-発掘調査終了-
8月に始まった今年度の発掘調査は12月17日で終了しました。
周辺遺跡から寺院跡の可能性を想定していましたが、調査の結果、遺跡に残る平坦地は近世の耕作地として造成されたものであることがわかりました。造成地の下からは平安時代の竪穴住居跡や平安時代~中世と思われる掘立柱建物跡の柱穴がみつかりました。
遺物は縄文土器、平安時代の土器片が少量みつかりました。また戦国時代頃の内耳鍋片もみつかりました。
遺跡内には県宝千手観音立像(平安時代中頃)を祀るお堂があり、周囲には海岸寺経塚、観音堂の旧地と伝える弘法平があって、この周辺に「かいがん寺」と呼ばれる山寺がかつて存在したと想定されていました。しかし、今回の発掘調査範囲では寺の関連施設は確認できませんでした。
平安時代の竪穴住居跡です。寺との関係は不明ですが、平安時代にはここに人が暮らしていたことがわかりました。