新が起こった頃の石器を紹介します。
【砥石】
中期の竪穴建物跡から出土しました。中央部が研ぎ面に利用され滑らかになっています。鉄器用なのか磨製石器用なのか、今後、砥ぎ面の細かな観察で明らかになるかもしれません。
【打製石鏃】
中期と後期の竪穴建物跡(たてあなたてものあと)から出土しました。まだ縄文時代と同じように打ち欠いて作られた石鏃が使われています。
この時期には、基部中央が突き出ている有茎石鏃(ゆうけいせきぞく)が多く見られます。
【磨製石鏃】
出土した磨製石鏃4点の内、3点は後期前半の竪穴建物跡から出土したもの(写真左)です。全体を磨き上げ、基部中央に矢の柄に装着するための小さな穴があけられています。
【磨製石鏃未製品】
弥生時代後期前半の竪穴建物跡からは、磨製石鏃の未製品や素材の石片が出土しているので、建物内で石鏃を製作していたことも想定されます。
【磨製石斧(ませいせきふ)と石鎚(いしづち)】
中期の溝跡などから出土。
いずれも石材は深緑色をした非常に硬い輝緑岩(きりょくがん)です。石槌(写真左端)は磨製石斧の刃が折れたものを再利用した石器で、表面に何かを敲いた痕跡があります。
【刃器(じんき)】
弥生時代中期の竪穴建物跡から出土。
大きく割った石片の鋭利な縁をそのまま刃として使った石器です。刃の部分に光沢が見られることがあり、稲を刈るなどの道具であったためと考えられています。
長野県立歴史館で開催中の「春季展2020年長野県の考古学」と、当センター展示室の南大原遺跡出土品を紹介します。県立歴史館では弥生時代中期のムラ、センター展示室では弥生時代後期のムラの様子を紹介しています。来場をお待ちしています。
【石から鉄へ―先進技術に挑んだ弥生時代のムラ】
弥生時代中期後半(約2,100年前)、南大原の弥生人は竪穴建物(たてあなたてもの)に暮らし、木棺墓(もっかんぼ)に葬られる人もいました。ムラの中心には柱を立てたと考えられる穴が環状に並んでいます。共同の儀礼の場なのかもしれません。縄文時代以来の石器を使う一方で、石鎚(いしづち)や砥石(といし)、台石(だいいし)を用いて、鉄器を加工していました。
【弥生時代中期の土器(歴史館春季展展示)】
現代と同じように用途に合わせて様々な形があります。煮炊用の甕と甕の蓋、貯蔵用の壺、盛付用の鉢などです。土器の形によって、表面の文様はおおむね決まっています。
【弥生時代中期の石器(歴史館春季展展示)】
小鉄片が出土し、鉄器加工を行ったと考えられる竪穴建物跡で出土した石器です。鉄器加工にかかわる道具と考えています。
【礫床木棺墓から出土した管玉(歴史館春季展展示)】
管玉(くだたま)は、写真右側の小さな礫床木棺墓(れきしょうもっかんぼ)から出土しました。ストロー状に紐を通す穴があけらた管玉は、硬い緑色の石で、北陸地方の玉作りを行った集落からもたらされた交易品の可能性があります。
【弥生時代中期の鉄製品(県立歴史館春季展に展示)】
弥生時代中期後半の竪穴建物跡から出土しました。
矢じりなどの武器なのか、木工具などの刃先なのか、用途は解明されていません。
【弥生時代後期の竪穴建物跡(埋文センター展示室)】
長さ5.9m、幅4.2mの隅丸(すみまる)長方形をした四本柱の建物跡です。
床の中央奥寄りに小さな炉跡があります。
【弥生時代後期の甕(埋文センター展示室)】
細い棒を束ねた施文具で、波状文や横引き文(簾状文)が付けられ、ボタンのような貼付文も見られます。この時期の北信地方で一般的な文様の甕です。
【弥生時代後期の磨製石鏃(埋文センター展示室)】
弥生時代後期の竪穴建物跡から出土しました。