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西近津遺跡群

ふりがな
にしちかついせきぐん 
住所
佐久市長土呂字森下ほか  マップ
立地
浅間山麓の田切り台地の末端 
事業名
中部横断自動車道建設 
調査期間
平成18-27年 
時代
縄文・弥生・古墳・古代・中世 
遺跡の種類
集落跡・古墳 
備考
 

2015年4月28日

「西近津遺跡群」報告書刊行しました。

書 名:佐久市 西近津遺跡群
副書名:中部横断自動車道建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書2 -佐久市内2- 
シリーズ番号:104
刊行:2015年(平成27年)3月

中部横断自動車道建設に伴う西近津遺跡群の発掘調査報告書を刊行しました。遺跡は浅間山麓に形成された田切地形の末端近く、標高705~711mの台地上に立地します。表土は薄く、現旧耕作土下の同一面上で、縄文時代から中世鎌倉時代までの遺構を検出しました。発見された遺構・遺物は多岐にわたり、地域史における新資料を提示できました。


【国内最大級の竪穴住居跡の発見】

弥生時代後期の集落は佐久地域で最大規模と分かりました。全長18mを測る国内最大級の超大型竪穴住居跡の発見は、高度な建築技術を基礎として計画的な集落形成と運営が行われていたことを教えてくれます。


 

【文字の記された土器】

古墳時代後期以降、集落は台地全体に広がり奈良時代、平安時代まで継続していました。集落の構成主体は竪穴住居跡と掘立柱建物跡です。

出土遺物は金属製品が増加し、銭貨、文具、武具、農具、工具など多岐にわたります。 特に平安時代には有力者の象徴である銅印(青銅製の四文字私印)、鉄製の焼印が出土し、文字の記された土器も多数発見されました。「美濃国」刻印須恵器、「郡」ヘラ書須恵器、「大井寺」墨書土師器、「大井」ヘラ書・墨書須恵器・土師器といった国名や郡郷などに関わる文字のほか、出土遺物からは、本跡が郡家や郡寺が設置された古代佐久郡の中心地に近い可能性がより濃厚となってきました。

現在は判読できない特殊文字を記した墨書土器も発見されました

特殊文字を記した土器や焼印は、地方社会における文字を用いた儀礼行為の具体例を示す良い例と考えられます。



【出土した牛馬の骨】

平安時代後期以降、集落は途絶え計画的な溝跡で区画する新たな土地利用がはじまります。溝内には解体廃棄された牛馬の骨が多数発見され、その分析から当地の牛馬利用の実際が見えてきました。


カテゴリ:西近津遺跡群

2013年5月1日

西近津遺跡群 平成25年度整理情報(1)

甦る古代の輝き―保存処理を終えた銅製品―

専門業者に委託して保存処理を行っていた銅製品が当センターに帰ってきました。千年以上、土の中に埋もれ、錆びと土砂が付着した状態でしたが、ようやく古代の輝きを取り戻しました。

佐久地域を代表する大規模な古代集落が発見された西近津遺跡群にはさまざまな金属製品が出土しています。その大半は鉄製品ですが、当時から貴重な銅製品もいくつかみつかっていました。こうした資料を細かく観察すると、古墳時代や平安時代の「西近津集落」の特徴がみえてきます。そしてまた、新たな疑問点も浮かび上がってきます。

 

【土砂に包まれた金属製品】

遺構を探す検出作業で出土した小さな金属製品。全体に土砂に覆われ全体像がつかめません。ただ中央のハート型の透かしから、何かの飾り金具ではないかと考えられていました。

 

【金銅製の馬具飾り】

慎重にクリーニングをしてみると、地金は青銅で、その表面は金メッキされた金銅製品とわかりました。ハート型の透かしのまわりには細かな彫刻(毛彫り)があります。鋲を留める穴が2か所あることや全体の形状から、馬具の帯先を飾る金具と推測されます。ふつう、古墳の副葬品として出土することが多い馬具飾りが、なぜ集落から出土したのでしょうか。その理由を考えていきたいと思います。

処理後の馬具飾りの大きさ:長さ30.4×幅22.4×厚さ4.8mm 重量3.5g

 

【平安時代の印章】

平安時代の小さな竪穴住居跡から無傷でみつかりました。印面には「□子私印」(1文字目は不明文字)とあります。それは所有者の名前を示しているのでしょう。また赤色の顔料も付着していて、実際に使用されていたこともわかります。化学分析の結果、材質は緻密な青銅製で、赤色顔料は酸化鉄を利用した「ベンガラ」であることがわかりました。

 

【この印章はだれのものか。】

保存処理の結果、裏面(つまみの付く側)はよく磨かれていて、古代そのままの輝きを取り戻しました。鋳物職人が印章を型から抜き取った後、バリ取りをして、ていねいに仕上げたのでしょう。

奈良時代の律令社会が崩れていく平安時代になると、役所や役人などが使用した「公印」だけでなく、地域の有力者たちが所有し、使用した「私印」が登場します。全国各地の大規模な集落遺跡でそうした「私印」が出土しています。

西近津遺跡群でみつかったこの私印の持ち主はいったい誰なのでしょうか。古墳時代後半から奈良時代、平安時代と続く大集落の子孫として、力をつけていた人物なのでしょうか。それとも別の場所から移り住んできた新勢力の中心人物なのでしょうか。想像をふくらませてくれます。

処理後の印章の大きさ:長さ33.2×幅32.6×厚さ31.4mm 重量51.9g

カテゴリ:西近津遺跡群

2013年1月9日

西近津遺跡群 平成24年度整理情報

―「古代信濃の動物事情」西近津遺跡群のホネのある話…。―

今も農村風景の残る長野県ですが、人家近くの川辺や土手でウシやウマが草をはむ姿はすっかり見られなくなりました。そして最近では市街地にシカやイノシシ、クマ、サルといった野生動物が出没することの方が多くなっています。では原始古代の人々と動物の関わり合いはどうだったのでしょうか。それを教えてくれるのが遺跡に残された動物たちの骨です。

佐久平を代表する大集落遺跡、西近津遺跡群では古くは1,800年以上前の弥生時代から中世鎌倉時代まで、800点もの動物骨が出土しました。人骨も平安時代の墓跡からみつかりました。

 

弥生時代の骨角器製作工房か

弥生時代後期の竪穴住居跡から、骨角器と共にシカやイノシシの骨がたくさんみつかりました。骨角器を製作していた工房の可能性があります。

 

【骨で作られた矢じり】

骨で作られた矢じり、またはヤス先と考えられます。動物の種類は不明ですが、前足か後ろ足の真っ直ぐな部分を使用しています。先端は折れています。全体を金属器で削ってから磨き上げられています。


【加工途中の骨片 1】

シカの角を加工する途中の破片です。下の部分を鋭利な刃物で切り取った痕があります。


【加工途中の骨片 2】

シカの後ろ足の骨を縦に割って細長く加工してあります。先端部には細かな削り痕があります。矢じりやヤス先の未製品です。


【シカの頭骨】

左が弥生時代のシカ頭骨です。成獣で性別はわかりません。右の現生標本と比べてみました。頭骨は中央から2分割にされています。角は根元から鋭利な刃物で切り取られています。


【角を切り取った痕跡】

根元には加工跡がはっきりと残っています。角は生活に必要な道具に加工されたのかもしれません。


 

溝と牛馬の関係

それまでの集落は鎌倉時代で途絶え、その後土地を区画するような大規模な溝が幾筋も巡らされています。その溝からウマやウシの骨が大量に見つかりました。骨は解体されて、頭と胴体がバラバラになっていることが多いです。「一体なぜここに大量の骨が出土するのか。」この疑問を解決するには出土骨の種類や個体数、年齢などを調べる必要があります。

骨から得られる情報は非常に多いのですが、考古学分野では詳しい分類や計測ができません。そこで発掘現場や整理作業で専門の研究者の方々をお呼びして指導や鑑定をお願いしています。


【2007年8月。真夏の現場にて】

茂原信生先生(京都大学名誉教授)に出土した状態を見ていただきました。出土した中世のウシの下顎骨(かがくこつ)と樹脂製の標本とを比較して、骨の左右や大きさを記録します。こうした観察記録が廃棄の様子や個体数の復元に役立ちます。

専門の道具で骨を計測する茂原先生(右)。


【2012年11月。整理室にて】

室内ではクリーニングされた骨や歯を分類し、細かな計測を行います。それによって、どの位の大きさの何歳くらいの個体が多いのか、バラつきがあるのかなどが分かります。最近は骨から抽出したコラーゲンを分析する研究もあります。コラーゲンからは年代がわかるだけでなく、どんな食べ物を食べていたのか、どの地域で成長したのかまで分かる場合があります。将来、こうした科学分析によって地元産なのか、若年期まで別の場所で飼育してから移動してきたのかなど、今まで目に見えなかった情報を得ることができるのではないかと期待されています。

ウマの骨を分類する櫻井秀雄先生(右・獨協医科大学技術員)と本郷一美先生(中央・総研大准教授)


カテゴリ:西近津遺跡群

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