7月から始まった発掘調査も中盤を過ぎたころです。縄文時代中期(約5000年前)の集落跡の全貌が少しずつ見えてきました。
【縄文時代中期の竪穴(たてあな)住居(じゅうきょ)跡群】
矢印の部分が竪穴住居跡です。9月までの調査で5軒みつかりました。朝日村では山鳥場遺跡とほぼ同じころの集落である熊久保(くまくぼ)遺跡が調査されています。山鳥場遺跡から西へ1.8㎞程離れた場所にあり、ムラ同士の交流を予想することができます。
【発掘中の7号住居跡】
調査開始直後から土器が大量に出土したため、土器のある部分を残して掘り下げています。
住居跡の中央付近から土器が集中的に出土しています。
【土器出土状況を近くで見る】
出土した土器の一部です。破片が多いですが、元の形を残した土器も出土しています。土器群の間からは石も一定量出土しており、土器と一緒に捨てられたと思われます。
【7号住居跡 完掘状況】
形は不整円形で直径は6m程です。手前に入口、中央やや奥に炉があります。住居の輪郭に沿って柱穴が並びます。壁際には板壁の痕跡とみられる穴が並びます。炉の周囲は石で四角く囲んでいたと思われますが、一辺を残して抜きとられた状態でみつかりました。
【土偶(胴体部分)】
7号住居跡からは、土器群とともに土偶も出土しました。胸の表現から、女性を象(かたど)ったものと思われます。