―調査終了、3年間ありがとうございました-
7月末で、琵琶島遺跡の発掘が終了しました。今年度で3年間にわたり続けてまいりました発掘調査も終わりを迎えました。竪穴住居跡3軒、掘立柱建物跡27棟、溝跡5条(平地建物跡3基を含む)、柵跡2列、土坑約600基などの遺構がみつかりました。遺物は弥生時代中期後半(栗林式)の土器を中心に、縄文~平安時代の土器、縄文時代の石器など、コンテナ約50箱分が出土しました。
琵琶島遺跡では、千曲川に最も近い段丘(一段目の段丘)上に、竪穴住居跡、掘立柱建物跡、平地建物跡(円環状、馬蹄形の溝)が並び、上段の段丘上には掘立柱建物跡のみが点在する、千曲川に沿う弥生集落のあり方がわかってきました。これから長野市篠ノ井にある埋蔵文化財センターで行う整理作業のなかで、千曲川沿いに点在する集落どうしの結びつきも考慮に入れ、琵琶島遺跡の全体像を明らかにしていければと考えています。
調査区の南側から弥生時代中期の掘立柱建物跡がみつかりました。
1間×2間で長軸方向が北西を向いています。
調査区の南側から、縄文時代草創期(10,000年ほど前)と考えられる尖頭器(やり先に装着する石器)が出土しました。平成24年度の調査では、同じ時期の縄文土器片もみつかっています。
「琵琶」の形をした琵琶島は、今回の発掘調査で千曲川下流の北側まで集落範囲が広がっていることがわかりました。上流(写真左側)の遺跡中心部分と考えられている場所には、どんな遺構が埋もれているのでしょうか?
琵琶島遺跡の北東方向に目を向けると、高社山の山頂を望むことができます。麓には柳沢遺跡があり、弥生時代の遺跡間のつながりを感じます。これからの整理作業のなかで、上流の栗林遺跡を含め、これら千曲川沿いの弥生時代集落のすがたを明らかにしていければと考えています。