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小島・柳原遺跡群

ふりがな
こじま・やなぎはらいせきぐん 
住所
長野市大字柳原1561ほか  マップ
立地
千曲川左岸の自然堤防上 
事業名
長野東バイパス改築事業 
調査期間
平成28年6月-11月 平成29年4月-11月 平成30年4月- 
時代
弥生・古墳・平安 
遺跡の種類
散布地 
備考
 

2018年6月20日

小島・柳原遺跡群 平成30年度調査情報(1)

平成30年度の長野東バイパス改築工事に伴う発掘調査を4月から開始しました。

今年度の調査地点は昨年度調査を行った地点の北側で6月19日(火)に、遺跡の状況を信州大学教育学部の教員・学生のみなさん9名が見学にみえました。

【昨年度までの調査地点】

塔鋺形合子(とうまりがたごうす)に関心がある方もあったので、一昨年度出土した地点を見ながら、遺跡の概要や出土した時の様子を説明しました。

【昨年度出土骨のクリーニング】

昨年度までに出土した人骨を丁寧にクリーニングしているようすも見学いただきました。こうした地道な作業の上に、歴史の研究が成り立っていることを、改めて認識された方もいたようです。

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2017年12月22日

小島・柳原遺跡群 平成29年度調査情報(5)

今年度の発掘調査が、11月30日で終了しました。竪穴(たてあな)建物跡15軒、土坑304基、溝跡15条、墓跡43基の調査を行いました。 地元をはじめ多くの皆様に、御理解、御協力をいただき本当にありがとうございました。

【平安時代の竪穴建物跡】

 この建物跡は一辺約6mと大型で、主柱穴以外に壁際に柱穴(図中)があります。遺跡内の他の建物跡とは大きさも構造も異なる建物であった可能性があります。昨年度、塔鋺形合子(とうまりがたごうす)が出土した竪穴建物跡も同じ特徴を持っています。

【古代瓦】

 奈良時代ころに製作された古代の平瓦(ひらがわら)の破片が出土しました。こちら側(製作時の外側)には、格子目叩きがわずかに残っています。

【古代瓦】

 同じ瓦の反対側(製作時の内側)です。全体に布の痕が残っているのがはっきりとわかります。

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2017年9月11日

小島・柳原遺跡群 平成29年度調査情報 (4)

4月から開始した平安時代の集落跡や中世以降の墓跡などの調査は、ほぼ終了しました。 これからは、調査区南側の大溝と北側の土坑や溝などの調査を中心に行います。

 

【これまでの調査】

今年のこれまでの調査で、平安時代の竪穴(たてあな)建物跡20軒、中世から近世の墓跡40基、土坑257基などが見つかりました。

【丸鞆】

丸鞆(まるとも)とは、古代の役人が正装した時に着用したベルト:石帯(せきたい)に装着した飾り石です。この丸鞆は、平安時代の竪穴建物跡の埋土から出土し、ベルトに装着するときに使った金属製の鋲(びょう)が2か所(矢印)に残っていました。

【大溝の調査】

現在調査中の中世の大溝は、深くて断面形がV字形、足場が悪く掘るのが大変です。掘り下げるためには、掘る人、土を持ち上げる人、土を捨てる人という役割分担と息の合ったチームプレーが必要です。

【北八幡川の生き物】

調査区の南側を流れる北八幡川では、初夏のころカルガモ親子の仲むつまじい風景をみることができました。忙しい調査のなか、ほのぼのするひと時でした。

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2017年7月4日

小島・柳原遺跡群 平成29年度調査情報 (3)

柳原住民自治協議会による遺跡の見学会が6月28日にありました。地域の皆さん23名の参加があり、熱心に調査の様子をご覧になっていました。

【調査区の見学】

一段高い場所から、調査区全体を見学していただきました。 遺構が重なり合っている様子がよくわかります。

【竪穴(たてあな)建物跡の説明】

前日夜に雨が降りましたが、竪穴建物跡の間近で見学していただくことができました。参加者からは、遺跡や遺構に関する質問が多く出されました。

【遺物の説明】

平安時代の土師器(はじき)や須恵器(すえき)、土製のおもり、陶製 の容器のフタ、お茶の道具である風炉(ふろ・ふうろ)の破片など、今年出土した遺物を見ていただきました。

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2017年6月12日

小島・柳原遺跡群 平成29年度調査情報(2)

今年度、発掘調査予定範囲は、ほぼ表面の土が剥ぎ終わりました。古代から中世の竪穴建物跡16軒、溝跡7本、墓35基、土坑(穴)200基以上が検出され、調査が進められています。6月7日には、県文化財保護審議委員の先生方や県教育委員会の皆さんが現場を視察されました。

【土器が置かれ、焼けていた穴】

 内耳土器が多量に出土した穴が見つかりました。穴の内側は激しく焼けており、カマドの煙道(えんどう)のような筒状の掘り込みが付いています。穴の中には土器が置かれていました。土器を焼いた穴にしては小さく、何のための施設か検討中です。

【木棺墓と土坑墓】

 昨年度から戦国時代から江戸時代初期にかけてのお墓がいくつも見つかっていますが、今年度も、長方形のお棺が納められていたと思われるお墓(木棺墓)が見つかっています(写真中央)。その右側には、人骨がそのまま土葬されたお墓もみつかっています(写真右)。

【風炉】

 お茶などをたてる時には、湯を沸かすために特別な道具、風炉(ふうろ・ふろ)が使われました。中世のものは、縁に文様装飾が施されていますが、特に素焼き(瓦質)のものが、室町時代以降珍重され、お茶を飲む風習(喫茶・茶の湯)とともに全国に広まったようです。

7月8日(土)に現地説明会を開催しますので、是非ご来場ください。

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