―天竜川に一番近い遺跡の探究―
平成28、29年度に発掘作業が終了した、飯田市川原・下川原遺跡の本格整理作業を行っています。今年度末の報告書刊行にむけて、土器の実測作業、下川原遺跡の遺構図デジタルトレース作業が始まりました。地域の歴史に新知見が加えられるよう探究していきたいと考えています。
【土器の実測作業】
縄文時代の深鉢を観察しながら、遺物実測機器を用いて、実寸大の大きさで形や文様を描いていきます。土器実測図は、文様の描かれた順番を表現することも大切です。
【土器の把手の実測】
縄文時代の鉢の上部に付けられた把手の実測図を作成しています。土器の正面を決めて図化するとともに、右側に断面図も描きます。
【遺構のデジタルトレース】
下川原遺跡で調査した「石を伴う土坑」の遺構平面図のデジタルトレースをしています。できあがった図は、報告書の図版として活用していきます。
―川原遺跡の整理作業、奮闘中!―
川原遺跡の本格的な整理作業を開始して、早4か月が過ぎました。主に遺構図面の整理を行い、デジタルトレースも佳境に入っています。また遺物も、遺構ごとの大まかな様相を把握して、細かい分析に入るところです。
今月の後半からは、川原遺跡の下流に位置する下川原遺跡で、昨年度の続きの発掘作業も始まります!
【遺構のデジタルトレース進行中!】
遺構内の遺物出土状況図は、1点1点、土器や石器を確認しながらトレースしています。
【縄文時代晩期初頭の土器】
竪穴(たてあな)建物跡SB03から出土した土器は、口縁部に貼り付けられた刻みのある1条の隆帯の特徴から、約3,000年前の縄文時代晩期初頭のものとわかりました。
【松本平の縄文土器との比較】
7月14日(金)、川原遺跡と同時期の縄文土器が出土している松本市エリ穴遺跡へ資料調査に行ってきました。幅の広い口縁部の文様が省略されていく変遷がわかる資料で、川原遺跡から出土した晩期初頭の土器もその中に位置づけることができました。
【石器の観察】
川原遺跡からは多くの石器および剝片(はくへん:石器製作時に出た石のかけら)が出土しています。石器を作っていた可能性もあり、遺構ごとに出土した石を観察しました。
―川原遺跡の整理作業を開始しました―
昨年発掘が終了した飯田市川原遺跡の本格的な整理作業を開始しました。発掘現場で測量してきた遺構の図面を編集したり、竪穴(たてあな)建物跡等から取り上げてきた土器や石器を分類、観察して、発掘調査報告書を作る準備をしていきます。
【竪穴建物跡の平面図編集】
遺跡で記録した竪穴建物跡の平面図と断面図を照合して、報告書に載せる図面のもとを作っていきます。
【柱穴の断面図編集】
基準の位置を確認して標高値をそろえて、柱穴の断面図を清書していきます。
【遺物台帳の確認】
遺物の分類、観察をする前に、遺跡で記録したデータと実際の遺物との照合を行います。
【縄文土器の接合作業開始!】
取り上げてきた縄文土器のかけらをパズルをするようにくっつけて、できるだけもとの形に近づけます。さあ開始!!
天竜川下久堅(しもひさかた)地区築堤護岸工事に伴って、今年度から発掘調査が始まりました。川原遺跡は、天竜川左岸の段丘上にあり、標高382m、天竜川との高低差4mの低位に立地します。飯田市教育委員会による今までの調査では、縄文時代後期から中世の住居跡などが見つかっています。
【南側からの遺跡遠景】
天竜川左岸の低位段丘に遺跡は立地しています。(写真手前が下流)
【開始式のようす】
9月1日から、作業員さん12名、職員3名で始まりました。残暑厳しい時期からの調査となりました。熱中症に留意し、安全第一で作業を進めたいと思います。
【トレンチによる調査】
川原遺跡、下川原遺跡の両遺跡で、重機によりトレンチ(長方形の溝)を掘りました。その結果、砂とシルト層の堆積が確認され、昭和36年災害と昭和58年台風10号による氾濫の砂を深くかぶっている場所と考えています。
【トレンチ調査のようす②】
地表から40㎝ほどで、縄文時代中~後期(約3500年前)の土器片などが出土しました。(ビニール袋に入っています。)一定の範囲にまとまっていますので、住居跡などの可能性があります。
【出土した縄文時代中期の土器】
トレンチを掘り下げていくと、深鉢形の土器の大型破片が顔を出しました。このほか、横刃型(よこばがた)石器なども出土しています。
縄文時代のムラの跡の一端をとらえたと考えています。