発掘調査3年目
座光寺石原遺跡は、土曽川中流域の谷部に東西700mにわたって展開する遺跡です。
令和2(2020)年に発掘調査を開始し、3年目となる今年は時期不明の土坑数基と、縄文時代から近世の土器・石器が少量見つかりました。
座光寺石原遺跡遠景(令和3年撮影)
ナギジリ2号古墳の石室内の土から、玉を発見
令和3年度調査で発見したナギジリ2号古墳から、首飾りなどの装身具であったと考えられるガラス小玉が32個、土製丸玉が119個見つかりました。
ガラス小玉 土製丸玉
座光寺石原遺跡は、土曽川中流域の谷部に東西700mにわたって展開する遺跡です。
令和2(2020)年に発掘調査を開始し、3年目となる今年は時期不明の土坑数基と、縄文時代から近世の土器・石器が少量見つかりました。
令和3年度調査で発見したナギジリ2号古墳から、首飾りなどの装身具であったと考えられるガラス小玉が32個、土製丸玉が119個見つかりました。
【ナギジリ2号古墳の調査成果】
直径14mの円墳で、幅3mの周溝が巡ります。石室は床に石が敷き詰められた横穴式石室で、長さ7.2m、最大幅2.2m、入口幅1.4m、最大側壁高約2mを測ります。
座光寺公民館・歴史に学び地域をたずねる会・2000年浪漫の郷委員会主催の遺跡見学会を、11月15日に開催しました。参加者は、熱心に古墳や出土遺物の説明に耳を傾けており、遺跡に対する関心の高さを感じることができました。
【出土した副葬品】
ナギジリ2号古墳では、須恵器(写真左)や鉄鏃(てつぞく)、鉄刀、耳環(じかん)とよばれる耳飾り(写真右)等の副葬品が出土しています。
【古墳の調査進む】
ナギジリ2号古墳は、天井石を残した状態で上空から3D測量のための写真撮影を行いました(写真左下)。この写真を使って平面図を作成します。続いて天井石を取り除いて、石室の上面を露出させました。取り除いた天井石には花崗岩が使われており、大きなものは横幅210センチ余り、重さは約3.2トンあります(写真右下)。今後は、墳丘の裾まで掘削して古墳全体の形状を明らかにする一方で、石室内部を慎重に掘り下げていく予定です。
【9区の調査終了】
6月に高坏が出土したSK04は、南北の最大長264㎝、最大幅125㎝、深さ26㎝の土坑墓と考えられます。北を頭に埋葬したとすると、足元に古墳時代後期の土師器の坏が5つ置かれ、胸のあたりから鉄鏃が9本出土しています(写真下)。
【ナギジリ2古墳発見!!】
発掘調査で地表直下から巨石が見つかりました。その周りを慎重に掘り進めると、巨石を支える石列が約1.7m間隔に東西2列見つかり、巨石が古墳の天井石であることがわかりました。
今回発見した古墳の天井石は、出土地点から『下伊那史』に記述のあるナギジリ2号古墳のものであるとわかりました。
【土曽川流域古墳群の性格等を解明すべく、がんばります】
ナギジリ2号古墳は、墳丘裾部の確認と並行して、天井石を記録し、その後天井石を撤去し、石室の掘下げに入ります。さらに、土曽川流域にはナギジリ2号古墳の他、1997年に飯田市教育委員会が調査した6世紀後半築造のナギジリ1号古墳があります。また、今年度の調査範囲にはナギジリ3号古墳や石原古墳の存在も想定され、これらの古墳群の性格等を解明すべく、調査を進めていきます。
【11区の調査】
今年度は、11区から調査をはじめました。東西に6本のトレンチを設定して調査を進めましたが、遺構を確認することはできませんでした。
【出土した灰釉陶器の皿】
遺構はありませんでしたが、灰釉陶器の皿のほか、土師器片などの遺物が見つかっています。
【9区の調査】
11区に続き、9区の調査を行いました。東西に2本、南北に1本のトレンチを設定して調査をした結果、土坑が2基見つかりました。左写真の黒い部分が土坑の範囲です。南北約260㎝、東西約100㎝の楕円形になります。
【土坑から古墳時代の高坏が出土】
発見した土坑は深さ15㎝以上あり、中からは古墳時代の高坏が出土しました。
2021年度発掘調査のはじまり、はじまり
今年度の担当者は、15年ぶりに飯田市内を調査する若林班長のもと、一年ぶりに飯田での調査で張り切っている伊藤調査研究員、飯田市内の調査は初となる平林調査指導員です。11月までの長丁場となりますが、どうぞよろしくお願いします。
座光寺石原遺跡の調査区
【昨年度調査のおさらい】
昨年度は、1区から土師器の高坏(たかつき)や須恵器甕(かめ)・横瓶(よこべ)などの遺物がまとまって出土した古墳時代の竪穴状遺構や平安時代の土坑、10区から時期不明の竪穴状遺構や集石炉、焼土跡などを発見しました。遺跡の東側には石原田古墳の存在が指摘されていて、隣接する調査地からは写真の勾玉(まがたま)をはじめとする、古墳時代の遺物が出土しています。
【これからの調査予定】
今年度の上半期は調査区の図の黄色部分の発掘を計画しています。これらの調査区周辺には7世紀から8世紀にかけての終末期古墳が存在していると言われており、現地表面で確認できない古墳がみつかる可能性もあります。そのため、トレンチ(試掘坑)で古墳の有無を確認し、古墳がみつかれば、その場所を広げて本格的な調査をする予定です。その他、11区には集石炉などが広がっているかもしれません。
座光寺石原遺跡発掘だより第3号2021年4月発行(PDF 276KB)
8月後半に開始した座光寺石原遺跡の今年度分の発掘作業が、12月16日に全て終了しました。調査は猛暑と格闘したり、雨後の出水に悩まされましたが、いろいろな成果を挙げることができました。
【古墳の痕跡を探して】
今回調査した場所は、かつて古墳があったと伝わる場所です。今回の調査では古墳の痕跡を見つけることはできませんでしたが、古墳に副葬されることが多い金属製品や玉類が出土しました。今回調査した場所の近くにかつて古墳が存在し、壊されてしまったが、遺物が調査した場所に残っていたのではと考えています。
【出土した金属製品】
表土を除去し、その下の黒褐色土を掘り進めたところ、古墳時代の金属製品が出土しました。写真は長さ約3.5㎝、幅約2㎝の辻金具(つじかなぐ)という、馬具(ばぐ)の一部です。上部が欠損しているので、元の大きさや形はわかりませんが、裏側(写真は表側)には、固定するための鋲が3か所に付きます。金属製品は、このほかにも鉄鏃(てつぞく)や刀子(とうす)、耳環(じかん)などが出土しました。
【出土した玉類】
滑石(かっせき)製の勾玉で長さ約3.5㎝、厚さ約0.5㎝です。勾玉は、これよりもやや小さいものがもう1点あります。そのほか、直径4.4~12㎜の丸玉、直径3.8㎜の臼玉、直径1.6~2.7㎜のガラス製小玉も出土しました。
【古墳時代の竪穴状遺構を発見】
古墳そのものは発見されませんでしたが、古墳時代の竪穴状遺構1軒が検出されました。竪穴状遺構は現状で長さ4.8m以上、幅約2.6mで、形が極端な長方形となり、底に段をつくるなど、一般的な住居跡とはやや違う特徴をみることができます。現時点で、竪穴状遺構の性格はわかりませんが、来年度以降に調査を予定している場所へと続いているので、今後明らかにしたいと思います。
座光寺石原発掘だより第2号2021年1月発行(PDF 361KB)
座光寺石原遺跡は、飯田市座光寺地区の土曽川(どそがわ)左岸にあります。リニア中央新幹線の(仮)長野県駅と中央自動車道座光寺スマートインター(建設中)を結ぶ座光寺上郷(ざこうじかみさと)道路の建設に伴い、発掘調査を実施しています。過去の調査記録では、いくつかの古墳の存在と、石室(せきしつ)から馬具(ばぐ)や鉄鏃(てつぞく)などが出土したことが報告されています。古墳の痕跡を探求することも、今回の調査目的の1つと考えています。
【寒冷紗(かんれいしゃ)の下で】
猛暑の日には寒冷紗を張り、日影の中で調査しました。熱中症にならないように、注意しながら掘り下げを進めました。
【石器が出土しました】
縄文時代や弥生時代とみられる打製石斧(だせいせきふ)4点、横刃形(よこばがた)石器4点、砥石(といし)1点が出土しました。これらの石器は、遺跡周辺で採取できる石材を使って製作されています。
【 集石炉(しゅうせきろ)を検出】
焼けた石や炭がたくさん詰まった集石炉がみつかりました。現在のところ、遺物が出土していないので詳しい時期や性格はわかりませんが、これからの調査で明らかにしていきたいと思います。
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