平安時代の水田跡などを発見しました!
約2ヶ月間の発掘調査が先週末で終了しました。
平安時代の水田跡や洪水の跡、室町時代から戦国時代頃と思われる大きな溝跡を発見しました。
【平安時代の水田の畦を検出】
室町時代から戦国時代の溝跡に部分的に壊されていましたが、平安時代の水田の畦(あぜ)と、取水口を発見しました。西暦888年の千曲川の氾濫によると思われる洪水砂が、古代水田跡を覆っていました。
【信州大学 保柳先生に土壌調査を依頼】
信州大学学術研究院の保柳康一先生に依頼し、現在の道路面からおよそ1.9mの深い場所にある、洪水砂層を実際に確認していただきました。
【分析のため砂層をサンプリングする】
砂粒の大きさや、砂が堆積した状況などを分析するため、サンプルを採取しました。今後、信州大学の研究室で詳しく分析した結果をもとに、石川条里遺跡の古環境を復元します。
【発見された巨大な溝跡】
調査区の東側を通る溝跡が途中西へ折れることがわかりました。溝跡の時期は室町時代から戦国時代頃と考えられます。溝跡は幅が10mもあり、断面は逆台形で、底はほぼ平らです。今回の発掘調査で発見された溝跡の中で最も幅が広いものです。溝跡の性格については出土した遺物などから今後詳しく調べていきます。
【巨大な溝跡から出土した兜の前立物「鍬形」】
巨大な溝跡の底付近で鍬形(くわがた)をした兜(かぶと)の前立物が出土しました。兜の前立物の一つである鍬形は、武士の象徴ともなる重要な装飾です。二枚に重ねた鍬形を真ん中で折り曲げた状態で出土しており、大変興味深いです。今後、出土状況について、全国で類例がないか詳しく調べていきます。