Research調査情報

2024年7月2日

飯田市川原遺跡 2024発掘調査情報(1)

 令和4年度から開始した飯田市川原遺跡の発掘作業が今年6月に終了しました。発掘作業の成果を振り返ってみましょう。

<弥生・古墳時代の墓域・集落域の発見と百済土器の出土>

 令和4年度の発掘作業では、古墳時代中期(約1500年前)の竪穴建物跡4軒、掘立柱建物跡1棟、弥生時代後期~古墳時代前期(約1700年前)のお墓である方形周溝墓を5基確認しました。なかでも古墳時代の竪穴建物跡からは、今の韓国西部にあった百済国(くだらこく:4世紀~660年までの間)で作られた「百済土器」の盌(わん)が出土しました。飯田市内で3例目、東日本で5例目の百済土器になります。飯田地域の古墳時代を考えるうえで非常に重要な発見となりました。

百済土器が出土した竪穴建物跡

百済土器 盌

<縄文時代後期の集落・配石遺構を調査>

 令和5年度の発掘作業では縄文時代後期(約4500年前)の集落、配石遺構の調査を行いました。敷石住居跡3軒、配石遺構24基を確認しました。敷石住居跡は当該期の下伊那地域では類例が少なく貴重な資料となりました。また、埋設土器が6基みつかっています。そのなかの一つから青森県を中心に北東北地域に分布する十腰内式土器(とこしないしきどき)に似た土器が出土しました。壺形の土器で出土状況からお墓に使用したと考えています。

敷石住居跡 住居の壁際に石を並べている

弧状に立石を並べた配石遺構

十腰内式土器の影響を受けた土器

 

 川原遺跡は遠隔地との交流を持った遺跡であることがわかってきました。また、遺跡は集落域(縄文時代)→墓域(弥生時代)→集落域(古墳時代)と土地利用が変化したことがわかりました。天竜川の恵みを受けながら人々は生活をしていたことが想像できます。

 今後は発掘作業の成果をまとめ報告書を作成する整理作業を行います。

 

川原遺跡発掘たより 第5号(PDF:1249KB)

南信,川原遺跡,川原遺跡・下川原遺跡,調査情報

2023年6月20日

川原遺跡 2023年度発掘調査情報(1)

【4月から川原遺跡の調査を行っています】

 2年目の川原遺跡の発掘調査は、昨年度に確認した古墳時代中期の竪穴建物跡と弥生時代後期から古墳時代初頭の方形周溝墓の調査を継続して行っています。

 令和5年7月4日(火)~7日(金)の午前10時30分~午前11時30分、午後1時30分~午後2時30分には現地公開も予定しています。

 詳しい情報はこちら(川原遺跡発掘だより PDFデータ:785KB)

 

【百済土器(くだらどき)の発見】

 令和4年度の調査で、古墳時代中期の竪穴建物跡(SB4)から出土した土器が、朝鮮半島の百済国(くだらこく)で作られて、日本に持ち込まれた「百済土器」であることがわかりました。今年5月10・11日に専門の先生に確認していただいたもので、飯田市では3例目となります。

 

【縄文時代の遺構】

 今年度、北西側(天竜川側)に拡張した調査範囲から、縄文時代後期の配石遺構がみつかりました。このうちSH7は、拳大から人頭大の川原石とともに、縄文土器や石器が出土しています。中でも石棒が2点出土していることが特筆されます。また、石囲炉があることから、敷石住居の可能性もあります。

南信,川原遺跡・下川原遺跡

2023年2月8日

川原・下川原遺跡 2022年度発掘調査情報(2)

【今年度の調査が終了しました】

 今年度の川原・下川原遺跡の調査が12月に終了しました。川原遺跡で古墳時代中期頃の集落跡と弥生時代後期から古墳時代前期と考えられる方形周溝墓5基、下川原遺跡で土器・陶磁器と土坑1基を確認しました。方形周溝墓と下層の縄文時代の調査は来年度行う予定です。

 近隣の方々をはじめ、発掘調査にご理解、ご協力をいただいた皆様に感謝申し上げます。

 詳しい情報はこちら(川原遺跡・下川原遺跡 発掘だより№2 PDFデータ)

川原遺跡 遺構配置

 

【古墳時代中期頃の集落跡】

 川原遺跡北東の天竜川に近い微高地上で、竪穴建物跡4軒、掘立柱建物跡1棟を発見しました。出土した遺物やカマドがあったことから古墳時代中期頃(約1600年前)の集落跡と考えています。

 

【建物内から土器が大量に出土】

 SB3とした竪穴建物跡から、土師器と呼ばれる土器が大量に出土しました。器種は坏・埦・高坏などの食器や供膳具、煮沸具の甕、貯蔵具の壺などがあります。また、少量ですが須恵器も出土しました。

 

 

【SB3のカマド】

 SB3では、カマドが2基確認され、作り直しがされたようです。新しく作られたカマドは、天井石をはずしてカマド前方に置き、その上に半分に割った甕を片方は内側を下に向け、もう片方は内側を上に向けた状態で出土しました。カマド廃棄時の祭祀の痕跡かもしれません。

 また、高坏の坏部が伏せた状態でカマド中央部に置かれていました。カマド使用時に煮沸具の土器を支える支脚として使っていた可能性があります。

南信,川原遺跡・下川原遺跡

2022年7月12日

川原遺跡 2022年度発掘調査情報(1)

【発掘調査が始まりました】

 県道飯田富山佐久間線の建設に伴う発掘調査を、4月から開始しました。発掘現場のすぐそばには天竜川が流れ、対岸には風越山がそびえています。

 当センターでは、2016年度にも、川原遺跡を調査しており、その時には、縄文時代中期後葉から後期前葉の集落が見つかりました。

 

【土器や石器、土偶が出土】

 今年度の調査で、溝跡と土坑が見つかり、それらの遺構から縄文土器、弥生土器の他、土師器や須恵器といった古代の土器など、さまざまな時代の土器が出土しています。

 さらに、縄文時代の土偶が3点出土しています。一般的に土偶は、女性を表現した土製の人形で、呪術的な意味を持っていたといわれています。この土偶を作った人々はどのような祈りをこめたのでしょうか。

  

 

川原遺跡発掘だより№1(PDF:606KB)

 

川原遺跡・下川原遺跡

2018年4月13日

川原・下川原遺跡 平成30年度整理情報(1)

―天竜川に一番近い遺跡の探究― 

平成28、29年度に発掘作業が終了した、飯田市川原・下川原遺跡の本格整理作業を行っています。今年度末の報告書刊行にむけて、土器の実測作業、下川原遺跡の遺構図デジタルトレース作業が始まりました。地域の歴史に新知見が加えられるよう探究していきたいと考えています。 
 

【土器の実測作業】

縄文時代の深鉢を観察しながら、遺物実測機器を用いて、実寸大の大きさで形や文様を描いていきます。土器実測図は、文様の描かれた順番を表現することも大切です。
 

【土器の把手の実測】

縄文時代の鉢の上部に付けられた把手の実測図を作成しています。土器の正面を決めて図化するとともに、右側に断面図も描きます。
 

【遺構のデジタルトレース】

下川原遺跡で調査した「石を伴う土坑」の遺構平面図のデジタルトレースをしています。できあがった図は、報告書の図版として活用していきます。
 

下川原遺跡,川原遺跡

2017年8月4日

川原遺跡 平成29年度整理情報(2)

 ―川原遺跡の整理作業、奮闘中!―

川原遺跡の本格的な整理作業を開始して、早4か月が過ぎました。主に遺構図面の整理を行い、デジタルトレースも佳境に入っています。また遺物も、遺構ごとの大まかな様相を把握して、細かい分析に入るところです。
今月の後半からは、川原遺跡の下流に位置する下川原遺跡で、昨年度の続きの発掘作業も始まります!


【遺構のデジタルトレース進行中!】

遺構内の遺物出土状況図は、1点1点、土器や石器を確認しながらトレースしています。


【縄文時代晩期初頭の土器】

竪穴(たてあな)建物跡SB03から出土した土器は、口縁部に貼り付けられた刻みのある1条の隆帯の特徴から、約3,000年前の縄文時代晩期初頭のものとわかりました。


【松本平の縄文土器との比較】

7月14日(金)、川原遺跡と同時期の縄文土器が出土している松本市エリ穴遺跡へ資料調査に行ってきました。幅の広い口縁部の文様が省略されていく変遷がわかる資料で、川原遺跡から出土した晩期初頭の土器もその中に位置づけることができました。


【石器の観察】

川原遺跡からは多くの石器および剝片(はくへん:石器製作時に出た石のかけら)が出土しています。石器を作っていた可能性もあり、遺構ごとに出土した石を観察しました。

川原遺跡

2017年4月27日

川原遺跡 平成29年度整理情報(1)

―川原遺跡の整理作業を開始しました―

昨年発掘が終了した飯田市川原遺跡の本格的な整理作業を開始しました。発掘現場で測量してきた遺構の図面を編集したり、竪穴(たてあな)建物跡等から取り上げてきた土器や石器を分類、観察して、発掘調査報告書を作る準備をしていきます。


【竪穴建物跡の平面図編集】

遺跡で記録した竪穴建物跡の平面図と断面図を照合して、報告書に載せる図面のもとを作っていきます。


【柱穴の断面図編集】

基準の位置を確認して標高値をそろえて、柱穴の断面図を清書していきます。


【遺物台帳の確認】

遺物の分類、観察をする前に、遺跡で記録したデータと実際の遺物との照合を行います。


【縄文土器の接合作業開始!】

取り上げてきた縄文土器のかけらをパズルをするようにくっつけて、できるだけもとの形に近づけます。さあ開始!!

川原遺跡

2016年9月16日

川原遺跡・下川原遺跡 平成28年度調査情報(1)

天竜川下久堅(しもひさかた)地区築堤護岸工事に伴って、今年度から発掘調査が始まりました。川原遺跡は、天竜川左岸の段丘上にあり、標高382m、天竜川との高低差4mの低位に立地します。飯田市教育委員会による今までの調査では、縄文時代後期から中世の住居跡などが見つかっています。



【南側からの遺跡遠景】

天竜川左岸の低位段丘に遺跡は立地しています。(写真手前が下流)

【開始式のようす】

9月1日から、作業員さん12名、職員3名で始まりました。残暑厳しい時期からの調査となりました。熱中症に留意し、安全第一で作業を進めたいと思います。

【トレンチによる調査】

川原遺跡、下川原遺跡の両遺跡で、重機によりトレンチ(長方形の溝)を掘りました。その結果、砂とシルト層の堆積が確認され、昭和36年災害と昭和58年台風10号による氾濫の砂を深くかぶっている場所と考えています。

 

【トレンチ調査のようす②】

地表から40㎝ほどで、縄文時代中~後期(約3500年前)の土器片などが出土しました。(ビニール袋に入っています。)一定の範囲にまとまっていますので、住居跡などの可能性があります。

【出土した縄文時代中期の土器】

トレンチを掘り下げていくと、深鉢形の土器の大型破片が顔を出しました。このほか、横刃型(よこばがた)石器なども出土しています。

縄文時代のムラの跡の一端をとらえたと考えています。

川原遺跡

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