昨年度、発掘作業が終了した朝日村山鳥場遺跡の本格的な整理作業を実施しています。作業内容は土器の接合・復元や、遺構図のデジタルトレースなどです。
【土器の接合作業】
遺跡でみつかった縄文土器の破片を、パズルのようにつなぎ合わせていきます。
【つながった土器】
山鳥場遺跡の住居跡からみつかった縄文土器です。土器の上から下まで、ほぼ完全に残っていました。
【土器の復元作業】
接合作業でつながった土器を、元の形に戻す作業を行っています。牛乳パックで作った支えなども利用して、土器の丸みを復元します。
【遺構図のデジタルトレース】
山鳥場遺跡でみつかった土器が敷かれた炉跡の図を、パソコンを使ってトレースしています。石や土器の位置を1点1点確認しながら、図を完成させていきます。
4月に開始した山鳥場遺跡の発掘作業は、10月末で終了しました。2年間の調査で、縄文時代中期後半から後期の竪穴建物(たてあなたてもの)跡16軒と柱跡などの穴が約120基みつかりました。朝日村をはじめ多くの皆様にご協力をいただき、誠にありがとうございました。
【縄文時代中期後半(約4,500年前)の集落跡】
遺跡は内山沢扇状地上にあります。写真で白く見える部分は内山沢から流れてきた砂礫です。洪水などで堆積した土の上に、ムラが営まれていました。(赤○印の部分は竪穴建物跡です。)
【建物の出入り口に埋められた土器】
出入り口部分に土器が埋められている竪穴建物跡が2軒ありました。こうした土器は、乳幼児などを埋めた祭祀施設であるという説があります。
【土器が敷かれた炉を発見】
3軒の竪穴建物跡で、炉の底に土器片が割り敷かれており、土器を外すと地面が焼けていました。
【土器が敷かれた炉を発見
3軒の竪穴建物跡で、炉の底に土器片が割り敷かれていました。土器を外すと地面が焼けている例もありました。
【炉にたまった土を洗う】
炉にたまった土を洗ったところ、炭化物や焼けた骨が混ざっていました。炭化物の中にはクルミの殻と思われる破片がみつかりました。
【炉からみつかった炭化物(クルミの殻と思われる破片)】
みつかった炭化物は今後分析に出し、当時の植物利用を検討していきたいと思います。
発掘で出土した縄文時代中期後半(約4500年前)の土器を観察したところ、表面や裏面、割れ口に凹みが残るものがありました。凹みにシリコンを注入し、固まったシリコンを取り出して走査型電子顕微鏡で観察した結果、その凹みがダイズ、アズキ、エゴマの種の跡であることがわかりました。


【ダイズの跡(長さ8.84mm、幅5.08mm)と電子顕微鏡の写真(右)】
野生種よりも大きく、栽培された可能性があります。


【アズキの跡(長さ6.72mm、幅3.60mm)と電子顕微鏡の写真(右)】
野生種と栽培種の中間の大きさで、栽培された可能性があります


【エゴマの跡(直径2~3mm)が多く見つかった土器(左)と電子顕微鏡の写真(右)】
写真の土器をⅩ線撮影したところ土器の中にエゴマの可能性がある881点の凹みがあることがわかりました。この土器はエゴマを多く混じった粘土で作られたと言えます。
山鳥場遺跡の発掘作業を開始しました。山鳥場遺跡は昨年度からの継続調査です。今年度の調査では縄文時代の遺物包含層(土器や石器を含む地層)の広がりを確認しました。現在、包含層の上面から徐々に掘り下げる作業を進めています。この地層の下から縄文時代中期の竪穴(たてあな)建物跡も確認されています。
【遺跡の土層断面】
矢印の部分に黒味の強い地層が堆積しています。縄文時代中期(約4500年前)~後期(約4000年前)を中心とした土器や石器が多く含まれています。
【遺物包含層を掘り下げる】
調査区を4m四方の方眼に区切り、土器や石器の出土量や分布状況を記録しながら掘り下げていきます。
【土偶の顔を発見】
縄文時代中期(約4500年前)に作られたと考えられます。土偶は完全な形で出土するものが少なく、完全な形の土偶をバラバラにして捨てる風習があったのかもしれません。
【縄文時代の「刃物」?を発見】
昨年度、遺跡からは石を薄く割った破片がたくさん出土しました。これらを観察したところ、破片の一端が刃先のように鋭く、その一部が摩耗しているものもありました。縄文人が石の破片を刃物代わりに使用した可能性があります。
県道御馬越塩尻(おんまごえしおじり)(停)線の改築に伴う調査です。山鳥場遺跡は昨年度に引き続き調査を行いますが、現在は、昨年の調査で竪穴(たてあな)建物跡から出土した土器の接合作業を進めています。三ヶ組遺跡は今年度からの調査です。遺跡の確認調査をしました。
【三ヶ組遺跡の確認調査1】
三ヶ組遺跡は今まで発掘された記録がないため、本調査前に確認調査を行いました。
【三ヶ組遺跡の確認調査2】
調査予定地に東西方向にトレンチを入れたところ、耕作土直下で基盤となる黄色い地層が出てきて、遺構は確認できませんでした。近代の圃場(ほじょう)整備で、遺跡が削られた可能性があります。
【三ヶ組遺跡で発見された縄文時代の石器】
写真左は打製石斧(だせいせきふ)の一部、右は石鏃(せきぞく)です。
【山鳥場遺跡の土器接合作業】
昨年度の調査で、竪穴建物跡から大小さまざまな大きさに割れた土器が出土しました。この中から文様や色合いの同じ破片を集めてつなげていきます。
【接合して形が明らかになった土器】
縄文時代中期(約4500年前)の深鉢(ふかばち)形土器です。高さ約50㎝、胴回りは約40㎝もある大形品です。粘土ヒモを貼付けたり棒状の工具で線を引いて文様を描いてあります。