4月から調査を進めている本遺跡は、千曲川左岸の自然堤防西側の後背湿地(地元で蓮田(はすだ)と呼ばれる湿地)と、それに接するように南北に連なる山麓の緩やかな斜面の部分にあります。
長谷窯(はせがま)〈慶応3(1867)年から明治29(1896)年ごろまで操業〉推定地に近接する場所にあたり、明治時代前半期の窯関係の道具や焼き損じ品等が多数出土しました。
【調査のようす】
窯関係の道具や焼き損じ品等が多数出土している場所の調査の様子です。
【出土した“ひょうそく”の蓋】
“ひょうそく”は、灯明具(とうみょうぐ)の一種で、油に灯芯(とうしん:ろうそくの中心のひもと同じ役割)を浸して、灯火(ともしび)をともす容器です。写真の上段は素焼きのもの、下段は釉薬(うわぐすり)をかけたものです。釉薬をかけているということから、出荷する製品であったことがうかがえます。
【円錐形の窯道具】
“円錐ピン”と呼ばれる窯道具の一つです。窯で焼く時に製品同士が釉薬でくっつかないようにするために、器と器との間に入れて使用していたものです。
【灯明具・窯道具出土のようす】
左が灯明具、右が焼台(しょうだい)で、焼き物の下に敷いたと思われる窯道具です。
【工房跡】
窯に付属していた工房があったとみられる場所から、四角の穴が開けられた2つの石が出土しました。他地域の事例から、製品を作る時に使用された轆轤(ろくろ)を固定するための石ではないかと考えられます。
“轆轤台石(だいいし)”または“轆轤心石(しんせき)”と呼ばれるもので、全国的にみても、設置された当時の状態で確認された例は少なく、貴重な資料となります。