鬼釜遺跡・鬼釜古墳

ふりがな
おにがまいせき・おにがまこふん 
住所
飯田市上久堅  マップ
立地
玉川左岸段丘上 
事業名
国道474号飯喬道路建設 
調査期間
平成21・23年 
時代
縄文・古墳・平安・中世 
遺跡の種類
集落跡・古墳 
備考
 

2011年9月26日

鬼釜遺跡 平成23年調査情報(5)

鬼釜遺跡では、縄文時代と平安時代の竪穴住居跡、鬼釜古墳、中世と思われる掘立柱建物跡を調査しています。縄文時代の竪穴住居跡では、2種類の炉跡が見つかっています。石で囲んだ炉と土器を埋めたものです。
鬼釜古墳では、現地説明会の後に耳環(じかん)1点、管玉(くだたま)2点が出土しました。これらの遺物は古墳の盛土上層にある近世以降の堆積土(たいせきど)から出土したものですが、本来は石室に副葬されていたものと推測されます。
 
鬼釜古墳の盛土を覆う近世以降の土から出土した耳環です。大きさは直径約3cmで、表面を覆っていた鍍金(ときん)がわずかに残っています(金色に光る部分)。

耳環と同じ土から出土した管玉です。紐を通した穴(孔)が貫通しています。

上の写真とは石材が違う管玉です。

鬼釜古墳の主体部想定地で確認された石です。写真左上は石室の側壁(そくへき)に使われた石(一辺約1m)、写真中央にある小児頭大の石は、石室の底に敷かれた石と思われます。現在、これらの石が石室の残存部であるのか、近世以降に石室を攪拌(かくらん)したものなのかを判断する調査をしています。

鬼釜古墳の周溝(しゅうこう)の埋土の上層から出土した石です。墳丘の外護列石(がいごれっせき)もしくは葺石(ふきいし)が崩れたものと思われます。現在、石が崩れた時期の検討を行っています。写真奥のオレンジネットの背後に久堅神社があります。

縄文時代の竪穴住居跡です。畑の耕作で大部分が削平され、柱穴・炉・埋甕が残っているにすぎませんでした。住居のほぼ中央に炉(下の写真参照)があり、そのまわりに7個の柱穴がめぐっています。写真中央下には住居の出入り口に設置した埋甕(うめがめ)があります。

竪穴住居跡の炉の調査風景です。炉のまわりに小さな破片、中央には大きな破片が設置されています。

中世と思われる掘立柱建物跡です。桁(けた)方向(東西方向)5間、梁(はり)方向(南北方向)2間の総柱の建物跡で、梁方向は調査区の外(写真右側)まで延びています。鬼釜遺跡には、2間×2間、2間×1間といった比較的小さな建物が数多く存在するなかで、桁方向が5間規模の建物はほかに1棟しかありません。

カテゴリ:鬼釜遺跡・鬼釜古墳

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