-近世の北国街道沿いの集落-
平成25年度の浅川扇状地遺跡群の発掘調査が始まりました。調査は平成23年度から始まり、今年で3年目になります。これまでの発掘調査では弥生時代から中世の各時代の遺構や遺物が発見されています。本年度は相ノ木通りに面した地区から調査を開始し、近世以降の遺物が出土しています。相ノ木通りは旧北国街道にあたり、北国街道に沿って近世の集落ができてきたようすが明らかになってきました。
調査区は南北に細長く、北側の吉田地区と、南側の桐原地区に分かれます。旧北国街道は吉田地区にあります。6月より調査に入ります南の桐原地区では須恵器の破片が表採されており、古代の集落跡が発見されるものと期待されます。
道路や人家に面した調査区は、安全確保と防塵のためフェンスで囲って調査を進めます。
調査区の上の道が相ノ木通りです。
方形の穴の中から多数の瓦と、寛永通宝4点が出土しました。瓦は褐色に変色していて、火災で焼けたものと推定されます。幕末の元治元年(1864年)に吉田田町で大火があったと伝えられており、その大火と関連する瓦である可能性があります。
幕末の堆積層の下層から、水田の畦と思われる高まりが、確認されました。水田と思われる土壌からは、内耳鍋の破片などが出土しています。中世から近世前半の水田跡と想定しています。
一分銀を模した土製品が出土しました。どの様に使われたものかはっきりわかりませんが、泥面子(どろめんこ)と呼ばれる近世の遊具の一種と考えられます。長野県内では松本城の城下町を調査した、松本市伊勢町遺跡などで出土例が報告されています。
大きさ:縦 23 × 横 17 × 厚さ 3 mm