書名:主要地方道長野上田線力石バイパス建設事業埋蔵文化財発掘調査報告書2-坂城町内-
副書名:上五明条里水田址
シリーズ番号:97
刊行:2011年(平成23年)3月
上五明条里水田址は、古墳時代・古代・中世の集落や水田が地中深くに埋もれていることが、過去の坂城町教育委員会や当センターの調査でわかっていました。平成18~21年度に実施した当センターの調査でも、古墳時代の集落跡、厚い洪水砂に覆われた9世紀代の水田や洪水後に開発された10世紀代の集落跡が地下約1.5mの深さでみつかりました。なお報告書は平成23年3月に刊行されています。
【古墳時代の大形竪穴住居跡】
この住居跡は一辺約8mとほかの住居跡と比べて約4倍の大きさで、写真右側にあるカマドも長さが約1.6mもありました。古墳時代の竪穴住居跡は合計32軒みつかりました。
ほかにも、流路跡からは馬形埴輪の頭の部分がみつかっています。近くにあった古墳にすえられていた埴輪が流されてきたと推測しています。
【洪水砂に覆われた平安時代の水田】
平安時代には千曲川流域で大きな洪水がありました。この辺りも一面が砂に覆われてしまいました。洪水の砂を取り除くと、畦や水路で区画された平安時代の水田が姿をあらわしました。水路に面している水田では、畦が途切れている部分があります。取水や水抜きの構造と考えられます。
【鉄鐸(てったく)が埋葬されたお墓】
このお墓には、土器のほかに鉄鐸や鉄製紡錘車(てつせいぼうすいしゃ)がみつかりました。お棺と思われる木の痕跡が残っていて、木棺墓(もっかんぼ)と考えられます。残っていた歯の計測値から、埋葬されていた人は十代後半の女性と思われます。
【鉄鐸と銅鈴】
写真は住居跡からみつかった鉄鐸と銅鈴(どうれい)です。上記のお墓より少し新しい時期のものと考えられます。八稜鏡(はちりょうきょう)と呼ばれる鏡も一緒に出土しました。銅鈴はさび取りを行ったところ、音が鳴るようになりました。
鈴の音色はこちらから聞くことができます。(MP3形式 85KB)
縁に八つの稜をもつことから名前のつけられた平安時代の青銅製の鏡です。裏には鳥の羽と思われる模様がみられます。当埋文センターのキャラクター「かがみちゃん」のモデルにもなっています。