Research調査情報

2017年3月24日

柳沢銅戈の復元

 

甦れ弥生青銅器の輝き-柳沢銅戈の復元-(行事・お知らせページ)へ

柳沢遺跡

2017年3月9日

小島・柳原遺跡群出土の塔鋺形合子(とうまりがたごうす)について

プレスリリース資料

塔鋺形合子について(pdfデータ(1.3MB)

 

小島・柳原遺跡群

2017年1月30日

浅川扇状地遺跡群(三輪地区)整理情報(3)

 

今年度は本格整理作業を行ってきましたが、3月の報告書刊行に向けて大詰めを迎えています。報告書は県立長野図書館や長野県立歴史館を始め、県内の市町村教育委員会等に配布し、どなたにも見ていただけるようにします。



【遺物写真撮影】

遺物写真は土器の模様や形の特徴が正確に写るよう、ライティングを調節しながらプロのカメラマンに撮影してもらいました。


【報告書の編集・版組】

これまでに作成してきた遺構実測図、遺物実測図、遺構・遺物写真、原稿を合わせ報告書の体裁を整えて、本として印刷できるようにパソコンを使って版組をしていきます。


編集・版組したページの状態です。


【校正】

誤字・脱字はもちろん、間違いがないように細かくチェックし、校正していきます。

浅川扇状地遺跡群(三輪地区)

2016年12月15日

柳沢遺跡調査情報(2)

10月3日から開始した発掘調査は、11月30日で終了しました。調査前に予想していた縄文時代と平安時代の遺構は発見されず、弥生時代と思われる不整形な土坑が2基検出されました。11月には来年度調査予定地区の確認調査をしました。



【遺構範囲とH28年度の調査区(900㎡)】

遺跡範囲(青色のトーン)北端部がH28年度の調査区となります。黄色のトーン部分は築堤事業の調査部分(H18~20年度調査)です。


【出土した縄文土器と弥生土器】

不整形な土坑から出土した縄文時代中期と弥生時代後期?の土器片。


【来年度調査予定地の確認調査】

重機によるトレンチ調査の結果、弥生時代中期と平安時代の土器などが出土し、掘立柱(ほったてばしら)建物跡などの遺構が検出されました。


【確認調査】

前写真の右側の調査区(C区)のトレンチ。砂層が堆積しており、壁が崩れるため、深いところは法面(のりめん)をつけて掘ります。


【確認調査の土層断面】

C区の地表下約1mの黒褐色シルト層から平安時代の土器片がまとまって出土しました。調査地点付近に竪穴(たてあな)住居跡などの居住施設があった可能性があります。


【確認調査の出土遺物】左:C区から出土した平安時代の須恵器、土師器(はじき)、灰釉(かいゆう)陶器。
右:D区から出土した弥生時代中期の土器片。

柳沢遺跡 ,調査情報

2016年12月13日

小島・柳原遺跡群 平成28年度調査情報(3)

今年度の調査が11月30日に終了しました。竪穴(たてあな)住居跡15軒、溝跡9本、墓跡26基、土坑370基以上など古代から近世の遺構を調査し、たくさんの土器や石製品、金属製品などの遺物が見つかりました。
地域の皆さんをはじめ多くの方々のご理解ご協力をいただき、本当にありがとうございました。


【西側上空から見た今年の調査地区】

北八幡川の北側の地区では、狭い範囲に平安時代の竪穴住居跡が10数軒集中していました。またこの竪穴住居跡を切った中世の大きな溝も見つかりました。


【中世の大溝】

南北方向にまっすぐのび、寺院などの区画と考えられる幅6m、深さ2mを超える大溝からは、五輪塔が多く出土しました。


【土器が集中して出土】

ある平安時代の竪穴住居跡カマドからは、土師器(はじき)や内黒8うちぐろ)土器、灰釉(かいゆう)陶器が30点以上集中して見つかりました。元の形に復元できそうな土器片が多く、今後の作業が楽しみです。


【終了式の様子】

6月に作業員さん19名、調査研究員2名で始まりましたが、終了時には作業員さん22名、調査研究員4名となりました。大きなケガ・事故もなく無事終了の日を迎えることが出来ました。

小島・柳原遺跡群

2016年12月9日

山鳥場遺跡調査情報(3)

7月から開始した山鳥場遺跡の発掘調査は、11月末で終了しました。今年の調査では縄文時代中期から晩期にかけての住居跡や遺物が数多く見つかりました。朝日村をはじめ、多くの皆様に御協力いただき、大変ありがとうございました。


【中期の住居跡】

中期(約5000年前)の住居跡は8軒見つかりました。写真のように住居跡が何軒も重なって発見された地点もあり、同じ場所に数世代にわたって住み続けたと考えられます。


【中期の竪穴(たてあな)住居跡の大きさと形】

中期の住居の形は、ほぼ円形で大きさは約5~6mあります。屋根を支える柱は6本で、柱穴の直径は60cm前後あります。発掘に参加した作業員さんに柱の穴の中に立ってもらいました。住居の大きさが実感できると思います。


【中期の土器】

中期の住居跡からは、たくさんの土器が出土しました。この頃の松本や伊那では土器の表面に粘土ヒモで直線や渦巻を貼り付けて飾ることが流行しました。


【後期の住居跡】

後期(約4000年前)の住居跡は2軒見つかりました。このうち1軒は敷石(しきいし)住居で、床面に平らな石が並んでいることがわかりました。


【晩期の耳飾り】

晩期(約3000年前)は、耳飾りが3点出土しました。写真のものは直径が3㎝ほどあります。耳たぶに穴をあけてはめたようです。


【遺跡周辺からみた八ヶ岳】

八ヶ岳周辺には縄文時代中期のムラがたくさん発見されています。朝日村の縄文人も村々を介して遠方の人たちと交流していたことでしょう。


【発掘調査成果を順次公開しています】

*松本市キッセイ文化ホール2Fギャラリー展

 H28年12月1日(木)~26日(月)

 開館時間8時30分から17時15分

  (火曜日休
館、12・14日休館)

*松本合同庁舎1Fフロア パネル展

 H29年1月10日午後より10日間(予定)

(開館時間・休館日は合同庁舎と同じ)

*朝日村中央公民館 山鳥場遺跡報告会

 H29年1月21日(土)13時30分~15時

                 ☆ぜひお立ち寄りください!

調査情報

2016年11月11日

塩崎遺跡群整理情報(2)

平成25~28年度までの発掘調査で塩崎遺跡群の東側である1区を中心に、底部に布目痕がついた土器が出土しています。隣接する昭和60年の長野市教育委員会の発掘調査(伊勢宮地点)でも、弥生時代中期の布目痕土器が出土しており、当地の弥生文化を考える上で、貴重な資料になりそうです。



【シリコンによるモデリングの道具】

布目の痕跡の観察をしやくすするため、シリコンで型をとって見ます。右からシリコンの印象材(緑色)、硬化剤(青色)とそれぞれのスプーン、型をとる布目の圧痕がある土器、シリコンをまぜる容器、手袋です。


【シリコンをまぜる】

シリコンの印象材と硬化剤をそれぞれ等量、手で30秒間よく混ぜます。


【シリコンをつけて形をとる】

よく混ぜて軟らかくなったシリコンを土器などの対象物に付けます。シリコンがなじんで固まるまで3分間待ちます。


【型がとれました!】

シリコンが固まったところで、剥がします。きれいに布目が取れました。展示用には、見やすいようにさらに着色します。展示にも出品する予定ですので、乞ご期待!

塩崎遺跡群

2016年11月7日

柳沢遺跡調査情報(1)

今年度は、遺跡北端部の900㎡を発掘調査します。平成19年の築堤事業にかかわる調査では、銅戈・銅鐸の大発見がありました。今回の一連の調査では、遺跡の南北両端部分にあたる箇所を調査し、遺跡がどこまで広がっているかなど、その実態解明を行っていく予定です。


【高社山を仰ぎ見る調査区】

今年度の調査区は、柳沢遺跡の北端部にあたります。高社山に由来すると考えられる土石流の痕跡が各所で見られ、遺跡との関係が注目されます。


【倭小学校6年生が発掘体験をしました】

中野市立倭小学校6年生の児童が、発掘体験をしました。地域の歴史をじかに触れることができる貴重な体験をしていただきました。ベテランの作業員さんの指導を受けながら慎重に掘っていきました。


【柳沢遺跡を後世に伝える】

堤防脇には、銅戈・銅鐸の発見があった平成19年の調査成果を伝える遺跡解説板が設置されています。発見から9年、当時の感動を風化させることなく今に伝えています。

柳沢遺跡 

2016年10月28日

山鳥場遺跡調査情報(2)

7月から始まった発掘調査も中盤を過ぎたころです。縄文時代中期(約5000年前)の集落跡の全貌が少しずつ見えてきました。

【縄文時代中期の竪穴(たてあな)住居(じゅうきょ)跡群】

矢印の部分が竪穴住居跡です。9月までの調査で5軒みつかりました。朝日村では山鳥場遺跡とほぼ同じころの集落である熊久保(くまくぼ)遺跡が調査されています。山鳥場遺跡から西へ1.8㎞程離れた場所にあり、ムラ同士の交流を予想することができます。


【発掘中の7号住居跡】

調査開始直後から土器が大量に出土したため、土器のある部分を残して掘り下げています。

【7号住居跡土器出土状況】

住居跡の中央付近から土器が集中的に出土しています。


【土器出土状況を近くで見る】

出土した土器の一部です。破片が多いですが、元の形を残した土器も出土しています。土器群の間からは石も一定量出土しており、土器と一緒に捨てられたと思われます。


【7号住居跡 完掘状況】

形は不整円形で直径は6m程です。手前に入口、中央やや奥に炉があります。住居の輪郭に沿って柱穴が並びます。壁際には板壁の痕跡とみられる穴が並びます。炉の周囲は石で四角く囲んでいたと思われますが、一辺を残して抜きとられた状態でみつかりました。


【土偶(胴体部分)】

7号住居跡からは、土器群とともに土偶も出土しました。胸の表現から、女性を象(かたど)ったものと思われます。

山鳥場遺跡・三ケ組遺跡

2016年10月26日

ひんご遺跡発掘終了しました。

10月5日に発掘調査が終了し、今年度もたくさんの遺物と遺構がみつかりました。

【墓跡1】

石で囲まれたお墓がみつかりました。墓の上には大きな平たい丸石が置かれていました。


【墓跡2】

石を外して掘り下げると、北隅に鉢形の土器が伏せられていました。この鉢の下から粉状の骨がみつかりました。
遺体の顔の上に伏せて置かれたものと考えられます。



【フラスコ形土坑】

底の直径が約2mのフラスコ形土坑が1基みつかりました。形と大きさから貯蔵穴と考えられます。底の裾には石が置かれています。埋め土から王冠型土器を含む縄文時代中期の土器片が出土しています。



【竪穴(たてあな)住居跡】

立派な石囲い炉を持つ縄文時代後期前半の竪穴住居跡です。壁際に屋根を支える柱穴跡がめぐっています。



【石囲い炉】

炉跡のアップです。石組みの内側に炉の壁や底として利用された土器が重ねて設置されていました。



【柱穴群】

たくさんの柱穴群がみつかりました。大きく深く掘られた穴には建物を支える柱が建っていたと考えられます。



【柱を補強する石】

柱穴跡の中には柱材の周りに根本を補強する石が埋め込められたものがあります。



【敷石住居跡】

石囲い炉の周辺から出入口に石が敷き詰められた、敷石住居跡がみつかりました。


【炉跡】

敷石住居跡の炉のアップです。画像奥に出入口があり、敷石が連なります。炉内には土器が設置され壁は赤くやや焼けています。



【調査終了】

埋戻し風景です。昨年度に始まった一連の発掘調査はこれで終了となります。

ひんご遺跡

2016年9月16日

川原遺跡・下川原遺跡 平成28年度調査情報(1)

天竜川下久堅(しもひさかた)地区築堤護岸工事に伴って、今年度から発掘調査が始まりました。川原遺跡は、天竜川左岸の段丘上にあり、標高382m、天竜川との高低差4mの低位に立地します。飯田市教育委員会による今までの調査では、縄文時代後期から中世の住居跡などが見つかっています。



【南側からの遺跡遠景】

天竜川左岸の低位段丘に遺跡は立地しています。(写真手前が下流)

【開始式のようす】

9月1日から、作業員さん12名、職員3名で始まりました。残暑厳しい時期からの調査となりました。熱中症に留意し、安全第一で作業を進めたいと思います。

【トレンチによる調査】

川原遺跡、下川原遺跡の両遺跡で、重機によりトレンチ(長方形の溝)を掘りました。その結果、砂とシルト層の堆積が確認され、昭和36年災害と昭和58年台風10号による氾濫の砂を深くかぶっている場所と考えています。

 

【トレンチ調査のようす②】

地表から40㎝ほどで、縄文時代中~後期(約3500年前)の土器片などが出土しました。(ビニール袋に入っています。)一定の範囲にまとまっていますので、住居跡などの可能性があります。

【出土した縄文時代中期の土器】

トレンチを掘り下げていくと、深鉢形の土器の大型破片が顔を出しました。このほか、横刃型(よこばがた)石器なども出土しています。

縄文時代のムラの跡の一端をとらえたと考えています。

下川原遺跡

2016年9月16日

川原遺跡・下川原遺跡 平成28年度調査情報(1)

天竜川下久堅(しもひさかた)地区築堤護岸工事に伴って、今年度から発掘調査が始まりました。川原遺跡は、天竜川左岸の段丘上にあり、標高382m、天竜川との高低差4mの低位に立地します。飯田市教育委員会による今までの調査では、縄文時代後期から中世の住居跡などが見つかっています。



【南側からの遺跡遠景】

天竜川左岸の低位段丘に遺跡は立地しています。(写真手前が下流)

【開始式のようす】

9月1日から、作業員さん12名、職員3名で始まりました。残暑厳しい時期からの調査となりました。熱中症に留意し、安全第一で作業を進めたいと思います。

【トレンチによる調査】

川原遺跡、下川原遺跡の両遺跡で、重機によりトレンチ(長方形の溝)を掘りました。その結果、砂とシルト層の堆積が確認され、昭和36年災害と昭和58年台風10号による氾濫の砂を深くかぶっている場所と考えています。

 

【トレンチ調査のようす②】

地表から40㎝ほどで、縄文時代中~後期(約3500年前)の土器片などが出土しました。(ビニール袋に入っています。)一定の範囲にまとまっていますので、住居跡などの可能性があります。

【出土した縄文時代中期の土器】

トレンチを掘り下げていくと、深鉢形の土器の大型破片が顔を出しました。このほか、横刃型(よこばがた)石器なども出土しています。

縄文時代のムラの跡の一端をとらえたと考えています。

川原遺跡

2016年8月29日

小島・柳原遺跡群 平成28年度調査情報(2)

北八幡(きたはちまん)川北側を調査中です。ここでは竪穴(たてあな)住居跡や穴の跡、川の痕跡などが見つかっています。


【深い調査面】

調査するところは地表から1.2~2m位掘らなくてはいけないため、重機もフル稼働です。調査区の真ん中あたりで、穴の跡がたくさん見つかりました。


【竪穴住居跡調査中】

煙道を持つ竪穴住居跡もみつかりました。住居の内部を4つに分けて床まで少しずつ掘下げていきます。


【職場体験】

7月上旬に、長野市立三陽中学校の2年生5名が職場体験に来ました。発掘作業の他に土器洗い、土器収納、オートレベルを使った測量などを体験しました。


【考古学入門】

8月のお盆明けに、市立長野高等学校の2年生2名が選択科目『考古学入門』の授業の一環として、遺跡の調査に参加しました。発掘作業や土器洗い、遺構の平面図の作成などを行いました。この後、学校に提出するレポートを作成するそうです。

小島・柳原遺跡群

2016年8月1日

ひんご遺跡 H28年度調査情報(2)

調査開始からおよそ2ヶ月、次々と縄文時代の集落が姿を現しています。

【作業風景】

遺物包含層(いぶつほうがんそう)の掘り下げの様子です。画面を横断するベルトの高さの分、縄文時代の包含層を掘り下げました。包含層にはたくさんの遺物が含まれています。


【遺跡の層序】

調査区西端の地層です。黒褐色の遺物包含層の上を灰黄白色の水成堆積層が1m以上溜まっています。


【敷石住居跡】

昨年から数えて4軒目の敷石住居跡が見つかりました。炉の部分から画像手前の出入り口部分に石が敷き詰められています。


【敷石住居跡の炉跡】

敷石住居跡の石組み炉。大きな石で四角く組まれています。炉の中には土器が埋められていました。


【炉跡2】

敷石住居跡とは別の住居の炉跡です。こちらは土器は埋められていますが、石はありません。


【配石遺構】

直径50cm程度の扁平で丸い石を小さな石で囲んでいます。周辺には多くの土器片があります。


【土偶】

土偶の胴上半部です。背中を上にして見つかりました。


【土器出土状況】

縄文時代後期の土器の出土状況です。


【石皿】

石皿の出土状況です。裏側には四角い脚がつけられています。1/2程欠けています。


【火焔型土器】

多くはないですが、火焔(かえん)型土器もあります。


【台付土器】

台付きの鉢あるいは深鉢です。

ひんご遺跡

2016年7月21日

塩崎遺跡群 平成28年度整理情報(1)

塩崎遺跡群では平成25~28年度までの発掘調査で、約2,000点の骨が出土しています。大きいものや崩れやすいもの約20点は、発泡ウレタンで周りを固めて土ごととりあげて、センターに運び込みました。現在、ウレタンを取り除いて、中の骨が見える状態に戻し、台帳作成、鑑定等を進めています。

【発泡ウレタンの除去】

もろい出土骨を保護、固定していた発泡ウレタンを取り除きます。

【骨のクリーニング】

出土骨は土ごと取り上げているので、骨が見えるように、まわりの土を少しずつ慎重に取り除きます。

【古代のウマの骨】

きれいに土を取り除くと、古代のウマの肋骨(ろっこつ)が出てきました。このウマの骨は、12世紀頃の溝跡から出土しています。現代のサラブレットが体長約2.0mに比べると体長約1.6mと非常に小柄です。横田河原(よこたがわら)合戦(1181年)で、木曽義仲(きそよしなか)といっしょに活躍したウマもこんなウマだったのかもしれません。

【出土人骨】

動物骨だけでなく、墓を中心に人骨も出土しています。とくに頭蓋骨(とうがいこつ)からは、年齢、性別などの特徴や栄養状態なども推測できます。考古資料だけではわからない情報を多く含んでいるので、学術的にも非常に貴重です。

【計測や写真などの記録】

クリーニングが終わった骨は、大きさの計測、写真撮影などをします。こうした記録を台帳にして整え、保存処理や鑑定に備えます。

【骨の鑑定】

7月11日~13日の3日間にわたって、形質人類学や動物骨の専門の先生方に出土骨の鑑定及び今後の整理方法についてご指導いただきました。非常に貴重な資料が多いとのことで、今後の整理作業も頑張っていかねばならないとの思いを強くしました。

塩崎遺跡群

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