-弥生時代から平安時代の長期にわたる集落遺跡-
前年度に引き続き、塩崎遺跡群の発掘調査を開始しました。塩崎遺跡群は千曲川左岸の自然堤防上に立地する弥生時代中期から平安時代にいたる遺跡で、長野県内で発見例が少ない弥生時代中期前半頃の集落や墓が確認されたことで注目されています。さらに弥生~古墳時代の玉や鏡など威信財と考えられる遺物、他地域との交流を示す土器の出土もあり、弥生~古墳時代前期にかけて社会的中心地のひとつであったと考えられています。今回の発掘調査でも弥生~古墳時代前期頃の集落のようすを知る成果が得られることが期待されます。
いよいよ調査がはじまりました。まずは竪穴住居跡や墓がみつかる地層まで重機で掘り下げます。竪穴住居跡や溝跡が密集しているため、深く掘り過ぎないように、慎重に少しずつ掘り下げています。どんな遺構がみつかるのか、期待が高まります。
重機で表土を掘削した後に、地層の表面をきれいに削って、土の色や質の違いから竪穴住居跡や溝跡を探し、その形や重なり具合を確認する作業(検出作業)をします。塩崎遺跡群では多くの遺構が重なっているため、微妙な土の違いを見きわめなくてはならず、粘り強く観察する作業が続きます。
地層を確認する試し掘りで、半円形の小さな勾玉がみつかりました。勾玉の形から弥生時代のものとみられ、後の時代の地層に紛れ込んだものと考えられます。この勾玉をはじめ塩崎遺跡群では多くの玉類がみつかっています。
塩崎遺跡群では地震の際に下の砂層の砂が噴出した砂脈(噴砂)がいくつか確認されました(写真中央の矢印)。塩崎周辺の遺跡では平安時代前期の噴砂と江戸時代末の善光寺地震による噴砂が確認されています。塩崎遺跡群でみつかった噴砂は、平安時代前期の遺構も貫いており、善光寺地震に伴う可能性が高いと推測しています。
検出作業でカマドの煙出し跡(煙道)と考えられる焼け土が混じった溝が並んでみつかりました。竪穴住居跡1軒に1基のカマドが多いのですが、写真のように煙道が2条ある場合はカマドを造り替えている可能性があります。