Research調査情報

2014年5月13日

塩崎遺跡群 平成26年度調査情報(1)

-弥生時代から平安時代の長期にわたる集落遺跡-

前年度に引き続き、塩崎遺跡群の発掘調査を開始しました。塩崎遺跡群は千曲川左岸の自然堤防上に立地する弥生時代中期から平安時代にいたる遺跡で、長野県内で発見例が少ない弥生時代中期前半頃の集落や墓が確認されたことで注目されています。さらに弥生~古墳時代の玉や鏡など威信財と考えられる遺物、他地域との交流を示す土器の出土もあり、弥生~古墳時代前期にかけて社会的中心地のひとつであったと考えられています。今回の発掘調査でも弥生~古墳時代前期頃の集落のようすを知る成果が得られることが期待されます。

 

【重機による表土掘削】

いよいよ調査がはじまりました。まずは竪穴住居跡や墓がみつかる地層まで重機で掘り下げます。竪穴住居跡や溝跡が密集しているため、深く掘り過ぎないように、慎重に少しずつ掘り下げています。どんな遺構がみつかるのか、期待が高まります。

 

【遺構を探す】

重機で表土を掘削した後に、地層の表面をきれいに削って、土の色や質の違いから竪穴住居跡や溝跡を探し、その形や重なり具合を確認する作業(検出作業)をします。塩崎遺跡群では多くの遺構が重なっているため、微妙な土の違いを見きわめなくてはならず、粘り強く観察する作業が続きます。

 

【勾玉の出土】

地層を確認する試し掘りで、半円形の小さな勾玉がみつかりました。勾玉の形から弥生時代のものとみられ、後の時代の地層に紛れ込んだものと考えられます。この勾玉をはじめ塩崎遺跡群では多くの玉類がみつかっています。

 

【地震による噴砂】

塩崎遺跡群では地震の際に下の砂層の砂が噴出した砂脈(噴砂)がいくつか確認されました(写真中央の矢印)。塩崎周辺の遺跡では平安時代前期の噴砂と江戸時代末の善光寺地震による噴砂が確認されています。塩崎遺跡群でみつかった噴砂は、平安時代前期の遺構も貫いており、善光寺地震に伴う可能性が高いと推測しています。

 

【並んで見つかったカマド煙道】

検出作業でカマドの煙出し跡(煙道)と考えられる焼け土が混じった溝が並んでみつかりました。竪穴住居跡1軒に1基のカマドが多いのですが、写真のように煙道が2条ある場合はカマドを造り替えている可能性があります。

塩崎遺跡群

2014年1月27日

塩崎遺跡群 平成25年度調査情報(3)

―発掘調査終了―

12月25日で塩崎遺跡群の発掘調査が終了しました。

今年度の調査では、弥生時代中期~平安時代の竪穴住居跡68軒、掘立柱建物跡1棟、古墳3基、方形周溝墓1基、木棺墓などの墓跡15基、土坑278基等がみつかりました。土器や石器など、出土した遺物はコンテナに約300箱に上りました。

 

【調査区遠景(西側上空より)】

千曲川左岸の自然堤防上にある調査地は、弥生時代中期から千年以上にわたって人々の生活が営まれ、竪穴住居跡や墓跡などが重複した状態でみつかりました。


 

【弥生時代後期の方形周溝墓

墓の周囲に方形に溝を巡らせた方形周溝墓もみつかりました。中央部に墓への入り口として、溝が切れている部分があるのがわかりました。(写真下側)


 

【方形周溝墓出土の壺】

周溝からは、完全な形に近い壺や甕がみつかりました。


 

【古墳の周溝内遺物出土状況】

後世の耕作などにより古墳は3基とも墳丘部は残っていません。周溝の形や出土した土器から5世紀後半の円墳と思われます。そのうち千曲川寄りの最も東側にある古墳の周溝からは、多数の土器と共にウマの骨がみつかりました。


 

【古墳の周溝から出土したウマの骨】

長野市内でこの時期のウマの骨が周溝から発見されたのは初めてです。古墳に埋葬された人物や、その葬送の儀礼を考えるうえで貴重な発見となりました。

(写真の骨はウマの下あごと歯)


塩崎遺跡群

2013年7月22日

塩崎遺跡群 平成25年度調査情報(2)

―千曲川左岸の自然堤防上の大集落―

調査が始まって3ヶ月ほどが過ぎました。現在、今年度調査予定地の約3分の1にあたる約2,000㎡の地区で調査を行っています。弥生時代中期~平安時代の竪穴住居跡約50軒、掘立柱建物跡1棟、溝跡5条、墓跡6基などが確認され、弥生時代の土器・石器・玉類、古墳時代~古代の土師器や須恵器などコンテナに約100箱分が出土しています。

 

【調査風景】

調査区を西からみたようすです。弥生時代~平安時代にかけての竪穴住居跡などの遺構が重なり合ってみつかっています。写真奥の堤防の先には、千曲川が流れています。

今回は弥生時代と平安時代の住居跡を紹介します。


【弥生時代後期の住居跡】

住居の南側(写真右上)と西側(写真右下)が調査区外になるため、住居全体の1/3ほどしか調査できませんでしたが、大きな掘り込みの2つの柱穴がみつかっています。

【弥生時代後期の調理場(炉)】

柱穴の間にみつかったのが、住居跡の床に壺の下半部を埋めてつくられた炉です。炉のかたわらには、石が1つすえてあります。。

【平安時代の住居跡】

ほぼ方形をした住居跡です。北側壁(写真奥)の中央よりやや東寄りにカマドが設けられています。

【平安時代の調理場(カマド)】

カマド上部はすでに壊れていますが、石や粘土で形づくり、甕をすえて火を炊くと、煙が外に出ていくように工夫されています。カマドの周りからは、土師器や須恵器の坏や椀、甕などの土器片がたくさんみつかりました。この家の住人が使った食器や調理具です。

【古代以降の墓跡】

1.5m×0.5mほどの方形の掘り込みから、人骨がみつかりました。骨の残存状態はあまりよくありませんが、頭(写真奥)を北側にして手足を伸ばした姿勢で埋葬されていたことが分かります。この墓の作られた年代は科学分析などを行って、明らかにしていきたいと思います。


塩崎遺跡群

2013年6月3日

塩崎遺跡群 平成25年度調査情報(1)

―千曲川左岸の自然堤防上の大集落―

塩崎遺跡群は長野市篠ノ井塩崎地籍にあり、国道18号坂城更埴バイパスの建設に伴って今年度から発掘調査が始まりました。調査は3カ年計画で、今年度の調査予定は6,000㎡です。

塩崎遺跡群は南北約2㎞、東西300~800mの範囲に広がる遺跡で、縄文時代晩期から中世にかけての遺構や遺物がみつかっています。長野市教育委員会による今までの調査では弥生時代中期から平安時代にかけての多数の住居跡の他、弥生時代中期の木棺墓なども発見されています。今回の調査でこうした時代の集落の様子がさらに明らかになるものと期待されます。

【東からみた塩崎遺跡群】

写真中央の道路を挟んだ両側が今年度の調査予定地です。調査前は果樹園などになっていました。奥の山際にJR篠ノ井線と長野自動車道がはしっています。

【調査開始】

重機による表土剥ぎの後、ジョレンや両刃で遺構を検出しています。住居跡などが重なり合い、大規模な集落となることが予想されます。

【南北に掘られた溝跡】

調査区をほぼ南北に掘られた奈良・平安時代の溝跡です。溝は直線的で幅1m前後、深さ30㎝程です。区画の溝かもしれません。

【出土した勾玉と管玉】

弥生時代の勾玉と管玉が出土しました。両方とも奈良・平安時代の溝跡から出土しました。勾玉は長さ2.5㎝程の半玦状*(はんけつじょう)でヒスイ製とみられ、管玉は長さ0.8㎝、直径0.3㎝程の細く小さいもので、緑色凝灰岩製と考えられます。

*半玦状:玦(環の一部が切れている形をした中国の玉器)を半分にしたような形。

塩崎遺跡群

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