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石川条里遺跡

ふりがな
いしかわじょうりいせき 
住所
長野市篠ノ井塩崎  マップ
立地
千曲川左岸の後背湿地 
事業名
一般国道18号(坂城更埴バイパス)改築事業 
調査期間
平成28年4-11月 平成29年4-11月 平成30年4-12月 平成31年4-12月 令和3年4-6月 
時代
弥生・古墳・平安・中世・近世 
遺跡の種類
水田跡 
備考
 

2021年5月7日

石川条里遺跡 2021年度発掘調査情報(2)

江戸時代の「塩崎用水」を発見しました!



発掘調査が始まり2週間が経過しました。

今回は、発掘調査で初めて存在を確認した江戸時代の「塩崎用水」ついて説明します。



【昔の溝の跡を確認する】

発掘調査では地面をうすく削りながら土の色の変化を確認する作業を度々行います。その作業で昔の溝の跡やその範囲を特定します。これを「遺構検出」(いこうけんしゅつ)と呼びます。



【溝の跡を発掘する】

次に、検出作業で発見された溝を手掘りで慎重に掘り下げ、溝のかたちを明らかにします。その際、出土した遺物はどの層位から出土したものかを記録し、溝跡の時期を決める材料とします。



【江戸時代の「塩崎用水」の姿が明らかに】

慎重に遺構検出を行うと、溝跡が発見されました。溝跡の東側には杭がほぼ等間隔に列になって発見されました。杭と杭との間には枝(横木)が渡してあり、枝を杭にからめ編み込みこんでいます。溝跡の西側の壁には手のひらの大きさ程度の礫が連なります。杭や礫は、溝の壁を護る役割をもっていたと考えられます。



【江戸時代の終わり頃の皿が出土】

溝跡の中からは江戸時代の染付皿が見つかり、この溝跡が江戸時代に使われていたことがわかりました。現在の塩崎用水の真下から発見されたことから、「江戸時代の塩崎用水」と考えられます。地元の古文書には、千曲川から水田へ水を引くため、文政7(1824)年から3年もかけて大土木工事が行われた記録が残っています。

カテゴリ:石川条里遺跡,調査情報

2021年4月13日

石川条里遺跡2021年度発掘調査情報(1)

2013(平成25)年度から始まった一般国道18号(坂城更埴バイパス)改築工事に伴う発掘調査が9年目を迎えました。

今回の発掘調査地点は、2019(令和元)年度に調査した石川条里遺跡の南西端にあたり、長谷鶴前遺跡群と接します。

これまでの調査成果から、今回の調査では平安時代の水田跡や畦畔(田んぼのあぜ)の発見が予想されます。



【調査地点の現在の様子】

調査地点は、長野市篠ノ井塩崎の越(こし)と呼ばれる地域です。江戸時代に用水路の原形が作られ、今も塩崎一帯の水田を潤す「塩崎用水」が流れています。



【重機で表土を剥ぐ】

発掘調査は、ショベルカーを使って表土を剥ぐことから始まります。表土を剥いだ後、人の手で丁寧に土の表面を削り、水田跡などの遺構(いこう)を探していきます。どのような遺構が発見されるのか、楽しみです。



【土の堆積を確認する】

発掘調査の大切な作業に、土の堆積を観察する作業があります。土の色や粒子の大きさ、固さなどの違いから堆積した土を層に分けていきます。観察の結果、この地点には地表から1mほど下に砂の層や粘土の層があることがわかりました。それぞれの層の時代や由来を今後の調査で明らかにしていきます。

カテゴリ:石川条里遺跡,調査情報

2020年1月14日

石川条里遺跡 2019年度発掘調査情報(2)

平成31年4月に開始した今年度の発掘作業は、冠着山が雪化粧した12月をもちまして終了しました。

【雪を被った冠着山】

平成25年度から開始した坂城更埴バイパス改築に伴う塩崎遺跡群、石川条里遺跡、長谷鶴前遺跡群の発掘作業は、市道の一部を残して終了することになります。 長野市篠ノ井塩崎地区の皆様には、大変お世話になり、ありがとうございました。

今年度は、おもに平安時代とこれまでの発掘では明確ではなかった古墳時代の遺構・遺物がみつかりました。

【古墳時代の杭列と遺物集中】

県道長野上田線に近い調査区で、4条の杭列と遺物集中がみつかりました。杭列は、ほかの調査区で確認した古墳時代の大畦とほぼ同じ方向に延びており、土地を区画するためにつくられたものと思われます。杭列の一角に遺物が集中していました。

【杭列と横木】

4条ある杭列のなかで、もっとも東側の杭列には、杭列に沿って自然木が埋設されていました。杭列を保護する目的で設置されたと思われます。

【遺物集中での作業風景】

長辺約5m、短辺約3m、深さ約30cmを測る不整形な落ち込みがみつかりました(検出面からの計測値)。底面にこまかな凹凸があります。この落ち込み(SX002)からは多量の木材と土器が廃棄された状態で出土しました。木材は自然木が大半を占めていましたが、農具や建築部材と思われるものもみられました。

【遺物集中】

SX002からは供献(きょうけん)用の小型丸底(こがたまるぞこ)土器や高坏(たかつき)が出土しましたが、特に小型丸底土器の出土割合が多いことが特徴的でした。SX002の周辺で行われた非日常的な行為で用いられた土器が廃棄されたものと思われます。

【小型丸底土器出土状況】

【ミニチュア土器】

小形丸底土器を模した非常に小さいミニチュア土器も1点出土しました。土器の口径は約3cmで、土器の縁から底までは約5cmを測るものです。

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2019年5月23日

石川条里遺跡 2019年度発掘調査情報(1)

洪水で埋まった平安時代の水田跡を調査中 !

4月12日に開始した石川条里遺跡の発掘調査では、長谷鶴前(はせつるさき)遺跡群に接する12区で平安時代の水田跡がみつかりました。この水田跡は、地表面からおよそ2m下にあり、千曲川の氾濫(はんらん)と考えられる厚い洪水砂で埋まっていました。このため、水田面は非常によく残っていました。

【小畦の調査状況】

 

12区の水田跡には、いくつかの特徴がみられます。一般的に、平安時代になると畦(あぜ)は東西南北の正方位に延びるようになりますが、12区の畦は、かなり不規則でした。蛇行(だこう)する大畦や畦が直角に交差しない小畦がありました。

また、水田面の状況は、大きく3つに分かれます。①足跡が残り、場所によっては歩行列が確認できる水田面、②田面の凹凸が著しく、明瞭な足跡が確認できない水田面、③足跡や凹凸がない水田面です。この違いは、洪水直前の水田耕作の状況がすべての区画で一様に進んでいなかったからだと考えられます。

【洪水で水田が埋まった場所での人々の復旧痕跡】

平安時代の水田は、洪水で埋まることで耕作ができなくなります。この状況で、人々は何を行ったか。 洪水後の復旧を物語る2種類の痕跡がみつかりました。

ひとつは、畦の直上で確認した土坑もしくは溝跡と思われる落ち込みです。この落ち込みは、大畦と小畦にあり、平面的にとらえることができた場所もあります。この落ち込みは、その位置から、畦の場所を探すために掘った穴と考えられます。千曲川の氾濫で見渡すかぎり洪水砂で埋もれた場所で、人々がまず行ったことは洪水前の「畦探し」でした。

もうひとつは、平安水田の畦と洪水後に復旧された水田の畦の位置が、ほぼ同じであることです。畦は土地の境界や耕作者を示す重要なものであるため、水田の大きさやかたちは踏襲されたのです。 昔の人々も、今と同じことを考えていたことがわかります。

 



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2018年11月6日

石川条里遺跡 平成30年度発掘調査情報(2)

国道18号坂城更埴バイパス改築工事に伴う石川条里遺跡の発掘調査では、県道長野上田線西側(ホクエツ信越長野工場の西側)で、平安時代の水田跡を発見しました。今回は平安時代の畔の内部から出土した木材(芯材)について紹介します。 

【芯材の出土状況】

東西方向にのびる畔を解体したところ、内部から多量の木材が出土しました。木材のなかには、田下駄と思われる遺物や、建築部材の一部と思われる遺物がありました。畔の構築に際し、廃材となっていたこれら木材を芯材として利用したものと思われます。 

【芯材とともに出土した土器】

芯材を精査していたところ、畔のなかからほぼ完形の須恵器の坏が出土しました。 

【田下駄の写真】

田下駄は、水田での農作業の際に着用したはき物で、足が沈み込むのを防ぐため歯はついていません。 写真は、長野市長谷鶴前(はせつるさき)遺跡群の平安水田から出土したものです。長さ約40cm、幅約20cmで、 鼻緒を通した穴が空いています。

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