現在、市道32253号線をはさんだ西側の1-2区と東側の2-1区の二つの地区で調査を進めています。いずれも弥生時代から平安時代までの竪穴住居跡や墓が重なっており、新しい時代の遺構から順番に調査を進めています。
2‐1区では、弥生時代から平安時代にいたる竪穴住居跡が50軒以上重なっています。古い時代の竪穴住居跡は新しい時代の竪穴住居跡に壊され、残っている部分が少ないです。
1-2区を東西に縦断する平安時代以後の溝跡(長さ約70m)を調査しています。写真手前から約50m付近で溝跡は曲り、なかからほぼ全身が残るウマの骨がみつかりました(下写真)。
足の部分は近代以後の耕作に関わる溝で掘り取られて残っていませんでした。なぜこの場所で発見されたかは興味深いところです。時代は平安時代以後としかわかりません。
1‐2区の千曲川寄りの場所で、弥生時代中期後半頃の竪穴住居跡がみつかりました。円形の竪穴住居跡で、中央の十字の壁は土の堆積を観察するために残したものです。小さなビニール袋は石器を作る際に出た剥片が出土したものです。竹串を立てながら位置を記録していきます。
小さなヒスイ製の勾玉がみつかりました。二つとも糸を通す穴の上側のところで壊れています。この小さな勾玉はどのような人が身につけていたのでしょうか。