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石川条里遺跡

ふりがな
いしかわじょうりいせき 
住所
長野市篠ノ井塩崎  マップ
立地
千曲川左岸の後背湿地 
事業名
一般国道18号(坂城更埴バイパス)改築事業 
調査期間
平成28年4-11月 平成29年4-11月 平成30年4-12月 平成31年4-12月 令和3年4-6月 
時代
弥生・古墳・平安・中世・近世 
遺跡の種類
水田跡 
備考
 

2021年6月10日

石川条里遺跡 2021年度発掘調査情報(5)

平安時代の水田跡などを発見しました!


約2ヶ月間の発掘調査が先週末で終了しました。

平安時代の水田跡や洪水の跡、室町時代から戦国時代頃と思われる大きな溝跡を発見しました。



【平安時代の水田の畦を検出】

 室町時代から戦国時代の溝跡に部分的に壊されていましたが、平安時代の水田の畦(あぜ)と、取水口を発見しました。西暦888年の千曲川の氾濫によると思われる洪水砂が、古代水田跡を覆っていました。



【信州大学 保柳先生に土壌調査を依頼】

 信州大学学術研究院の保柳康一先生に依頼し、現在の道路面からおよそ1.9mの深い場所にある、洪水砂層を実際に確認していただきました。



【分析のため砂層をサンプリングする】

 砂粒の大きさや、砂が堆積した状況などを分析するため、サンプルを採取しました。今後、信州大学の研究室で詳しく分析した結果をもとに、石川条里遺跡の古環境を復元します。



【発見された巨大な溝跡】

 調査区の東側を通る溝跡が途中西へ折れることがわかりました。溝跡の時期は室町時代から戦国時代頃と考えられます。溝跡は幅が10mもあり、断面は逆台形で、底はほぼ平らです。今回の発掘調査で発見された溝跡の中で最も幅が広いものです。溝跡の性格については出土した遺物などから今後詳しく調べていきます。



【巨大な溝跡から出土した兜の前立物「鍬形」】

 巨大な溝跡の底付近で鍬形(くわがた)をした兜(かぶと)の前立物が出土しました。兜の前立物の一つである鍬形は、武士の象徴ともなる重要な装飾です。二枚に重ねた鍬形を真ん中で折り曲げた状態で出土しており、大変興味深いです。今後、出土状況について、全国で類例がないか詳しく調べていきます。

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2021年5月26日

石川条里遺跡 2021年度発掘調査情報(4)

さらに下の層の遺構を見つける調査を継続しています。


発掘調査が始まり一月半が経過しました。

江戸時代の遺構面の調査が終了したため、さらに下の層で遺構を見つける調査を継続しています。



【江戸時代の遺構面の下を調査する】

重機を使い、江戸時代の遺構面からさらに下へ掘り下げます。深く掘り下げたところ(写真手前)、新たに溝の跡を確認しました。



【江戸時代よりも古い溝の跡を発掘する】

先月調査を行った江戸時代の遺構面では3条の溝跡を発見しました。今回掘り下げた結果、下層にさらに古い溝跡が2条あることがわかりました。いつの時代の溝跡なのかを詳しく調べます。



【発見した溝跡の一つは幅が広い溝】

溝跡は断面が逆台形です。写真の左手では溝の壁が発見できたものの、右手では調査区内で壁が確認できませんでした。そのため、調査区の外へ続く幅の広い溝であることがわかります。以前、上層で発見した江戸時代の溝跡の中でもっとも幅が広い「塩崎用水」跡が約2.4mでしたので、それを上回る規模の溝跡となりそうです。



【溝跡の底から出土した「内耳鍋」】

これまでに発見した5条の溝跡の中で、最も深い場所にある溝跡の底からは、今から400年ほど前の戦国時代に使われた「内耳鍋(ないじなべ)」の破片が出土しました(赤ピン右の黒い破片)。溝跡が作られ、使われ始めた時期を知る手がかりになります。

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2021年5月15日

石川条里遺跡 2021年度発掘調査情報(3)

江戸時代の石川条里遺跡の姿が明らかになりました


発掘調査が始まり1ヶ月が経過しました。

今回は、発掘調査で明らかになった過去の遺跡の姿について説明します。



【江戸時代のいろいろな遺構】

これまでの発掘調査の結果、「水田跡」・「道の跡」・「溝跡」の3種類の遺構を確認しました。「溝跡」は、前回の「調査情報(2)」で説明した、江戸時代の「塩崎用水」と考えられる溝跡です。



【江戸時代の水田跡】

江戸時代の水田跡では、水田一筆を囲む(田と田の境にあたる)畦(あぜ、「畦畔」(けいはん)とも呼びます)が確認されました。水田一筆の南北幅は2m程度と、今の水田に比べ狭いものでした。



【江戸時代の道の跡】

 水田跡と溝跡の間に、山砂が堆積した非常に硬く締まる高まりがありました。現在の市道の真下にあることから、道の跡と考えられます。道は、幅2m程度で、荷車が一台通れる程度です。



【発掘調査区付近の道を調べる】

今回の発掘調査で発見された道の跡は、江戸時代、塩崎村の長谷・越組から北の石川村に向かう幅の狭い脇街道の一つのようです。なお、長谷観音山門の前へ向かう山手側の脇街道には、万延元(1860)年の庚申塔のほか石仏があり、当時の面影を残します。脇街道は、本街道となる北国街道(善光寺道)と並び、村人の生活に欠かせない道であった考えられます。

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2021年5月7日

石川条里遺跡 2021年度発掘調査情報(2)

江戸時代の「塩崎用水」を発見しました!



発掘調査が始まり2週間が経過しました。

今回は、発掘調査で初めて存在を確認した江戸時代の「塩崎用水」ついて説明します。



【昔の溝の跡を確認する】

発掘調査では地面をうすく削りながら土の色の変化を確認する作業を度々行います。その作業で昔の溝の跡やその範囲を特定します。これを「遺構検出」(いこうけんしゅつ)と呼びます。



【溝の跡を発掘する】

次に、検出作業で発見された溝を手掘りで慎重に掘り下げ、溝のかたちを明らかにします。その際、出土した遺物はどの層位から出土したものかを記録し、溝跡の時期を決める材料とします。



【江戸時代の「塩崎用水」の姿が明らかに】

慎重に遺構検出を行うと、溝跡が発見されました。溝跡の東側には杭がほぼ等間隔に列になって発見されました。杭と杭との間には枝(横木)が渡してあり、枝を杭にからめ編み込みこんでいます。溝跡の西側の壁には手のひらの大きさ程度の礫が連なります。杭や礫は、溝の壁を護る役割をもっていたと考えられます。



【江戸時代の終わり頃の皿が出土】

溝跡の中からは江戸時代の染付皿が見つかり、この溝跡が江戸時代に使われていたことがわかりました。現在の塩崎用水の真下から発見されたことから、「江戸時代の塩崎用水」と考えられます。地元の古文書には、千曲川から水田へ水を引くため、文政7(1824)年から3年もかけて大土木工事が行われた記録が残っています。

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2021年4月13日

石川条里遺跡 2021年度発掘調査情報(1)

2013(平成25)年度から始まった一般国道18号(坂城更埴バイパス)改築工事に伴う発掘調査が9年目を迎えました。

今回の発掘調査地点は、2019(令和元)年度に調査した石川条里遺跡の南西端にあたり、長谷鶴前遺跡群と接します。

これまでの調査成果から、今回の調査では平安時代の水田跡や畦畔(田んぼのあぜ)の発見が予想されます。



【調査地点の現在の様子】

調査地点は、長野市篠ノ井塩崎の越(こし)と呼ばれる地域です。江戸時代に用水路の原形が作られ、今も塩崎一帯の水田を潤す「塩崎用水」が流れています。



【重機で表土を剥ぐ】

発掘調査は、ショベルカーを使って表土を剥ぐことから始まります。表土を剥いだ後、人の手で丁寧に土の表面を削り、水田跡などの遺構(いこう)を探していきます。どのような遺構が発見されるのか、楽しみです。



【土の堆積を確認する】

発掘調査の大切な作業に、土の堆積を観察する作業があります。土の色や粒子の大きさ、固さなどの違いから堆積した土を層に分けていきます。観察の結果、この地点には地表から1mほど下に砂の層や粘土の層があることがわかりました。それぞれの層の時代や由来を今後の調査で明らかにしていきます。

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