本年度は報告書刊行のため、本格整理作業を行います。
【土器の接合】
出土した土器は、縄文時代早期~中期、晩期の土器の破片がほとんどで、わずかに平安時代の土器がありました。この中から実測図や拓本をとる土器を選びます。
【土器の復元】
同じ個体であることは、土器の模様や土の質から分かります。破片どうしが接合しないこともあります。しかし、石こうを入れて補充すると、全体の形が復元できます。
【石器の選び出し】
図化する石器を選別しています。微細な剝離を確認するのに、ルーペは欠かせません。
【大きな石核】
大きな石核が土坑(どこう)の中から見つかっています。国史跡の星ヶ塔(ほしがとう)黒曜石原産地遺跡(一の釜遺跡から約7.5km)のお膝元にある遺跡なので、黒曜石製の石器がとても多いです。
*調査開始から2か月がたちました。 【見学者】
一の釜遺跡には地元の方をはじめ、これまでに30人ほどの方が見学に訪れました。下諏訪町教育委員会による調査や隣接する武居林遺跡の調査に携わった方から、過去の調査成果などの貴重なお話を伺うことができました。
【竪穴(たてあな)建物跡1】
東西の幅が4mほどの方形の落ち込みが見つかりました。南北に傾斜した斜面に立地するため、南壁は削平を受け、掃除道具の「ちりとり」のような形をしています。北壁側には柱穴が2つ見つかりました。
【石皿】
竪穴建物跡の床面近くで見つかりました。欠けているので全体の大きさはわかりません。木の実をすり潰したりする台として使われたと考えています。
【竪穴建物跡2】
5mほど西側にもう1基方形の落ち込みが見つかりました。掘り込みは約10cmと浅いのですが、たくさんの黒曜石の剝片や砕片が竪穴建物跡を埋める土の中から見つかりました。平らな底面の一部に焼土が分布することから、これも竪穴建物跡と考えられます。
【遺構検出】
地面を移植ゴテや両刃鎌を使って平らにしています。周囲の土と色や質が異なる部分が見つかりました。穴かどうか確認するため、試し掘りをします。
【遺構精査】
どうやら人が掘った穴のようです。次に半分だけ穴の底まで掘り下げ、土の埋まり方や遺物の入り方、種類などを観察し記録します。
【縄文土器】
穴の中からは、縄文時代前期末(今から約5,000年前)頃の土器や黒曜石の破片が不規則に見つかりました。
【穴の中から見つかった礫】
この穴の底からは大きな礫がたくさん見つかりました。この穴が使われなくなった後で、礫を捨てたのかもしれません。
*今後はこれまでより南側の斜面下方にある平坦面の調査を始めます。
お気軽にお立ち寄りください。
【発掘調査が始まりました!】
昭和63年と平成11年に下諏訪町教育委員会が実施した発掘調査では、縄文時代前期末葉から中期初頭(約5,500年前)を中心とする集落跡が見つかりました。黒曜石の原産地を間近に控え、大量の黒曜石が出土することが特徴です。今回の調査対象地からは外れますが、付近に一の釜古墳があり、古墳時代の遺物も出土しています。
【諏訪湖の対岸(南)から調査地を望む】
一の釜遺跡は、霧ケ峰高原を背にした湖北山地の南斜面、鋳物師(いもじ)沢川と福沢川に挟まれた細長い尾根上に位置します。眼下には下諏訪の市街地と諏訪湖が広がり、天気が良いと遠く富士山を望むことができます。
【表土掘削】
重機を使い、表土や畑などの耕作土を除去し、遺構や遺物が見つかる黄褐色のローム層の上面まで掘り下げています。
調査員は、遺構や遺物がないかどうか、重機のバケットの先を集中して見つめています。重機の運転手さんは、調査員の指示によって土をわずかずつ平らに掘り下げます。
調査員と運転手さんとのコミュニケーションが欠かせない、緊張感のある作業です。
【遺構検出】
重機で表土を除去した地面は、移植ゴテや両刃鎌を使って人力で平らにしていきます。すると、黄褐色の地面に薄茶色をした土の質の異なる部分が見つかりました(写真の矢印部分)。直径50cmから1mほどの円形で、黒曜石や縄文土器の破片が出土しています。ひととおり遺構の検出作業が進んだところで、土の質の異なる部分を掘り下げていきます。
穴の形や土の埋まり方、出土する遺物などから、遺構の時期や用途を探っていくわけです。
現在のところ、竪穴建物の痕跡らしき部分も見つかっています。上屋を支えた柱跡や火を焚いた炉跡が見つかれば、竪穴建物跡と断定できるのですが、果たしてどうなりますか? お楽しみに!