書名:龍源寺跡
副書名:社会資本整備総合交付金(道路)事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書
(国)256号飯田市上久堅拡幅(1)
シリーズ番号:114
刊行:2017年3月
龍源寺跡は伊那谷の天竜川左岸(竜東)の山間地にあります。遺跡が立地する段丘の先端にある谷状地形内を調査した結果、谷状地形を改変して造り出した平場から「方三間(ほうさんげん)の仏堂(ぶつどう)」の可能性が高い礎石建物跡や井戸跡、溝跡などの中世遺構がみつかりました。遺跡の南側には、この地を治めた国人(こくじん)領主である知久(ちく)氏の本城(神之峯(かんのみね)城城跡)があり、飯喬(いいたか)道路建設に伴う神之峯中腹遺跡の発掘では堂宇(どうう)と推測される礎石建物跡が発見されています。神之峯城城跡の周囲には宗教施設が点在していたと推測され、飯田市上久堅(かみひさかた)地区の地域史を明らかにする上で、重要な資料となりました。
【龍源寺跡 遠景(北西から)】
谷状地形内には、平場が造成されていました。写真左下に玉川が流れています。
【谷状地形での調査風景】
谷奥側から玉川側を臨んでいます。三方を尾根に囲まれた中で調査しています。写真中央に礎石建物跡があります。
【3間×3間の礎石建物跡】
写真は建物跡に伴う礎石と礎石推定箇所に模擬柱を立てたものです。建物跡の平面形状は方形で、写真の撮影方向に入り口が存在したと推測されます。
【礎石建物跡造成の様子】
礎石建物跡を構築する際に、黒褐色土と褐色土を交互に埋め立てて造成されています。
礎石建物跡の検出時に、礎石に囲まれたなかから扁平な礫が45個出土しました。写真はその一部です。礫にはお経が書かれていませんが、礫石経(一字一石経)の代用品と考えています。これらは、地鎮具(じちんぐ)として使われたと推測しています。