Research調査情報

2025年5月19日

南栗遺跡2025年度発掘調査情報(1)

【令和7年度の発掘調査がはじまりました】

 令和4年度にはじまった発掘調査は4年目を迎えます。今年度は、島立地区に加え、和田地区の調査が新たに始まりました。調査は11月末日までを予定しています。

 調査区内には危険な場所もありますので、許可なく立ち入らないようにお願いします。発掘の見学を希望する方は、事前にご連絡を下さい。

 地域の皆様のご理解とご協力をお願い申し上げます。

令和7年度の発掘調査範囲

 

【判明した集落の規模と時期】

 昨年度の調査では竪穴建物跡が107軒、掘立柱建物跡が5棟みつかりました。

 約40年前の長野自動車道の調査分を含めると竪穴建物跡軒数は520軒以上を数え、松本盆地最大級の古代遺跡であることが判明しました。

 そしてこの集落は、古墳時代の終末期(約1300年前)から平安時代後期(約900年前)のおよそ400年にわたり営まれていたことが判明しました。

3区竪穴建物跡分布状況(四角い形の影が竪穴建物跡)

 

【古代の竪穴建物跡の姿】

 古代の竪穴建物跡は地面を方形に掘り込んで壁と床を作り、床に柱を立て、茅のような植物の束を重ねて屋根を葺いたと考えられます。建物の大きさは1辺が5m前後のものが多いです。

 竪穴建物跡からは土器の破片が出土します。1軒の建物跡から多い時には数百片も出土することがあります。破片は洗浄後に接合作業を行い、器の形を復元します。

発掘調査を終えた竪穴建物跡

竪穴建物跡から出土した土器の破片

復元された竪穴建物跡(立科町大庭遺跡)

八ヶ岳旧石器研究グループ『佐久の古代遺産図録』より

 

【カマドとは?】

 竪穴建物跡の壁からはカマドが発見されました。カマドは、石などを芯材に粘土を貼り付け、壁と天井を作ります。天井に穴を開けて煮炊き用の甕を差し込み、手前の焚口から火を燃やし、煙は壁に掘られた穴を通り外に出る構造になっています。

カマドの発掘調査状況

カマドの復元図

長野県埋蔵文化財センター2005『三角原遺跡』より

 

南栗遺跡発掘だより2025年度第1号(PDF: 1145KB)

中信,南栗遺跡,調査情報

2025年5月7日

南大原遺跡 2025年度発掘調査情報(1)

【令和7年度の南大原遺跡の発掘調査がはじまりました】

 本年度は3箇所で発掘調査を同時進行で進めます。4月28日(月)から重機を入れ、5月1日(木)から発掘作業員の皆さんと発掘作業を開始しています。

 この発掘調査は、上今井遊水地整備事業に伴って実施するもので、11月末までを予定しています。期間中、大型重機をはじめ、車両が出入りしますので、車のすれ違い等十分ご注意ください。

 また、調査区域内には危険な場所もありますので、許可なく立ち入らないようお願いします。発掘の見学を希望される方は、事前にご連絡ください。

皆さまのご理解とご協力をお願い申し上げます。

 

 

【南大原遺跡のこれまでの調査について】

 南大原遺跡では、 2回の学術発掘調査(1・2次調査)と県道三水中野線の改良工事に伴う3回の緊急発掘調査(3~5次調査)が行われてきました。1次調査では縄文時代前期後半の土器(南大原式土器=諸磯a式土器)と竪穴建物跡が確認されました。2次調査の調査地点は特定できていませんが、大きな溝跡の底から弥生時代後期の土器が出土しました。1次調査は弥生時代中期後半の竪穴建物跡の調査を目的とし、2次調査では縄文時代前期後半の竪穴建物跡の調査が目的で学術調査が行われましたが、土の中のことは思うように行かないというところでしょうか。

 一方、3次~5次調査は、工事によって破壊されてしまう遺跡を記録として保存することを目的とした調査でした。この調査では、弥生時代中期後半~古墳時代前期の集落跡の構造の一端が明らかとなりました。中でも、鉄製品を加工したと考えられる工房跡や、祭祀場と想定される環状土坑列の存在は、注目を集めました。

 令和5年度から始まった上今井遊水地整備事業に伴う発掘調査は、6次調査と位置付けられ、3次~5次調査と同様に記録保存を目的とした調査になります。

これまでの南大原遺跡の調査

 

【令和7年度の調査】

 本年度は、事業地内の北大原・舞台地籍と南大原地籍で本格的な発掘調査を、3箇所同時並行で進めていく予定です。

 北大原・舞台地籍では昨年度の確認調査で、平安時代の竪穴建物跡がみつかっています。トレンチ調査では遺構の分布が比較的希薄でしたが、調査区全面での遺構検出で、どんな種類の、どんな時代の遺構がどのくらいみつかるか、期待が高まります。

北大原・舞台地籍の調査地点

 

 南大原地籍では昨年度の確認調査で、弥生時代中期後半・平安時代の竪穴建物跡がみつかっています。また、管玉が1点出土しており、昨年度調査した管玉製作工房跡をはじめとした工房跡群が、本年度調査区まで広がっているのかどうか、明らかにしていきたいと考えています。

南大原地籍の調査地点 

 

 どんな貴重な遺物が埋まっているか、新たな発見があるのか。今後の調査に乞うご期待です。

南大原遺跡発掘だより2025年度第1号(PDF: 790KB)

 

北信,南大原遺跡,調査情報

2025年4月30日

安塚古墳群 2025年度発掘調査情報(1)

【安塚古墳群の発掘調査がはじまりました】

 昨年度に引き続き一般国道158号(松本波田道路)改築に伴う安塚古墳群の発掘調査をこの4月中旬からはじめました。昨年度同様、調査は(株)島田組に発掘支援業務を委託し、用地内にタンポポが広がる季節から11月後半までを予定しています。

 調査の期間中、大型重機をはじめ、車両が出入りしますので十分ご注意ください。また、調査区域内には危険な場所もありますので、許可なく立ち入らないようにお願いします。発掘の見学を希望する方は、事前にご連絡ください。皆様のご理解とご協力をお願い申し上げます。

現場に設置したプレハブ

 

【昨年度の調査成果】

 安塚古墳群は、松本市新村・和田地区に分布する7世紀~8世紀の古墳群です。松本波田道路は、遺跡範囲の南端を東西方向に横断し、昨年度末の時点で、用地内に5基の古墳(第12号から16号古墳)が存在することがわかっています。

安塚古墳群の遺跡範囲(黄色塗り)

(松本市文化財課からの提供図に加筆。赤色数字:古墳の番号)

 

 昨年度は、みつかっている5基の古墳の内、1基(第13号古墳)を調査しました。古墳の盛土(墳丘)と墳丘のまわりをめぐる溝(周溝)は確認できませんでしたが、梓川から運んだと考えられる河原石を積む石室が残っていました。石室から時期がわかる土器は出土しませんでしたが、近くにある第15号古墳の検出時に出土した土器から、8世紀中頃の古墳と推測します。今年は、第14号・16号古墳を調査しますので、古墳の姿がさらにわかるものと思われます。

第13号古墳の調査風景

 

用地内での試掘箇所と古墳発見地点(赤星)

(黄色・黒色・緑色・青色箇所:試掘箇所)

 

【今、再び脚光を浴びている安塚古墳群】

 都では、646年(大化2)に葬儀や墓の規模を簡素化することを目的とした「大化の薄葬令」が発布されます。松本市の西部には、7世紀から8世紀に造られた安塚古墳群・秋葉原古墳群(松本市新村)・真光寺古墳群(松本市波田)が分布しています。なぜ古墳時代から古代へ移り変わる過渡期に、この地に数多くの古墳が造られたのでしょうか。

 昨年度、当センターが松本市のキッセイ文化ホールで速報展「掘るしん2025」を開催しました。当センターが安塚古墳群を調査したことを切っ掛けとして、会期中には安塚・秋葉原古墳の先行研究者、古墳研究者、当センター安塚古墳群調査担当者で「奈良時代の信州に古墳はあったのか」と題したパネルディスカッションを行いました。当時の時代背景や、上記3遺跡の古墳群が造られた意義などについて議論し、聴講された一般の方々から注目をあつめました。

 安塚古墳群の調査対象面積は21,000㎡で、東京ドーム(グラウンド部分)の約2倍に及びます。これから数年間に及ぶ発掘調査の成果は、地元在住の方や古墳の研究者など多くの方が関心をもっています。発掘調査により、地域の歴史がより明らかにできることを期待します。

 

安塚古墳群発掘だより2025年度第1号(PDF: 820KB)

中信,安塚古墳群,調査情報

2025年1月24日

正泉寺・五郎田遺跡 2024年度発掘調査情報(5)

【令和6年度の調査を終了しました】

 4月から開始した発掘調査は12月末をもって終了しました。今年度は、国道153号に接する五郎田遺跡5区と正泉寺遺跡1区、その北西側の2区、3区で発掘調査を行い、さらに県道市場桜町線までの間で確認調査を行いました。1~3区(2,500㎡)の発掘調査では、古墳時代、奈良・平安時代の竪穴建物跡70軒、掘立柱建物跡1棟、土坑196基が後世のかく乱で破壊された部分があるものの、ほぼ全面に重なりあってみつかりました。また、それらの下には弥生時代と考えられる溝跡があり、形状から方形周溝墓の一部と考えています。遺物も多数出土し、古墳時代や奈良・平安時代の土師器、須恵器などはもちろん、縄文土器や弥生土器の破片もありました。他に、打製石鏃、磨製石鏃、打製石斧、磨製石斧、砥石、臼玉などの石器や石製品、金属製品として耳環が3点みつかっています。出土した遺物は、コンテナ69箱分になりました。五郎田遺跡5区(200㎡)では、古墳時代の竪穴建物跡1軒、土坑6基がみつかり、遺物は土器や石器がコンテナ2箱分になりました。

正泉寺遺跡・五郎田遺跡 全景

 

【調査のようす】

竪穴建物跡の床面に集中する土器

 カマドの反対側の壁付近から、坏部と脚部の接合部で割られた高坏10個体や坏、小形の甕、甑がまとまって出土しました。熱を受けた痕跡もあり、屋内儀礼のあり様を推測できる貴重な資料になります。

 

重なりあってみつかった遺構

 飯田地域にカマドが導入された古墳時代中期から、平安時代にかけての竪穴建物跡や掘立柱建物跡、多数の土坑が重複してみつかり、調査はとても困難でした。

 

弥生時代の溝跡

 古墳時代の遺構の下から、弥生時代の方形周溝墓の可能性がある溝跡がみつかりました。弥生時代は墓域であった可能性が考えられます。

 

五郎田遺跡と正泉寺遺跡

 国道153号をはさんだ東側の五郎田遺跡では、古墳時代の竪穴建物跡や土坑がみつかっており、正泉寺遺跡と連続する集落域であると思われます。

 

 

【発掘された飯田~2024年度飯田市発掘速報展~】

 場所:飯田市考古博物館エントランス

 期間:3月4日(月)~5月6日(火)

 出土品を展示します。この機会に、是非ご覧ください。

 

 

 発掘期間中は、ご理解、ご協力いただき、ありがとうございました。

 現在、飯田支所で出土した遺物や写真、図面の整理作業を行っています。

 

正泉寺・五郎田遺跡発掘だより2024年度第5号(PDF:1.00MB)

五郎田遺跡(座光寺上郷道路),南信,正泉寺遺跡,調査情報

2025年1月24日

南大原遺跡 2024年度発掘調査情報(6)

【本年度の南大原遺跡の発掘調査が終わりました!】

 6月3日(月)から始まった、中野市大字上今井で行われた南大原遺跡の発掘調査が終了しました。これからは、出土遺物や写真、図面などの整理作業などを行っていきます。

 本年度の発掘調査中にご協力いただいた皆さま、ありがとうございました。来年度以降も継続して調査を行う予定です。引き続き、皆さまのご理解とご協力をよろしくお願い申し上げます。

南大原遺跡全景、南から(R6年11月撮影)

 

【今年度の調査のまとめ】

 南大原遺跡調査班は、2年かけて約70万㎡という莫大な事業地のなかに、どれほどの範囲に遺構・遺物が広がっているのか、どのような遺跡なのかを調査しました。その結果、約70万㎡のうち本調査が必要な範囲は約13万㎡にも上ることがわかり、弥生時代中期後半(今から約2,000年以上前)や古墳時代(今から約1,500年前)、平安時代(今から約1,100年前)の人びとが生活していた様子がわかりました。特に注目される成果は、弥生時代中期後半にこの地で玉つくりが行われていたこと(「発掘だより」第6号参照)、また北信濃では初めての発見となった10世紀代(平安時代)の集落がみつかったことです。いくども水害や震災に見舞われた厳しい環境の中、千曲川からもたらされる豊富な資源を糧にして生命活動を続ける、南大原の人びとの力強い営みが感じられました。

 来年度以降は、約13万㎡(旧豊井小学校26校分)を対象に大規模な発掘調査を行います。今年度の本調査範囲は、弥生時代に営まれた集落の中でも、モノつくりに特化したエリアであったことがわかってきました。そこで来年度の調査では、モノつくりエリアがさらに広がるのか、それとも生活の拠点となったエリアがみつかるのか、期待が膨らみます。来年度も新たな発見にご期待いただければ幸いです。

玉つくり工房跡(弥生時代中期後半)

玉つくり関連遺物(弥生時代中期後半)

施溝痕の残る碧玉片(上段・中段左)

玉鋸(中段右)

管玉3点(下段)

 

【南大原遺跡年表2024】

長野県埋蔵文化財センター(長野埋文)と、日本文化財保護協会(日文協)が「南大原遺跡調査団」として一丸となって調査にあたりました。

 

4月1日 南大原遺跡調査班発足!

 新メンバーも加わり心機一転!発掘調査の開始を、今か今かと待ちわびました。

 

6月5日 本格的に発掘調査開始!

 長野埋文5名、日文協5名、作業員10名でスタート!生い茂る草は背丈ほど伸びていて、現場はまるで牧草地、まずは調査する範囲(約167,300㎡)を重機で草刈りしました。

 

7月26日 玉つくり工房跡を発見!

 弥生時代中期後半の竪穴建物跡から、相次いで管玉つくりに関連する遺物がみつかりました。根気強く作業してくれた作業員のみなさん、あっぱれです!

 

8月10日 現地説明会開催!

 猛暑のなか139名の皆さまに来跡いただきました!

 竪穴建物跡や出土品を調査員のアツい解説で見学いただきました。何千年も昔の暮らしぶりは皆さまの瞳にどう映ったのでしょうか。

 地域の方はもちろん、関東や関西など遠方からも多く見学者が訪れ、南大原遺跡の注目度の高さを感じるひと時でした。

 

10月16日 2m下から弥生土器発見!

 調査も終盤に迫る中、地表面から2m以上下から弥生時代の土器が出土しました。

 この土器の発見により、来年度の発掘調査範囲が増大する事態に…!最後まで何が起こるかわからないのが発掘調査ですね。

 

11月15日 来年度の調査区も土器ザックザク!

 今後調査する範囲のうち、どこにどのくらいの遺構があるかを知るために確認調査をしました。すると弥生時代の土器が集中している遺構を発見!今後の調査の期待で、胸がドキ土器!

 

11月29日 今年度の調査終了!

 対象面積167,300㎡の調査を見事に完遂!

 長野埋文6名、日文協16名、作業員49名で華麗なフィニッシュです。お疲れ様でした!

 ありがとうございました!また来年!

 

南大原遺跡発掘だより2024年度第7号(PDF:850KB)

北信,南大原遺跡,調査情報

2024年12月20日

南栗遺跡 2024年度発掘調査情報(3)

 5月に開始した今年度の調査も、12月18日に無事終了いたしました。発掘期間中の御協力ありがとうございました。冬季期間は出土した遺物や各種図面・写真の整理作業を長野市の埋文センターで行います。

 また、令和7年の2月から3月にかけて、松本市キッセイ文化ホールにて今年度の調査成果の展示を予定しています。期間中には同ホールにて遺跡報告会も開催する予定です。詳細は当センターHPでご確認ください。皆様のお越しをお待ちいたしております。

 

 

【今年度の調査成果】

 今年度は竪穴建物跡107軒、掘立柱建物跡5軒、溝跡4条、土坑135基を調査しました。南栗遺跡における過去の圃場整備や長野道整備に伴う調査成果を合計すると竪穴建物跡の軒数は525軒を数え、松本市内最大級の集落遺跡となります。時期は古墳時代後期~中世におよび、人々が何世代にも渡り、南栗の地に住み続けてきたことが明らかとなりました。

   

長野道の東側(1区):古墳時代後期中世の遺構

 

【奈良時代の集落を発見】

 栗林神社の南側(3区)では平安時代の集落の真下から奈良時代の集落がみつかりました。竪穴建物跡の軒数は40軒以上あります。地層の観察により、奈良時代の人々が生活していた場所が洪水等で埋没した後に平安時代の人々が新たに集落を作ったことが分かりました。

栗林神社の南側(3区):奈良時代の遺構

 

【大形の掘立柱建物跡を発見】

 長野道の東側(1区)では直径約100㎝、深さ60㎝もある柱穴が、方形に並ぶ範囲を検出しました。穴の中の土層には柱の周囲の土を何回も突き固めて重ねる版築工法が確認でき、奈良時代の所産と推測されます。本遺跡では過去の調査で奈良時代前半に大形の掘立柱建物跡が多くみつかっており、律令制度に関する何らかの公的機関が存在した可能性を示すものと考えられます。

大きな柱穴が方形に並ぶ掘立柱建物跡

掘立柱建物跡の想像図

飯田市教委2015 『「伊那郡衙」のとある一日』より引用

版築工法がみられる土層

 

【底の丸い須恵器が出土】

 栗林神社の南側(3区)では古墳時代末~奈良時代初頭と推測される須恵器の坏が完全な形に近い状態で出土しました。この坏は底の内側が平らで外側が丸くなる特徴があります。

 南栗遺跡の集落の開始は古墳時代後期と考えられています。3区で出土した資料は本遺跡の中でも古い時代の特徴を有しており、集落の成立時期や広がりを推測するのに大変重要です。

須恵器坏出土状況

底が丸いのが特徴

 

南栗遺跡発掘だより2024年度第9号(PDF:722KB)

※号数は調査開始時からの通算

中信,南栗遺跡,調査情報

2024年12月2日

塩崎遺跡群 2024年度発掘調査情報(1)

【塩崎遺跡群の発掘調査が終了しました】

 10月10日から始まった今年度の発掘調査は、11月29日に終了しました。塩崎遺跡群では、2013(平成25)年から2017(平成29)年にかけて、東側(千曲川側)の1区から西側(石川条里遺跡側)の3区に向かって発掘調査を行ってきました。今年度は最後に残された3区東脇の市道下の調査を行い、これをもって発掘調査は全て終了しました。長年にわたり皆さまのご協力をいただき、ありがとうございました。

塩崎遺跡群全体図

(国土地理院電子地形図1/25000を使用)

 

【今年度の発掘成果】

 市道下という狭い調査区でしたが、掘立柱建物跡3棟・溝跡4条・井戸跡1基・土坑14基を検出しました。掘立柱建物跡は3棟とも3間×1間で、約4.5m×3mの規模でした。時期は弥生時代後期~古墳前期頃と考えられます。隣接する2区と3区からも、同時期・同規模の掘立柱建物跡が検出されています。当時の集落の景観は、居住域となる竪穴建物群が西側に向かうにつれてまばらになり、西端には倉庫(掘立柱建物跡)群が建ち並んでいたと考えられます。また居住域の東側には墓域、西側には水田域(石川条里遺跡)が広がっていました。

調査区の幅にピタリと収まって検出された掘立柱建物跡

現在の市道とちょうど同じ方向を向いています!

調査区の壁際で検出された井戸跡

 

【発掘調査のあゆみ】

 塩崎遺跡群では弥生時代前期~中世までの遺構が検出され、多様な遺物が出土しています。発掘調査を通じて、約1,000年間(弥生中期~平安時代前期)にわたり千曲川の自然堤防上に形成された集落の姿が浮かび上がりました。現在はこれらの調査成果をまとめ、報告書の刊行に向けて整理作業を進めています。

 

【2013】 1区南側と2区東側の調査

 ・弥生時代初め頃の墓を発見、土器棺に東海地方の土器が使用されていた。

 ・弥生時代中期のヒスイ勾玉と原石が出土。

 ・弥生時代後期の墓から鉄剣を発見!

 ・遺跡東端で古墳や周溝墓(周りを溝で囲み、低い墳丘を築いた弥生時代の墓)を発見、古墳の周溝からウマの骨が出土。

 

【2014】 1区北側と2区東側の調査

 ・弥生時代中期の墓から小形壺と鉢が出土。

 ・弥生時代中期の玉作工房跡を発見。

 ・飛鳥~奈良時代の竪穴建物跡を多数調査、硯が出土。

 ・中世の溝跡からウマの骨約1頭分が出土‼

 

【2015】 1区北側・南東隅と2区の調査

 ・弥生時代初め頃の墓を複数発見、土器棺に東海地方の影響を受けた土器が使用されていた。

 ・弥生時代初め頃の貯蔵用の穴から石器が出土。

 ・弥生時代中期の墓を多数発見、玉類、石器、小形壺が出土。

 ・弥生時代の竪穴建物跡を多数調査、11mを超える後期の大形竪穴建物跡を発見!

 ・井戸跡を多数調査、底から完形土器が出土。

 

【2016】 3区の調査

 ・平安時代の竪穴建物跡から石製分銅を発見!

 ・水田域(石川条里遺跡)との境界にあたる遺跡西端で各時代の溝跡を検出。

 

【2017】 3区北東隅の調査

 ヒスイ勾玉とヒスイ原石

古墳、周溝墓を望む(西上方から)

合計415軒の竪穴建物跡を調査

溝跡(中世)から出土したウマ骨

礫を敷き詰めた墓(弥生時代)

井戸跡(古墳時代)

石製分銅(平安時代)

土器棺(骨壺に使われた土器(弥生時代)

 

担当職員延べ52名、作業員延べ312名に上る大規模な発掘調査でした。

ご協力、ありがとうございました。

 

塩崎遺跡群発掘だより2024年度第24号(PDF:1.43MB)

※号数は調査開始時からの通算

北信,塩崎遺跡群,調査情報

2024年11月27日

正泉寺・五郎田遺跡 2024年度発掘調査情報(4)

【遺跡の様子がわかってきました】

 今年度の発掘作業が始まり6ヶ月が過ぎました。8月からは北側の3区の調査も始まり、今年度の調査区(正泉寺遺跡1・2・3区、五郎田遺跡5区)の様子が明らかになってきました。10月末現在で竪穴建物跡約60軒、掘立柱建物跡2棟、土坑約130基を確認しています。

 竪穴建物跡は、古墳時代中・後期、奈良・平安時代のもので、当初から重複した状態であることを想定していましたが、建て替えなどが行われたことなどを含め、予想を超える軒数の竪穴建物跡が造られていることがわかりました。

正泉寺遺跡 1区~3区 空撮写真

古墳時代の竪穴建物跡

古墳時代竪穴建物跡 土器・石斧出土状況

 

 高坏や小形壺などの土器とともに打製石斧が多く出土しました。この時期に打製石斧が多いのは、飯田地域の特徴でもあります。

 

奈良時代の竪穴建物跡

炭化材が竪穴建物内の広い範囲にありました。床面のほかに壁際に多くみられました。

掘立柱建物跡

柱穴が方形に並んでいます。

複数ある土坑の中で、ほかにも掘立柱建物があることが想定されます。

 

 

【現地説明会を行いました。】

 9月14日(土)に、現地説明会を行いました。調査中の遺跡やこれまでに出土した土器や石器のほか銅製の耳環などを公開し、地元をはじめ多くの皆様に見ていただくことができました。

 

正泉寺・五郎田遺跡発掘だより2024年度第4号(PDF:899KB)

五郎田遺跡(座光寺上郷道路),南信,正泉寺遺跡,調査情報

2024年11月5日

南大原遺跡 2024年度発掘調査情報(5)

【南大原遺跡の発掘調査は最終局面!】

 6月3日(月)から始まった発掘調査も現在最終局面をむかえ、多くの新事実がわかってきています。そのなかで今回は、弥生時代の南大原遺跡を特徴づける成果を紹介します。

 発掘調査現場周辺は、大型重機をはじめ大型の車両が出入りします。また、調査区域内には危険な場所もありますので、許可なく立ち入らないようお願いします。発掘の見学を希望される方は、事前にご連絡ください。

 皆さまのご理解とご協力をお願い申し上げます。

 

【ものづくりのムラ玉づくり工房】

 本遺跡は、2011~2013年と2019・2020年に当センターが、県道三水中野線改良工事に伴い発掘調査を実施し、弥生時代中期後半に鉄製品を加工したと考えられる工房跡がみつかり、注目を集めました。

 今回の調査では、同じ時期の竪穴建物跡5軒、大型の土坑5基がみつかり、それぞれに玉管玉・勾玉づくり、石器づくり等のものづくりに関わる遺物が出土しました。

 なかでも、管玉については、北陸地方で製作工程の研究が進んでおり、今回の出土品は、その製作工程それぞれに対応することがわかりました。

管玉の製作工程の一例 (①~⑧は下表と対応)

原石(緑色凝灰岩)

石鋸

研磨未成品⑥(多角柱体)

管玉(碧玉)

南大原遺跡の管玉製作関連遺物(赤字遺物は、実際に出土)

 

【これまでの確認調査の成果】

 これまでの確認調査の結果、下図の①から⑤までの範囲が本格的な発掘調査(面調査)を必要とすることがわかりました。

 ①では、県道三水中野線改良工事に伴う発掘調査で弥生時代中期後半~後期及び古墳時代前期に属する遺構群が調査され、令和5年度の確認調査でも弥生時代中期後半及び平安時代に属する遺構群が検出されました。このため、従前より面調査が必要な範囲と認識されていましたが、今回の確認調査でそれがさらに北へ延びることが確認されました。

 ②からは、縄文・弥生・奈良時代の遺構群が検出されています。

 ③・④では、地表下1~1.5mで古代の遺構群が、④ではさらにその下0.6mから弥生時代後期の遺構がみつかりました。

 ⑤では、古代の竪穴建物跡が8軒みつかりました。遺構が見つかる層位は、西側に行くにつれ深くなり、最大で地表下1.5mを測ります。

遺跡全体図(作業進捗状況図)

 

【千曲川の流路の変遷】

 各地区の堆積土層と検出された遺構の時期や出土遺物を観察した結果、右図のように青赤緑という順で千曲川の流路が変遷していたことが想定されます。弥生中期以前の千曲川の流路(青)は、北大原地籍の崖から大俣側の崖までの間を流れていたことが想定されるとともに、比高差約3mを測る北大原地籍の崖を形成するような流量を誇っていたことが想像されます。その後、弥生後期には流路が定まり(赤)、自然堤防が形成され、安定した土地に人々は生活を営み始めたと考えられます。

想定される千曲川本流の流路の動き

北大原地籍と鍋久保地籍を分かつ崖

 

南大原遺跡発掘だより2024年度第6号(PDF:0.99MB)

北信,南大原遺跡,調査情報

2024年10月29日

飯田市五郎田遺跡 2024発掘調査情報(1)

【2024年度の発掘調査が始まっています】

 2024年7月から重機による表土の掘削作業が始まり 、 中央新幹線建設工事に伴う五郎田遺跡の今年度の発掘調査を開始しました 。 今年度の調査面積は約 1600 ㎡あり 、 場所は 、 2021 ・2022 年度に弥生時代から平安時代の竪穴建物跡 34 軒 、 掘立柱建物跡 5 棟などがみつかった発掘調査範囲の北側 、 2022 ・ 2023 年度に古墳時代から奈良 ・ 平安時代の竪穴建物跡 19 軒などがみつかった発掘調査範囲の南東側に位置しています 。

五郎田遺跡の年度別発掘調査範囲

 表土の掘削作業と並行して遺構を探す作業を開始しました。 その結果 、 竪穴建物跡約 20軒など多数の遺構がみつかりました 。 弥生時代から平安時代までの遺構が多くみつかっている場所の隣接地のため 、 調査前から相当数の遺構が存在することを予想していましたが 、想定を上回る数の遺構がみつかっています 。

遺構の検出作業

遺構の検出状況

 白線で囲われた黒っぽい土の範囲が遺構。写真中央奥の黄色っぽい土は、自然に堆積した土で、遺構はこの黄色っぽい土を掘って作られ、黒っぽい土で埋まっています。

 

【竪穴建物跡から続々と遺物が出土】

 五郎田遺跡が立地する段丘面には、 古代伊那郡の郡役所 伊那郡衙 と推定される国史跡の恒川官衙遺跡や 、 三彩陶器 ・ 円面硯 ・ 銅製帯金具等の出土遺物から恒川官衙遺跡と関係する集落と想定される堂垣外遺跡があります 。 五郎田遺跡は 、 堂垣外遺跡とともに伊那郡衙に関係する大規模集落の一つであった可能性を想定していますが 、 昨年までの調査では官衙に関連する遺物は出土していませんでした 。 今年度の発掘調査で、 「 円面硯 」 という古代の硯が出土しました 。 残っている部分の直径は約11 ㎝ で 、 中央に墨を擦る部分の 「 陸 」 を 、 その周りに墨水を入れる部分の 「 海 」 を確認することができます 。 硯は文字を書くために必須の道具で 、 郡衙に勤めていた役人が仕事をするためには欠かせない道具です 。 恒川官衙遺跡でも多く出土しています 。そのほか「 灯明皿 」 という 、 灯りをともすための器も出土しました 。 食器の転用品と思われ 、 口縁部内側にススが付着しています 。 大きさは口縁部直径が約 10 ㎝ 、 底部直径が約5 ㎝ 、 高さが約 3 ㎝ です 。 今回紹介した円面硯と灯明皿は、 産地や製作年代について今後の検討が必要で 、 伊那郡衙との関係を指摘できる段階ではありませんが 、 今後の調査成果をお楽しみに 。

五郎田遺跡出土の円面硯

五郎田遺跡出土の灯明皿

灯明皿使用イメージ図

五郎田遺跡発掘たより2024年度第1号(PDF:797KB)

五郎田遺跡(新幹線),南信,調査情報

2024年10月25日

南栗遺跡 2024年度発掘調査情報(2)

 5月に開始した今年度の調査も、猛暑の夏を乗り越え、いよいよ終盤に入りました。今年発見した竪穴建物跡は既に80軒を超え、まだまだ増え続けています。

 今年度の調査は12月中旬までを予定しております。発掘の見学を希望する方は、事前にご連絡ください。皆様のご理解とご協力をお願いします。

 

 

【現地説明会を開催しました】

 10月5日(土)に現地説明会を開催しました。地元島立地区の皆様を中心に97名もの皆様にお越し頂き大変ありがとうございました。当日は、発掘中の調査区を回り、竪穴建物跡や遺物の出土状況、現場プレハブでは今年度出土した土器や、鉄生産関連遺物、馬の骨などを見学いただきました。見学者の皆様には大変熱心に見ていただきました。

現地説明会風景

 

【重なり合う竪穴建物跡】

 栗林神社の南側(3区)では竪穴建物跡が60軒以上みつかりました。

 下写真の中の四角い輪郭が1軒1軒の竪穴建物跡です。1辺が3~4m程あります。平安時代にかけて人々が何世代もわたってこの場所に住み続けていたことを示しています。このことから南栗遺跡周辺が居住に適した場所だったことが分かります。

重なり合う竪穴建物跡

 

【緑釉陶器を発見】

 高速道路北東側(1区)の竪穴建物跡から緑釉陶器が出土しました。緑釉陶器は鉱物系の釉薬を用いた緑色の土器です。集落内において一般の人々の居住域で発見されることは少なく、有力者の持ち物とされている希少品です。

 緑釉陶器は竪穴建物跡の床下で出土しましたが、床下からは灰釉陶器や土師器の皿と倒れた須恵器の壺も出土していて、出土状況からみてこれらの容器は何らかの意図を持って埋められた可能性が考えられます。

緑釉陶器

 

灰釉陶器皿(左)、須恵器壺(中央)、土師器皿(右)

 

 

【村の鍛冶屋】

 高速道路の南西側(4区)で調査した竪穴建物跡からは、直径20㎝深さ5㎝程の穴がみつかりました。この穴は壁から底まで赤く焼けており、穴の周囲からは焼土や炭と共に熱した鉄を叩いて鍛える際に飛び散る微細な板状の鍛造剥片や、鉄を溶かす炉に空気を送り込む筒状の羽口、また刃物を研ぐ砥石も出土しました。遺構の状況や出土品からみて、この建物跡では鉄くずなどを溶かして新らしい道具を作る鍛冶作業が行われていたと考えられます。

鍛造剥片

 

砥石

 

南栗遺跡発掘だより2024年度第8号(PDF:698KB)

※号数は調査開始時からの通算

中信,南栗遺跡,調査情報

2024年10月23日

松本市安塚古墳群 2024発掘調査情報(2)

【第13号古墳(石室)の解体】

 第13号古墳は、石室内の調査が終了したため石室の解体調査に入りました。側壁には2~4段の河原石が積まれ、奥壁には3個の石が立っています。側壁の石を上の段から徐々に取り外したところ、上段と下段の石はほとんど接しておらず、隙間に土を入れて積んでいることがわかりました。加工していない河原石が崩れないように積んだ当時のやり方がわかり興味深かったです。ちなみに、もっとも重い奥壁の石は、75kgありました。

 第13号古墳は、石室の内側に石の平坦な面をそろえて設置しています。石は石材から、梓川の河原から採取したと考えられますので、河原では平坦な面がある石を選んで採取したと考えられます。第13号古墳の調査は、石室の石すべて取り外して記録も終了しました。

石室の解体風景

第13号古墳 最下段まで石を取り外した状況(赤丸はピット)

 

【全容を現した第12号古墳】

 安塚古墳群では、令和3年度に松本市教委が行った試掘調査で発見された第12号古墳(石室)の
規模・形状を捉える調査も行いました。石室が発見された場所を拡張して精査したところ、奥壁から開口部(入口)までの長さが約6m、幅約1.5mの規模を有する石室であることがわかりました。今回調査した第13号古墳の約2倍の大きさです。

 安塚古墳群は、昭和53年(1978)に松本市教委により圃場整備に伴う発掘調査が行われ、大小2種類の古墳(石室)があることがわかりました。松本波田道路の用地内にも大小2種類の古墳が複数あることがわかっていて、来年度以降の調査がさらに期待されます。

第12号古墳 精査風景

 

安塚古墳群発掘だより 第4号(PDF:962KB)

安塚古墳群発掘だより 第5号(PDF:1085KB)

 

中信,安塚古墳群,調査情報

2024年10月23日

長野市長沼城跡 2024発掘調査情報(1)

【長沼城跡の発掘調査が終盤となっています】

 長沼城跡は16~17世紀に、千曲川左岸の平地に築かれた南北約 650m 、東西約 500mという大規模な平城です。 2021 年から発掘調査がおこなわれ、今年の 10 月に調査が終了する予定です。 

 昨年までの調査では、戦国時代から近世初期の礎石建物跡や堀跡、土塁などの遺構が確認されています。そして同時期の土器や陶磁器、鉄砲玉などの遺物も出土しています。

長沼城縄張り想定図

 

【今年度の調査】

 中堀に伴うと思われる石列が出土しており、 約 40 cm の大きな石を支えるように裏込めとして小石が敷きつめられている箇所が見つかっています 。 中堀の杭列は土塁が崩れないように施された土留めと考えています 。昨年までの調査においても石列 、 杭列が見つかっています 。 これらの成果をもとに城郭の構造をあきらかにしていきたいと思います 。

土留めのための杭列

 

【注目!金足物とは】

 遺物としては、戦国時代から近世初めのカワラケ、灯明皿、内耳鍋などの土器や陶磁器類が多数出土しています。また、太刀の鞘の一部である足金物も出土しました。

 金足物は、太刀を腰から吊るす際の固定金具として使われていました。太刀1振に2つあります!

 県内の遺跡からの出土例は少なく、中世、戦国時代の遺跡から出土した類例は、御代田町の前藤部遺跡で1点、佐久市の北山寺遺跡で3点の出土などが確認されています。

長沼城跡出土の金足物

 

長沼城跡発掘たより 第6号(PDF:761KB)

北信,調査情報,長沼城跡

2024年10月23日

松本市真光寺遺跡 2024発掘調査情報(2)

【4年間の発掘作業が終了】

 9月末をもって、今年度予定していた発掘作業が終了しました。今年度は遺跡の北西側を調査し、中世の方形にめぐる溝跡や、中世以降の建物跡と思われる竪穴状の遺構約10基、掘立柱建物跡の柱穴を含む土坑約260基などがみつかりました。遺物としては、中世以降の内耳鍋(土鍋)や陶磁器片、石臼、凹石といった当時の生活道具が多くみつかったほか、近世以降の鞴の羽口や鉄滓が出土するなど、鍛治の存在を思わせるものもみつかりました。

 令和3年度から開始した真光寺遺跡の発掘作業は、今年度ですべて終了となります。今後は、長野市にある長野県埋蔵文化財センターにて、発掘作業の成果をまとめ報告書を作成する整理作業を進めていきます。

真光寺遺跡の全景

 

【これまでの調査成果】

〇波田地区ではじめての古墳発見

 7世紀後半から8世紀初頭(飛鳥~奈良時代)頃に造られた古墳が2基みつかりました。石室の時期や造り方は、近くの安塚古墳群や秋葉原古墳群と似ており、梓川右岸地域の古墳築造を考えるにあたり貴重な事例となりました。

真光寺遺跡の古墳石室

 

〇中世の土葬墓、火葬施設跡

 現真光寺お堂の北東では、直径約70cmの円形の土坑が集中し、穴の底面近くでヒトの頭骨の一部や歯がみつかる例が複数確認されました(=中世の土葬墓)。歯の一部を鑑定したところ、埋葬されたのは6歳以下の子どもの可能性が高いことが分かってきました。また、遺体を燃やした「火葬施設跡」も多数みつかりました。

中世の土葬墓

 

〇中世の方形にめぐる溝跡

 遺跡の西側で、幅約2m・深さ0.3~0.6mの溝跡がみつかりました。溝跡はほぼ直角に屈曲する部分が2カ所あり、短辺が50m程の長方形にめぐることが予想できます。溝で区画された内側には竪穴状遺構や柱穴の可能性がある土坑などが多数あります。区画内がどのような場所であったのか、今後明らかにしていきたいと思います。

方形にめぐる溝跡

 

真光寺遺跡発掘だより 第2号(PDF:699KB)

真光寺遺跡発掘だより 第3号(PDF:734KB)

中信,真光寺遺跡,調査情報

2024年10月4日

南大原遺跡 2024年度発掘調査情報(4)

【南大原遺跡の発掘調査、終盤戦に突入】

 6月から行われてきた南大原遺跡の調査がいよいよ終盤をむかえています。現在は、弥生時代中期(約2000年前)の遺構が中心となっています。その中で新たな発見がいくつかありましたので、そのいくつかについて紹介させていただきます。

【発見1】 土製紡錘車

 SB110から土製の紡錘車が出土しました。「発掘だより第3号」でお知らせしたように、すでに平安時代の建物内からは鉄製の紡錘車が出土しています。今回は土製の紡錘車です。鉄製と土製、新旧の差を感じます。2点とも穴が貫通せず未製品です。

土製紡錘車出土状況

(裏側に孔をあけかけた痕跡あり)

 

【発見2】 玉づくり用の原石

 同じ建物内からは緑色凝灰岩製の管玉とその原石、そして製作途中の未製品が出土しており、この建物内で玉づくりが行われていた様子を伺うことできます。さらに佐渡産とみられる赤い色の鉄石英の原石も出土しており、同じく玉製品の原石となったものと思われます。

緑色凝灰岩原石の集石

 

【発見3】 木棺墓

 弥生時代の墓が3基見つかりました。この中の1基は、長方形の穴の中で板を組み合わせて棺をつくり、死者を埋葬した木棺墓であることがわかりました。棺の長さは160㎝あり、大人用の棺と考えられます。残念ながら、副葬品は見つかりませんでした。また人骨も残っていませんでした。

木棺墓の調査風景

 

【確認調査の範囲拡大へ】

 発掘調査を実施する範囲を確定すべく、確認調査のピッチもあがってきました。以前から行っていた北大原地籍・鍋久保地籍・舞台地籍・舞台地籍に加えて、10月からは南大原地籍においても調査が始まる予定です。

 南大原地籍の調査は、現在面調査で発掘調査を行っている弥生~平安時代の集落跡の範囲が北側へどのくらい拡がるかを確認するための調査です。

南大原遺跡発掘調査地と南大原地籍確認調査箇所

 

南大原遺跡発掘調査地(手前)と南大原地籍確認調査箇所(白線内)

 

【ふしぎな話】

 先に弥生時代のお墓が3基みつかったと紹介させていただきました。そのなかの1基は、平安時代の竪穴建物の床下でみつかっています。平安時代の人々は弥生時代のお墓のことを知らずに、先祖のお墓の上で生活していたことになります。

平安時代の竪穴建物床下で見つかった木棺墓(左上)

 

南大原遺跡発掘だより2024年度第5号(PDF:779KB)

北信,南大原遺跡,調査情報

1 2 3 4 5 6 7 33