2011年に始まった発掘調査も10年目となりました。今年度は、2018・2019年に調査を行った部分の整理作業を行い、来年度の報告書刊行に向けた作業を進めていきます。
【土器の復元】
割れ口が丸くなって、つきにくいものもありましたが、ばらばらに割れていた破片を接着して、元の形に復元します。
【土器の実測】
接着し、一部を石膏で補強した土器の実測をします。土器が作られた時の細かな調整の様子などの詳しい観察は、何年やっても難しいですが、図に記録していかねばなりません。
【応急的保存処理】
今年度も遺跡から出土した金属製品のクリーニング作業が始まりました。それぞれの製品について、大きさや現在の状態を記入したカードを作成してから、保存処理を行っていきます。
【発掘作業が終了しました。】
4月に開始した今年度の発掘作業も11月末で終了しました。今年度は桐原地区と吉田田町地区で調査を行い、弥生時代から平安時代の竪穴建物跡15軒や中世の居館(桐原要害)の堀跡、弥生時代から近世の土坑125基などがみつかりました。
【弥生時代(約1,800年前)】
【竪穴(たてあな)建物跡 写真撮影準備作業】
弥生時代の遺構は吉田田町・桐原の両地区から竪穴建物跡2軒や土坑などがみつかりました。
【土器出土状況】
そのうちのひとつの住居跡からは甕や壺・高坏などたくさんの土器が出土し、高さ4.3㎝の珍しいミニチュア土器もみつかりました。(点線内)
【ミニチュア土器】
【古墳時代(約1,700年前)】
【古墳時代の竪穴建物跡】
古墳時代の遺構は、桐原地区の竪穴建物跡が1軒ですが、埋土の中からは甕や壺・器台など様々な土器がみつかりました。
【平安時代(約1,100年前)】
平安時代の遺構としては、桐原地区で竪穴建物跡が12軒みつかりました。後世のかく乱を受けて壊されている部分が多く、出土した土器も少なめでしたが、墨書がある土器や土製の紡錘車など珍しい遺物もみつかっています。
【土製紡錘車】
(径7.5㎝、厚さ2.5㎝、重さ168.8g)
【中世(約600年前)】 【中世の堀跡】
中世の居館(桐原要害)の堀跡は、西側の辺が南北約118mに達することが確認できました。
【近世(約150年前)】
【吉田田町地区 近世面の調査風景】
近世の遺構は、吉田田町地区で土坑27基がみつかりました。
【炭化物で埋まっていた近世の土坑】
多くの土坑には、炭や焼けた土の塊などが混入していて、1864(元治元)年の「田町の大火」との関連が想定されます。
【おわりに】
平成23年度から始まった発掘作業も今年度で終了となります。長い間多大なご協力をいただきありがとうございました。これからは、篠ノ井の県埋蔵文化財センターで今までの調査成果の整理作業を行っていきます。埋文センターの展示室 には浅川扇状地遺跡群から出土した遺物も展示しておりますので、お近くにお出かけの際は是非お立ち寄りください。
【発掘作業が始まりました】
4月11日より発掘作業を開始しました。現在は、平安時代や古墳時代の竪穴(たてあな)建物跡や中世館跡を囲む堀跡などの調査を行っています。
今年度は9月末ごろまでは桐原地区で、10月以降は吉田田町地区での発掘作業を予定していますので、引続きご協力お願いいたします。
【中世の堀跡を確認】
平成23年度に調査を行った堀跡の続きがみつかりました。幅1~2.5m・深さ0.5~1.5mで南北方向に延びています。
埋土(まいど)からは「かわらけ」と呼ばれる小形の土師質(はじしつ)土器や、銭貨(せんか)などがみつかっています。この堀跡は、中世館跡「桐原(きりはら)要害(ようがい)」の西側を区画するものです。
【平安時代の墨書土器が出土】
平安時代の竪穴建物跡から墨書(ぼくしょ)土器がみつかりました。文字の一部が薄くてはっきりしませんが、平成23年度に出土した墨書土器に書かれている文字に似ていることから、この土器に書かれている文字も「貝」であると考えられます。
9月から12月中旬の予定で、桐原地区で発掘作業を開始しました。今年度の調査地は、調査対象範囲の最南端にあたります。平成26・27年度に調査した北側の地区では、古墳時代前期の竪穴(たてあな)建物跡などがみつかっています。今回の調査では集落が南のどこまで広がっているのか確認したいと思います。
【溝跡の調査】
まず西側地区から調査を開始しました。
幅約30cmの溝跡がみつかりました。地形の傾斜に沿って、北西から南東方向へ延びています。溝跡の断面を写真撮影しているようすです。
【足跡発見】
明褐色をした、直径10cmほどの丸い落ち込みがいくつもみつかり、足跡と考えられます。周辺からは、土器などの遺物がほとんどみつかっていないため、溝跡や足跡がついた時期ははっきりしません。全体に広がるのではなく、集中したり帯状に分布するようすが観察できます。
【ウシの足跡】
丁寧に表面を検出すると、写真のような形がみえてきました。2つに割れた蹄(ひづめ)の特徴から、これはウシの足跡と考えられます。10月以降、隣接する東側の調査を行う予定なので、足跡の広がりや水田、あるいは畑などの遺構の発見、時代が特定できる土器などの遺物がみつかることを期待しています。
浅川扇状地遺跡群は、調査を開始して8年目となりました。今年度も引き続き本格整理作業を進めていきます。現在、古代・中近世の土器の実測や保存処理の済んだ金属製品の実測をおこなっています。また、未調査地区の発掘作業も再開する予定です。
【保存処理の済んだ銭】
中世の溝跡の埋土から見つかったものです。
「元豊通寶(げんぽうつうほう)」(初鋳1078年、北宋銭)と読めます。
【拓本作業】
銭の拓本をとっているところです。まず銭に和紙をかぶせ、水を含ませた筆で和紙をぴったり貼りつけます。ちょうどよい具合に乾いたところへ、タンポを使い墨を和紙の表面にのせていきます。
【完成(左が表面、右が裏面)】
和紙を銭からはがして皺を伸ばし、拓本ができあがりました。コピーをとり、用紙に貼って完成です。表面の文字が浮かびあがりました。
今年度の整理作業も折り返し地点を越えましたが、引続き古墳時代の土器実測を中心に作業を進めています。また、実測と並行して土器一覧表の作成や古代以降の土器の観察と選別作業なども行っています。
【土器一覧表作成作業】
報告書に掲載する土器の出土位置や時代、壺や甕といった器種等を一覧表にしていきます。表現に違いがないか等細部まで確認しながら作成していきます。
【土器の実測作業】
引続き古墳時代の竪穴建物跡や墓跡から出土した土器の実測を行っています。終了後は、古代の土器の実測作業に入っていきます。
【「和同開珎」の保存処理が終了しました!】
県立歴史館による応急的な保存処理が終了し、肉眼ではっきりと「和同開珎」の文字が読み取れるようになりました。センター展示室に展示してありますので、ぜひ足をお運びいただき、実物をご覧いただけたらと思います。
本年度、今まで浅川扇状地遺跡群で出土した金属製品を長野県立歴史館で、整理作業のための応急的な保存処理を開始しています。保存処理の前に、エックス線透過観察を行ったところ、なんと「和同開珎」(わどうかいちん・かいほう)の文字が浮かび上がってきました。
【古代竪穴建物跡から出土した銭】
今から5年前、平成24年度に平安時代前期(9世紀頃)の竪穴建物跡の埋土(まいど)から銭貨(せんか)が出土しました。錆に覆われていて字は読めませんでした。
【出土銭は「和同開珎」だった!】
和同開珎(708年発行)は、北は北海道、南は九州まで出土している、初めて全国に広がった古代貨幣です。県内では24例目となりますが、長野市内では初めてです。政府が整備した道路(官道:かんどう)や役所(官衙:かんが)の跡から出土することが知られており、単に珍しいだけでなく、古代長野の歴史を考える上で、重要です。
浅川扇状地遺跡群は、調査を開始して7年目となりました。今年度も引き続き本格整理作業を行い、古墳時代以降の土器実測を中心に作業を進めています。また、未調査の地区の発掘作業も準備が整いしだい、再開していく予定です。
【土器の実測作業】
古墳時代の甕(かめ)を実測しています。土器の形を整える時についた細かい工具の調整痕(ちょうせいこん)なども、正確に方眼紙に写し取っていきます。
【土器の観察一覧表作成作業】
実測した土器の大きさや色調などの情報を、報告書用に表として作成していきます。
今年度の本格整理作業が始まって3か月が過ぎました。 前回お知らせした遺構図のデジタルトレス作業は順調に進んでいますが、7月からは新たに土器の実測作業が始まりました。 【土器の実測作業】
遺跡から出土した土器の形や文様土器製作時についた器面の調整痕などを正確に方眼紙に写し取っていきます。
【土器実測図】
弥生時代の土器の実測図です。左側は文様など外面の様子、右側は調整痕など内面の様子と土器断面の厚さを表現しています。
浅川扇状地遺跡群桐原では、調査を開始して6年目となりましたが、今年度は現地での発掘調査を中断して、本格整理作業を行っています。現在、発掘調査で作成した遺構図面を報告書用にデジタルトレスなどを行っています。
【遺構図のデジタルトレス】
発掘調査で記録してきた遺構図を報告書に掲載できるようにパソコンを使ってトレスして、その遺構図をページごとに割り付けていきます。
【遺構図版】
手書きの遺構断面図をデジタルトレスして、報告書用に版を組んでいきます。
【遺構写真の選び出し】
発掘調査で撮影した遺構写真のうち、報告書に掲載するものを選び出します。
4月から行ってきた発掘調査が11月末で終了しました。今年度の調査では、弥生時代後期から平安時代までの竪穴住居跡18軒や、古墳時代前期の墓跡3基、古墳時代から中世までの溝跡や土坑などが確認されました。なかでも3基並んでみつかった古墳時代前期の墓跡や、中期の竪穴住居跡から出土した石製模造品は、古墳時代の桐原地区の人びとの暮らしや他地域との交流を考える上で貴重な発見となりました。
【遺跡遠景(北側上空より)】
中央手前が今年度最後の調査地区。画面中央付近を斜めに横切るのが北長野通り。
【石製模造品】
古墳時代中期の竪穴住居跡の床面付近から、直径2㎜程の玉や鏡・勾玉などの形をした石製模造品(左上)と製作途中の玉類(左下)、製作中に出た滑石のかけら3,857点がみつかりました。
10月19日(月)から、今年度調査予定最後の地区となる鐘鋳川(かないがわ)南側の調査を開始しました。すでに調査が終了している北側の地区から続く古墳時代中期の溝跡を検出して、埋土を掘り下げています。溝の底部付近からは、土器の破片が多数みつかっていますが、中には完全な形に近い土器も出土しています。
【検出作業風景】
地面を少しずつ平らに削っていき、溝跡など遺構の形を探します。
【トレンチ掘り下げ作業】
溝の形を確認したら、溝の中に堆積している土の様子を観察するために、一部分だけ先行して掘り下げます。
【古墳時代中期の溝から出土した土器】
溝の底に近い場所から、砂利や拳大の礫に混ざって土器片が多く出土しています。
【完全な形に近い状態で出土した土器】
溝の底に近い場所から、完全な形に近い土器がみつかっています。底の丸い小形の壺で、器台などの上に載せて祭祀の場などで使われていたと考えられている土器です。
9月18日(金)、桐原地区清林寺南西の調査区が終了しました。今年度の調査は、遺跡全体として主に古墳時代の遺構調査が続きましたが、この地区では弥生時代後期から中世にいたるまでの竪穴住居跡や溝跡など、幅広い時代の調査を行いました。
【調査区全景(北から)】
工事用道路部分を今年度調査しました。細長い調査区内に、弥生時代後期から中世の遺構が重なり合って確認されました。
【調査のようす(北から)】
時代が新しい中世の遺構から、順々に調査していきます。弥生時代後期では竪穴住居跡が確認されました。
【出土土器の測量作業】
弥生時代後期の竪穴住居跡の壁際から完全な形に近い状態で高坏が出土しました。その位置を電子データで記録していきます。
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