Research調査情報

2015年8月19日

浅川扇状地遺跡群 平成27年度調査情報(3)

鐘鋳川(かないがわ)のすぐ北側の地区の発掘調査をおこない、古墳3基と古墳時代の竪穴住居跡2軒、溝跡が4条、土坑6基がみつかりました。

 

【古墳の調査】

古墳墳丘の周りに掘られた溝(周溝)からはたくさんの土器がみつかりました。

 

【古墳の溝からみつかった土器】

周溝の中から完全な形に近い高坏が置かれたような状態でみつかりました。高坏の中には東海地方でみられる鋸歯状の模様があるものもみつかっています。

 

【古墳の全景】

古墳の大きさは外径で約18mあります。大きさがわかるように作業員さんに立ってもらって撮影しました。

 

【古墳時代中期の竪穴住居跡】

竪穴住居跡は方形で一辺は約7mです。北側の壁の中央にはカマドが設けられていました。

床面からは滑石と考えられる石のかけらがたくさんみつかり、土ごと取り上げて洗ってみました。石製模造品の完成品、および未完成品がみつかりました。

 

【カマドの調査風景】

カマドからは完全な形に近い土器が出土しました。

また、カマドの中からは甕を支えるための土製の支脚もみつかっています。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2015年5月19日

浅川扇状地遺跡群 平成27年度調査情報(2)

【調査区全景】

北長野通りに近い場所の調査にはいりました。

写真中央のマンション手前が北長野通り、写真の下側が調査区です。


 

【古墳時代の土坑の調査】

第2面では、土坑の調査を進めています。穴の中を半分ほど掘って土の埋没状況を確認します。埋没過程を丹念に調べることで、土坑の性格にせまる情報をひき出します。

 

【調査のようす】

古墳時代の土坑群の写真撮影の為に清掃をしています。

土坑を調査した結果、柱穴の可能性が高いと判断できましたが、建物の全体像をつかむことはできませんでした。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2015年4月22日

浅川扇状地遺跡群 平成27年度整理情報(1)

本年度から整理作業を本格的に開始しました。

 

【整理作業のようす】

出土した土器の接合・復元、さらには発掘作業で作成した図面等の修正作業をまずは行っていきます。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2015年4月22日

浅川扇状地遺跡群 平成27年度調査情報(1)

平成27年度は調査地の最南端を発掘します。小さな土地の区画をひとつひとつ発掘する地道な調査が再開します。本年度は調査研究員3名、発掘作業員30名程度で調査を進めます。ご協力のほど、よろしくお願いします。

 

【調査開始、遺跡をさがせ】

調査開始。みんな一列になって遺構の検出に取り組んでいます。「土の色の違いに気をつけて。なにか出たら知らせてね。」と調査研究員の指示の声が聞こえるようです。

 

【大形の土器破片を発見】

さっそく、土器が出土しました。古墳時代の高坏(たかつき)の大形破片です。ていねいに全体の形を出していきます。

 

【出土位置を記録】

高坏の大形破片は住居跡などの遺構内ではなく、遺物を含む土層から出土しています。念のため出土位置はしっかりと記録しておきます。

 

【溝跡を確認】

遺構の検出作業を進めているうちに、溝跡の一部と考えられる黒色土の落ち込みを確認しました。慎重に調査していきましょう。

 

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2014年11月12日

浅川扇状地遺跡群 平成26年度調査情報(6)

-市街地に眠る古代の遺跡-

4月から始まった平成26年度の発掘調査も、残すところ1か月となりました。10月末で今年度予定していた桐原地区の調査が終了し、11月4日より吉田田町地区、長野電鉄長野線立体交差工事エリア内の調査を開始しました。中世以降の生活面と、弥生時代~古代の2面の調査を予定しています。

 

【平安時代の竪穴住居跡調査風景】

住宅街での発掘調査は大変です。現代の下水道管などと同じ深さで平安時代の竪穴住居跡もみつかります。

 

【吉田田町地区調査風景】

幅約2m長さ約16mの狭い地区ですが、平安時代竪穴住居跡の一部が検出されました。

 

【平安時代の竪穴住居跡から出土した土師器(甕)】

竪穴住居跡の壁際から、完全な形に近い小形の甕がみつかりました。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2014年9月17日

浅川扇状地遺跡群 平成26年度調査情報(5)

-市街地に眠る古代の遺跡-

清林寺南側の地区の調査開始より1か月が過ぎました。現在、平安時代の竪穴住居跡6軒、溝跡2条、土坑約20基を調査中です。調査地からは、平安時代の土師器・須恵器・緑釉陶器、近世幕末以降の天保通宝の土製模造貨がみつかりました。

 

【平安時代の竪穴住居跡から出土した土師器(坏)】

床面から完全な形に近い土師器がまとまって出土しました。

 

【緑釉陶器(椀)】

竪穴住居跡などの遺構を検出した面から、緑釉陶器がみつかりました。胎土の様子や器形、釉薬の色などから、京都で作られて遺跡に持ち込まれたものと考えられます。

 

【土製模造貨】

天保通宝は江戸時代から明治時代まで使われていた貨幣で、その土製模造貨が近世以降に掘られた穴からみつかりました。模造貨は、実際の天保通宝の半分以下の大きさで、玩具として使われていた可能性が考えられます。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2014年8月21日

浅川扇状地遺跡群 平成26年度調査情報(4)

-市街地に眠る弥生時代の遺跡-

調査開始より4か月が過ぎました。4月から調査を続けてきた桐原地区(4区・3c区)の調査が終了し、昨年弥生時代~中世の遺構が確認された清林寺南側(3a②区)の調査を開始しました。また、昨年度、口縁が二段になる壺が2点出土した弥生時代後期末の方形周溝墓と考えられるの周溝の一部を調査し、口縁が二段になる壺がもう1点みつかりました。

 

【弥生時代後期の竪穴住居跡】

竪穴住居内に建築部材と思われる炭化した木材が残っていました。

 

【竪穴住居跡から出土した土器(高坏)】

弥生時代後期の竪穴住居跡入り口と思われる場所から、完全な形に近い高坏が出土しました。

 

【弥生時代後期末の方形周溝墓から出土した壺】

周溝から、口縁が二段になる壺や大きめの破片が出土しました。口縁が二段になる壺は昨年度発見例を合わせると3点目になります。今年度の調査で、周溝の南東角が確認され、1辺が約12mの方形周溝墓の可能性が高くなってきました。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2014年7月7日

浅川扇状地遺跡群 平成26年度調査情報(3)

-市街地に眠る古代の遺跡-

調査開始より2ヶ月半が過ぎました。清林寺南側の地区では中世以降の調査面を終了させ、弥生時代の竪穴住居跡や古墳時代の溝跡がみつかっている面の調査を行っています。4区としたその南側の地区では今年度3ヶ所調査が予定されている地区の2ヶ所の調査を終了させ、残り1ヶ所の調査を開始しました。古墳時代の溝跡6条や、土坑がみつかっています。

 

【溝跡の調査風景】

溝跡は幅3~6m、深さ30~70㎝ぐらいあり、溝底付近からは大きめの土器の破片が出土しています。

 

【溝跡の測量作業】

掘りあがった溝跡を測量し記録していきます。

 

【出土した石製模造品】

古墳時代の溝跡がみつかった調査面から鏡形(かがみがた)の石製模造品が出土しました。今から1600年ほど前(古墳時代中期)のものと考えられます。このころは滑石(かっせき)製の鏡形(かがみがた)や剣形(けんがた)の模造品を使用した祭祀が流行していました。浅川扇状地遺跡群でも行われていたと考えられます。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2014年5月29日

浅川扇状地遺跡群 平成26年度調査情報(2)

-市街地に眠る古代の遺跡-

調査開始より1ヶ月半が過ぎ、現在桐原地区の2ヶ所で調査を行っています。3区とした北側の地区では中世以降の溝跡3条や土坑が、南側の地区では古墳時代の竪穴住居跡3軒と溝跡6条や土坑などがみつかっています。

 

【古墳時代の竪穴住居跡の調査】

竪穴住居跡の中に残されていた土器や石器の状況を写真に記録するために清掃作業を行っています。

 

【竪穴住居跡から出土した土器】
住居跡からは、壺の大きな破片や完全な形に近い鉢などが出土しています。

 

【竪穴住居跡から出土した石器】

古墳時代の住居跡の床面付近から、弥生時代の磨製石器が出土しました。古墳時代の人も、まだまだ石器を使用したのでしょうか?それとも住居跡が埋まった土に混在していたのでしょうか。

 

【古墳時代の溝跡から出土した土器】

溝跡の中に堆積していた土砂の中から多数の土器片が出土しました。

 

【溝跡から出土した土器】

出土した土器の中には、破損した坏(つき)と呼ばれる器が多く含まれていました。

 

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2014年4月30日

浅川扇状地遺跡群 平成26年度調査情報(1)

―市街地に眠る古代の遺跡―

4月16日より、平成26年度の調査を開始しました。県道高田若槻線関連の発掘調査も4年目になりましたが、今年度は、事業予定地南側の桐原地区を中心に行う予定です。昨年同様、弥生時代~中世にかけての遺構がみつかることが予想されます。現在、古墳時代の竪穴住居跡1軒、溝跡5条などが確認されています。

 

【遺構検出作業風景】

重機により表土を剥がしたあと、両刃鎌で地表面を薄く平らに剥がしながら、竪穴住居跡などの遺構を探していきます。

 

【古墳時代の竪穴住居跡の調査1】

竪穴住居跡の形を確認したあと、十文字に溝を掘り竪穴住居跡に堆積した土層の状況と、床面までの深さなどを確認します。

 

【古墳時代の竪穴住居跡の調査2】

竪穴住居跡に堆積した土を掘り下げていくと、土器片がみつかりました。みつかった土器はその場所に残しながら掘り進め、写真を撮ったり、測量をしたりして記録を残します。(竹串がさしてあるところに土器が残されています。)

 

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2014年1月27日

浅川扇状地遺跡群 平成25年調査情報(4)

-発掘調査終了-

12月19日で今年度の浅川扇状地遺跡群の発掘調査が終了しました。

吉田地区では弥生時代後期(約1900年前)の竪穴住居跡のほかに、幕末の火災で焼けた瓦が捨てられた穴も発見されました。

桐原地区では弥生時代から中世までの集落が発見されました。特にこれまでみつかっていなかった古墳時代中期(約1600年前)の集落も新たにみつかり、弥生時代から中世まで、ずっと人々が住んでいたことがわかってきました。

 

【竪穴住居跡の向く方向】

桐原地区では方形の住居跡が密集して発見されました。弥生時代~古墳時代の住居跡は谷や川の流れなど自然地形に沿って建てられたと考えられます。

一方、平安時代の住居跡は北方向を向きます。建物を建てる時に明確に北を意識したと考えられます。南北を意識する条里制の区割りと関係するかもしれません。


 

【溝から出土した特殊な形の壺】

長野電鉄桐原駅の東方で弥生時代後期末から古墳時代初頭の溝跡がみつかりました。溝の中からは壺、高坏、甕などがまとまって出土しました。

壺は口が二重になった特殊な形のもの、小型のものなどがあります。出土状況から、これらの土器は墓に供えられたり、祭りに使われた可能性を示すものと考えられます。

 

【カマドの祭祀か(古墳時代後期)

カマドは壊されて、左右の壁の一部が残った状況でみつかりました。カマドの中からは煮炊きに使う甕が折り重なって5点も出土しました。

これはカマドを使い終わった後に、わざと壊して祭祀など何らかの行事が行われた痕跡と考えられます。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2013年9月9日

浅川扇状地遺跡群 平成25年度調査情報(3)

―中世の遺跡調査―

4月から引き続き吉田地区と桐原地区の2ヶ所で調査を行っています。現在は桐原地区を中心に調査を進めています。桐原地区では同じ調査面から弥生時代の竪穴住居跡が1軒、平安時代の竪穴住居跡10軒以上、中世と考えられる掘立柱建物跡2棟などが重なりあってみつかってきています。時代の新しい順に調査をしていきます。今回は中世の建物跡を紹介します。

 

【中世の掘立柱建物跡】

東西に長い約4.5m×15.1mの大きな建物跡です。

写真の人が立っているところが柱を建てた穴(柱穴)です。


 

【礎盤石をもつ柱穴】

穴の底には平らな石が置かれています。

これは「礎盤石(そばんせき)」です。柱が上屋の重さで沈み込まないようにするための石です。

大きな建物を建てるために工夫されています


 

【穴から出土した石臼】

掘立柱建物跡の柱穴のほかにも多くの穴がみつかっています。その一つから石臼が見つかりました。


 

【井戸跡】

調査区外との壁際に筒状に組まれた大きな石が出土しました。調査を進めていくと円形の井戸であることがわかりました。

内側の石は井戸を壊す際に井戸の中に埋めたものと考えられます。

まだ深さと幅、サイズはわかっていません。井戸の底から何がみつかるか、秋には結果を報告したいと思います。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2013年7月25日

浅川扇状地遺跡群 平成25年度調査情報(2)

-平安時代のムラの調査-

吉田地区と桐原地区の2か所で調査を進めています。吉田地区では、平安時代の竪穴住居跡が5軒、弥生時代後期の竪穴住居跡が1軒発見されています。桐原地区では、平安時代の竪穴住居跡と中世と思われる掘立柱建物跡が発見されています。

平成23・24年の調査分を含めると、弥生時代6軒、古墳時代15軒、奈良・平安時代101軒の竪穴住居跡が見つかった結果となり、今後の調査に期待がもたれます。

 

【調査区遠景】

長野電鉄線の線路を境にして、北側(手前)が吉田地区、南側が桐原地区です。手前の調査区では、平安時代の竪穴住居跡が5軒と弥生時代後期の竪穴住居跡が1軒発見されました。

【竪穴住居跡の埋土から礫が出土】

吉田地区の平安時代の竪穴住居跡の中に、円礫がまとまってみつかりました。住居跡が埋まる過程で捨てられたものと考えられますが、何に使ったものかは不明です。昨年度の調査でも、古墳時代の竪穴住居跡から多量の礫がみつかる事例がありました。

【中学生の職場体験】

信州大学教育学部附属長野中学校、飯綱中学校の3年生が職場体験で発掘調査に参加しました。平安時代の竪穴住居跡の遺物の出土状況を記録をしています。

【カマドに敷かれた土器片】

吉田地区の平安時代の竪穴住居跡のカマドから甕の破片が出土しました。カマドを壊した後に甕の破片を敷くように置いたのではないか、と考えられます。民俗例では、カマドを使わなくなる時、儀礼をおこなう例があります。これらの甕がどのような経緯で写真のような状態になったのか、興味があるところです。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2013年5月24日

浅川扇状地遺跡群 平成25年度調査情報(1)

-近世の北国街道沿いの集落-

平成25年度の浅川扇状地遺跡群の発掘調査が始まりました。調査は平成23年度から始まり、今年で3年目になります。これまでの発掘調査では弥生時代から中世の各時代の遺構や遺物が発見されています。本年度は相ノ木通りに面した地区から調査を開始し、近世以降の遺物が出土しています。相ノ木通りは旧北国街道にあたり、北国街道に沿って近世の集落ができてきたようすが明らかになってきました。

調査区は南北に細長く、北側の吉田地区と、南側の桐原地区に分かれます。旧北国街道は吉田地区にあります。6月より調査に入ります南の桐原地区では須恵器の破片が表採されており、古代の集落跡が発見されるものと期待されます。

 

【相ノ木通り(旧北国街道)沿いの調査がはじまる】

道路や人家に面した調査区は、安全確保と防塵のためフェンスで囲って調査を進めます。

調査区の上の道が相ノ木通りです。

【火災で焼けた瓦が多数出土】

方形の穴の中から多数の瓦と、寛永通宝4点が出土しました。瓦は褐色に変色していて、火災で焼けたものと推定されます。幕末の元治元年(1864年)に吉田田町で大火があったと伝えられており、その大火と関連する瓦である可能性があります。

【集落の下に水田跡を確認】

幕末の堆積層の下層から、水田の畦と思われる高まりが、確認されました。水田と思われる土壌からは、内耳鍋の破片などが出土しています。中世から近世前半の水田跡と想定しています。

【土製の一分銀】

一分銀を模した土製品が出土しました。どの様に使われたものかはっきりわかりませんが、泥面子(どろめんこ)と呼ばれる近世の遊具の一種と考えられます。長野県内では松本城の城下町を調査した、松本市伊勢町遺跡などで出土例が報告されています。

大きさ:縦 23 × 横 17 × 厚さ 3 mm

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2012年12月19日

浅川扇状地遺跡群 平成24年度調査情報(5)

―今年度の調査が終了しました―
 11月末で、浅川扇状地遺跡群の発掘調査が終了しました。本年度の調査では、古墳時代~平安時代の住居跡が44軒みつかり、昨年度の調査で確認した集落がさらに北側に広がっていることが分かりました。また、これまでみつかっていなかった弥生時代後期の住居跡5軒を調査し、この土地での人々の生活の歴史がさらに遡ることが明らかになりました。浅川扇状地遺跡群の調査は来年度も行う予定で、さらなる成果が期待されます。

 

【調査地の遠景】
 本年度の調査は東西に延びる長野電鉄線の南側(桐原地区)と北側(吉田地区)で行いました。弥生時代後期の集落跡は吉田地区で確認しました。写真の中央が調査地で左奥に見える高い山は飯綱山(いいづなやま)です。


【調査地全景写真の準備作業】
 調査終盤、みつかった遺構の配置など全体のようすを撮影するため、調査区内を清掃します。


【吉田地区の遺構のようす】
 弥生時代後期~平安時代の竪穴住居跡が重なってみつかりました。


【弥生時代後期の竪穴住居跡の調査】
 完全な形に近い小形の壺が住居跡の床に横たわるような状態で出土しました。


浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

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