―龍源寺跡の調査が終了しました-
今年4月に開始した調査が、7月31日をもって終了しました。調査対象地が神之峯城主の知久氏が建立した18箇所の寺院(知久十八ケ寺)のひとつである「龍源寺」の推定地であったため、「龍源寺跡には寺院跡は存在するか?」という課題のもと調査を行ってきましたが、中世(15世紀以前)に比定されるお堂の可能性が高い礎石建物跡が発見され、かつ、中世の遺構は、谷状地形のなかを大規模に造成して平坦化した後につくられていることがわかり、大きな成果を上げることができました。
写真中央に礎石建物跡があります。写真は建物跡の広がりを調べている風景です。
建物跡は桁行3間、梁行3間(約5m四方)です。礎石の配置(3間堂)から、お堂の可能性が高い建物と考えています。礎石には、江戸時代以降に抜き取られたものもありました。写真は、調査でみつかった礎石(すでに礎石が遺存しない場所は、礎石の推定地)に模擬柱を立てて、建物の雰囲気がわかるようにしました。
玉川上空からラジコンヘリで撮影した写真です。龍源寺跡は玉川方向に開けている谷状地形に立地していることと、中世の礎石建物跡は、谷状地形のほぼ中央部(写真の●)にあることがわかります。
7月30日、現場のプレハブで発掘調査終了式を行いました。
傾斜地にある龍源寺跡の調査は困難をきわめましたが、飯田市鶯ケ城跡や神之峯城跡など、傾斜地での調査経験をもつ多くの作業員さんの皆さんのご努力によって無事に調査を終了できました。
調査でみつかった礎石建物跡と知久十八ケ寺のひとつ「龍源寺」との関係については、今後、整理作業等で明らかにしたいと考えております。