書名:琵琶島(びわじま)遺跡 壁田(へきだ)城跡 ねごや遺跡
副書名:一般県道豊田中野線建設事業埋蔵文化財発掘調査報告書―中野市―
シリーズ番号:112
刊行:2016年(平成28年)3月
ねごや遺跡は壁田城跡の東側山裾部~低地部に立地し、平安時代前半期の土器が集中して出土しました。同時期の土のプラント・オパール分析をした結果、水田の存在は確認できませんでしたが、集落が存在する可能性は残りました。
【調査区遠景】
調査地点は、ねごや遺跡の南端部にあたり、新田(しんでん)と呼ばれている地区になります。壁田城跡の本丸から見ると南東側の位置になります。
【平安時代の土器】
低地部の遺物集中から、内面を黒くした土器(黒色土器)が出土しました。近くに、平安時代の集落跡が残っている可能性があります。
【縄文土器と弥生土器】
山すそ部からは、縄文時代早期の楕円押型文土器、弥生時代後期の壺の口縁部も出土しています。平安時代より古い時代の人びとの生活を知る手がかりとなります。
-ねごや遺跡の発掘調査終了-
9月から始まった中野市ねごや遺跡の発掘調査が終了しました。
「ねごや」という地名は、中世の山城に関わる地名として知られています。隣接する壁田城に関わるものが発見されることが期待されましたが、壁田城に関係する遺構や遺物は発見されていません。また今回の調査では、平安時代の土器が調査区南端からまとまって出土したことから、この時代の集落跡が付近に存在する可能性が高くなりました。
【調査区遠景】
写真右側の山が壁田城跡です。山裾の破線の範囲が調査地点です。
【調査のようす】
山から出水するため、調査区の壁際に溝を掘って、調査を進めました。
【遺物の出土状況】
黒色粘土層から平安時代の土器片が出土しました。平安時代の水田跡の可能性も考えられますが、詳細は不明です。
【出土遺物】
遺物は小破片のものが多い。中でも器形がわかる大形の破片は少なく、土師器甕(左4点)、土師器杯(右上)、須恵器甕(右下)などがあります。
9月1日に中野市壁田に所在する「ねごや遺跡」の発掘調査が始まりました。
【開所式の様子】
「古代の人々が触れた遺物を実際に手にとって古代のロマンを十分に楽しんでください。また、交通安全、体調管理に十分注意し、コミュニケーションをよくとり、成果が出せるよう班長を中心に頑張りましょう。」調査部長からの挨拶に胸が高鳴ります。
【調査開始】
重機でトレンチを入れて、遺跡内容を慎重に確認していきます。
【調査の様子 その1】
バケツやポンプで水を汲み出しながら、ぬかるみの中、トレンチ北側で遺構や遺物を追求します。
【調査の様子 その2】
前回の内容確認調査で、土器が集中してみつかった地区に続く場所を確認しています。これから発見される遺構の内容を考える糸口がみつかるかもしれません。