Research調査情報

2012年4月26日

「南曽峯遺跡」報告書刊行

書名:北陸新幹線建設事業埋蔵文化財発掘調査報告書6

副書名:南曽峯遺跡

シリーズ番号:93

刊行:2012年(平成24年)3月

 

南曽峯遺跡は丘陵上とその裾野に広がる旧石器時代から中世までの複合遺跡です。今回の調査では、旧石器時代の約2,400点の石器が出土しました。これらは、砂礫層を挟んで上層、下層の2 時期に分かれます。旧石器時代の調査成果については、前回報告しました。縄文時代以降は断続的に遺構・遺物が確認され、縄文時代前期、弥生時代中期、平安時代の遺物がまとまって出土しました。また、埴輪の破片が出土したことから、破壊された古墳の存在も推定されます。

 

【旧石器時代の石器】

右側が上層石器群、左側が下層石器群のナイフ形石器です。いずれもおよそ2万年前の石器です。

 

【縄文時代の土器】

今回の発掘調査では、丘陵裾野の流路跡の窪地から、縄文時代草創期から晩期の土器が出土しました。写真は、草創期から前期の土器です。

 

【弥生時代の土器】

弥生時代中期の土器が流路跡の窪地からたくさん出土しました。写真は弥生時代中期後半(栗林式土器)の壷形土器の破片です。

 

【古墳時代の銅鏡】

丘陵裾野の流路跡の窪地から、古墳時代の鏡の破片が出土しました。復元すると直径7cmになります。古墳時代の遺物や遺構は、ほとんど確認されませんでしたが、近くから埴輪の破片も数点出土しました。

南曽峯遺跡

2012年1月26日

南曽峯遺跡 平成23年度 整理情報

-水辺のキャンプ跡(旧石器時代)-

南曽峯遺跡は千曲川に面した丘陵にあります。北陸新幹線の建設に伴い発掘調査が行われ、旧石器時代から中世までの遺物が発見されました。特に、旧石器時代・弥生時代・平安時代の遺物がたくさん見つかりました。その他、平安時代の竪穴住居跡などの遺構が見つかっており、この丘陵に長きにわたる人間の生活の痕跡が認められました。残念ながら、その丘陵は宅地造成などで一部を残して削られており、旧来の地形は残されていませんが、南曽峯遺跡は長野市を代表する遺跡の一つです。今年3月には発掘調査報告書を刊行する予定です。今回は、旧石器の整理作業の成果を報告します。

【調査区遠景(北西から南曽峯遺跡を望む)】
旧石器時代の石器は丘陵上から出土しました(鉄塔の手前)。丘陵は2~4万年前に始まった隆起によりできたもので、当時は水辺の微高地であったことが想定されます。丘陵裾野の低地部の流路跡からは弥生時代中期と平安時代の遺物が出土しました。

【旧石器時代石器の分布状況】
丘陵上では、旧石器時代の遺物が集中する箇所(ブロック)と焼いた礫を集めた調理施設(礫群)が発見されました。いずれも2.9万年前(暦年較正年代)以降のものです。
青丸が上層の石器、赤丸が下層の石器が出土した場所を示しています。下層の石器は2か所に分かれて分布しています。

【石器が出土した土層】
約2,400点の旧石器時代の遺物が出土しました。遺物は砂礫層を挟んで、2時期に分けられます。矢印部分が旧石器の出土した土層です。
これらの土層は、シルト層、砂層などの水成堆積層です。

【南曽峯遺跡の旧石器1:上層の石器】
上層の石器は黒曜石を多く使っています。黒曜石のほか頁岩やチャートなどの石材が見られます。蛍光X線分析による黒曜石産地推定分析の結果、上層と下層では黒曜石の産地が異なることがわかりました。いずれも信州産ですが、上層の黒曜石は和田鷹山群を主体としていくつかの産地のものが混在しています。

【南曽峯遺跡の旧石器2:下層の石器】
下層の石器も黒曜石を多く使っている他、赤色のチャートも目立ちます。黒曜石は諏訪星ヶ台群が主体を占めます。諏訪星ヶ台群の黒曜石は上層の石器にはほとんどありません。

【黒曜石製のナイフ形石器】
これらのナイフ形石器は、槍先に用いたと考えられています。左側3点は下層のナイフ形石器(諏訪星ヶ台群)、右端が上層のナイフ形石器(和田鷹山群)です。下層の3点は作り方の特徴が似ており、上層のものとは異なる作り方をしています。黒曜石の採取地も互いに異なっており、当時の遊動生活の様子を知る手掛かりになりそうです。

南曽峯遺跡

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